きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

しんぶん赤旗で2017年を回顧 希望ある2018年へ

2017-12-31 14:56:34 | 政治・社会問題について
しんぶん赤旗で2017年を回顧 希望ある2018年へ

職場復帰を実現
職場復帰を実現 posted by (C)きんちゃん
IBMのロックアウト解雇を断罪。職場復帰へ。

前進した職場のたたかい
前進した職場のたたかい posted by (C)きんちゃん
前進した職場のたたかい

逆流打ち破り平和と前進
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核兵器禁止条約 世界が歓迎 逆流打ち破り平和と前進

2017年スポーツ回顧
2017年スポーツ回顧 posted by (C)きんちゃん
2017年 スポーツ回顧
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2017年回顧 海外⑭ 北朝鮮の核問題 国際世論に背向ける

2017-12-31 14:15:26 | 国際政治
2017年回顧 海外⑭ 北朝鮮の核問題 国際世論に背向ける

北朝鮮は9月3日、6回目の核実験を行いました。2月以降、十数回のミサイル発射を繰り返し、11月には「大陸間弾道ミサイル『火星15』の試験発射に成功」「米本土を攻撃可能」と表明。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は「国家核戦力完成の歴史的大業を達成した」と宣言しました。


ミサイル発射を見つめる金正恩・朝鮮労働党委員長(ロイター)

4回の制裁決議
こうした動きを受け、国連安全保障理事会は今年1年で4回、制裁決議を採択しました。
外貨獲得の大幅削減を狙った8月の決議では鉱物資源や水産物の輸出を全面的に禁止。核実験後の9月に採択した決議は石油精製品の輸入を年間200万バレルに制限し、12月の決議では原油輸入の上限を年間400万バレルに設定しました。
一方、どの決議にも「対話を通じた平和的・包括的な解決」といった文言が盛り込まれています。
9月の決議採択後の各国の意見表明では、「制裁強化と並行して、政治的な努力を急ぎ強めなければならない」(スウェーデン)など、北朝鮮との対話を求める声が次々と上がりました。
1月に誕生したトランプ米政権は、オバマ前政権がとっていた北朝鮮が非核化の意思を示さなければ話し合いに応じないという「戦略的忍耐」からの政策転換に着手。「すべての選択肢を検討する」とし、朝鮮半島近海への空母派遣や北朝鮮領空へ米軍戦闘機の飛行など軍事的圧力を強めています。
9月にはトランプ氏が「北朝鮮はそう長くない」とツイッターで発言したことに対し北朝鮮は「米国は宣戦布告した」と反発を強めました。
国連では7月、核兵器禁止条約を採択。グテレス国連事務総長は「核への不安が最高度に達している時だからこそ、核兵器のない世界の実現に向け強い決意を示すことをすべての諸国に求める」と語っています。

衝突避ける努力
朝鮮半島の緊張が高まるなか、偶発や誤算による軍事衝突を避ける努力も続いています。韓国は12月、毎年2月に行われている韓米合同軍事演習を、平昌冬季五輪の開催に合わせ延期するよう米国に要請。国連総会は、五輪・パラリンピック期間中、紛争を停止するよう促す決議を採択しています。
また、ペリー元米国防長官をはじめ、米国内からも直接対話を求める声が相次いでいます。(栗原千鶴)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年12月31日付掲載


世界では核兵器廃絶へ運動が高まっている中、核兵器で国を守るってことは古い思考だってことを分からせることだね。
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ノーベル平和賞受賞式 サーロー節子さんの演説 光に向かって進もう

2017-12-30 10:44:18 | 平和・憲法・歴史問題について
ノーベル平和賞受賞式 サーロー節子さんの演説
光に向かって進もう


10日にノルウェーの首都オスロで行われたノーベル平和賞授賞式で、受賞者の「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)とともに活動してきた被爆者のサーロー節子さん(85)=カナダ在住=が演説しました。演説全文は次の通り。原水爆禁止日本協議会による翻訳です。


ノーベル平和賞の授賞式で演説するサーロー節子さん=12月10日、オスロ(ロイター)

両陛下、ノルウェー・ノーベル委員会の委員の方々、この会場のそして世界中の運動家の仲間たち、みなさん。この賞をベアトリスとともに、ICANの運動に加わる素晴らしい人々を代表して受けることを大変光栄に思います。みなさん一人ひとりが、私たちが核兵器の時代を終わらせることは可能であり、必ず終わらせるのだという希望を私に与えてくれます。私は、広島と長崎への原爆投下を奇跡のような偶然により生き延びた被爆者の一人として、お話しします。70年以上にわたって私たちは、核兵器の完全廃絶のために活動してきました。私たちはこの恐ろしい兵器の製造と実験により被害を受けた、ムルロア、インエケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニなど、長く忘れられた土地の人々と連帯してきました。自らの住む大地と海を放射線で汚染され、人体実験に使われ、自分たちの文化を永遠に破壊された人々です。
私たちは犠牲者であることに甘んじてはきませんでした。私たちは、世界が劫火(ごうか)によって即座に終末を迎えることや、長い時間をかけて汚染されていくのを、手をこまぬいて待っていることを拒否したのです。いわゆる大国が私たちを無謀にも核の夕暮れから核の闇夜へと引きずりこむのを、ただおびえて待つことを拒否しました。私たちは立ち上がり、生き抜いてきた人生を人々に語りました。私たちは声に出して言いました。
「人類と核兵器は共存できない」と。今日この会場で、みなさんに広島と長崎で亡くなったすべての人々の存在を感じていただきたいのです。私たちの頭上に、あたりに、二十数万人もの人々の魂の影を感じてほしいのです。一人ひとりに名前がありました。誰かに愛されていたのです。彼らの死を無駄にしてはなりません。アメリカが私の生まれた広島に最初の原爆を投下したとき、私はまだ13歳でした。その日の朝のことを今もはっきりと覚えています。8時15分、窓に目もくらむような青白い閃光(せんこう)を見ました。体が宙に浮いた感覚がありました。

気がついたとき、あたりは音もなく、真っ暗でした。倒壊した建物の下敷きになって動けませんでした。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けてください」突然、誰かの手が私の左肩に触れるのを感じ、男の人の声が聞こえました。「あきらめるな。体を動かし続けるんだ!今助けるから。光が差し込むのが見えるか?そこまで全力ではって行け」。私がはい出たとき、倒壊した建物は燃え上がっていました。建物の中にいた級友のほとんどは、生きながら焼かれて死んだのです。周囲は見渡す限り、想像もつかないほど破壊しつくされていました。幽霊のような人々が、列をなし、足をひきずりながら通り過ぎていきました。ひどい傷を負って、血を流し、やけどを負い、真っ黒になり、体が膨れ上がった人々でした。手足がちぎれていたり、肉と皮が骨からはがれて垂れ下がった人々。飛び出た目玉を手のひらに受けている人、おなかがさけて内臓が飛び出ている人もいました。人間の肉が焼ける臭いが立ちこめていました。こうして、たった一発の爆弾で、私の愛するふるさとは消滅しました。焼かれ、蒸発し、炭となった住民のほとんどは、一般の市民だったのです。その中には私の家族と351人の級友も含まれています。それから数週間、数カ月のうちに、そして数年がたった後も、さらに何千人もの人々が、突然に、不可解な症状を起こして死んでいきました。放射能の晩発性障害によるものでした。今もなお、放射能は生き残った人々を殺し続けています。広島のことを思い出すとき、私の頭に真っ先に浮かぶのは、4歳だった甥(おい)の英治の姿です。彼の小さな体は、見わけもつかないほど焼けただれた肉の塊となっていました。かすかな声で水をちょうだいと訴え続け、苦しみながら息を引き取りました。私にとって、英治の姿は、今この瞬間にも核兵器で脅かされている世界中の罪のないすべての子どもたちに重なってよみがえってきます。核兵器は日々、この瞬間も、私たちが愛する人、大事にしているすべての存在を危険にさらしています。この狂気をこれ以上許してはなりません。私たちの苦しみと生き抜くためのたたかいを通じて、そして灰の中から自らの人生を立て直す努力を通じて、私たち被爆者は、この終末兵器をなくすよう世界に警告しなければならないと確信するようになりました。何度も何度も繰り返し、私たちは自らの体験を証言してきました。

しかし今もなお、広島と長崎への原爆投下を、非道な行為であり戦争犯罪だと認めようとしない人たちがいます。彼らは原爆が「正義の戦争」を終わらせた「良い兵器だった」というプロパガンダを受け入れています。この神話こそが、今も続く破滅的な核軍拡競争をもたらしたのです。九つの国々が今もなお、すべての都市を灰儘(かいじん)に帰し、地球上すべての生き物を死滅させ、私たちの美しい世界に将来の世代が住めなくすると脅かしています。核兵器の開発は、その国が偉大さの高みに上ることを示すのではなく、暗黒の深い堕落に転落することを意味するのです。核兵器は必要悪ではありません。究極の悪なのです。今年7月7日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約を採択したことは、この上ない喜びでした。かつて人間の本質を最悪の形で目撃した私は、その日、人間性の最艮の表れを目のあたりにすることができました。私たち被爆者は、核兵器が禁止されるのを72年間待ちわびてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。
責任ある指導者であれば必ずこの条約に署名するはずです。それを拒む者たちは歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。もはや、彼らの抽象的な理論をもってしても、彼らの行いが人類を絶滅させるという現実を覆い隠すことはできなくなりました。今や「抑止力」は、軍縮を「抑止」するものに他なりません。もう私たちは、きのこ雲の下で恐怖のうちに生きることはしません。核保有国の政府、そしていわゆる「核の傘」のもとで共犯者となっている国々の政府のみなさんに、こう申し上げたい。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に留めなさい。そして自らの行動が重大な意味を持つということを知りなさい。あなたたち一人ひとりが、人類を危険にさらしている暴力の体制の不可分の要素となっているのです。私たちすべてが悪の凡庸さを警戒すべきです。世界のすべての国々の大統領、首椙のみなさんに心からお願いします。この条約に加盟してください。核による滅亡の脅威を永遠に取り除いてください。くすぶるがれきの下敷きになった13歳の時、私は頑張り続け、光の見える方向に進みました。そして生き延びることができました。今の私たちにとっての光は、核兵器禁止条約です。この会場におられるすべてのみなさん、世界中で聞いておられるみなさんに、広島のがれきの中で私が聞いた言葉を繰り返します。「あきらめるな!頑張れ。光が見えるだろう?そこに向かってはって行くんだ」。今夜、オスロの町を燃え立つたいまつを掲げて行進し、核の恐怖の暗闇から抜け出しましょう。どんな障害物が待っていようと、私たちは前に進み、がんばり続けて、この光を分かち合っていきます。それがこのかけがえのない世界を存続させようとする私たちの情熱であり、誓いなのです。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年12月28日付掲載


ノーベル平和賞受賞式でのサーロー節子さんの演説を聞きたいが、英語なので分からないなと思っていたら、日本語訳が「しんぶん赤旗」に掲載されました。
感動的な演説です。
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2017年回顧 海外⑬ 英EU離脱交渉難航 総選挙で与党「敗北」

2017-12-29 12:44:10 | 国際政治
2017年回顧 海外⑬ 英EU離脱交渉難航 総選挙で与党「敗北」

英国では今年、欧州連合(EU)離脱交渉が難航し、6月の総選挙でメイ首相の与党保守党が「敗北」を喫しました。2016年の国民投票できん差で決まったEU離脱では、政府が1月、「主権の回復」を優先し、「単一市場」からも離脱する「強硬離脱」路線を発表。3月に正式離脱通告を行い、2年後の19年3月への離脱プロセスが始まりました。

多額「手切れ金」
「悪い合意よりも合意がない方がまし」と繰り返していたメイ首相ですが、12月のEU首脳会議までに、多額の「手切れ金」とEU市民の権利保障、北アイルランドとアイルランドの境界問題などでEUと一定の合意に達しました。また離脱後の「移行期間」(英国は2年程度を想定)に単一市場と関税同盟に残留します。メイ首相は4月、対EU交渉に強い立場で臨むためとして、任期3年を残す下院を解散。「強く安定した」指導力を訴えたものの、13議席減で過半数割れに。結局、北アイルランドの地方政党から多額の追加予算と引き換えに閣外協力を取り付け、辛うじて半数を確保しました。



12月8日、ブリュッセルで会談を終え、記者会見にのぞむメイ英首相(左)とユンケル欧州委員長(ロイター)

緊縮政策を批判
反対に野党・労働党は30議席増で躍進。コービン党首が、保守党の緊縮政策を批判し、国民保健サービス(NHS)や社会福祉への支出拡大、小学校での無料給食の導入などの選挙政策を訴えました。特に反響を呼んだのが、年9000ポンド(約130万円)まで高騰している大学授業料無料化。
熱狂的な若者の支持と運動が、各地で労働党を押し上げました。核兵器問題では、保守メディアが、コービン党首に「核兵器の発射ボタンを押せるのか」などと追及。同氏は「核使用の検討は外交の敗北だ」と述べ、先制不使用、世界での核軍縮の取り組みを訴えました。3月のロンドンの国会付近でのテロに続き、マンチェスターのコンサート会場、ロンドンの観光の中心地でテロが続発し、選挙運動が2度中断する異例の事態となりました。(ベルリン=伊藤寿庸)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年12月29日付掲載


EUからの独立で財政負担を減らすってことだったのですが、なかなか現実は違うようです。
英でも緊縮政策は批判されています。
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2017年回顧 海外⑫ パレスチナ自治区 再統一めざして和解

2017-12-28 11:50:05 | 国際政治
2017年回顧 海外⑫ パレスチナ自治区 再統一めざして和解

パレスチナ自治区で今年、同地域を事実上「分割統治」して対立関係にある自治政府主流派ファタハ(パレスチナ民族解放運動の略)とイスラム抵抗組織ハマスの間で再統一の動きがありました。


両派に住民不満
対立の背景には、2006年のパレスチナ評議会選挙でイスラエルを承認しないハマスが大勝し、これを脅威とする米国とイスラエルの圧力を受けたファタハが選挙結果を受け入れなかったために、反発したハマスが07年にガザ地区を武力制圧したことがあります。現在、ヨルダン川西岸地区をファタハが、ガザ地区をハマスが支配しています。ハマスは今年3月、「政府」の役割を担う「行政委員会」を設立しましたが、ハマスの支配を固定化するものとして、自治政府のアッバス議長が反発。イスラエルからガザ地区向けの送電料金の支払いを削減し、ガザ地区内の発電所用燃料への課税で「行政委員会」の解体を迫りました。ガザ地区では8月ごろから電力不足が深刻化。市民は自家発電機や蓄電池を購入していますが、負担は大きく、不満は自治政府だけではなくハマスにも向けられました。ガザ地区住民の不満を背景に、ハマスは10月に「行政委員会」の解体を発表。統治権を12月1日までに自治政府に移譲することを表明し、パレスチナ評議会選挙の実施も誓約しました。10月、自治政府のハムダラ首相がガザ地区を訪れて両派の和解を協議。同月、両派はエジプトの首都カイロで和解に合意しました。11月にハマスはガザ地区の検問所の管理権を自治政府に引き渡しました。国連のムラデノブ中東和平プロセス特別調整官は「画期的進展」と評価します。



ハマスがガザ地区の検間所の管理権を引き渡したのち、ラファ検間所を訪れるパレスチナ自治政府のマナ検間所管理局議長=11月1日(ロイター)

軍事部門先送り
しかし、ハマスの軍事部門の扱いについては両派は合意に至っていません。イスラエルは自治政府にハマス軍事部門の解体を強く迫っています。ファタハ、ハマスを含むパレスチナ各派は、18年末までの議長選挙と評議会選挙の実施で合意しましたが、ハマス軍事部門の問題は先送りされました。ファタハ、ハマス両派は、12月の初旬をめどにガザ地区の行政権を自治政府に移譲するために、エジプトに仲介を要請することで合意しましたが、実現には至っていません。(松本眞志)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年12月28日付掲載


パレスチナの中で一致団結して欲しいですね。強硬派や穏健派があってもね。
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