きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

日本の原発周辺の人口分布(夜間人口)の地図です・・・ 

2012-04-30 23:11:59 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
日本の原発周辺の人口分布(夜間人口)の地図です・・・

国の原子力安全委員会専門部会の防災指針見直し案に基づき、全国の原発から30キロと50キロの圏内に入る地域の夜間人口を500メートルメッシュ(網)で、原発ごとに地図に示しました。日本共産党の吉井英勝衆院議員が原子力安全・保安院に提出させた資料に基づいて作成したもの。
新しい指針案は、これまで8~10キロだった防災重点地域を拡大。①5キロ以内は即時避難(PAZ)②30キロ以内は避難や屋内退避を求める地域(UPZ)③50キロ以内は屋内退避や安定ヨウ素剤の服用を準備する地域(PPA)としています。
人口数字は2005年の国勢調査をもとにしたもの。

「しんぶん赤旗」日曜版 2012年4月1日付および4月8日付に掲載



font color="black">【伊方原発】



【泊原発】



【女川原発】



【東海原発】



【浜岡原発】



【柏崎刈羽原発】



【志賀・東通原発】



【若狭の原発】
福井の代替オフサイトセンターは「敦賀・美浜」「大飯・高浜」の2組での相互利用を想定している。




【島根原発】



【玄海原発】



【川内原発】



日本に設置されている原子力発電所です。その近隣の鉄道や高速道路も記載しました。


原発の作られている地域は、一般的に昼間人口の少ない地域。夜間人口での地図作成は妥当なものだと思います。
それでも50キロ圏内などを見ると、昼間人口の多い地域もかかっています。

本当なら、夜間人口、昼間人口の両方で分布図を作るべきでしょうね。

夜間人口の分布だけ見ても、地方都市が50キロ圏に入っているのですね。
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陸山会事件 小沢氏への判決は、「共謀を疑う相応の根拠」と言いながら無罪に?

2012-04-27 22:09:16 | 政治・社会問題について
陸山会事件 小沢氏への判決は、「共謀を疑う相応の根拠」と言いながら無罪に?

4月26日、東京地裁でいわゆる「陸山会事件」、小沢事務所の秘書のためのマンションの土地購入資金の政治資金上の疑惑にかかわる判決だ。


以下、「しんぶん赤旗」日刊紙の記事を転載する


小沢氏は虚偽記載了承
元秘書と共謀認めず無罪
強制起訴は有効 検察の捜査を批判
東京地裁判決


資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、政治資金規正法違反(収支報告書の虚偽記載)罪に問われた民主党元代表小沢一郎被告(69)の判決が26日、東京地裁であり、大善文男裁判長は無罪(求刑禁錮3年)を言い渡しました。しかし判決は、検察官役の指定弁護士側の主張をほぼ全面的に認め、主要な争点での小沢被告側の反論をことごとく退けました。元秘書による虚偽記載の事実を認定。元秘書らから事実と異なる記載について小沢被告が報告を受け、了承をしたことも認めました。

大善裁判長は、最大の争点となった元秘書との共謀について、土地購入代金の計上を翌年にずらすことの「報告を受けていない」とした小沢被告の供述は信用できないと判断し、石川知裕衆院議員(38)から報告を受け、了承したと認定。石川議員や池田光智元秘書(34)が、小沢被告の了承を受けた上で虚偽記載したことを認めました。

自己資金の4億円を担保に銀行から融資を受けることも、説明を受けて了承していたとし、提供した4億円を簿外で処理することも、「小沢被告の意向に沿うものだったと考えられる」と判断。検察官役の指定弁護士側の主張に沿った事実認定をし、「(指定弁護士が)共謀を疑うことには相応の根拠がある」と述べました。

しかし、土地取得が05年分の収支報告書に記載されることは適法と考えた可能性があるなどとして、虚偽記載の故意や、元秘書との共謀について、立証が十分でないと結論付け、無罪としました。

小沢被告の法廷での供述については、「変遷や不自然な点が認められ、信用できない」と指摘。「秘書まかせ」との釈明について、「政治資金規正法の精神に照らして、芳しいことではない」と批判しました。

また陸山会の2004年分政治資金収支報告書を作成した石川議員が、十分な土地購入資金がありながら銀行から4億円の融資を受けた目的について「4億円が小沢被告の個人資産から提供された事実が明らかになることを避けるためだった」と指摘しました。

争点の一つだった強制起訴議決の有効性については、適法と判断。その上で、「事実に反する捜査報告書を作成し、検察審査会の判断を誤らせるようなことは決して許されない」と述べ、見立てに沿った捜査が問題の背景にあったと指摘。検察当局で十分に調査し、対応すべきだと述べました。



「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年4月27日付より


小沢氏の元秘書に有罪判決が出て、判決に至る公判でも有罪に確たる証拠(状況証拠ですが)が出てきたにも関わらず、今回の無罪判決。
かなり腑抜け感を感じた判決でした。

確かに「疑わしきは罰せず」という裁判の鉄則に沿ったものだと思いますが、東京地裁の不甲斐なさを感じます。
約30年前の田中角栄氏への有罪判決と比べると、かなりのギャップを感じました。

小沢氏は田中角栄氏を師と仰ぎ、土地ころがしに長けた人物ですからね。


判決は無罪でしたが、裁判所が検察官役の指定弁護人のほとんどの主張を認めているわけですから、「政治的・道義的責任」は避けて通れませんね。


共産党の志位さんも以下の会見を発表しています。

国会で真相解明を
小沢氏疑惑 志位委員長が強調


日本共産党の志位和夫委員長は4月26日、民主党の小沢一郎元代表に対する東京地裁判決について記者団に問われ、「裁判で無罪になっても政治的・道義的責任が不問にされてはならない。『裁判があるから国会に出られない』と言い訳してきたのだから、いまこそ証人喚問に応じるよう強く求めていく」と述べました。

 志位氏は、「(資金管理団体の名で行われた)土地購入資金4億円の出どころや、胆沢(いさわ)ダムをめぐるヤミ献金問題など、解明すべき問題がたくさんある。真相解明をきちんと行い、政治的・道義的責任を明らかにすべきだ。これは国会の仕事だ」と強調しました。

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公務員バッシングの正体④ 全国民への攻撃 見抜いて

2012-04-26 21:17:24 | 政治・社会問題について
公務員バッシングの正体④ 全国民への攻撃 見抜いて

公務員バッシングは、結局、国民のくらしを支える公務をバッシングするもので、これは財界や政府からの全国民に対する攻撃といっていいものです。国民の中に対立を持ち込み、国民同士、労働者同士を仲たがいさせ、その隙に、財界のめざす国づくりをすすめようというものです。ですから、これは公務員の賃金や処遇だけでなく、より根本的な国のあり方全体に関わる問題です。

住民利益と結び
そのことをうまく、広く伝える必要がある。大阪では、橋下市長と大阪市労連(連合加盟)の交渉の様子の一部がテレビのニュースで流されました。放映された限りでは、労組側は賃金の問題について「私たちの生活」「私たちの権利」の問題しか語らない。ひょっとするとその言葉だけが切り取られたのかも知れませんが、映像は「公務員は自分のことしか考えていない」「組合は既得権益を守る組織だ」という印象を与えるものとなりました。
生活の大変さや権利を主張することは間違いではありませんが、それを住民の利益と切り離して語るなら、逆手に取られることがあるということです。
大阪市長選では、橋下氏が市役所職員を批判すると、若者から拍手が起きるということもありました。「私たちはいくらがんばっても、低い給料しかもらえないのに」という思いが巧妙にねじ曲げられ、公務員バッシングに結びつけられてしまった一例です。
私は公務員バッシングへの反撃は、遠回りに思われるかもしれませんが、ここまで壊されてしまった日本の社会や人間同士の関係を、どういう形につくりなおすのかという大きな議論とセットで行う必要があると思います。
財界やり放題、大企業第一の社会でいいのか、国民生活が第一の社会に転換するのか。自己責任のみで生きるのが当たり前の社会でいいのか、各人の努力のうえに助け合い、連帯し合う社会をめざすのか。そういうあるべき社会の理念をはっきりさせていく中で、公務員の必要性や役割への理解も深まっていくと思うのです。それは公務員の削減や賃金引き下げとたたかう地盤を広げることにもなっていきます。
かつての公務労働者論や民主的な自治体労働者論は、国民・住民への「全体の奉仕者」としての役割や姿勢をはっきりさせる中で、労働者としての自分たちの権利や生活も守るという太い組み立てをもっていました。
いまもそういう姿勢でがんばっている公務員や労働組合はたくさんあります。しかし、公務員と民間労働者、公務員と国民・住民を対立させる意図的な攻撃のもとで、両者の連帯が強まっているとはいえません。
「構造改革」路線のもとで貧困に突き落とされ、行政からも手を差し伸べてもらえず、「しょせん世の中そういうものなのだ」「みんなが貧しくなれば、自分もつらさを感じなくてすむ」「公務員もおれの苦しみを味わえ」といった発想が広まる土壌も生まれています。



国家公務員の賃下げに反対して行動する労働者ら=1月31日、衆院第2議員会館前

助け合う社会に
しかし、こんな社会を多くの人がよいと思っているかといえば、そうではないと思います。労働者・市民が分断され、孤立し、助け合いや共同を信じることができないギスギスした関係にある。こういう社会をなんとかしたいと、多くの人が思っているのではないでしょうか。
「人間は本来、助け合って生きるものだ」「支え合うのが当然だ」「そういう当たり前の社会に向かって力を合わせよう」―いまのような社会状況の中では、そのようなめざすべき社会についての理念の提示や、あたたかい社会づくりへの共同の呼びかけが大切ではないかと思います。
その基本は、憲法がめざす日本の社会像でしょう。そうであれば公務員は国民の基本的人権を守るものとしてきわめて重要な存在となっていきます。
財界やり放題の国づくりにとっては、「全体の奉仕者」は不要でしょうが、国民が主人公の国づくりには「全体の奉仕者」は不可欠です。むしろ、それに必要な能力の育成と人格の陶冶(とうや)が、ますます重要になってきます。そのような公務員の位置づけは、各地で苦労、奮闘している公務員一人ひとりに、揺らぐことのない「働く誇り」をもたらすものともなるでしょう。
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年4月20日付掲載



国民が福祉や教育を受益することは当然の権利ですが、だからといって公務員の個人にその責任を負わせるっていうか、負荷をかけて、国民・市民VS公務員って構図をつくるのは正しくないですね。
国民も公務員もお互い助け合って、暮らしやすい、弱者が大切にされる社会の仕組みを作っていかないといけないのでしょうね。
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公務員バッシングの正体③ 「全体の奉仕者」の意味は

2012-04-25 22:52:59 | 政治・社会問題について
公務員バッシングの正体③ 「全体の奉仕者」の意味は

財界の巻き返しの動きとして、1980年代には政府の各種会議に経団連や日経連などの財界団体幹部を参加させる、いわゆる「諮問委員会政治」が広められます。戦後はじめて法人税率が引き下げられ、大企業のもうけの自由を拡大する「規制緩和」路線が明確になり、さらに国の形の問題としては、国家は防衛、外交へ対外経済政策に専念し、国民生活は自治体まかせにすればよいという議論も強まります。労資協調の色合いを強くもった連合という労働組合(全国組織)の結成を、財界が大歓迎したのは89年のことでした。

財界と政府一体
90年代の後半には橋本「六大改革」の一つに「行政改革」が位置づけられ、その後、2001年に、他省よりも格上の行政機関となる内閣府がつくられ、そこに経済財政諮問会議がつくられます。そして、この会議の議員に経団連と経済同友会の幹部が入りこみ、政府首脳と一体になって、この国の特に経済政策を動かすようになっていきます。
現在の公務員バッシングにつながる「公務員制度改革」論は、こうしてこの国の形や公務のあり方を、財界の願いにそってつくりかえるという流れのもとに登場したものです。
自分の生活を国や自治体に頼るなという「自己責任」論を国民に浸透させ、「小さな政府」づくりの名目で、住民生活をささえる公務を縮小し、あるいはそれを民営化します。
財界の利益に直結しない公務は不必要なものであり、利益のじゃまになるものは解体するということです。それが「官から民へ」「官は怠惰で不合理だ、競争のある民にまかせた方が合理的だ」―こういうスローガンのもとにすすめられました。
その結果、保育や介護など福祉の民営化がすすみ、国立大学も投げ捨てられるといったことが起こりました。公務員の削減や公務の解体、あるいはそれを正当化するために繰り広げられた公務員バッシングは、何より住民の生活や学びの権利の喪失に結びついていたのです。
先日、大阪の橋下市長が、公務員は「国民に対して命令をする立場」だと言い放ちましたが、その橋下氏のバックには関西経済同友会など大きな財界団体がついています。
不法な「思想調査」アンケートが問題になりましたが、ああいう強権的な姿勢も、公務員を一部大企業への奉仕者にかえることを、大きなねらいの一つとしたものです。
このように80年代以後の政治の流れを大きくふりかえるとき、私はあらためて公務員とは何か、公務労働とは何か、それは誰のためにあるもので、どういう人間が担うべきものなのか、こうした根本の問題を考えることが必要になっていると思います。70年代までは、大いに論じられた問題でした。

基本点にふれておくなら、公務員がどうあるべきかという問題は、国や地方の政治がどうあるべきかに直結します。財界がやりたい放題を行う政治なのか、国民のくらしを守る政治なのか、それによって公務員の果たす役割は大きくかわってくるわけです。
その意味では、私たちは個々の公務員の行動ばかりに目を奪われるのでなく、この国の政治は公務員に何を行わせようとしているのかという、政治の根本に注目することが必要です。根元にある悪政を野放しにしておいて、公務員には善政を求めるというチグバグは、私たち主権者の責任で正すことが必要です。



大阪市議会開会日に「職員・教育基本条例を撤回せよ」とデモ行進する市民=2月28日、大阪市役所前

住民と手を結び
もう一つ大切なのは、憲法が公務員を「全体の奉仕者」だとしていることの意味の問題です。仮に政治が財界の利益ばかりを追求しようとするとき、「上司の命令だから仕方がない」とするのが当然なのか、それとも「全体の奉仕者」であることに反すると思われるときには、これに異を唱えることができるのか。
そういう問題があるわけです。憲法は「国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令…の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条)と書いていますから。
この点の現場での実際は、具体的な「力関係」に大きく左右されるでしょう。だからこそ「全体の奉仕者」たろうとする公務員と、「全体の奉仕者」にふさわしい公務を必要とせずにおれない住民は、日頃からしっかり手をとりあうことが必要です。公務労働論にとどまらない、公務労働運動論が重要です。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年4月19日付掲載


「官から民へ」「官は怠惰で不合理だ、競争のある民にまかせた方が合理的だ」―。
いかにも、もっともらしい理論づけで「大きい政府」から「小さい政府」へ、「自己責任論」へ転換していったのですね。

でも、「もともと政府の役割ってなんだ?」と考えると、戦前の天皇制国家の下の政府と日本国憲法下の政府とでは、よって立つ思想が異なっていると思います。

戦前の場合は、政府は、国家が外国、特にアジア諸国を支配し、その政策の推進のために国民を従わせる、国民の生活や健康への配慮は貧民施策など限られたものでした。いわゆる「小さい政府」で十分でした。
それが日本国憲法下では、国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として、「生存権」が保障されるようになったのです。政府は、それを保障するために必要な施策を行わないといけません。それを保障するには「小さい政府」で可能でしょうか?
国家・行政機構の無駄は確かに省かないといけませんが、必要な施策を行う必要最低限の政府を作ろうと思えば「大きい政府」が必要になってくると思います。
そしてそれを担う公務員は、全体の奉仕者として働く権利を持たないといけませんネ!

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公務員バッシングの正体② 財界奉仕者への転換を狙う

2012-04-23 22:46:25 | 政治・社会問題について
公務員バッシングの正体② 財界奉仕者への転換を狙う

「大企業が潤えば、やがて国民も潤う」という大企業第一主義の「構造改革」路線は、国民の絶対的な貧困化という形で破綻が明らかになりました。それにもかかわらずこの路線を継続しつづける。そのための国民ゴマカシの格好の手段として意図的に演出されているのが、公務員バッシングです。それは悪政を免罪させる手段であり、そのような悪政を政治に求める財界を免罪させる道具ともなっています。



震災後の猛奮闘
実際の公務員の働きですが、たとえば昨年の東日本大震災の現場には、公務員たちの自己犠牲的ながんばりが無数にありました。
ハローワークは、たいへんな量の業務をこなし、わずか2カ月で1年分の失業給付の支給を行いました。流された保育所を、ただちに再開していく努力も行われました。国土交通省の地方整備局は、寸断された道路15本を4日間で開通させ、さらには物資の輸送に不可欠だった仙台空港を、津波から5日目に復旧させました。
これらを担ったのは公務員です。全国から支援に入ったたくさんの公務員が、復興を願う地元の人たちやボランティアの人たちと力をあわせました。
私はこういう能力と責任感をもつ公務員をたたいて、つぶしていくのは日本社会の今後にとって大きなマイナスにしかならないと思っています。
いま私たちが行わねばならないのは、公務員バッシングという財界発の悪巧みに乗せられてしまうことではなく、逆にそのねらいをしっかり見抜いて、くらしの改善のために、公務員の仕事をいっそう充実させていくことだと思います。
国民の生活や命を支える国や自治体をつくろうとすれば、その具体的な仕事を行うのは公務員です。その公務員をたたくことで、市民のくらしが改善されるはずがありません。

全体の奉仕者が
この国の憲法は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第15条2項)としています。そして「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条1項)とも書いています。
現在の公務員バッシングには、公務員を「全体の奉仕者」から「一部の奉仕者」に転換させるねらいが込められています。
公務員を全国民・住民のくらしを支える公務労働の担い手から、住民のくらしは二の次、三の次として、大企業に奉仕することを最優先する財界の手下に変質させようということです。
1960年代から70年代にかけて、全国各地に革新自治体がつくられました。最大時には全国民の43%がそれらの自治体で生活しました。「憲法をくらしの中に生かそう」が合言葉とされ、住民の生存権や学習権を守り、大企業による環境破壊を規制するために、自治体や公務員は大いに活躍しました。そもそも、そういう自治体をつくる上で、各地の公務員の労働組合は住民とともに大きな役割を果たしていました。
しかし70年代半ば以降、財界の強い巻き返しによって、革新自治体はつぶされ始めます。当時の社会党の路線転換が決定的な要因となりました。
これをきっかけに、80年代には財界指導者が政治の前面に出た「臨調行革」路線が推進されます。社会保障など革新自治体の取り組みの成果をこわし、さらに「財界の声が通りやすい国」をめざすというものでした。同じ時期に公務員の労働組合や、民間もふくめた全国の労働組合に対する攻撃が強められます。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年4月18日付掲載



「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」(第15条2項)
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条1項)は大事な条項です。


僕が小中学校や高等学校で教わったことを鮮明に覚えています。特に98条1項の「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」は、時の政権がたとえ憲法と矛盾する法律を施行したとしても、国民の側はそれは無効だと主張する権利があると教わりました。

いまさらにして、憲法に立ちかえって、まゆつば物の「公務員攻撃」の化けの皮をはがしていかないといけないと思います。
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