きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

「ベルリンの壁」崩壊30年① 東独の弾圧忘れない 被害者、若い世代に継承

2019-11-22 08:21:15 | 国際政治
「ベルリンの壁」崩壊30年① 東独の弾圧忘れない 被害者、若い世代に継承
ドイツのベルリンを東西に隔てていた壁が開き、東ベルリン市民が自由に西側に旅行できるようになって今年で30年、ベルリンでは11月9日の壁崩壊の日をはさみ、さまざまな催しがありました。ドイツはこの日をどのように迎えたのでしょうか。(ベルリン=伊藤寿庸 写真も)



【東西分割占領】
第2次世界大戦でナチス・ドイツが敗北した後、ドイツは連合国の米英仏とソ連の4カ国に分割占領され、首都ベルリンも分割されました。1949年にソ連占領地域で成立したのがドイツ民主共和国(東ドイツ)で、90年の東西統一まで41年間続きました。
東ドイツでは、ソ連をモデルとした政治経済体制がつくられ、ソ連占領地域の共産党と社会民主党を合同させてつくった社会主義統一党(SED)の一党独裁体制が敷かれました。
経済停滞と民主主義抑圧から逃れようと国民の西側への脱出が続く中で東独政府は61年、西ベルリンの周囲と東西ドイツ国境に壁を建設。「壁」は民主化運動の高まりで、89年11月9日崩壊しました。


ベルリン東部の「シュタージ博物館」の受付には、訪れた人たちの長い行列がありました。シュタージは東西「冷戦」の最前線にあった東ドイツで、対外情報活動と国民監視・弾圧にあたった「国家保安省」です。



シュタージ博物館前に作られた屋外展示の前で証言するディム・アイゼンロールさん(中央)


ホーエンシェーンハウゼン記念館でガイドを務めるルッツ・ヒルデブラントさん(中央)

50万人の密告者
その元本部が博物館となり、弾圧犠牲者の横顔や尋問の手口などを詳しく紹介する展示があります。最大50万人近い密告者を組織して互いに監視させていた実態が明らかになっています。
10日、博物館の前庭にできた新たな屋外展示の前で歴史の証人としてガイドを務めていたのは、ティム・アイゼンロールさん(46)です。東ベルリンのツィオン教会を拠点として地下活動をしていた環境団体「環境図書館」の元活動家です。
当時東独政府は、環境汚染の情報を隠ぺいしていました。環境図書館は独自データを発表し、印刷物を通じて反政府派のネットワークづくりをしていたため、シュタージに目をつけられていました。
1987年11月、同図書館の事務所が大掛かりな家宅捜索を受け、現場にいた14歳のアイゼンロールさんも仲間とともに逮捕。シュタージ本部で8時間の尋問を受けました。「ナチ時代のレジスタンス闘士の本を読んでいたので、仲間の名前や組織の情報はいっさい明かさなかった」と語ります。
アイゼンロールさんはガイドとしてシュタージの過酷な弾圧を語ります。「東ドイツには権利も表現の自由も、自由な選挙もなかった。その体験に基づいて若者には、選挙に行き、市民社会の活発な一員となるよう呼び掛けている」
シュタージ博物館から約4キロ北の「ホーエンシェーンハウゼン記念館」にも、シュタージ弾圧の歴史の証人がいました。同記念館はシュタージ刑務所だった場所で、多くの囚人の収監、尋問の場所となりました。

裁判なく「判決」
元囚人でボランティア・ガイドを務めるルッツ・ヒルデブラントさん(72)は67年、19歳の時、東ドイツを支配していた社会主義統一党(SED)の党大会のポスターを破壊したこと、西側のテレビ放送を見たことを罪に問われ、30月の禁鋼刑を受けました。
裁判もなく刑を言い渡す文書に署名させられました。弁護士を頼んで控訴し、1年後に「公開裁判」が行われました。「若者が西側のテレビを見るといかに危険か」を国民に宣伝するためでした。控訴審で刑期が20月に減刑され、68年8月に釈放されました。
ヒルデブラントさんは、「学校の生徒を案内すると、東ドイツ時代をほとんど学んでいないことが分かる。でも私の話に関心を持って、いろいろ質問してくる。若者たちには大きな希望を持っている」と語ります。
シュタージに関する文書は、本人や遺族による閲覧が可能です。ヒルデブラントさんも自分のファイルを確認したところ、600ページもありました。
東独時代を生きた人たちの中には、密告者の中に友人や家族の名前を見つけてショックを受ける人もいます。そのため閲覧請求をしない人も多い。
連邦シュタージ文書管理庁のロナルド・ヤーン長官はメディアにこう語っています。「孫の世代の閲覧希望者が増えている。親の世代が触れようとしなかったことに目を向けている」(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2019年11月19日付掲載


同じ民族でありながら分裂に至った国はドイツ以外にも、ベトナムと朝鮮半島があります。
ベトナムは東欧の激動やソ連の崩壊よりずっと以前に、みずからの闘いで統一を勝ち取っています。朝鮮半島は残念ながら今でも統一をなしえていません。

東欧の民主化運動を機に統一に至ったドイツ。30年を経ても、弾圧に関わった人たちとの人的関係を引きづっているんですね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする