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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

セルビアから来た人

2007-09-23 05:59:36 | パリ右岸
仕事の関係でセルビアの会社に勤める人とあった。
もちろんセルビア人である。ヴラディミールという名前。
セルビアというと全然イメージがなくて、東欧とか、ミロシェビッチとか
そういうことしか頭に浮かばないが、彼は普通の青年で
僕と同じぐらいの歳の、感じのいい兄ちゃんだった。
大学時代に友達になった、現在は東京の郊外で公共ホールの
運営をしている日本人の友達がいるらしく、僕が日本人だと知って
フレンドリーにいろいろ話をしてくれた。

彼に会ったのは久しぶりだったがメールのやり取りはこれまでもよく
していた。土曜でも日曜でも月曜の朝でも、本当にしょっちゅう
仕事をしているらしく、どんな時間でもメールがやってくる。
あんまり仕事熱心なんでこっちまで励まされる。一度なんか
「土曜や日曜に働くことなんて、自分にとってはなんともない」
なんてメールをもらったこともある。

フランスにおける日本年が1997年にあったことを話していて
「フランスにおけるセルビア年はもうあったのかい?」と聞くと
「いや、ここ数年はないだろうな」などと彼は言った。
「90年代の内戦時代にいやと言うほど悪いイメージがフランスに
できてしまったから、当分、フランスじゃそういう文化行事は
無理なんじゃない?」などと笑った。

世界は広いと本当に思う。九州から東京に出てきたときに、
あまりにも多くの、いろいろな日本の地方の人に出会って
日本は広いな、と思ったけどそれもまだまだだったと思う。
フランスに住んで、フランスはおろか、東欧の人々と会って、
少しでも彼らと話すと、なんだか外に出たような気になる。
少しでも井の中の蛙のような状態から開放された気持ちになる。
本当はもっといろんな国籍の人と知り合って、いろいろな
価値観に触れて、その前であえて自分がどんな人間なのか
示せるような人間にならないといけないんだろうな。

レピュブリック界隈

2007-09-15 05:02:24 | パリ右岸
レピュブリック界隈に外勤に行く、同僚のバレリーと一緒に。
仕事相手にプレゼンしないといけなかったんだけど、
何せ相手はフランス人2人と日本人1名。フランス語で
バレリーがべらべらと説明する。こういう場で最初から最後まで
黙ってるとまた馬鹿だと思われるし、あとでバレリーに
「tu t'en dormais(寝てただろ!)」と言われるので、
とりあえず要所要所でフランス語でコメントする。
まあ相手の日本人は最初から最後までひとっことも喋らなかった
んだから、それに比べたらマシだろ、と思った。

が、僕の態度というか喋り方が気に入らなかったらしく、
面談後、建物の外でバレリーから怒られる。
「あんな内気な喋り方じゃ相手の注意なんか惹かないじゃないの!」
などときついことを言われる。そりゃあ、俺は外人だし、
彼女みたいに自由に、次から次へと自信たっぷりにフランス語
喋れないっつーの。
「これから、いろんな人と会うんだから、そんな自信のない
喋り方じゃ全然ダメなんだからね」などといろいろ言われる。

その後、レピュブリック広場まで舗道を歩きながら話す。
子供のころ彼女はこの界隈に住んでいたらしい。アラブ人も
フランス人も中国人もいろんな人種が交わって、コスモポリタンな
雰囲気の溢れるいい界隈だったらしい。確かに、こんな
ところで生まれ育ったら、バレリーみたいな自由な大人になるよな。
僕はたまにこうやって同僚と仕事以外の話もできたらいいのに、
なんて思う。どんな人間でどんなものを見て育ったのか。

どんなに自由に振舞ったって閉鎖的な人間は閉鎖的なんだと思う。
自己防衛的な、自分を守るために他人を遠ざけるような人間に
なりたくないと僕はいつも思っているのだけれど。


セーヌ川の明かり

2007-09-07 05:53:04 | パリ右岸
仕事帰りにふらふらとセーヌ川沿いを歩く。
それはそれでいい風景なんだが、頭の中は不満と
憤りと仕事のストレスで一杯。なんかパッとしない。
ふと川面に視線を落とすと、極彩色のネオン、
バトームーシュが通り過ぎていった。
ああ、こんなに自分はストレスで鬱鬱としているのに
観光客は優雅にセーヌ川を遊覧して食事とか
しているんだ・・・。などとちょっと自分が惨めに。

スペイン後遺症

2007-08-31 07:43:29 | パリ右岸
スペインから戻ってきてもう2週間が経とうとしているのに
なんだか頭の中に霞がかかっている、というか
スペインの果てしない荒野の風景がすぐ脳裏に浮かぶ、というか
要するに心をスペインに置いてきてしまったみたいなのだ。
次にスペイン行くのいつだろうか、なんてすぐ考えてしまう。
メドは全然たってないが。スペイン後遺症と呼んでもいいような
状態なんだ。ちなみにこういうのってフランス語でなんて
言うんだろうか?dépaysementとか?ちょっと違うか。

仕事の打ち合わせの前に来客があって、わけの分からない
話を聞かされ、そのあとまた雪崩のようにいろんな仕事が
入ってきて、そのうち同僚から馬鹿な質問を受けイライラし、
夕方から外勤して外で会議し、それがダラダラと続き
深夜帰宅。こんな非人間的な日なんてあるだろうか?
あ、なんか愚痴ってるみたいな文章だな。
しかも仕事の関係で原稿執筆引き受けたし。って大丈夫かよ。
締め切り守れるのか????

ヴィレット界隈

2007-08-09 06:50:37 | パリ右岸
仕事の関係でパリの北東部、郊外への入り口に広がる
広大な文化都市、ヴィレットに行く。
昔の場を再開発したこの公園の中には
巨大なコンサートホール、庭園、芝生のグラウンド、
科学博物館、音楽博物館、ダンスと音楽のコンセルバトワール
そして劇場、とありとあらゆる文化施設が備わっている。
よくこんなの作ったなあ、と思うぐらい広大なのだ。
国が文化予算に物を言わせて作ったとしか思えない。

日本からのお客を連れて行ったのだが、英語で話を
進めてくれるかと思いきや、何も話さないので結局
得意でもないフランス語で僕が通訳をする羽目に。
何度やっても僕は通訳というものに慣れない。
ちっとも上達しない。きっと向いてないのだと思う、性格的に。
勿論、今回のように必要に迫られたらやるけど、しぶしぶ。

17区界隈

2007-08-04 08:34:56 | パリ右岸
パリの17区に住む会社の先輩夫婦の家に招かれる。
テルヌ駅の近く、モダンなアパルトマンに住む
彼らのところまでメトロに乗っていく。
会社以外の場所で会社の同僚に会うのは、どんなに
その人が感じのいい人でも、仕事のことを思い出して
しまうのでできるだけ避けることにしているのだけれど、
それを差し引いても、まあ、いろいろ世話になっている
先輩なので今回、招待を受けた。って偉そうだが。

いろいろ気を使ってワインを注いだり、パスタを出したり、
魚をよそったり、肉料理を取り分けたりしてもらって
なんだか気持ちのいいソワレだった。

自分の性格をさして、同僚や先輩から
「内気で引っ込み思案な割りに、大胆で
傍若無人な行動を取る」などと分析される。他人には
そんな風に映っているのか。傍若無人か。
自覚はまったくないんだが。


セーヌ河岸あたり

2007-05-09 05:09:33 | パリ右岸
旅行についての憧れというか抱負というかなんか
そんなもんをダラダラと長く書いていたのだが
全部消えてしまった。本当、インターネットって潔いっす(涙)。
今日は天気もよく、セーヌ川岸をプラプラそぞろ歩きするには
もってこいの一日だった。風は強かったけど。
ということで一枚。

メトロの駅は

2007-04-15 07:51:37 | パリ右岸
天気がいいのでぶらぶらと街を散歩。
ふと立ち寄った地下鉄の駅で電車を待っていたら、
目の前の風景があまりにも現代アートのようだったので、
つい一枚とってしまった。白い壁とこの曲線。しばしうっとり。

前々日の夜、日本人の駐在員の小さな集まりに出た。
日本語で話したりしたのだが、スーツ集団にちょっと気後れした。
昨日の夜はアンテルミッタン(テアトルやフェスティバルで働く
技術臨時雇用職員)の集まるパーティーに出た。日本人の男は
自分だけで、最初から最後までフランス語三昧だった。
今週は働かない同僚を見ていて終始いらいらする一週間だった。
勤労意欲の減退というのは誰にでもあるが、それを恒常化させて
他人のうわさばかり一日中している人間というのはまったくクズだと思う。

せっかくパリに住んでいるのに

2007-04-11 07:07:31 | パリ右岸
スペインに出張で先月行ったとき、受入れ先のスタッフと話していて
僕が「服の買い物は通販か、事務所近くのGAPに行って適当に
そこらへんに並んでいるものを買う」などとのたまったら、
「せっかくパリに住んでいるのに勿体無い」と即答された。確かに。
パリて買い物、ショッピングが楽しい都会、っていうイメージもあるもんな。
実際そうなんだろうけど。

で、今日などあまりに仕事が立て込んで残業していたら、結局帰宅したのは
夜の11時だった。思わず「せっかくパリに住んでいるのに勿体無い」などと
自分で自分に言ってしまったぜ。オペラとかラシーヌとか
コメディー・フランセーズとかブレヒトとか見に行きたい!あとちょっと
インテレクチュアルな討論会とかにも行ってみたい!どれもできていないが。

今日は沖縄に住む姉貴の誕生日だったので、「誕生日おめでとう」の
電話を沖縄までかけた。ダラダラと話し込んで、ちょうど昨日から幼稚園に
通い始めたという姉貴の息子、つまり僕の甥の話になった。
初めての幼稚園で緊張のあまり口も聞けないほどだったらしい。乗りたい
ブランコも他人に譲って結局乗れないじまいだったとのこと。
ふと昔の記憶が。僕も幼稚園の頃、遠慮ばっかりしてブランコ乗れたためしが
なかったのだ。いつも他人に譲ってばかりで。あれってどうしてなんだろう。
ちなみにおかしなもので、いまだに遠慮しちゃって他人に譲る癖が治らない。
他人に譲っても自分には何かあるから大丈夫という自信の裏返しなんだろうか。
とてもそうは思えないが。気後れしているだけか、いい歳なのに。

友人付き合い

2007-04-06 07:02:42 | パリ右岸
種ともこの歌を聞いていたらブログという自己表現自体
「覗き趣味に呼応した露出狂」的な行為に他ならないと
書かれていた。まさにそうだと思う。でも、
今日も書き溜める自分だった。

外部から派遣社員として来て働いている若者でよく
自分のことを話すフランス人がいる。彼はみんなに対してそうオープンなのか
僕に対してだけそうオープンなのかよく分からないが、僕に今日も
べらべら話していった。僕はといえばフランスでも日本でも
他人にそう心を開かない困った人間だからなんともないんだけれど。

今日、そのフランス人の若者が自分の家のことなんかを僕にしゃべった
んでちょっと面食らった。というか秘密を打ち明けられるという行為に。
他人と積極的に関わろうと思わないからそういうの苦手なんだよね。

アンドレイ・タルコフスキーといえば

2007-03-01 08:36:03 | パリ右岸
タルコフスキーといえば
『惑星ソラリス』や『サクリファイス』で有名な大映画監督ではないか。
このたびパリの17区、彼が生前住んでいたというアパルトマンに
「タルコフスキーここに居住する」のプレートがかかるらしい。
とはパリの市報からの情報。詳しく言えば17区の
PUVIS DE CHAVANNES通り10番地。
写真でそのアパルトマンを見たが、アールヌーボーな感じの
ブルジョワなアパルトマンだった。タルコフスキーこんなところに
住んでいたんだ。ちなみに没年は1986年。そういえば
大学生のころ周りで騒いでいた人がいたなあ、巨匠タルコフスキーについて。

パリ市近代美術館

2007-02-26 06:36:20 | パリ右岸
パレ・ド・トーキョーに入っている長い間工事のため閉鎖されていた
パリ市近代美術館に行ってみた。
行って驚いたのが、常設展は無料。昔は有料だったのに、なかなか嬉しい。
で、フリーで建物の中に入場。階段を下りるとそこには
巨大なマティスの壁画、ピカソの小品、ボナールの庭の画、
ラウル・デュフュイの一見無造作に描いたかに見える、でも
計算されつくしたデッサンに裏打ちされた、人生の楽しみをそのまま
象徴するような絵画が並ぶ。90年代以降の現代アートの作品も
陳列している。全然いいと思わなかったが。

デュフュイの画を見て漫然と思った。これって昔見たことある!
大学生の頃、ノルマンディーに住んでいたときたまにパリに来ていた
のだが、そのときこの美術館を訪れたときに見た画が目の前にあった。
なんか昔の友達に会うみたいな感覚だった。
ちなみにデュフュイの画はオンフルールのブールデル美術館でも
たくさんみたんだよな。あの軽いタッチが昔から好きなんだよな。


パレ・ド・トーキョー

2007-02-09 05:53:44 | パリ右岸
ポンピドーセンターをパレ・ド・トーキョーに入居させるなんて
気狂い沙汰だ。誰にとっても、滅茶苦茶な考え。
まるでexpress紙をnouvel obs紙に挿入するみたいなものだ。

Installer le centre Pompidou au Palais de Tokyo est une folie.
Désastreux pour tout le monde.
C'est comme si on mettait l'Express au Nouvel Obs.

パレ・ド・トーキョーの前館長、ジェローム・サンス氏の言葉。
パレ・ド・トーキョーの左翼部分をポンピドーセンターに委託する
決定に関して。

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上のような言葉が週刊誌に載っていたのでちょっと翻訳してみた。
こうやって読むと大して面白くないな。
パレ・ド・トーキョーはミュージアムショップが結構充実していて
たまに絵葉書などを買いに行く。展覧会もたまに行くが、空間が
広すぎてちょっとスカスカ感が残る。
現代アート美術館の脇に、パリ市立現代美術館があるが、
左翼部分とはここのこと(のはず)。ラウル・デュフュイの
「電気の精」という巨大な絵画をずっと昔見に行ったことがあった。
大学生の頃だからもう15年ぐらい前だ。また行きたいなあ。