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きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

鯨と生きて400年 かつて古式捕鯨で栄えて、今も当時の文化を伝える町

2010-08-24 20:19:00 | 政治・社会問題について
鯨と生きて400年 かつて古式捕鯨で栄えて、今も当時の文化を伝える町

 最近クジラを食べましたか?かつて日本人の主要なたんぱく源だったクジラも、いまでは国民1人当たりの年間消費量が50グラム以下というデータもあります。いまもクジラを捕り、食文化を守っているまちがあります。また、かつて古式捕鯨で栄え、クジラを捕らないい今も当時の文化を伝える町があります。千葉県の和田町(南房総市)と山口県長門市通(ながとし・かよい)を訪ねました。

千葉・南房総市和田町
 和田のツチクジラ漁は6月20日から8月末まで。捕獲枠は26頭です。ツチクジラは商業捕鯨の停止を決めた国際捕鯨委員会(IWC)の管轄外のため、国の自主管理のもとで捕獲されています。(ひとくちメモ参照)
 赤い屋根のかかるクジラで5日午前11時からオス(体長10.11メートル、体重約10トン)の解体が始まりました。肉を柔らかくするため捕獲から18時間たっています。観光客らが見守るなか、厚さ20センチもある皮と脂肪がウインチ(巻き上げ機)を使ってバリバリッとはがされます。約20人の「解剖員」が刃渡り40センチを超す大刀や小刀で肉を手際よくさばきます。短い昼食をはさみ作業は約2時間で終わりました。
  ◆◇
 房総の捕鯨は400年の歴史があります。紀州(和歌山県)の鯨組が勝山(現在の鋸南町)に移り住んで以来、基地を変えながらツチクジラを捕り続けてきました。和田浦に基地が移ったのは1949年です。
 小型捕鯨の環境は厳しく複雑です。西北太平洋などの調査捕鯨が拡大し、ミンククジラの流通が増えたため価格は下落傾向にあります。庶民には手が届きやすくなりましたが小型捕鯨の経営を圧迫しかねません。「私たち、それほど落ちぶれてません」といって笑うのは、和田唯一の捕鯨会社「外房(がいぼう)捕鯨」の庄司義則社長(49)です。「捕鯨は、IWCとか商業捕鯨といった記号(言葉)でイメージせず、まず実際の姿をよくみてほしいですね。地元のものを地元の人間が食べる、これは自然なことで、特別なことではないでしょ」
 庄司さんらは毎年、初漁の日(初漁祭)に地元の小学5年生を招いて解体を見せます。「大量の血を見て震えていた子も、そのあと民宿のおやじさんたちがつくったカツはぺろりと食べます。食べ物について考えるいい機会」と庄司さん。
 地元中学校で特別授業を行い、県南の安房地区の学校栄養士研修会で講演するなど、この時期は多忙です。
  ◆◇
 和田にはクジラ料理を出す民宿や店が20以上あります。和田浦クジラ食文化研究会と、同・おかみさんの会はそうした店が集まって活動しています。研究会会長で民宿経営の石井英毅さん(48)は、「カツや竜田揚げ、しぐれ煮にかなう料理はない」としつつ、「若い人にもぜひクジラを食べてもらいたい」と、カツロール、カルパッチョ、ギョウザなどレパートリーを広げてきました。
 発足から4年のおかみさんの会は「クジラ料理を楽しむ会」や「お月見の会」など毎年開いています。「最初の楽しむ会のとき、各家庭・店ごとに味の異なる20通りのしぐれ煮が並んで壮観でした」と話すのは、代表の櫟原(いちはら)八千代さん(61)。夫・秋治さん(61)とクジラ料理店を営みます。06年3月に6町1村が合併した際、「“和田浦のクジラ”が埋没しないか」と危機感を抱き、会を立ち上げました。
 市の市民協働課和田推進室長の小原靖喜(やすのぶ)さん(56)は「ここはボランティアの盛んな地域です。そうした横のつながりを生かした活動が町おこしに貢献しています」と期』待を寄せます。
  ◆◇
 解体が終わるころ、バケツを持った住民が肉を買うために並びます。常連の木村和子さん(73)は「竜田揚げにフライ、つくだ煮には青ジソをまぶすとおいしいの」といって3キロ買いました。砂田広子さん(69)は房州名物「クジラのたれ」をつくります。しょうゆベースの自家製タレに肉を漬けて生干しし、軽く火にあぶって食べます。
 「宴席では、みんなクジラから箸(はし)をつける」(櫟原秋治さん)という和田の人たち。夏はクジラを捕り、食べる。それが和田の伝統です。(安保慶穂)





山口・長問市通
 祝えめでたの/若松さまよ/枝も栄える/葉もしげる/竹になりたや/薬師の竹に/通栄える/しるしの竹よ/納屋のろくろに/綱くりかけて/大ぜみ巻くのに/ひまもない/三国一じゃ網に/今年は大漁しょ/ヨカホエ
 山口県長門市通で鯨唄保存会が伝承している「通鯨唄」の「祝え目出度・大唄一番」です。保存会副会長でくじら館の早川義勝館長は「鯨唄は、大漁を祝うときや大漁を祈るときなどに歌われ、長老が歌ったあとでないとほかの人が歌えないという格式のあるものでした」と話します。
 通で捕鯨がはじまったのは、いまから300年以上前。クジラがエサを求め、また、出産や育児のため日本海を南下する旧暦の10月から翌年の3月にかけて行われました。初めのころは、沿岸に近づいてきたクジラをもりで突いて捕獲する方法でした。やがて、網を使って捕獲する組織的な「網獲り捕鯨」へと発展。江戸時代に長州藩に,鯨組として取り立てられ明治末期まで230年以上続きました。


 当時「クジラ1頭捕れば7浦にぎわう」と言われるほど繁栄しただけに、通浦住民のクジラに対する思いは格別でした。全国でも珍しい「鯨墓(くじらばか)」を1692年に建立し、鯨の胎児七十数体を埋葬しました。また、鯨の位はいや、「鯨誉大音」「正誉鯨覚」などの戒名がつけられた過去帳が向岸寺に安置され、毎年4月には回向(えこう)法要が行われています。
 1992年からは県漁協通支店青壮年部の主催で「通くじら祭り」が夏に開かれナガスの模型を使った古式捕鯨が再現されます。
 早川館長は「保存会の役割は鯨唄を伝えていくだけでなく、通の捕鯨を文化として残していくことです。小中学生に鯨唄を教えていますが、そのなかで、いのちの大切さを伝えたい」と語ります。(山口県・松尾俊則)


(ひとくちメモ)
◆世界のクジラ
 世界には80種類以上のクジラがいます。口の中にブラシのようなひげをもつヒゲクジラと、歯のあるハクジラに大別されます。ナガス、ミンクなどはヒゲクジラに、ツチ、マッコウ、ゴンドウ、イルカ類はハクジラに属します。
◆商業捕鯨の一時停止
 クジラ資源を管理する国際捕鯨委員会(IWC)の決定のもと、1988年からすべてのヒゲクジラとマッコウクジラ(ハクジラ類)など計13種の商業捕鯨が一時停止となっています。増え続けるミンククジラは停止の対象ですが、南極海などで年間1000頭近い調査捕鯨が行われています。今年のIWC総会で日本沿岸でのミンククジラの商業捕鯨再開が検討されましたが、結論は先送りとなりました。
◆日本の沿岸小型捕鯨
 基地は和田町のほか、網走、函館(北海道)、鮎川町(宮城県石巻市)、太地町(和歌山県)の計5カ所。5隻が操業しています。IWCの管轄外であるツチクジラ、ゴンドウ、イルカ類などを捕獲しています。国が、種類、捕獲枠、漁期、船の規模・数などを管理しています。

「しんぶん赤旗」日刊紙  2010年8月23日付


太地町もホェールウォッチングで有名ですね。

ところで、IWCで商業捕鯨が停止される前の写真があります。1985年、宮城県の鮎川港でたまたま出会ったミンククジラの解体作業です。

鮎川港 ミンククジラ鮎川港 ミンククジラ posted by (C)きんちゃん

鮎川港 ミンククジラ解体1鮎川港 ミンククジラ解体1 posted by (C)きんちゃん
どんどん、解体していきました。

鮎川港 ミンククジラ解体2鮎川港 ミンククジラ解体2 posted by (C)きんちゃん
骨や皮まで使います。
もともと、日本人は鯨を食べてきた民族なんですよね。

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人と自然がおりなす 美しき棚田⑨ 国内編

2010-08-05 23:02:07 | 赤旗記事特集
人と自然がおりなす 美しき棚田⑨ 国内編

山形県朝日町の椹平
曲がった農道で景観守る


 椹平(くぬぎだいら)の棚田は、私の実家から車で30分ほどのところにある。
 私の子どものころは、棚田なんてどこへ行っても珍しくないありふれたものだった。だから特別意識したこともない。目に入ってはいたが、見ていなかった。
 それが雲南省で棚田を意識し始めると、ここにもある、あそこにもあると気がつく。しかも実家に近いところに、こんなにすごい棚田があったんだと、今さらながら驚いている。



◇古里は後回し
 初めて椹平に行ったのは、「棚田百選」に選ばれた翌年(2000年)の6月のことだった。棚田の場所を聞くため、村を歩いていたおばあさんに尋ねた。「この先のぼていぐど公園あっから、そこがら見えます」と教えてくれた。「どちらがら、ござたなや?」と聞かれたので「東京からです。でも出身は河北町です」と答えた。こういう形で田舎に帰るとは思ってもみなかった。棚田百選撮影旅行で、山形を後回しにしたのは、アジア・日本を見て、最後に地元の棚田を見てみたかったというのもある。おばあさんは「ゆっくり、見でってけらっしゃいな」と笑顔でいった。
 その後、縁あって、写真コンテストの審査員を頼まれたり、四季折々の写真を撮るため、たびたび訪ねるようになった。


◇空間に開放感
 最近、農道をわざと曲げて作ったと聞いて興味を持った。今までは作業効率をあげるため、機械化を進めるためなどの理由で、農道というものは、直線的に作られることが多かったが、ここの新しい試みは景観を守ることも考慮したことだ。
 効率的な農作業と、棚田景観を守ること、この相反する課題を、農作業にさほど悪影響を与えない程度で何とか折り合いをつけた。その結果が曲がった農道だ。これを農家の人たちが自分たちで決めたと聞き、これは新しい棚田整備のありかたではないだろうかと思った。
ある時、雪の積もった棚田を見るために「一本松公園」に上った。開放感あふれる空間に棚田が空間に棚田が扇状に広がり、朝日連峰や最上川も遠望できる。
 もともと稲作は熱帯・亜熱帯で始まったという。しかし人闇は数千年の年月をかけ、こんな豪雪地帯でも稲作を可能にした。純白の棚田は息をのむほど美しかった。そして同時にコメ作りに対する人間の執念を感じたのだった。
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年7月30日付


この夏、信州は安曇野・白馬方面に一泊二日の駆け足の旅行をする。
せっかく行くのだからと棚田を調べてみた・・・


【青鬼(あおに):白馬村】
【重太郎(じゅうたろう):大町市】
【長野県内の棚田百選】


以前、お世話になったオリザさんのHPにも、もちろんあった!

一足伸ばせる範囲なので、ぜひ寄ってみよう!
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“雪玉”溶けて緑の地球に変身 地質調査で裏付け

2010-08-02 22:27:48 | 科学だいすき
“雪玉”溶けて緑の地球に変身 地質調査で裏付け

 約22億年前、地球全体が凍結した時期があった後、急激な温暖化で海の光合成微生物が大繁殖し、大気中の酸素濃度が急上昇したことが、北米で行った地質調査で裏付けられた-。東京大学と海洋研究開発機構が26日発表しました。

米ミシガン州の約22億年前の地層・東大と海洋研究開発機構が岩石を採取・分析し、大気中の酸素濃度が急上昇していたことを確認した(2006年8月撮影、東大提供)


 酸素濃度の急上昇は、現在の動植物を含む真核生物の出現につながった地球史上の大事件。発表した田近英一東大准教授によると、全球凍結と酸素濃度の急上昇を結び付ける証拠が見つかったのは世界初です。
 「スノーボールアース(雪玉地球)」と呼ばれる全球凍結は22億年前のほか、7億年前と6億年前の少なくとも3回あったと考えられています。当時赤道付近にあった地層から氷河の痕跡が見つかっています。
 田近准教授や関根康人助教らは2002年以降、米国とカナダの五大湖周辺に露出した約22億年前の地層から岩石を採取し、炭素同位体の成分比などの分析を進めてきました。
 その結果、海底下にシャーベット状に蓄積されていた非常に強い温室効果を持つメタンが大気中に大量に放出され、地球表面の平均気温が急激に上昇。陸地の化学風化が進み、リンなどが海に流れて光合成微生物が大繁殖し大気中の酸素濃度が急上昇したとみられることが分かったといいます。
 論文は米地球物理連合の専門誌電子版に掲載されました。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2010年7月28日付

地球が誕生して46億年。その歴史の一断面を垣間見ることになるでしょう!


ネットで検索すると、こんなページもりました!
【奇跡の星・地球】
【地球カレンダー・46億年を1年で】

本当に、かけがいのない地球。大切にしたいですね!
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