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きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

第50回「視点」展 伝統を継承し新たな50年へ

2025-05-31 17:53:44 | いろんな取組み
第50回「視点」展 伝統を継承し新たな50年へ
金井紀光

日本リアリズム写真集団(JRP)が主催する、全国公募写真展「視点」は1976年に創設されました。東京・上野の都立美術館での本展をはじめ、全国数カ所で巡回展が開催される、日本最大規模の公募写真展です。
50回の節目を迎えた今年は、応募者数683名、作品数1348、作品枚数2850枚でした。多くの方が応募してくださるのは、半世紀にわたる伝統の重みではないでしょうか。選考は、写真家の宇井眞紀子さん、同じく清水哲朗さんのお二人をゲストに、日本リアリズム写真集団側から3名が参加して行いました。その結果、242作品、686枚の入賞、入選作品が決定しました。



久保村厚「リニアが通る村」(カラー6枚組)

見せる工夫
視点賞、久保村厚さんの「リニアが通る村」(カラー6枚組)は、難しいテーマへ果敢に挑戦した意欲作です。バックミラーに写るダンプカー、重苦しいトーンの中に際立つ誘導員の赤い旗など、見せるための工夫があり単なる工事の状況説明ではなく、作者独自の視点を示しています。先の見通せないこの問題を、表現することに成功しています。
奨励賞、藤田篤男さんの「送電線は何処ヘ―福島の14年―」(カラー5枚組)は、原発事故の問題を送電線に焦点をあてて表現した作品です。福島第1原発でつくった電気のほとんどが、東京を中心とした首都圏で使われていたことはよく知られています。この作品はそれを可視化したものでしょう。山中にそびえる鉄塔や張りめぐらされた電線が見る者に迫ります。原発を含め、エネルギーの問題をどうするのか、一人一人に突きつけているようです。
同賞、中野光代さんの「お兄ちゃん」(カラー4枚組)は、兄になったばかりの少年の自覚と戸惑いの表情から、家族の絆が感じられ印象的です。心温まる作品になりました。同賞、若林茂さんの「母患う」(カラー4枚組)は、年齢を重ねた母への慈しみが簡潔に表現されています。
50回記念特別賞として英伸三選考委員により、なかにしみつほさんの「日々折々―絵本作家ねっこかなご」(カラー5枚組)が選ばれました。絵本作家の凛とした日常が淡々と、季節を感じさせながらさりげなく描かれています。この作家の絵本を見たいという気持ちにさせます。



中野光代「お兄ちゃん」(カラー4枚組)

若者の表現
ヤング賞、高浜蓮さんの「負けないで」(モノクロ単写真)や、準ヤング賞、吉岡來美さん「秘密」(カラー単写真)などは、友人を撮ったものと思われる作品でした。若者らしい発想、表現で、撮影者と撮られる側との会話が聞こえてきそうで好感が持てました。ヤング部門には、「視点」展への応募常連のお孫さんや親族が応募されるケースが何点かありました。こうして本展の伝統が継承され、次の世代へつながっていくことに期待します。
今年の入賞作品には暗く重い題材の写真が多い印象ですが、これは、今の日本社会の現実を率直に見つめた結果でしょう。忘れてはいけない大事なことが、ともするとニュース価値がないと判断されがちです。「視点」展は、日々新しい話題を追いかけていくSNSなどとは対極の、ていねいに撮り続け、伝えていく世界です。作品発表の場であると同時に、社会へ発信する場です。今回の「視占心展を機に、その役割、立ち位置を再確認し、新たな50年を目指します。
(かない・のりみつ 第50回「視点」展委員長・選考委員)
*6~13日、東京都美術館(上野公園内)03(3823)6921。仙台、兵庫、三重、富山に巡回

「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月30日付掲載


視点賞、久保村厚さんの「リニアが通る村」(カラー6枚組)は、難しいテーマへ果敢に挑戦した意欲作。バックミラーに写るダンプカー、重苦しいトーンの中に際立つ誘導員の赤い旗など、見せるための工夫があり単なる工事の状況説明ではなく、作者独自の視点を示しています。先の見通せないこの問題を、表現することに成功。
ヤング部門には、「視点」展への応募常連のお孫さんや親族が応募されるケースが何点かありました。こうして本展の伝統が継承され、次の世代へつながっていくことに期待。
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ケアマネ不足で介護崩壊の危機

2025-05-30 14:21:12 | 医療・福祉・介護問題について
ケアマネ不足で介護崩壊の危機
全日本民主医療機関連合会ケアマネジメント委員会委員長 石田美恵さん

利用者や家族に寄り添って適切な介護を受けられるように計画・調整するケアマネジャーの事業所(居宅介護支援事業所)が、全国各地で廃止・休止に追い込まれています。介護を受ける入り口が閉ざされかねない事態―。背景にあるのは、有効求人倍率9.7倍(2月時点、中央福祉人材センター調査)という深刻なケアマネ不足です。全日本民主医療機関連合会ケアマネジメント委員会委員長を務める石田美恵さんに聞きました。
(本田祐典)


低報酬と増える無報酬業務
専門職としての評価が必要




―各地で事業所が次つぎとなくなり、私たちの調査(「しんぶん赤旗」5月11日付)では全国29自治体が事業所ゼロ、201自治体が残り一つ(昨年末時点)となっています。
ケアマネは介護を必要とする人にとって、これからの人生の方向性を託す存在です。ケアマネが消えれば、介護保険制度が崩壊します。
いま、本当にケアマネのなり手がいません。東京都内でも、いま中心になっている50代が今後10年間で次つぎ退職し、多くの事業所が消えるでしょう。
国がケアマネの報酬を低く抑えていて、低賃金が問題化している介護職よりも低くなっています。介護現場で5年働いて受験資格を得るのに、ケアマネになると給与が下がるという逆転現象があります。
緊急に処遇改善が必要です。ところが、石破政権は介護職への一時金支給(昨年度補正予算)でケアマネを対象外にしました。



厚生労働省にケアマネジャーの処遇改善を求める石田さん(中央左)と全日本民医連の岸本啓介事務局長(同右)=4月28日、国会内

―多忙で疲弊しているという声も寄せられます。
各利用者のケアプラン(介護サービス計画書)作成のほかに、「シャドーワーク」と呼ばれる無報酬業務が増大しています。
ケアマネは利用者や家族、地域の課題を最初につかんで、巻き込まれていく存在です。行方不明や安否確認といった緊急対応のほか、いわゆるゴミ屋敷やヤングケアラー(子ども・若者による世話や介護)、虐待などにも「誰かがやらなければ」と対応します。
シャドーワークの増大は、国や自治体が公的福祉を後退させ、医療や介護保険の給付を抑制してきた結果です。ヤングケアラーも、同居家族がいる要介護者への生活援助(家事を行う訪問介護)を国が認めないので深刻化しています。脆弱な社会保障からこぼれ落ちた部分を、ケアマネが支えているのです。
―厚生労働省の検討会が昨年12月、シャドーワークを分類し「保険外サービスとして対応しうる」「他機関につなぐべき」「対応困難」としました。
シャドーワークが存在することを認め、その中身を明らかにしようとしたのはよい変化です。
しかし、脆弱な社会保障制度を立て直さなければ、業務を割り振る先がありません。結局、ケアマネがやることになります。
また、ケアマネの職責から外すのではなく、専門的技術が必要な重要業務と評価する部分も必要です。利用者や家族に寄り添う専門職だから対応できる問題もあるからです。
シャドーワークは、介護本来の役割ややりがいとつながっている側面もあります。それは、私たち民医連が介護・福祉の運動方針に掲げる「まずみる・寄り添う・支援する・何とかする」の言葉からもわかるでしょう。シャドーワークを通じて利用者の本当の願いやニーズに気づくことも少なくありません。

―直面する過密化をどう軽減しますか。
ケアマネが把握した高齢者の課題を行政機関が放置し、対応を背負わせ続ける状況はすぐに改善すべきです。ケアマネから相談や業務の引き継ぎができる場所が必要です。私が所長を務める事業所がある東京都足立区は、高齢者の課題解決にあたるチームを設けています。こういった施策を全国に広げるように求めていきます。
―国はケアマネ不足の対策として、担当件数の上限を39件から44件に引き上げました。
40件以上を担当することは無理です。利用者や家族と向き合えず、件数制限の目的だった「質の確保」がおろそかになります。
要支援者のカウントについても、2人で1件から3人で1件へと後退させました。要支援の軽視は間違いです。ケアマネの負担軽減にも逆行しており、すべて元に戻すべきです。
―いまの介護保険で利用者に十分なサービスを計画・調整できますか?
ケアマネが必要と判断したサービスであつても、利用できないことがあります。低所得者でも1割負担など自己負担が重いため、利用者や家族の同意を得られない。物価高騰で家計が悪化し、ますます利用できなくなっています。
介護保険創設時に国が設けた支給限度額も25年間引き上げられず、事実上の制度改悪が進んでいます。上限を超えた部分は自費(全額自己負担)なので、限度内でやりくりせざるをえません。
国が制度を改悪すればするほど、利用者に寄り添うはずのケアマネが裁量を奪われ、利用を抑制する側に立たされます。
昨年春に国が報酬を引き下げた訪問介護は、事業所廃止が相次いで、すでにサービス提供体制が崩壊した地域もあります。そうした現場で、ケアマネがヘルパー探しに奔走しています。
―国はケアマネの評価を高めるためといい、ケアブラン有料化(自己負担導入)を狙います。
「ケアマネのため」は、負担増の口実でしかありません。有料化すれば集金業務が新たに発生し、さらに忙しくなります。
困っている人に対する相談援助は本来、税金でまかなうべきものです。相談者からお金を取ることは、公的な介護給付制度として絶対にあってはならない。相談を控え、必要なサービスを受けられない事態につながります。決して認められません。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月28日付掲載


ケアマネが必要と判断したサービスであつても、利用できないことがあります。低所得者でも1割負担など自己負担が重いため、利用者や家族の同意を得られない。物価高騰で家計が悪化し、ますます利用できなくなっています。
介護保険創設時に国が設けた支給限度額も25年間引き上げられず、事実上の制度改悪が進んでいます。上限を超えた部分は自費(全額自己負担)なので、限度内でやりくりせざるをえません。
国が制度を改悪すればするほど、利用者に寄り添うはずのケアマネが裁量を奪われ、利用を抑制する側に立たされます。
僕の場合は要支援1なので、うけられるサービスが限られます。そのなかでケアマネージャーがやりくりしてくれます。

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デブリ2回目採取0.2グラム 全量回収長い道のり 福島第一原発2号機

2025-05-29 14:00:27 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
デブリ2回目採取0.2グラム 全量回収長い道のり 福島第一原発2号機
東京電力は先月、福島第1原発2号機で、事故で溶け落ちた核燃料デブリの2回目の試験的取り出しを完了しました。採取したデブリは研究機関で分析し、本格的な取り出し工法の検討などに役立てるとしていますが、全量回収には困難な長い道のりが予想されます。



今回採取したデブリは複数個あり、最大のもので5ミリメートル程度、重さは約0・2グラムでした。昨年秋に初めて取り出したデブリは原子炉圧力容器直下の領域内の比較的外側の場所から採取しましたが、今回は、中心により近い場所から採取することができました。つり下ろした器具に装着したカメラの画像から、原子炉格納容器底部にテーブル状の堆積物があることも判明しました。
取り出し作業は、「テレスコ式」と呼ばれる、伸縮可能な釣りざお状の回収装置を使用。この装置を格納容器の開口部から挿入し、原子炉直下の格子状の足場が事故で損壊して開いた穴の所まで“さお”を伸ばして、その穴から、デブリをつかむ爪のような器具を底部までつり下ろして採取しました。事故現場は放射線量が高いため、装置は遠隔で操作します。
昨年の1回目の取り出しでは、着手直前の8月下旬に準備作業のミスが発覚。カメラの不具合による中断もあり、作業が完了したのは11月7日でした。その教訓を踏まえて対策した今回は、4月15~23日の9日間で実施できました。2回とも、60~70人ほどの同じ作業チームで実施しました。



資料容器内のデブリ。赤色のマス目は1ミリメートル角(東京電力提供)


核燃料デブリを器具でつかんだ様子=4月17日、福島第一原発2号機(東京電力提供)

戦略必要との指摘
事故対策の責任者を務める東電・福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表は2回目の作業が完了した翌日の記者会見で、「前回の苦い経験を振り返ってしっかり反映して取り組んだ。作業の習熟度も上がり、スムーズに進んだ」と述べるとともに、周辺の映像が得られたことを「将来に向けても大きなポイントと思っている」と評価しました。
採取したデブリは、日本原子力研究開発機構(JAEA)に輸送されました。1年~1年半ほどかけて元素組成や結晶構造などを分析します。
デブリの試験的取り出しは当初、ロボットアームを使って2021年に実施する計画でした。しかし開発の遅れやケーブルの経年劣化などが見つかって延期を繰り返すなかで、テレスコ式の装置を使ったという経緯があります。東電は、3回目はロボットアームで今年度末までに着手したいとして準備中。その後、段階的に取り出し規模を拡大する計画です。
原子力規制委員会の山中伸介委員長は4月23日の記者会見で、2回のデブリ採取で多様性のある試料が得られたと評価する一方で、「やみくもに今取れる所から拾ってくるというのは意味がない」などとして、硬さやもろさなどの機械的な性質、分布などどのような情報が必要なのか、大規模取り出しに向けた戦略が必要だと指摘しました。



核燃料デブリが入った「運搬用ボックス」を取り出す様子=4月23日、福島第一原発2号機建屋内(東京電力提供)

総量推定880トン
炉心溶融を起こした1~3号機には、総量880トン規模のデブリがあると推定されています。政府と東電は2051年までに廃炉を完了させるとしています。
今回、廃炉推進カンパニーの小野代表は、工程について間われ「現時点で見直す必要はない」と述べました。しかし、事故発生から14年たった今、ようやく試験的取り出しが始まったばかり。本当にデブリの全量を取り出すことができるのか、実現性は不透明です

「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月26日付掲載


原子力規制委員会の山中伸介委員長は4月23日の記者会見で、2回のデブリ採取で多様性のある試料が得られたと評価する一方で、「やみくもに今取れる所から拾ってくるというのは意味がない」などとして、硬さやもろさなどの機械的な性質、分布などどのような情報が必要なのか、大規模取り出しに向けた戦略が必要だと指摘。
炉心溶融を起こした1~3号機には、総量880トン規模のデブリがあると推定されています。政府と東電は2051年までに廃炉を完了させるとしています。
今回、廃炉推進カンパニーの小野代表は、工程について間われ「現時点で見直す必要はない」と述べました。しかし、事故発生から14年たった今、ようやく試験的取り出しが始まったばかり。本当にデブリの全量を取り出すことができるのか、実現性は不透明。
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小惑星衝突 どう備える プラネタリー・ディフェンス

2025-05-27 20:28:47 | 科学だいすき
小惑星衝突 どう備える プラネタリー・ディフェンス
今年初め、ある小惑星が8年後に地球に衝突するかもしれないというニュースが世界を駆け巡りました。その心配はないとわかりましたが、小惑星衝突から地球を守る「プラネタリー・ディフェンス」の重要性が浮き彫りになりました。そうした中、日米欧の専門家による講演会が東京大学で開かれ、現在の取り組みの状況などを議論しました。(間宮利夫)


東京大学で開かれた公開講演会

専門家取り組み議論
衝突するかもしれないと言われた「2024YR4」は、昨年末、「小惑星地球衝突最終警報システム(ATLAS)」の南米チリにある望遠鏡が発見。「国際小惑星警報ネットワーク(IAWN)」が翌月、1・3%の確率で約8年後に地球に衝突すると発表したのです。
この天体は大きさが推定40~90メートル。IAWNは、大きさ10メートル以上で衝突確率が1%以上と見積もられた場合に発表します。
観測が進むにつれ、衝突確率は一時3・1%まで上昇し、その後急速に低下。IAWNは2月、衝突確率は0・004%で、今後100年間地球に衝突する恐れなしと発表しました。ただ、月への衝突確率が3・8%となっています。



米アリゾナ州にあるバリンジャークレーター。5万年前に小惑星が衝突してできたとみられています(©USGS)

過去に何度も
地球への天体衝突は、過去何度もありました。
約6600万年前、現在のメキシコ・ユカタン半島に大きさ10キロメートル以上の天体が衝突し、恐竜が絶滅したとする説が有力です。
2013年2月にロシア・チェリャビンスク州に落下した天体は大きさが約17メートルあったと推定され、上空で爆発した際の衝撃波で多くの建物を壊し、その破片で人々に重軽傷を負わせました。
1908年6月にロシア・中央シベリアで東京都に匹敵する森林の木がなぎ倒されたツングースカ大爆発は大きさが50~60メートルの天体衝突だったとみられています。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所の吉川真准教授はじめ、専門家は地球に衝突する小惑星を早く発見することの重要性を強調しました。
ATLASのほか日本スペースガード協会美星スペースガードセンター(岡山県井原市)など世界各地の地上望遠鏡、宇宙望遠鏡の観測で、これまでに約144万個の小惑星が確認されています。
このうち約3万8000個が地球接近小惑星(NEO)で、2008年以降、予測された11個が実際に衝突しています。いずれも1~数メートルと小さく被害の報告はありませんでしたが、発見から衝突までの時間が長くて20時間程度でした。
2024YR4のように60メートル級の小惑星が衝突すれば大きな被害が出る可能性があります。恐竜絶滅の原因となったとされる10キロメートル級の小惑星はすでに発見され、近い将来の衝突はないとみられていますが、未発見が多数と考えられている数十~数百メートル級小惑星の早期発見が大きな課題です。
米航空宇宙局(NASA)は27年にプラネタリー・ディフェンス専用宇宙望遠鏡「NEOサーベイヤー」の打ち上げを計画しています。これまで難しかった、太陽方向から接近する小惑星の発見がしやすくなるといいます。



今年4月6日の小惑星の分布。+が太陽、青い点は内側から水星、金星、地球、火星、木星で赤い点が地球接近小惑星で、灰色がそれ以外の小惑星(©JAXA)


二重小惑星「ディディモス」に衝突直前の探査機の想像図(©NASA)

どんな性質か
地球接近小惑星は一つひとつ大きさや形状、構成する物質や密度などさまざまあり、探査も重要です。
JAXAの小惑星探査機はやぶさ、はやぶさ2などは地球接近小惑星を間近で観測し、その試料を持ち帰ってきました。それにより、その正体がさまざまな大きさの岩石の集合体であることなどを明らかにしました。はやぶさ2は、現在、二つの地球接近小惑星の観測を目指して飛行を続けています。
29年4月に大きさ約340メートルの小惑星「アポフィス」が地球から約3万2000キロメートルのところを通過します。間近で観測する絶好の機会に、欧州宇宙機関(ESA)は探査機ラムセスを打ち上げる計画で、JAXAもそれへの参加を検討しています。

軌道変え防ぐ
発見したとして、衝突を避ける方法はあるでしょうか。
探査機を衝突させて小惑星の軌道を変えるというのがその一つ。NASAは22年、大きさ約780メートルの二重小惑星「ディディモス」に探査機を衝突させる実験を行いました。その周りを回っているもう一方の小惑星の動きから、ディディモスに何らかの変化があったことが確認されました。24年に打ち上げられたESAの小惑星探査機「Hera」が26年に接近し、追観測を行う計画です。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月25日付掲載


発見したとして、衝突を避ける方法はあるでしょうか。
探査機を衝突させて小惑星の軌道を変えるというのがその一つ。NASAは22年、大きさ約780メートルの二重小惑星「ディディモス」に探査機を衝突させる実験を行いました。その周りを回っているもう一方の小惑星の動きから、ディディモスに何らかの変化があったことが確認されました。24年に打ち上げられたESAの小惑星探査機「Hera」が26年に接近し、追観測を行う計画。
小惑星衝突を避ける取り組みも現実味を帯びていますね。
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埋もれた年金 捜索の足跡 鉱山から掘り出した記録

2025-05-26 17:26:08 | 予算・税金・消費税・社会保障など
埋もれた年金 捜索の足跡 鉱山から掘り出した記録

社会保険労務士 柴田友都さん

2022年、山形県鶴岡市のA美さんから1973年に53歳で亡くなった父Y作さん(19〈大正8〉年生まれ)の年金相談をいただきました。
「父は戦時中、鉱山で働いていましたが、年金をかけられていたとは知りませんでした。母B子は遺族厚生年金を受給していますが、少しでも年金が増えたらと思いました」
後日、A美さんから届いた相談票には、調査してほしい会社名が五つ記されていました。一つは、44(昭和19)年10月から働いた岐阜県の鉱山。他は47(同22)年~56(同31)年に働いた四つの会社です。




記憶呼び起こし
年金事務所で確認したY作さんの厚生年金の記録は、58(同33)年から亡くなるまで175月の加入期間でした。受給には240月の加入期間が必要ですが、在職中に亡くなったため、妻のB子さんには現行制度で最低限の年金が支給されていました。
相談票をもとに年金事務所に記録を照会しましたが、「お申し出の会社名では見つかりませんでした。正式な会社名が分かれば受給につながります」との回答。会社名を導き出すため、根気のいる調査になりました。
B子さんに記憶を呼び起こしてもらい、Y作さんは結婚時の58(同33)年ごろに山形県の鉱山で働いていたことが分かりました。他の会社名についても、A美さんに「お父さんが戦時下に岐阜のどこで働いていたか、昭和22~25年にどの地域にいたか、ご親族に聞いてください」と頼みました。
翌週、地域は明らかに。あとは私の長年の勘で調べました。

勇気出した結果
5カ月後、すべての会社名を突き止め、新たに114月分の年金を請求しました。Y作さん死亡時までさかのぼった49年分の年金額は約1200万円。B子さんが2カ月ごとに受給する年金額は3万5千円増えました。A美さんは半信半疑で私に相談したそうですが、勇気を出して踏み出したことが、予期せぬ幸運になったと思います。
かつて日本中にあった鉱山や炭鉱のほとんどは昭和30年代に閉山しました。多くの年金記録が埋もれたままになっています。

(前回は11日付に掲載)

【連絡先】048(296)2075

「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月25日付掲載


B子さんに記憶を呼び起こしてもらい、Y作さんは結婚時の58(同33)年ごろに山形県の鉱山で働いていたことが分かりました。他の会社名についても、A美さんに「お父さんが戦時下に岐阜のどこで働いていたか、昭和22~25年にどの地域にいたか、ご親族に聞いてください」と頼みました。
翌週、地域は明らかに。あとは私の長年の勘で調べました。
5カ月後、すべての会社名を突き止め、新たに114月分の年金を請求しました。Y作さん死亡時までさかのぼった49年分の年金額は約1200万円。B子さんが2カ月ごとに受給する年金額は3万5千円増えました。
鉱山勤めということもありますが、根気のいる掘り起こしですね。

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