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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

沖縄います

2011-07-01 20:51:02 | 日本
昨日の夜、仕事が終わるとそのまま空港に直行し、那覇行きの
飛行機に乗り込み、夜9時30分に那覇空港到着。そして僕の
久しぶりの沖縄旅行が始まった。
久しぶりと言いつつ、3月に来たから3か月ぶりか。

着いてすぐにラフティー丼を食べたので、とりあえず
沖縄に対する食の欲求は果たせたかな、と満足。
で、今日は早朝に起きて、泊港から高速船に乗り、
渡嘉敷島へ行く。

渡嘉敷の海の色は、なんとも表現できないぐらいのブルーで、
何時間見ていても飽きない色。飽きない空、飽きない風景だ。

鹿児島の影

2011-01-17 16:16:16 | 日本
今日家に帰ると郵便受けに、先週僕が遅ればせながら出した寒中見舞いの
返事が来ていた。寒中見舞いと言うか、年賀状を書く余裕がなかったので
めぼしい人に年が明けてから寒中見舞いをパラパラと書いていたのだ。
その中に、小学校の頃の担任の先生からの返事もあった。

小学校六年五組の担任の先生だ。あの頃からもう30年も経っている。
僕の親よりちょっと若いくらいだから担任の先生ももう60代後半だろう。
僕は小学生の頃、父親の仕事の関係で枕崎という、薩摩半島の南端の、
ということは九州の南端ということになるが、ちっぽけな町の小学校に
通っていたのだが、その頃の担任の先生だ。先生は鹿児島市内の人で、
市内に家があるのだが。

葉書には枕崎に久しぶりに行ってみたら商店街も町もすっかり寂れていた、
というようなことが書かれていた。
枕崎もそうだけど、鹿児島に行ってまた先生に会いたいなあ。
会うとしたら25年ぶりになるが(高校の頃一度会った)
九州新幹線が開通したら行ってみようかな、大阪から。

let me know about you 7

2010-12-08 14:14:40 | 日本


そしてゆるやかで長い、沖縄の歴史を見たあと、
那覇の北部の浦添市に住む知人に会いに行く。
空は写真のような高くて、青く澄んでいる。
ちょうど人生のターニングポイントに来ているような気がして、
その話を知人に聞いてもらおうとしたのだ。
今となっては、ターニングポイントでもなんでもなかったんだが。
しかし、今回の旅でいろんな話を聞いたり、いろんな
景色を見たり、いろんな展示を見ているうちに、他人のことを
もっと知りたくなった。他者をもっと知りたくなった。
そして自分のこともだ。

let me know about you 6

2010-12-07 15:39:04 | 日本

夜は那覇に戻ってきて、前回も行ってもう馴染みになってしまた
ホテル近くの24時間営業の定食屋へ。今回はゴーヤチャンプルが切れていて
ラフティー丼を食べる。無茶苦茶おいしい。沖縄の人たちはこんなおいしいものを
食べているのか? しかし表面にかけられたマヨネーズがちょっとメタボな感じ。

翌日は朝から新都心にある県立博物館に行き、常設展で沖縄の歴史に
関する展示を鑑賞。僕の故郷も含まれる鹿児島の離島から
黒潮をつたってさまざまな文化が沖縄に流れていったこと、逆に
中国から来た文化が沖縄を通って九州にたどり着いたこと、など
つぶさに分かるような内容になっている。

そして沖縄の近代。琉球処分で沖縄県として日本に組み込まれたあとの歴史。
教育の日本語化、日本化。方言を話さないための「方言札」の展示。
中央政府から送り込まれた他県人で占められた県庁の役人。
戦争で破壊される前に県の南部と中部を走っていた「ケイビン」という鉄道路線。
日本の近代に清との間で争われた国境、沖縄分割論の絵図、そして日清戦争の
勝利で一気にこの地域が日本になったこと、
朝鮮戦争の頃の基地の町・コザの繁栄、ネオン、本土復帰の日。
右側通行が左側通行になった日、ドル流通が円に変わった日。
いろいろな写真とパネルと模型とオブジェが並ぶ。どれだけ知っても
すべて知りえることはない沖縄の歴史。
最後のほうで、心の中に湧き上がってきた言葉。もっと沖縄について教えてください。

let me know about you 5

2010-12-06 13:37:38 | 日本

そのあと沖縄の知人が車でうるま市の近く
勝連城跡につれってってくれた。沖縄にはあちこちに
御嶽(うたき)という神聖な場所があるのだが、この城の近くにも
案内板によると複数個所にうたきが残っていて、
城跡の中心部にも、石の並べられたうたきの跡が見て取れた。
そういえば、前回沖縄に来たときに見た、巨大なアカギの林の一角にも
うたきがあったっけ。

近くの小高い丘から見下ろした太平洋。

let me know about you 4

2010-12-01 13:14:22 | 日本


その日はそのままバスを乗り継いで、沖縄本島を北上する。
中部にあるユネスコの世界遺産にも指定されている、「座喜味城跡」を訪ねるため。

お城の周りには琉球松の林が広がっている。
ぽっかりと入り口だけ開いた、石塁に囲まれた城跡。
吸い込まれそうな空。思わず、もっと知りたい気持ちになる。
沖縄のことを。現在も過去も。

let me know about you 3

2010-11-30 15:16:34 | 日本
翌朝は快晴で、那覇の街をぶらぶら歩き始める。
11月末とはいえ、大阪とは季節が1ヶ月ぐらい違っていて
ちょっとでも日が差すと、半袖でもいいくらいだ。

相変わらず色の濃い植物の葉を眺めながら、ふと
よく分からないのだがデレク・ジャーマンの庭のことを思い出した。
デレクジャーマンの庭は今は、YOUTUBEで見ることができる。
ちょうど僕が大学生ぐらいの頃、デレク・ジャーマンの
アンダーグラウンドで、しかしスタイリッシュな映像の芸術は憧れだった。
今の生活では、周りの人の中に、たとえば「いい人間」と「悪い人間」を
簡単に分けたり、もしくは挫折しないで生きることが一番すばらしい、とか
そんな考えを持っている人が結構いるのだが、そんな人にデレクジャーマンの
映画を見せたらどんな反応をするんだろうか、などと思ってしまう。

まあ、そんなことは余談として、那覇港近くの船着場に向かって歩いていく。
ひっそりと閉まっている呑み屋やキャバレー街、
そして1500円ぐらいで素泊まりできるホテルなどが並んでいる。
あとで聞くと、格安素泊まりホテルはみんなで雑魚寝して寝るんだとか。
たぶん、10年前だったら僕もできたかもしれないが、今じゃ無理だろうな、雑魚寝は。

let me know about you 2

2010-11-29 12:41:52 | 日本
いつか仲のいい友達に問い詰められたことがある。
「君は他人を知ろうと努力しないのか」「君は、他人に
自分のことを分かってもらうために努力しないのか」
気が遠くなるような、絶対的な、他者に対する無関心。

そんなことを思い出しながら、ホテルを抜け出して那覇の夜を散歩する。
街は週末の夜と言うのに、そんなに人がいない。後から聞いた話だと、
知事選を控えて、選挙活動や後援会の事務所に詰めたりとかで
この週末は呑みどころではなかったらしい。

国際通りを横切る。ぬるい、でも少し肌寒い風が吹いている。
そのまま桜坂方面へ向かい、細い住宅街の路地を抜けてひめゆり通りへ。
そこからモノレールの安里駅に数分歩くとそこには栄町市場のある一角が
佇んでいる。

戦後復興の中で発展した市場を中心とした街は、今では
那覇のほかの地域の発展に取り残されたようにひっそりしている。
市場の南側はいわゆる連れ込み宿街になっていて、どちらかというと
年齢の高めの女性が飲み屋兼宿の店舗の前に座っている。
うつろに空を見上げている人もいれば、通行人に積極的に声をかける人も。

ガイドブックに書いてあった通り、昼間と夜ではまったく違う表情を見せる一角。


let me know about you 1

2010-11-28 14:17:59 | 日本
なんか知らないうちに、週末、また那覇に来てしまった。
前回那覇に来てからまだ1ヶ月ちょっとしか経ってないのだが。
ネットで往復の航空券とホテルを予約して、金曜の仕事帰りに空港へ行く。
2時間ほどの闇を我慢したら、もう沖縄に到着する。

今回は前回時間がなくて見れなかったものを見るのと、
人に会うことが目的だ。そんなことはさておいて、
僕はもう来週、誕生日を迎えて一つ歳をとってしまうんだが、
「こんなんでいいんですか?人生」みたいな問いを自分に投げかけてしまう
昨今。何も考えずに、フラフラ生きていた若い頃が懐かしい。

そういったことも含めて、足が沖縄に向かったのだ。
沖縄知事選直前で、街には候補者ポスターがあちこち貼られている。
金曜には社民党代表の応援演説もあったようだ。
いろんな意味で動きつつある沖縄の真ん中に。

沖縄行き7

2010-10-26 16:21:07 | 日本
首里では樹齢300年のアカギの木が数本生えている一帯を訪ね、
ただならぬ霊気にむせ返った僕だったが、なんやかんやいって
大阪に帰る時間になってしまった。
ノロノロと空港行きのモノレールに乗る。

一瞬、このまま那覇に残って、沖縄で暮らす人生を想像した。
モノレールのエスカレーターをぼーっと上がっていくとき。
海の近くで、湿った空気の中で、おじいやおばあや、
親戚や友達に囲まれて、酒でも飲みながら、ゆったり人生を送るのだ。
そんなことができればどんなに幸せなんだろうか、などと
不覚にも妄想してしまった。

といいつつ、足はモノレールに乗り、勝手に空港に向かう。
空港でシーサーの置物と、ハイビスカスの苗木とブーゲンビリアの苗木を買う。
大阪に行っても沖縄を思い出せるように。

沖縄行き6

2010-10-23 16:42:15 | 日本

沖縄のいいところは、生命力の強そうな樹木が街を歩いていても
あちこちに生えて、自己主張して、人間を見守っているところだ。
九州の街中の街路樹や、山の緑なんかもかなり色が濃いが、
沖縄は輪をかけて色彩が濃い。強い日差しとあいまって、色調の
コントラストがすごい。

モノレールの車内や、街中の書店で、沖縄風のすらっとやせた、
黒い長い髪の美少女がやたら多いことに気がつく。こっちの人は
やっぱ可愛いなあ、とちょっと中年ぽく感心。

沖縄行き5

2010-10-22 14:51:31 | 日本
翌日は、ずっと前から行きたかった首里城へモノレールに乗ってでかける。
同じ町にもかかわらず(というか昔は別の町だったらしいが)、首里は
那覇の中心部からかなり遠い。しかも、なんか落ち着いた住宅地が
広がっていて那覇と全然違うのだ。

首里城に入って沖縄の歴史年表などをしげしげと眺める。
日本本土とまったくパラレルに、別の歴史を生きてきたことが分かる。
そして薩摩藩が江戸時代に琉球に侵入し、それ以来江戸幕府にも
琉球王国がある種の義務を負ったこと、
19世紀にとうとうまた薩摩が攻め込み
琉球王朝に開城を迫り、最終的に琉球藩になった琉球処分のこと、
そして太平洋戦争にかかわる現代史が細かく説明されていた。

僕は親も自分も鹿児島の離島出身で、鹿児島の小学校にも行っていたのだが
琉球との歴史を誰かが話していたり、もしくは学校の社会の時間に
学んだ経験は一度もない。鹿児島県の一部である奄美や徳之島のような
奄美諸島の歴史についても触れたことは一度もない。
そんなふうなのに沖縄ではそんな風に、直接的に薩摩との軋轢が
記されて、歴史認識としてたしかに残っていることに軽いショックを覚えた。

鹿児島には離島がたくさんあるが、僕の生まれた種子島は
士族がいたぐらいだから、日本の歴史の中に組み込まれているという
意識が島民にはあるような気がする。屋久島もトカラ列島もしかり。
奄美、徳之島、与論島は鹿児島県の離島ということで鹿児島の教育を受けるが、
言語的にも琉球文化の影響が強い。鹿児島と沖縄の中継点のような感じだ。
ちなみに甑島という離島もあるが、あそこは完全に本土かも。
でも種子島の親戚や近所の人が奄美や沖縄に引っ越したり、就職したり
する話を昔聞いて、一体どんな場所なんだろう、とずっと思っていた。
首里の丘の上から町を見下ろす。

沖縄行き4

2010-10-20 16:33:22 | 日本
コザから戻ってくるともう夕方になっていた。時間があれば南部に
行こうと思っていたのだがもう時間的な余裕もない。
仕方ないので久茂地界隈をブラブラ歩いて、ホテルに戻る。
仮眠を取った後、夜の那覇を散歩。
国際通りは昼も夜も人であふれている。市場通り、平和通り、
アーケードの中に人はどんどん引き込まれていく。

僕はモノレールの駅の方向へ歩いていき、24時間営業の
地元の食堂に入ってゴーヤチャンプルーを食べる。
オリオンビールの生がうまい!
ゴーヤも本土で食べるのと味が違う!ゴーヤも豆腐もしなっとおいしく
炒められていて味付けも濃くない!
ちょっと酔っ払いながら、外の舗道を歩く人を見ながら
ぼんやりビールを飲む那覇の夜だった。

沖縄行き3

2010-10-19 14:59:49 | 日本
午後からバスに乗って本島の中部に向かう。ずっと行ってみたかったコザの街を
歩く目的で。去年、沖縄に関する展覧会を見に行って、突然
コザ暴動のことを思い出した。ずっと忘れていたのだ。そのあと、「太陽の子」
をもう一度読み直してみたりした。それから、学生の頃見た「オキナワの少年」
の映画のシーンを久しぶりに思いし出してみた。ただいろんなものを読んだり
見たりしても、やはり自分がその場所に行ってみないことには何も分からないのだ、
そういう気がしていた。
今年の憲法記念日に東京で聞きに行った集会でも、「問題が起きないと
何もしない本土の人間」のことが言われていた。そんないろいろなことを考えながら
バスに乗って那覇からコザまで移動する。

昭和60年代に作られた中央パークアベニュー。
街づくりの成功例としてよく言われるが、行ってみると人気もなく閑散としていた。
最近は北谷にできた大型ショッピングセンターに人は流れているよう。

遠くの丘から見たコザの町。コザは昔は一寒村に過ぎなかった。それが
米軍基地ができて豹変し何もかもが変わってしまった。
一番上の写真にある米軍ゲートにつながるゲート通りも人影はまばら。オキナワ第二の都市とは
思えないほど、静まり返っている・・・。

2時間ぐらい町を歩いて、それだけで何が分かるのかといわれればそれまでだが
コザ暴動の起こった場所周辺をぐるぐる廻り、またバスに乗る。
コザ(というか沖縄市)、宜野湾市、浦添市と通りまた那覇の中心街にバスは戻ってくる。
バスの車窓からは米軍基地ばかり。基地の真ん中を通るコースもある。これではまるで
町の中に基地があるんじゃなくて、基地の中に都市があるようだ。
沖縄の面積の10%を占める米軍基地、と言ってもピントこないがこの景色を見るとそれが
実感される。しかも、島の北部の基地とこんな市街地に隣り合わせになっている基地は
まるで位置づけが違う。

沖縄行き2

2010-10-19 14:39:47 | 日本


翌朝は朝から青空が覗いているのが、ホテルの窓から見えた。
じっとしていられず、そのまま着替えて街へ。
目抜き通りの国際通りを突っ切って、市場通りのアーケードを
いろいろな店を冷やかしながら歩いていく。

こんなにゴッチャにいろいろ売っているのに、
あまり猥雑な感じがしない。それに客引きの人々も
観光地にありがちな、観光客に何でもいいから売りつけてやろう、
みたいなオーラが漂っていない。と、僕が感じただけなのかもしれないが。

アーケードは程なく終わって、壷屋どおりブラブラ歩いていく。
高層ビルも空に迫ってこなく、時間も人ものんびりしていて
散歩していて心地よい感じだ。