「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。
縄文タイムカプセル 北海道の世界文化遺産⑦ 国宝の土偶 願いを込める
北海道ただ一つの国宝、「中空土偶」(2007年指定)です(写真)。高さ41・5センチ、幅20・1センチ、土偶としては最大級。頭と腕の一部が壊されています。世界文化遺産に含まれていませんが、函館市の著保内野(ちょぼないの)遺跡で約3500年前の集団墓から見つかりました。函館市縄文文化交流センターで常設展示されています。
同センターは垣ノ島遺跡に隣接し、市内からの出土品が多数見られます。縄文時代後期以降は、漆の塗られた注口土器、鳥形やシャチ形の土製品、ヒスイなど、儀式に使われる品が増えます。
土偶は前期では板状ですが、中期から立体的になり、後期以降は模様が入った複雑な形になります。
何に使われたのか謎です。すべて、女性の形をし、壊されているので、安産や病気回復を願ったという説が有力です。(おわり)(写真・記事 宮下秀和)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月28日付掲載
国宝の土偶・中空土偶。土偶はすべて女性の形をし、壊されているので、安産や病気回復を願ったという説が有力。
ここでも、北海道では産出しないヒスイなどの副葬品も。
縄文タイムカプセル 北海道の世界文化遺産⑥ キウス周提墓群 祭祀・儀礼の場
千歳市にあるキウス周堤墓(しゅうていぼ)群。外径75メートル、内径39メートル、深さ2メートルの1号基の前で、訪れた人が踏み台に上ってポランティアガイドの説明を聞きます。(写真)
周堤(丸い土手)7基が隣接し、現在も地上に残る縄文遺構です。内側には墓穴があり、葬送儀礼の跡があります。約3200年前以降につくられた、北海道独特の形です。
東南300メートルはなれた場所で、寒冷化以降に定住し、サケ漁業をしていた集落跡が発掘されました。
初期の周堤墓は集落に接しています。定住者が増え、何基もつくられ、直径9メートル弱から20メートル前後と大きくなります。そして、集落から離れた場所に1号基のような巨大な周堤墓がつくられました。
家族、親族の墓から、地域で暮らす人たちの祭祀(さいし)・儀礼の場へ発展したと説明されています。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月27日付掲載
定住者が増えると、集落から離れた場所に1号基のような巨大な周堤墓がつくられました。
家族、親族の墓から、地域で暮らす人たちの祭祀(さいし)・儀礼の場へ発展。
後の古墳の原型かな。
縄文タイムカプセル 北海道の世界文化遺産⑤ 高砂貝塚遺跡 再生への願い
墓の副葬品として発掘された土器と石のネックレス(写真)。洞爺湖(とうやこ)町の高砂貝塚遺跡で縄文時代晩期(約2800年前)の墓から、土偶やベンガラ(赤い顔料)が入った土器といっしょに見つかりました。
同町の入江・高砂貝塚館で、土器、石器、狩猟・漁労具、土偶、装飾品などとともに展示されています。
高砂貝塚は高台の入江貝塚から歩いて10分ほどの低地にあります。
縄文時代後期(約4000年前)以後は気温が下がり、森は針葉樹が増えます。海面も数メートル下がりました。高台に住む人が減り、海に近い場所に住む人が増えます。各地でシカ猟が減り、川を上るサケが食料の中心になります。
この時期から副葬品が多くなり、墓近くに石を並べた遺構も出土しています。人びとが命の再生を願う儀式をしていたと考えられています。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月26日付掲載
高台に住む人が減り、海に近い場所に住む人が増えます。各地でシカ猟が減り、川を上るサケが食料の中心になります。
墓の副葬品として発掘された土器と石のネックレス。土偶やベンガラ(赤い顔料)が入った土器といっしょに。このごろにすでにベンガラが発明されていた。
気候の変動とともに、食生活だけでなく、文化も変遷するんですね。
縄文タイムカプセル 北海道の世界文化遺産④ 入江貝塚 肉食でおしゃれ
入江貝塚遺跡内のトンネルで貝塚の断面を見る親子(写真)。土に埋まった土器の破片やシカの骨、貝殻が見られます。
洞爺湖(とうやこ)町には高台の入江貝塚と低地の高砂貝塚の2カ所があります。
内浦湾に面した海岸段丘の上にある入江貝塚は約5500年前から約2800年前までの遺跡です。
海でオットセイやイルカ、マグロなど、陸ではシカなどを捕って食べていました。肉食が多かったため、発掘された人骨は、木の実など、でんぷん質を多く食べていた本州の人より虫歯が少ない。魚の背骨や動物の歯などを加工した装身具もたくさん発掘されました。北海道にはいないイノシシの骨、新潟県のヒスイ、南の海でしか採れない貝でつくったものもあります。
本州と人や物、文化が交流していました。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月25日付掲載
肉食が多かったため、発掘された人骨は、木の実など、でんぷん質を多く食べていた本州の人より虫歯が少ない。魚の背骨や動物の歯などを加工した装身具もたくさん発掘。
北海道にはいないイノシシの骨、新潟県のヒスイ、南の海でしか採れない貝でつくったものもあります。
本州と人や物、文化が交流していました。
縄文タイムカプセル 北海道の世界文化遺産③ 北黄金貝塚 暮らしの記録
ホタテの貝殻を敷き詰めた調査後の貝塚(写真手前)。伊達市の北黄金(きたこがね)貝塚は内浦湾に面した海岸段丘上にある縄文時代前期(約7000年前)以降の遺跡です。
ふもとの湧き水のほとりに再現された竪穴式住居と、広葉樹の森(写真奥)が広がります。市民が種から育てた苗木を植え、縄文時代の森を再生しています。
貝塚はゴミ捨て場ではなく神聖な場です。食べた動物の骨、モリやヤス、縫い針などの道具、鹿の角やクジラの骨でつくった祭具、人骨も埋葬されています。再生を祈る儀式をしながら埋めたものと考えられています。
貝の種類で、気候と海岸線の変化もわかります。温暖で海面が高かったころはハマグリの殻が多く、気温が下るとカキやウニが増えました。
貝塚は暮らしの環境を記録しています。
(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年8月24日付掲載
貝塚はゴミ捨て場ではなく神聖な場です。再生を祈る儀式をしながら埋めたものと考えられています。
貝の種類で、気候と海岸線の変化もわかります。
文字のない時代、貝塚は貴重な歴史文化遺産。