仕事の関係でセルビアの会社に勤める人とあった。
もちろんセルビア人である。ヴラディミールという名前。
セルビアというと全然イメージがなくて、東欧とか、ミロシェビッチとか
そういうことしか頭に浮かばないが、彼は普通の青年で
僕と同じぐらいの歳の、感じのいい兄ちゃんだった。
大学時代に友達になった、現在は東京の郊外で公共ホールの
運営をしている日本人の友達がいるらしく、僕が日本人だと知って
フレンドリーにいろいろ話をしてくれた。
彼に会ったのは久しぶりだったがメールのやり取りはこれまでもよく
していた。土曜でも日曜でも月曜の朝でも、本当にしょっちゅう
仕事をしているらしく、どんな時間でもメールがやってくる。
あんまり仕事熱心なんでこっちまで励まされる。一度なんか
「土曜や日曜に働くことなんて、自分にとってはなんともない」
なんてメールをもらったこともある。
フランスにおける日本年が1997年にあったことを話していて
「フランスにおけるセルビア年はもうあったのかい?」と聞くと
「いや、ここ数年はないだろうな」などと彼は言った。
「90年代の内戦時代にいやと言うほど悪いイメージがフランスに
できてしまったから、当分、フランスじゃそういう文化行事は
無理なんじゃない?」などと笑った。
世界は広いと本当に思う。九州から東京に出てきたときに、
あまりにも多くの、いろいろな日本の地方の人に出会って
日本は広いな、と思ったけどそれもまだまだだったと思う。
フランスに住んで、フランスはおろか、東欧の人々と会って、
少しでも彼らと話すと、なんだか外に出たような気になる。
少しでも井の中の蛙のような状態から開放された気持ちになる。
本当はもっといろんな国籍の人と知り合って、いろいろな
価値観に触れて、その前であえて自分がどんな人間なのか
示せるような人間にならないといけないんだろうな。
もちろんセルビア人である。ヴラディミールという名前。
セルビアというと全然イメージがなくて、東欧とか、ミロシェビッチとか
そういうことしか頭に浮かばないが、彼は普通の青年で
僕と同じぐらいの歳の、感じのいい兄ちゃんだった。
大学時代に友達になった、現在は東京の郊外で公共ホールの
運営をしている日本人の友達がいるらしく、僕が日本人だと知って
フレンドリーにいろいろ話をしてくれた。
彼に会ったのは久しぶりだったがメールのやり取りはこれまでもよく
していた。土曜でも日曜でも月曜の朝でも、本当にしょっちゅう
仕事をしているらしく、どんな時間でもメールがやってくる。
あんまり仕事熱心なんでこっちまで励まされる。一度なんか
「土曜や日曜に働くことなんて、自分にとってはなんともない」
なんてメールをもらったこともある。
フランスにおける日本年が1997年にあったことを話していて
「フランスにおけるセルビア年はもうあったのかい?」と聞くと
「いや、ここ数年はないだろうな」などと彼は言った。
「90年代の内戦時代にいやと言うほど悪いイメージがフランスに
できてしまったから、当分、フランスじゃそういう文化行事は
無理なんじゃない?」などと笑った。
世界は広いと本当に思う。九州から東京に出てきたときに、
あまりにも多くの、いろいろな日本の地方の人に出会って
日本は広いな、と思ったけどそれもまだまだだったと思う。
フランスに住んで、フランスはおろか、東欧の人々と会って、
少しでも彼らと話すと、なんだか外に出たような気になる。
少しでも井の中の蛙のような状態から開放された気持ちになる。
本当はもっといろんな国籍の人と知り合って、いろいろな
価値観に触れて、その前であえて自分がどんな人間なのか
示せるような人間にならないといけないんだろうな。