きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

「ベルリンの壁」崩壊30年② 「統一」対等だったか “過程に誤りは…”住民自問

2019-11-23 10:33:30 | 国際政治
「ベルリンの壁」崩壊30年② 「統一」対等だったか “過程に誤りは…”住民自問
旧東ベルリンのツィオン教会で8日夜、旧東ドイツで生まれ育ったアーティストたちがスライドと詩の朗読、音楽を一体にした舞台を披露しました。
題名は「見張り塔からずっと」―米国の歌手ボブ・ディランの同名の歌と「ベルリンの壁」の監視塔を重ね、「壁」や「国境」についてメッセージを伝えました。過去の独裁と現在の「軍需産業の独裁」への批判が込められた熱演に、観客は立ち上がって拍手喝采を送りました。
夫とともに鑑賞したクリスティアンネ・ハイデンライヒさん(66)は「壁」崩壊当時、市民組織「民主主義を今」の一員でした。1989年11月4日、東ベルリンのアレクサンダー広場で開かれた大集会に、夫と6歳から13歳の4人の子どもを連れて参加しました。



11月8日、旧東独で民主化運動の根拠地となったベルリンのツィオン教会で行われたパフォーマンス

他に道なかった
「(東独で)何かより良いものを作ろうと思っていた。しかし皆が西に買い物に行くようになり、結局、西ドイツの下に組み込まれてしまった。今から思うとほかに道はなかった。ただ対等な統一ではなかった」と振り返ります。
統一後、夫婦ともに失業を経験しました。その後、夫が得た職はポーランド国境の町まで毎日往復4時間を通勤するというもの。「私は反抗期の子どもを抱え、働きながら一人で子育てをした」と苦労を語りました。
バルト海沿岸の町ロストクから来たクリストファー・ロルさん(42)は、統一後のドイツには言えない。(急速に進んだ)東西統一が3年遅かったら違ったのではないか」と語りました。
4日にアレクサンダー広場で開かれたイベントを見に来ていた鋳物工場経営のラルフさん(61)は、「ドイツには多くの『パンドラの箱』がある。誰も開けたがらない箱ついて「今は金もうけのことばかりでとても幸せとだ」と言います。
「(西ドイツの)コール首相が、東ドイツ市民に西の通貨を与えると約束し、東の市民がそれに飛びついたのも、その一つだ。当時私たちは、よりよい社会主義を作ろうと思っていた。しかし当時の運動に参加した人たちは、今何の役割も果たしていない」
「統一」への割り切れない思いが、「東」の人たちの心の底に今も“おり”のように沈んでいるのが感じられます。

「勝者が敗者に」
ミュンヘン発行の有力紙南ドイツ新聞は1日付のコラムで、「東独の人たちの自信は、ドイツの民主主義に生かされなかった」と論じました。
西独の官僚が統一を達成し、西のエリートが東に「入植」。東では脱工業化と民営化で大量失業が起きた。「歓喜に続いて憂響(ゆううつ)が訪れ、勝者は敗者に変わった」―。
「統一」の過程で何かが間違っていたのではないかという「自問」が「西」でも始まっていることがうかがえます。(ベルリン=伊藤寿庸 写真も)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月21日付掲載


東西ドイツの統一。経済的な国力の差のもとで、いきなりの統一。
統一ドイツの首都は西ドイツの首都だったボンではなく、東ドイツの首都だったベルリンになった。
形の上では対等な統一だったが、実態はどうだったかのか。
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「ベルリンの壁」崩壊30年① 東独の弾圧忘れない 被害者、若い世代に継承

2019-11-22 08:21:15 | 国際政治
「ベルリンの壁」崩壊30年① 東独の弾圧忘れない 被害者、若い世代に継承
ドイツのベルリンを東西に隔てていた壁が開き、東ベルリン市民が自由に西側に旅行できるようになって今年で30年、ベルリンでは11月9日の壁崩壊の日をはさみ、さまざまな催しがありました。ドイツはこの日をどのように迎えたのでしょうか。(ベルリン=伊藤寿庸 写真も)



【東西分割占領】
第2次世界大戦でナチス・ドイツが敗北した後、ドイツは連合国の米英仏とソ連の4カ国に分割占領され、首都ベルリンも分割されました。1949年にソ連占領地域で成立したのがドイツ民主共和国(東ドイツ)で、90年の東西統一まで41年間続きました。
東ドイツでは、ソ連をモデルとした政治経済体制がつくられ、ソ連占領地域の共産党と社会民主党を合同させてつくった社会主義統一党(SED)の一党独裁体制が敷かれました。
経済停滞と民主主義抑圧から逃れようと国民の西側への脱出が続く中で東独政府は61年、西ベルリンの周囲と東西ドイツ国境に壁を建設。「壁」は民主化運動の高まりで、89年11月9日崩壊しました。


ベルリン東部の「シュタージ博物館」の受付には、訪れた人たちの長い行列がありました。シュタージは東西「冷戦」の最前線にあった東ドイツで、対外情報活動と国民監視・弾圧にあたった「国家保安省」です。



シュタージ博物館前に作られた屋外展示の前で証言するディム・アイゼンロールさん(中央)


ホーエンシェーンハウゼン記念館でガイドを務めるルッツ・ヒルデブラントさん(中央)

50万人の密告者
その元本部が博物館となり、弾圧犠牲者の横顔や尋問の手口などを詳しく紹介する展示があります。最大50万人近い密告者を組織して互いに監視させていた実態が明らかになっています。
10日、博物館の前庭にできた新たな屋外展示の前で歴史の証人としてガイドを務めていたのは、ティム・アイゼンロールさん(46)です。東ベルリンのツィオン教会を拠点として地下活動をしていた環境団体「環境図書館」の元活動家です。
当時東独政府は、環境汚染の情報を隠ぺいしていました。環境図書館は独自データを発表し、印刷物を通じて反政府派のネットワークづくりをしていたため、シュタージに目をつけられていました。
1987年11月、同図書館の事務所が大掛かりな家宅捜索を受け、現場にいた14歳のアイゼンロールさんも仲間とともに逮捕。シュタージ本部で8時間の尋問を受けました。「ナチ時代のレジスタンス闘士の本を読んでいたので、仲間の名前や組織の情報はいっさい明かさなかった」と語ります。
アイゼンロールさんはガイドとしてシュタージの過酷な弾圧を語ります。「東ドイツには権利も表現の自由も、自由な選挙もなかった。その体験に基づいて若者には、選挙に行き、市民社会の活発な一員となるよう呼び掛けている」
シュタージ博物館から約4キロ北の「ホーエンシェーンハウゼン記念館」にも、シュタージ弾圧の歴史の証人がいました。同記念館はシュタージ刑務所だった場所で、多くの囚人の収監、尋問の場所となりました。

裁判なく「判決」
元囚人でボランティア・ガイドを務めるルッツ・ヒルデブラントさん(72)は67年、19歳の時、東ドイツを支配していた社会主義統一党(SED)の党大会のポスターを破壊したこと、西側のテレビ放送を見たことを罪に問われ、30月の禁鋼刑を受けました。
裁判もなく刑を言い渡す文書に署名させられました。弁護士を頼んで控訴し、1年後に「公開裁判」が行われました。「若者が西側のテレビを見るといかに危険か」を国民に宣伝するためでした。控訴審で刑期が20月に減刑され、68年8月に釈放されました。
ヒルデブラントさんは、「学校の生徒を案内すると、東ドイツ時代をほとんど学んでいないことが分かる。でも私の話に関心を持って、いろいろ質問してくる。若者たちには大きな希望を持っている」と語ります。
シュタージに関する文書は、本人や遺族による閲覧が可能です。ヒルデブラントさんも自分のファイルを確認したところ、600ページもありました。
東独時代を生きた人たちの中には、密告者の中に友人や家族の名前を見つけてショックを受ける人もいます。そのため閲覧請求をしない人も多い。
連邦シュタージ文書管理庁のロナルド・ヤーン長官はメディアにこう語っています。「孫の世代の閲覧希望者が増えている。親の世代が触れようとしなかったことに目を向けている」(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月19日付掲載


同じ民族でありながら分裂に至った国はドイツ以外にも、ベトナムと朝鮮半島があります。
ベトナムは東欧の激動やソ連の崩壊よりずっと以前に、みずからの闘いで統一を勝ち取っています。朝鮮半島は残念ながら今でも統一をなしえていません。

東欧の民主化運動を機に統一に至ったドイツ。30年を経ても、弾圧に関わった人たちとの人的関係を引きづっているんですね。




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映画「i ―新聞記者ドキュメント―」森達也監督 メディアの劣化あぶり出す 「個」の自覚を促す問い響く

2019-11-20 16:43:05 | 政治・社会問題について
映画「i ―新聞記者ドキュメント―」森達也監督
メディアの劣化あぶり出す 「個」の自覚を促す問い響く


もり・たつや 映画監督、作家、明治大学特任教授1956年、広島県生まれ。99年、テレビドキュメンタリー「放送禁止歌」、98年ドキュメンタリー映画「A」、2001年「A2」。『A3』『「テロに屈するな!」に屈するな』ほか著書多数。「i ―新聞記者ドキュメント―」は第32回東京国際映画祭で日本映画スプラッシュ部門作品賞



オウム真理教の信者を内側から追った「A」やゴーストライターをめぐる「FAKE」などドキュメンタリー映画で異彩を放ってきた森達也さん。新作「i ―新聞記者ドキュメント―」は、日本のメディアの実態に迫ります。昨年12月からこの映画化に携わって見えてきたものは―。森監督に聞きました。
(児玉由紀恵)

「i」に取り組む契機は、河村光庸プロデューサーからの依頼でした。東京新聞記者・望月衣塑子著『新聞記者』を原案として、劇映画とドキュメンタリーを作ってほしい、と。



東京・新宿ピカデリーほか全国で公開中 ©2019「i―新聞記者ドキュメント―」製作委員会

政治家や役人忖度せず追及
「最終的に劇映画の方は藤井道人監督に任せることにして、僕はドキュメンタリーに専念しました。劇映画の準備の勢いで走り出したという感じで、自分から進んでという企画ではなかったのですが、望月さんはとてもフットワークのいい方でしたね」
菅義偉官房長官の会見で食い下がって質問する望月記者はよく知られる存在です。この映画の撮影期間中、望月さんは、森友、加計学園問題の籠池夫妻や前川喜平元文科事務次官、レイプ事件で係争中の伊藤詩織さんらを取材。ミサイル貯蔵で揺れる陸上自衛隊宮古島駐屯地では弾薬庫の存在を暴露するスクープを飛ばします。
スーツケースを運びながら日本各地で取材をし、事実を基に忖度せず政治家、役人を追及し、いやがらせや脅迫にも屈しない姿は印象深く胸に刻まれます。
といっても、映画が伝えようとするのは望月記者の活躍物語ではありません。官邸会見や記者クラブの閉鎖性が問われ、撮影する監督自身も取材の壁にぶち当たる事態に―。
〈政治権力に対して質問する。疑問があったら追及する。これがなぜ注目されなきゃいけないのか〉―映画に出てくる監督の自問です。望月さんを描く映画が、メディアの劣化をあぶり出しにします。
「撮影しながら日本のメディアの組織化がとても進んでしまったと実感しました。組織として完成するということは、営利追求を大義に規則や指示を優先してしまうということです。自分を滅して組織を優先する、となるとジャーナリズムは衰退します」
メディアを叱咤激励しながら続けます。
「政治も同じです。特に今の自民党は、安倍首相を頂点とした一枚岩。議員たちはほぼ1人残らず組織に従属しています」
時折、画面に映し出される一方向に泳ぐ魚の群れ。タイトル「i」にも関わる一瞬の映像です。監督は、映画のヤマ場のモノローグで、それに連なる思いを語っています。

「歴史逆行」にあきらめない
「これまで自覚していなかったけど今回これを撮るにあたって、『集団と個』ということが自分の中のテーマなんだと気づきました。人間は集団の中で生きる生き物で、僕だっていろんな集団に入っていますし、集団と距離を置くのは絶対無理です。ただその時の意識の持ち方、集団にいるけど同時に個でもあるという自覚が大切だと思いますね」
監督が「ずっと気になっていた」という一枚の写真が、ヤマ場に出てきます。ナチス・ドイツ降伏後のパリ解放の場面、歴史の中での「個」のありようが問われるワンシーン。“あなたは、この時代をどう生きる?”という一人ひとりへの問いかけが響きます。
森さんは、テレビのディレクター、映画監督と並んでユニークな著述も旺盛に展開しています。近刊『すべての戦争は自衛から始まる』(講談社文庫)では、歴史に逆行するばかりの国の現状を憂えつつも「あきらめない」と。「だって子どももいますし、彼らに知ーらないってわけにいきませんからね」

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月20日付掲載


映画「i―新聞記者ドキュメント―」は、ともすると望月記者の活躍物語かと思ってしまいがちですが、「組織と個人の関係を問う」ことがテーマになっているんですね。
画面に映し出される一方向に泳ぐ魚の群れ。タイトル「i」にも関わる一瞬の映像。
ナチス・ドイツ降伏後のパリ解放の場面、歴史の中での「個」のありようが問われるワンシーン。“あなたは、この時代をどう生きる?”という一人ひとりへの問いかけ。
個人としての自覚を持って生きることが大事。

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神戸市 共産党教育シンポ 議論白熱 教員間いじめ衝撃■変えるには

2019-11-19 16:23:18 | 政治・社会問題について
神戸市 共産党教育シンポ 議論白熱 教員間いじめ衝撃■変えるには

16日に神戸市須磨区で開かれた日本共産党神戸市議団主催の教育シンポジウムは、東須磨小学校の教員いじめ暴力問題を中心に、フロア発言も相次ぎ、熱心に議論しました。党文教委員会責任者の藤森毅氏が基調報告し、パネリストは小3と中1の子を持つ同市の尻池直美さん、元市立小学校教員の桑原敦文氏、味口俊之共産党市議。同区選出の山本純二市議が司会を務めました。

今回の問題をめぐり真剣な議論が交わされました。尻池さんは「衝撃を受けた。いじめはダメだよと教える立場なのに。親としては不安」と発言。桑原氏は「残念ながら、現場は教員間のいじめやパワハラはあるという話が多い。日常のストレスから生まれると思う」と述べ、①成績主義で教員が追いつめられている②長時間労働③人権感覚が希薄な市教委と管理職の問題―を指摘しました。
フロアから「今回のことはもはや犯罪。教員免許を取り上げるべきだ」(男性)などの発言が続きました。
味口市議は、同校の保護者会で市教委の担当者が「これ以上知りたければ情報開示請求を」と言うなど、隠ぺい体質が保護者の強い不信を招いていると告発。市教委幹部と校長が証拠のメモを隠ぺいした垂水区の女子中学生いじめ自死事件の教訓を無視していると厳しく批判しました。



発言する(右から)味口、桑原、池尻、藤森の各氏=11月16日、神戸市須磨区

子どもにも
議論は発展し、子どもへの体罰、パワハラが横行していることに批判が相次ぎました。
味口市議は、同校で加害教員による子どもへの体罰などがあり、他校でも多くの事例があることを報告。小3の子を持つ女性は、教員の威圧的な言動で、授業参観に行くたびに教室が恐怖で静かになっていく様子を発言。「学習が遅い子には、目の前に指を突き付けながら『お前なんて、いらんねん』とまで言った」と語りました。
どうすれば変わるか―。「事件が起きた後、教育が改善された例は」との参加者の問いに、藤森氏は「多くの地域で、親や住民が教育を考える集まりができ、教育を変える力になっている」として、問題行動をしたと見なした生徒を警察に引き渡すことまで行った広島県福山市の「ゼロトレランス」が地元の運動と国会質問とによって撤廃された例などを紹介しました。

声上げよう
桑原氏は「悪い先生ばかりではない。教員は子どもと保護者、同僚に育てられるものです。手をつないでほしい」と述べ、味口市議は「子どもの権利条約を現場に生かすことが大事」との教育長答弁を引き出したことも示し、「市教委に、おかしいことはおかしいと声を上げてください」と呼びかけ。尻池さんも「保護者が我慢せず、自由に語り合うことが大事だと思う」と述べました。
フロアからも「語り合い、学校や教育委員会に声を上げよう」などの発言が続きました。

パワハラない学校に
日本共産党文教委員会 藤森毅責任者の基調報告(要旨)
今回の事件は、長期にわたる暴力・暴言・強要などで人格を破壊し、自殺寸前まで追い詰める、極めて悪質なパワハラであるとともに、パワハラから職員を守る法的責任を負う管理職や教育委員会が逆に促進、容認してしまった深刻さがあります。
教員間のパワハラは神戸市だけでなく全国的に深刻化しています。その背景には、異常な長時間労働に加え、職員会議の形骸化、人事評価、学カテスト体制など国が「競争と管理」を強めた結果、教員の世界が、本音や失敗が語れない競争的な上意下達の社会になっていることがあります。上からの命令を疑問なく実行する「即戦力」が求められ、自分の意見を言う先生が、職員室や子どもの前で非難されることもあります。
同時に、子どもへのパワハラと表裏一体です。先生の間でパワハラが広がる中、子どもだけが大事にされることはあり得ません。体罰、ブラック校則、学校スタンダードなどで子どもの人権や個性が抑圧されていることは、個人の尊厳や多様性の時代に逆行しすぎています。
いっさいのパワハラがない学校をつくりましょう。「綱紀粛正」的な対応では現場が萎縮するだけです。何より子どもとの関係で、「体罰は論外だし、『指導』を通すために、脅かしたり、恥ずかしい思いをさせたり、罰を与えたりしない」というような、パワハラを許さない基本的な姿勢を広げていくことが大切です。そのために教員、保護者・住民が、評価を気にせず自由に語り合える場が大事だと思います。日本共産党は、パワハラを生み続ける教育政策をやめさせ、子どもの権利を大切にする教育に変えるため全力をあげます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月18日付掲載


背景には、教員の長時間労働や教育現場への競争原理の導入があると思います。教員増員などで根本的に解決を図る前にも、教員、保護者などが自由に語り合える場をつくることで改善できる。教員間でも、子どもにむけてもパワハラは論外です。
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アマゾンと商業規制② フランスの法律の理念 関西大学教授 佐々木保幸さんに聞く

2019-11-16 08:33:15 | 経済・産業・中小企業対策など
アマゾンと商業規制② フランスの法律の理念
関西大学教授 佐々木保幸さんに聞く


アマゾンなどのデジタル・プラットフォーマー(個人や法人に活動基盤を提供するIT企業)への商業分野での規制については三つの側面を考える必要があります。
一つ目は租税回避行動です。一番税率の低い国に利益を移動させ納税する多国籍企業の行動には制限をかけなければなりません。
二つ目は竸争制限的で不公正な事業活動です。取引業者への手数料を一方的に引き上げるような行動に関しては競争政策(独占禁止政策)の側面から規制しなければなりません。
三つ目に、実店舗を圧迫し小売商業構造を変えてしまうことです。この問題への対応は、まったく講じられていません。



アマゾンの物流センター=千葉県市川市

小売業圧迫
大手小売業の事業活動によって商店街のような小規模零細小売業が圧迫されます。そのため、かつての日本では大型店の出店や事業活動を法律で規制し、調整していました。小売商業調整政策と呼ばれます。戦前から戦後にかけては百貨店法という法律で、1970年代からは大店法という法律で小売商業の調整を行っていました。
ところが1990年代以降、市場メカニズムを重視する新自由主義の考え方や政策が基調となり、小売商業調整政策が弱くなりました。日本でも大店法が廃止され、出店規制を取り払った大店立地法に変わりました。世界各国で中小零細企業の淘汰(とうた)が進んでいます。
商業の多様性は市場原理にまかせては維持できません。資本力格差は圧倒的なので市場での「自由競争」はゆがめられ、資本力の弱いものが淘汰されるからです。その状況が、アマゾンのような新しいインターネット小売業の急成長で加速されています。小規模零細な小売業だけでなく、大手の実店舗型小売業も淘汰されています。
しかし、多くの国では大手小売企業の事業活動を直接的に規制するような調整政策をもはやもっていません。新たな政策的な対応が求められています。ヒントになるのは2014年にフランスで制定された通称「反アマゾン法」です。書店と書籍に着目し、アマゾンの配送料無料サービスを禁じた法律です。
フランスではラング法という法律で書籍価格の値引きについては最大5%まで認めていました。アマゾンは5%の値引きに無料配送をつけ、事実上のダンピングで市場浸透を図りました。これを新法で禁じたのです。
アマゾンが送料を1セントに設定して対応するなど、現実的な効果は小さい法律です。しかし重要なのは、理念や方向性を指し示したことです。
反アマゾン法制定の過程ではさまざまな議論が行われました。アマゾンの不公正競争が問題にされ、実店舗型小売業の必要性が強調されました。書籍は単なる商品ではなく文化に密接に関連する独特の財であるという考え方も重視されました。実店舗の書店が存在することで地域住民が文化としての書籍に触れることができます。その文化的財を国と地域社会で守っていこうというわけです。

文化的側面
反アマゾン法を所管したのは文化担当大臣でした。書籍の重要性を文化的な側面から把握して法案を出したのです。このように、企業活動の影響については純粋に経済的な側面だけでなく、社会的な側面にも目を向ける必要があります。
現在の流れの中では大店法のように小売企業全体に網をかける小売商業調整政策は議論の姐上(そじょう)に載せにくい状況です。また、小売企業を店舗の面積に応じて規制する大店法の方式では無店舗の事業者を規制することはできません。反アマゾン法のポイントは、書籍という小売業の特定の分野で競争上の問題をとらえた点にあります。今後の政策対応の方向性を示唆しています。
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月14日付掲


書籍は単なる商品ではなく文化。実店舗の書店が存在することで地域住民が文化としての書籍に触れる。その文化的財を国と地域社会で守っていこう。
アマゾンのダンピングを規制するフランスの取り組み。



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