きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

「石の女王」の時代④ 石造物の謎

2023-10-15 07:14:37 | 歴史・時代物・考古学
「石の女王」の時代④ 石造物の謎

松本清張『火の路』の続編といえる『清張古代史をゆくペルセポリスから飛鳥へ』(NHK出版、1979年)のなかで要旨、以下のように自説を訂正しています。
「拙作『火の路』でこれらの石造物は斉明天皇の両槻宮の附属物用に造られたが、両槻宮の建造が中止になったので遺棄したとしたが、いまは蘇我馬子の嶋宮邸用だったと推測したほうが理にあって自然と思うのでこの新考に訂正する」
一方で、森浩一・同志社大学名誉教授は新装版『火の路』(文春文庫、2009年)の巻末で要旨、次のように付言しています。
「酒船石は2000年にその北側の谷(奈良県明日香村岡)から階段状の石段と水を貯える二つの大きな石槽が発掘され、そのひとつが亀形に加工されていたことから、酒船石から流される水をうけて何らかの重要な儀式を行ったことが確実になった(写真)ので、従来からあれこれ推測された用途は霧消した」




なぞの石造物は蘇我馬子用か、斉明天皇用か。益田岩船と酒船石以外の石造物はどうなのでしょうか。
(福島明博通信員)(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月13日付掲載


松本清張は、「拙作『火の路』でこれらの石造物は斉明天皇の両槻宮の附属物用に造られたが、両槻宮の建造が中止になったので遺棄したとしたが、いまは蘇我馬子の嶋宮邸用だったと推測したほうが理にあって自然と思うのでこの新考に訂正する」と。
では、実際は、なぞの石造物は蘇我馬子用か、斉明天皇用か。益田岩船と酒船石以外の石造物はどうなのか。
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「石の女王」の時代③ 益田岩船と清張

2023-10-13 07:16:17 | 歴史・時代物・考古学
「石の女王」の時代③ 益田岩船と清張
松本清張(1909~92年)の古代史に関する著作は多く、発表方法が話題になったのが『火の回路』(のちに『火の路』と改題)です。朝日新聞の夕刊(1973年6月~74年10月)に、史料考証や論文が長々と続くものを小説として連載したからです。
小説の初めの部分に「『高須君。酒船石とか二面石とか益田岩船とか、何だね、今度は謎の石ばかりを調査して論文でも書くんですか?』東京美術館の佐田特別研究委員がいった」とあり、清張は扱う主題が飛鳥時代の斉明天皇の時期に造られた謎の石造物であることを示唆しています。清張は当時、イランでゾロアスター教の調査を行い、益田岩船をゾロアスター教の拝火壇であると推理していました。




益田岩船(奈良県橿原市白橿町)は近鉄岡寺駅の南西の小高い山中の、うっそうとした竹林の中にあります。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月7日付掲載


小説の一節から、清張が扱う主題が飛鳥時代の斉明天皇の時期に造られた謎の石造物であることを示唆。清張は当時、イランでゾロアスター教の調査を行い、益田岩船をゾロアスター教の拝火壇であると推理。
興味津々ですね。
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「石の女王」の時代② 4体の猿石

2023-10-11 07:11:59 | 歴史・時代物・考古学
「石の女王」の時代② 4体の猿石
斉明天皇は石にこだわり3万人を動員して運河を掘り、舟200隻を使って天理市の石上山から石を運び、7万人の人を使って石垣を建設しました。当時の人は「狂心の渠」(たぶれこころのみぞ)とうわさしたとか。
斉明の時代に多くの「謎の石」が造られました。有名な酒船石、益田岩船、須弥山石、二面石、猿石、亀石…。




吉備姫王墓の中に移設している猿石は周辺の植栽を整備したのか、以前には不可能だったアングルから全4体が撮れるようになりました。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月6日付掲載


斉明の時代に多くの「謎の石」が造られました。有名な酒船石、益田岩船、須弥山石、二面石、猿石、亀石…。
飛鳥を訪れると、必ず行きますよね。
以前は同時に撮れなかった猿石。植栽を伐採して4体同時に撮れるようになった。
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「石の女王」の時代① 白いピラミッド

2023-10-10 07:11:13 | 歴史・時代物・考古学
「石の女王」の時代① 白いピラミッド
飛鳥路を歩いて、「石の女王」の異名をもつ斉明天皇(594~661)が生きた時代に思いをはせました。

「石の女王」とは飛鳥時代に大規模土木工事を繰り返したことからきており、遺構の一つが「酒船石」です。
斉明天皇の墓は近年の発掘調査で牽牛子塚(けんこしつか)古墳(明日香村越)であることがほぼ確定しましたが、決め手は陵の形状が飛鳥時代最後=古墳築造の最後=の八角墳だったことと、越塚御門古墳の発見で『日本書紀』の記述が裏付けられたからです。
崩れた古墳を5年かけて復元し終えたのは2022年3月。築造時は北西12キロの二上山から運んだ切石を用いましたが、復元には石川県小松市の「滝ケ原石」の凝灰岩を2500枚使用しました。




よみがえった牽牛子塚古墳は上空からみれば八角形ですが、地上からは、まばゆい白のピラミッド(角錐)で、明日香村の新しい人気スポットになっています。(写真)
(福島明博通信員)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年10月4日付掲載


飛鳥路を歩いて、「石の女王」の異名をもつ斉明天皇(594~661)が生きた時代に思いをはせました。
「石の女王」とは飛鳥時代に大規模土木工事を繰り返したことからきており、遺構の一つが「酒船石」。
よみがえった牽牛子塚古墳は上空からみれば八角形ですが、地上からは、まばゆい白のピラミッド(角錐)で、明日香村の新しい人気スポットに。
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