資本主義の現在と未来 台頭する企業略奪者④ 「株主価値最大化」の誤り

マサチューセッツ大学名誉教授 ウィリアム・ラゾニックさんに聞く
―「内部留保と再投資」から「規模縮小と株主分配」への移行を正当化したのが、「企業は『株主価値最大化』をめざして経営されるべきだ」というイデオロギーでした。
1980年代後半に台頭したこのイデオロギーの第一人者はシカゴ学派の経済学者マイケル・C・ジェンセン氏でした。彼は配当や自社株買いを通じてフリー・キャッシュ・フロー(自由に使える現金)を株式市場に「吐き出し」て「最も効率的な用途」に配分できるようにするべきだと企業に序言しました。企業経営陣が現金を不適切に配分する傾向があると想定しているのです。

2024年5月~25年4月に6000億円の自社株買い計画を決議したセブン&アイHDの本社=東京都千代田区
「吐き出す」現金
しかし「吐き出す」現金はフリー(無料)ではありません。企業は株主に現金を分配するために数千人の従業員を解雇し、賃金上昇を抑制し、研究開発への投資を控え、消費者に値上げを押しつけ、法人税を回避します。つまり「現金を吐き出せ」という企業経営陣への助言は、革新的価値創造への攻撃を正当化し、略奪的価値抽出を助長するものなのです。
新古典派(市場原理主義)の経済理論に根ざした「株主価値最大化」イデオロギーは、組織ではなく市場が資源を「最も効率的な用途」に配分すると仮定しています。しかし、価値創造のための戦略・組織・資金調達の重要性を明らかにした「革新的企業の理論」を欠く市場理論は、「最も効率的な用途」がどのように創造されるかを説明できません。結局、価値創造の理論を説くと主張しながら、実際には価値抽出の理論を広めているのです。
「株主価値最大化」イデオロギーの中心には、保証された見返りなしにリスクを負って生産に貢献する株主だけが利益への請求権を持つ、という誤った主張があります。株主のリスクと貢献を過大評価し、労働者や納税者のリスクと貢献を無視するのです。
皮肉なことに、「株主価値最大化」イデオロギーが企業の唯一のリスク負担者とみなす株主は通常、企業の価値創造過程に参加する意思も能力もない価値抽出者にすぎません。株式を保有する間に配当収入を、売却するときに値上がり益を得ることを期待しているだけなのです。しかも流動性の高い株式市場に上場された株式を購入する株主はリスクをほとんど負いません。保有の責任は限定的であり、いつでも非常に低いコストで売却できます。
これに対して労働者は、その技能と努力によって、給与水準をはるかに超える生産的な貢献を恒常的に果たしています。しかしその貢献には保証された見返りがありません。労働者がより高品質で低コストの製品を生み出しても、将来のキャリアとリターンは保証されません。実際、「株主価値最大化」イデオロギーが正当化する「規模縮小と株主分配」の資源配分体制のもとで、こうしたキャリアとリターンは概して損なわれています。
労働者は賃金や福利厚生を削減されるリスクや、解雇されるリスクに直面しています。勤勉で献身的な労働者は、革新的価値創造の恩恵を受けるどころか、略奪的価値抽出によって搾取されるのです。
資金の不正流用
納税者は、人的能力と物的基盤への政府の投資を通じて、保証された見返りなしに企業に対して生産資源を恒常的に提供しています。例えば米国立衛生研究所(NIH)が1938年から2024年にかけて生命科学研究に投じた総投資額は1兆6000億ドル(24年のドル換算)を超えます。NIHが支援する研究によって生み出された公共知識から企業は恩恵を受けてきました。こうした研究や道路などへの投資に資金を提供する納税者は、企業利益が創出された場合にその利益を受け取る権利を持ちます。政府は課税を通じて企業からこの利益を引き出そうとします。
しかし納税者である家計は、競争条件などの変化で企業が利益をあげられず、事業税収が得られなくなるという不確実性に直面します。略奪的価値抽出者が法人税減税や補助金を与えるよう政府の政策立案者を説得するという政治的不確実性にも直面しています。
こうして、株主だけが利益への請求権を持つという株主価値神話は覆ります。すると、1980年代半ば以降に企業が実行した何兆ドルもの自社株買いは重大な疑問を提起します。一体どれだけの額が労働者と納税者に渡るべき資金の不正流用だったのか、という疑間です。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年7月2日付掲載
「株主価値最大化」イデオロギーの中心には、保証された見返りなしにリスクを負って生産に貢献する株主だけが利益への請求権を持つ、という誤った主張があります。株主のリスクと貢献を過大評価し、労働者や納税者のリスクと貢献を無視するのです。
皮肉なことに、「株主価値最大化」イデオロギーが企業の唯一のリスク負担者とみなす株主は通常、企業の価値創造過程に参加する意思も能力もない価値抽出者にすぎません。株式を保有する間に配当収入を、売却するときに値上がり益を得ることを期待しているだけなのです。しかも流動性の高い株式市場に上場された株式を購入する株主はリスクをほとんど負いません。保有の責任は限定的であり、いつでも非常に低いコストで売却できます。

マサチューセッツ大学名誉教授 ウィリアム・ラゾニックさんに聞く
―「内部留保と再投資」から「規模縮小と株主分配」への移行を正当化したのが、「企業は『株主価値最大化』をめざして経営されるべきだ」というイデオロギーでした。
1980年代後半に台頭したこのイデオロギーの第一人者はシカゴ学派の経済学者マイケル・C・ジェンセン氏でした。彼は配当や自社株買いを通じてフリー・キャッシュ・フロー(自由に使える現金)を株式市場に「吐き出し」て「最も効率的な用途」に配分できるようにするべきだと企業に序言しました。企業経営陣が現金を不適切に配分する傾向があると想定しているのです。

2024年5月~25年4月に6000億円の自社株買い計画を決議したセブン&アイHDの本社=東京都千代田区
「吐き出す」現金
しかし「吐き出す」現金はフリー(無料)ではありません。企業は株主に現金を分配するために数千人の従業員を解雇し、賃金上昇を抑制し、研究開発への投資を控え、消費者に値上げを押しつけ、法人税を回避します。つまり「現金を吐き出せ」という企業経営陣への助言は、革新的価値創造への攻撃を正当化し、略奪的価値抽出を助長するものなのです。
新古典派(市場原理主義)の経済理論に根ざした「株主価値最大化」イデオロギーは、組織ではなく市場が資源を「最も効率的な用途」に配分すると仮定しています。しかし、価値創造のための戦略・組織・資金調達の重要性を明らかにした「革新的企業の理論」を欠く市場理論は、「最も効率的な用途」がどのように創造されるかを説明できません。結局、価値創造の理論を説くと主張しながら、実際には価値抽出の理論を広めているのです。
「株主価値最大化」イデオロギーの中心には、保証された見返りなしにリスクを負って生産に貢献する株主だけが利益への請求権を持つ、という誤った主張があります。株主のリスクと貢献を過大評価し、労働者や納税者のリスクと貢献を無視するのです。
皮肉なことに、「株主価値最大化」イデオロギーが企業の唯一のリスク負担者とみなす株主は通常、企業の価値創造過程に参加する意思も能力もない価値抽出者にすぎません。株式を保有する間に配当収入を、売却するときに値上がり益を得ることを期待しているだけなのです。しかも流動性の高い株式市場に上場された株式を購入する株主はリスクをほとんど負いません。保有の責任は限定的であり、いつでも非常に低いコストで売却できます。
これに対して労働者は、その技能と努力によって、給与水準をはるかに超える生産的な貢献を恒常的に果たしています。しかしその貢献には保証された見返りがありません。労働者がより高品質で低コストの製品を生み出しても、将来のキャリアとリターンは保証されません。実際、「株主価値最大化」イデオロギーが正当化する「規模縮小と株主分配」の資源配分体制のもとで、こうしたキャリアとリターンは概して損なわれています。
労働者は賃金や福利厚生を削減されるリスクや、解雇されるリスクに直面しています。勤勉で献身的な労働者は、革新的価値創造の恩恵を受けるどころか、略奪的価値抽出によって搾取されるのです。
資金の不正流用
納税者は、人的能力と物的基盤への政府の投資を通じて、保証された見返りなしに企業に対して生産資源を恒常的に提供しています。例えば米国立衛生研究所(NIH)が1938年から2024年にかけて生命科学研究に投じた総投資額は1兆6000億ドル(24年のドル換算)を超えます。NIHが支援する研究によって生み出された公共知識から企業は恩恵を受けてきました。こうした研究や道路などへの投資に資金を提供する納税者は、企業利益が創出された場合にその利益を受け取る権利を持ちます。政府は課税を通じて企業からこの利益を引き出そうとします。
しかし納税者である家計は、競争条件などの変化で企業が利益をあげられず、事業税収が得られなくなるという不確実性に直面します。略奪的価値抽出者が法人税減税や補助金を与えるよう政府の政策立案者を説得するという政治的不確実性にも直面しています。
こうして、株主だけが利益への請求権を持つという株主価値神話は覆ります。すると、1980年代半ば以降に企業が実行した何兆ドルもの自社株買いは重大な疑問を提起します。一体どれだけの額が労働者と納税者に渡るべき資金の不正流用だったのか、という疑間です。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年7月2日付掲載
「株主価値最大化」イデオロギーの中心には、保証された見返りなしにリスクを負って生産に貢献する株主だけが利益への請求権を持つ、という誤った主張があります。株主のリスクと貢献を過大評価し、労働者や納税者のリスクと貢献を無視するのです。
皮肉なことに、「株主価値最大化」イデオロギーが企業の唯一のリスク負担者とみなす株主は通常、企業の価値創造過程に参加する意思も能力もない価値抽出者にすぎません。株式を保有する間に配当収入を、売却するときに値上がり益を得ることを期待しているだけなのです。しかも流動性の高い株式市場に上場された株式を購入する株主はリスクをほとんど負いません。保有の責任は限定的であり、いつでも非常に低いコストで売却できます。
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