波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男    第80回  

2011-03-28 13:33:12 | Weblog
すべてが順調に進んでいるかと思えた。しかし、その底辺ではこの業界自体も、又市場も静かに変化しつつあった。その事は仕事に追われ毎日をその日の業務に夢中になっているものには自覚できることではなかった。社長からの電話で急に我に帰り、少し冷静に周りを見る気持ちになったことと、その異変をかぎだそうとする思いが出てきた。
「今のままで良いのか。何かすることがあるのではないか。」そんな不安めいたものを感じた。そんな時親会社のえらいさんから呼び出しを受けた。本社役員を兼ねて開発技術を担当している人であった。当時、まだ珍しいとされるLEDを元に自動車のストップランプを開発商品化し、販売を始めたこともありその卓越した才能は本社でも有名であった。ただ、大衆的な商品としては、消費者価格にはならず、かなり高級な価格に付く難点があり、量産販売にならなかったのだが、その消化のために関係会社へ押し付け販売になったことは残念なことであった。「何でしょうか。」と恐る恐る挨拶すると、「調子が良いそうじゃあないか。しっかり頼むよ。今度この部署を見るようになったんで色々話を聞いていおきたいと思って、会社だけじゃなくて飯でも食いながらゆっくり話を聞きたいと思っているんだが頼むよ。」話し方は慇懃無礼だが、そこにはいい訳はさせないぞと言う、威嚇的な強いものを感じた。これはただ事ではないぞと一瞬、身構えたのだが、その優しそうな物腰と言い方に少し油断もあった。また、こんな普段は声もかけてもらえないようなえらいさんから食事を付き合えという事等、今までに嘗て無いことでもあった。
縦社会の男の世界であり、ましてサラリーマン社会である。どんなチャンスでも利用して立身出世を無意識に感じないわけでもなかった。そんな出会いがあった後、ある日、事務所に電話がかかってきた。「今日、五時半過ぎに赤坂の某割烹まで来るように」と言うことであった。「いよ,いよ来たか。」何となく緊張と期待のようなものを覚えたが、
覚悟を決めるしかなかった。今までも定時に家に帰ることは無かったが、今回は計算は出来ない。まして、自分の思うようになることは許されず、何があっても我慢であった。
東京の仕事でなければ代わりの者がいて、交代も考えられたが、東京事務所を預かるものとしては、病気で入院でもしない限り無理だと覚悟を決めざるを得なかった。
後日、この日からのことを回顧する時、自分の人生のある試練を受ける時でもあったと思うし、その事が自分にとってどうすることが出来たかを後悔する事にもなったのだが