今日は仕事の関係で、埼玉県にある、原爆の図を展示している
美術館、丸木美術館に関係のある人と少し話した。
行こうと思っていて、いまだに行っていないこの美術館の
行き方など教えてもらった。そして、戦争をテーマとした絵画を
どのように見るのか、どのように感じるのか、どのように論議するのか
そのような話を聞いた。討論というより、本当に話を聞くだけだった。
僕は深い考えなんかなくて、コメントだってできなかったのだが。
最近、コンテクストということをよく考える。
そんなことを言うと、インテリぶっているようで非常に嫌なのだが。
絵画が描かれるコンテクスト、時代背景のようなものがまずあると思う。
作者の思いや伝えたいもの、それは作者の創作の背後にあるコンテクスト
が反映されるのかも。
そして、それを鑑賞する人々、つまり鑑賞者にもコンテクストがあって
お互い相容れないコンテクストを持つ人々は鑑賞にしてもきっと
理解しえないのだと思う。
つまり、確固たる平和教育を受けている人の持っているコンテクストで
戦争の絵を見たり語ったりするのと、なんだかよく分からないまま
その絵を見て感想を言うのは違ってくるのだ。
どちらがいい、とかそういう話ではない、コンテクストが違うから
仕方がないことなのだ。
平和を軽々しく、何かのツールのように扱ってアートを作るのは
本当に嫌だと思う。ただ反面、戦争を扱った芸術を論議したり、
批判したりできないのも、それはそれで不幸な状況なんだなあ。
美術館、丸木美術館に関係のある人と少し話した。
行こうと思っていて、いまだに行っていないこの美術館の
行き方など教えてもらった。そして、戦争をテーマとした絵画を
どのように見るのか、どのように感じるのか、どのように論議するのか
そのような話を聞いた。討論というより、本当に話を聞くだけだった。
僕は深い考えなんかなくて、コメントだってできなかったのだが。
最近、コンテクストということをよく考える。
そんなことを言うと、インテリぶっているようで非常に嫌なのだが。
絵画が描かれるコンテクスト、時代背景のようなものがまずあると思う。
作者の思いや伝えたいもの、それは作者の創作の背後にあるコンテクスト
が反映されるのかも。
そして、それを鑑賞する人々、つまり鑑賞者にもコンテクストがあって
お互い相容れないコンテクストを持つ人々は鑑賞にしてもきっと
理解しえないのだと思う。
つまり、確固たる平和教育を受けている人の持っているコンテクストで
戦争の絵を見たり語ったりするのと、なんだかよく分からないまま
その絵を見て感想を言うのは違ってくるのだ。
どちらがいい、とかそういう話ではない、コンテクストが違うから
仕方がないことなのだ。
平和を軽々しく、何かのツールのように扱ってアートを作るのは
本当に嫌だと思う。ただ反面、戦争を扱った芸術を論議したり、
批判したりできないのも、それはそれで不幸な状況なんだなあ。
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