日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

破綻国家、という楔

2009-08-06 21:10:57 | 東京
今日も集中講義に出かける。夏休みをとっているけれど
結局講義の出席で一日が終わってしまう。
今日は、アジア・太平洋地域の破綻国家とテロリズムがテーマだった。
破綻国家の定義にはいろいろあるけれど、国民に福祉や安全を
提供しえない国家、提供することを望まない国家などといえるかもしれない。
国際機関が発表するいろいろな指標があり、たとえば国民の教育程度、
言論の自由、移動の自由、とかいろいろな観点からそれぞれの国を
観察することができ、そこから破綻国家の像が見えてくるかもしれない。
そういった指標によるとアジアでの破綻国家は(失敗国家との訳も)
イラク、アフガニスタン、北朝鮮、ミャンマー、東チモール、
スリランカなどが該当することになる。

そんな授業を受けた後、ミャンマーに対して人道支援をするべきか、
するとしたらどのような方法で?なんてテーマで討論が行われた。
最後らへんで、たまたま授業に参加したミャンマーの大学院生が
発言した。「他国の人道支援なんて必要ない。私の国は
アフガニスタンやイラクみたいな運命をたどりたくない」と。
「破綻国家なんてレッテルを国際社会は私の国に貼っているけれど、
私は自分の国を破綻国家なんて思っていない。たしかに民主主義は
ないかもしれないけれど、私は軍事政権も嫌いだけれど、
そして私の国は非常に貧しいかもしれないけれど、でもみんな
普通に暮らしている。2010年までの選挙まで、政府を転覆させるための
いれ知恵をさせる筋合いはない」と言った。

まったくそうだと思う。不幸や貧困というのは作り出される
ものなのだ。すっごく卑近な例で恐縮なのだが
僕が20代半ば長期間失業していたとき、周りの家族も友達も
まるで腫れ物を見るような眼で僕と接した。失業して大変だろう、
失業してさぞかし敗北感を味わっているだろう、なんて。
でも僕は僕の価値観で動いていて、大してそれが不幸なことだとも
思わなかった。もちろん収入があったほうがいいに決まってるけど
でもそんなに人が思うほど僕は不幸じゃなかった。
破綻国家も作られるものなのだ、国際社会の、もしくは国際政治の
支配的な価値体系のなかで。


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