フランス語を母語としない外国人がフランス語の手紙を書いた場合、
どうしておかしい文章になるのか?
思うにそれが何語であったとしてもひとつひとつの言葉には
気温というか温度があって、均整の取れた滑らかな文章というのは
それぞれの単語やフレーズが温度差なく、いわゆる同じ温度で
まとまっているのだと思う。
例えば、「少し」という単語と「ちょっと」や「少々」という単語は
それぞれ同じことを意味しているのに、温度が少しずつ違うのだ。
フランス語でも同じ「待つ」という意味でも、
「attendez」と言うのと、「patientez」というのでは全然感じが違う。
「怠惰な」という意味の単語も「paresseux」と「fainéant」では違う。
この単語やフレーズの温度というのが外国人にはつかみづらく、
例えば文章を書くときに、全然違う温度差の単語を放り込んだりするもんだから
奇異な文章になってしまうんだと思う。逆にネイティブは無意識に
同じ温度の単語を選択して文章を組み立てているのではないか。
などと真剣に考え事をしていたら、パリ在住の日本人コーディネーターが
書いたフランス語のメールが僕にもCCで送られてきた。
いろいろ難しく考えている自分が馬鹿みたいに思えるようなすごいメールだった。
つーか、ああいうメール書いててパリでコーディネーターってできるのか?
いや、他人のことは言うまい。つーかなんかむかついたんで書いてしまったぜ。
どうしておかしい文章になるのか?
思うにそれが何語であったとしてもひとつひとつの言葉には
気温というか温度があって、均整の取れた滑らかな文章というのは
それぞれの単語やフレーズが温度差なく、いわゆる同じ温度で
まとまっているのだと思う。
例えば、「少し」という単語と「ちょっと」や「少々」という単語は
それぞれ同じことを意味しているのに、温度が少しずつ違うのだ。
フランス語でも同じ「待つ」という意味でも、
「attendez」と言うのと、「patientez」というのでは全然感じが違う。
「怠惰な」という意味の単語も「paresseux」と「fainéant」では違う。
この単語やフレーズの温度というのが外国人にはつかみづらく、
例えば文章を書くときに、全然違う温度差の単語を放り込んだりするもんだから
奇異な文章になってしまうんだと思う。逆にネイティブは無意識に
同じ温度の単語を選択して文章を組み立てているのではないか。
などと真剣に考え事をしていたら、パリ在住の日本人コーディネーターが
書いたフランス語のメールが僕にもCCで送られてきた。
いろいろ難しく考えている自分が馬鹿みたいに思えるようなすごいメールだった。
つーか、ああいうメール書いててパリでコーディネーターってできるのか?
いや、他人のことは言うまい。つーかなんかむかついたんで書いてしまったぜ。