埋もれた年金 捜索の足跡 鉱山から掘り出した記録

社会保険労務士 柴田友都さん
2022年、山形県鶴岡市のA美さんから1973年に53歳で亡くなった父Y作さん(19〈大正8〉年生まれ)の年金相談をいただきました。
「父は戦時中、鉱山で働いていましたが、年金をかけられていたとは知りませんでした。母B子は遺族厚生年金を受給していますが、少しでも年金が増えたらと思いました」
後日、A美さんから届いた相談票には、調査してほしい会社名が五つ記されていました。一つは、44(昭和19)年10月から働いた岐阜県の鉱山。他は47(同22)年~56(同31)年に働いた四つの会社です。

記憶呼び起こし
年金事務所で確認したY作さんの厚生年金の記録は、58(同33)年から亡くなるまで175月の加入期間でした。受給には240月の加入期間が必要ですが、在職中に亡くなったため、妻のB子さんには現行制度で最低限の年金が支給されていました。
相談票をもとに年金事務所に記録を照会しましたが、「お申し出の会社名では見つかりませんでした。正式な会社名が分かれば受給につながります」との回答。会社名を導き出すため、根気のいる調査になりました。
B子さんに記憶を呼び起こしてもらい、Y作さんは結婚時の58(同33)年ごろに山形県の鉱山で働いていたことが分かりました。他の会社名についても、A美さんに「お父さんが戦時下に岐阜のどこで働いていたか、昭和22~25年にどの地域にいたか、ご親族に聞いてください」と頼みました。
翌週、地域は明らかに。あとは私の長年の勘で調べました。
勇気出した結果
5カ月後、すべての会社名を突き止め、新たに114月分の年金を請求しました。Y作さん死亡時までさかのぼった49年分の年金額は約1200万円。B子さんが2カ月ごとに受給する年金額は3万5千円増えました。A美さんは半信半疑で私に相談したそうですが、勇気を出して踏み出したことが、予期せぬ幸運になったと思います。
かつて日本中にあった鉱山や炭鉱のほとんどは昭和30年代に閉山しました。多くの年金記録が埋もれたままになっています。
(前回は11日付に掲載)
【連絡先】048(296)2075
「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月25日付掲載
B子さんに記憶を呼び起こしてもらい、Y作さんは結婚時の58(同33)年ごろに山形県の鉱山で働いていたことが分かりました。他の会社名についても、A美さんに「お父さんが戦時下に岐阜のどこで働いていたか、昭和22~25年にどの地域にいたか、ご親族に聞いてください」と頼みました。
翌週、地域は明らかに。あとは私の長年の勘で調べました。
5カ月後、すべての会社名を突き止め、新たに114月分の年金を請求しました。Y作さん死亡時までさかのぼった49年分の年金額は約1200万円。B子さんが2カ月ごとに受給する年金額は3万5千円増えました。
鉱山勤めということもありますが、根気のいる掘り起こしですね。

社会保険労務士 柴田友都さん
2022年、山形県鶴岡市のA美さんから1973年に53歳で亡くなった父Y作さん(19〈大正8〉年生まれ)の年金相談をいただきました。
「父は戦時中、鉱山で働いていましたが、年金をかけられていたとは知りませんでした。母B子は遺族厚生年金を受給していますが、少しでも年金が増えたらと思いました」
後日、A美さんから届いた相談票には、調査してほしい会社名が五つ記されていました。一つは、44(昭和19)年10月から働いた岐阜県の鉱山。他は47(同22)年~56(同31)年に働いた四つの会社です。

記憶呼び起こし
年金事務所で確認したY作さんの厚生年金の記録は、58(同33)年から亡くなるまで175月の加入期間でした。受給には240月の加入期間が必要ですが、在職中に亡くなったため、妻のB子さんには現行制度で最低限の年金が支給されていました。
相談票をもとに年金事務所に記録を照会しましたが、「お申し出の会社名では見つかりませんでした。正式な会社名が分かれば受給につながります」との回答。会社名を導き出すため、根気のいる調査になりました。
B子さんに記憶を呼び起こしてもらい、Y作さんは結婚時の58(同33)年ごろに山形県の鉱山で働いていたことが分かりました。他の会社名についても、A美さんに「お父さんが戦時下に岐阜のどこで働いていたか、昭和22~25年にどの地域にいたか、ご親族に聞いてください」と頼みました。
翌週、地域は明らかに。あとは私の長年の勘で調べました。
勇気出した結果
5カ月後、すべての会社名を突き止め、新たに114月分の年金を請求しました。Y作さん死亡時までさかのぼった49年分の年金額は約1200万円。B子さんが2カ月ごとに受給する年金額は3万5千円増えました。A美さんは半信半疑で私に相談したそうですが、勇気を出して踏み出したことが、予期せぬ幸運になったと思います。
かつて日本中にあった鉱山や炭鉱のほとんどは昭和30年代に閉山しました。多くの年金記録が埋もれたままになっています。
(前回は11日付に掲載)
【連絡先】048(296)2075
「しんぶん赤旗」日刊紙 2025年5月25日付掲載
B子さんに記憶を呼び起こしてもらい、Y作さんは結婚時の58(同33)年ごろに山形県の鉱山で働いていたことが分かりました。他の会社名についても、A美さんに「お父さんが戦時下に岐阜のどこで働いていたか、昭和22~25年にどの地域にいたか、ご親族に聞いてください」と頼みました。
翌週、地域は明らかに。あとは私の長年の勘で調べました。
5カ月後、すべての会社名を突き止め、新たに114月分の年金を請求しました。Y作さん死亡時までさかのぼった49年分の年金額は約1200万円。B子さんが2カ月ごとに受給する年金額は3万5千円増えました。
鉱山勤めということもありますが、根気のいる掘り起こしですね。