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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

イビサ島その2

2008-05-23 15:01:24 | スペイン
ということで何とか40になるまでにヒッピーの聖地、
イビサ島に行こうと思っていたのだが、なかなか決心がつかない。
特に今月はブリュッセルにも行かないといけないし、
最後の週にはアビニョンにも行かなければ、などと考えている
うちに時間だけ経ってしまった。で、ある時点で腹をくくって、
どんなに忙しくても、どんなスケジュールでもイビサが
自分を呼んでいるんだから、行かなければ、などと勝手な思い込みで
lastminutes.comで強引に予約。
2泊3日で250ユーロ(ホテル込み)。誰も自分を止められない。
(止めないか、誰も)

出発前日、lastminutesのお客さまサービスから電話。
宿泊予定だったホテルが泊まれなくなったので新しいホテルに
変更するが、いいか?との趣旨。メールで新しいホテルのリンク
を送ってくれる。写真だけみてもよく分からないが、とりあえず
他に選択肢はないようなのでOKする。でも泊まれないって、
どういうことだ?火事でもあったのか?

出発日。12H40発バルセロナ行きの飛行機に乗るため、
自宅を9時に出る。空港チケットカウンターで
「バルセロナまでのチケットは出せるが、バルセロナから
イビサまでのチケットはバルセロナでもう一度発券して
もらってください」
「え、通しじゃチケットもらえないの?」
「二つの航空会社が連携してないので、別々に発券しないと
いけないのです。その代わり荷物はイビサまで通しで登録します」
確かにバルセロナでの乗り換え時間が2時間ほどあるので
その間にゲートを出てチェックインしなおす、ってことか。

面倒くさいな、と思っているうちにカウンターで乗務員が
チケットを発券してくれる。搭乗券を渡しながら、怪訝な顔で、
「機体の関係で出発は1時間遅れになります。
13時40分発です」


イビサ島探訪記

2008-05-22 08:11:57 | スペイン
週末にイビサに行ってきた。昔から行きたい、行きたい
と思っていて念願の旅行だった。
実は、大学生の頃読んだ旅行雑誌にイビサ特集が載っていて
それこそ「再生の島、イビサ」とかそういう宣伝文句が
踊っていたのだ。で、ついつい頭の中でイメージができ
あがっていた。バカンス、馬鹿騒ぎ、青い海、とか。

そのうち90年代は流れ、イビサの泡ディスコとか
巨大ナイトクラブとか、カフェ・デル・マールとかの音楽が
注目されるようになり、ヒッピーの島、イビサはいつの間にか
ジェットセットとナイトクラビングのメッカになってしまった。

それでもイビサに行く夢は捨てられず、ある日、29歳のとき
一念発起したのだ。「二十代最後のこの夏、イビサに行って
思いっきりはじけてやる!」と。
で、イビサで思い切りはじけるために、僕は某私立大学の
社会人向けスペイン語講座に毎週二回の授業に通い始めた。
これもすべてイビサにいくため。

満を持して29歳の夏、KLMでスペインに旅立った僕だったが
最終的にイビサ島にたどり着かなかった、という顛末。
実は乗り換えのアムステルダムの空港で、自分のクレジットカードが
使えないことが発覚。なんと期限の切れたカードを持ってきていたのだ。
それ以外の現金の所持金、2万円・・・。これでマドリッドまで行って
電車乗りついてバレンシアまで行って、そっからフェリーでイビサに
行くのかよ!いや、行けない。

そもそもカードのことに気がついたのも、アムスの空港で
クレジットカードを使って日本の友達に公衆電話で国際電話
かけようとしたとき。何度カードを入れても電話が反応しない。
よくカードを見てみると、げ、使用期限切れじゃん、このカード。
と初めて気がついたのだ。気づくの遅いって、自分。

結局、それでもとりあえずマドリッドまで飛行機で行き、そこから
日本の家族に電話、マドリッドの日系銀行に現金を送ってもらうように
頼んだのだが、現金が届くまで3日ぐらいかかり、そのせいですべての
旅行のプランがつぶれ、結局イビサに行く時間がなくなってしまったのだ。
仕方なく新幹線でセビリヤに観光に行く。前にすでに行ったことある
街なのに。とほほ。

と、イビサには悪夢のような思い出しかなかったので、今回は
ちゃんとカードの使用期限もチェックし、インターネットで
航空券もホテルもすべて予約して空港に向かった。今度は
30代最後の夏だもんな、ここでイビサ行かなかったら一生悔いが
残るぜ。と、10年ぶりのリベンジだったのだ。


火祭りのバレンシア(7)

2008-03-29 08:54:58 | スペイン
海岸を背に市内中心部に向かっててくてく歩いていく。
通りには陽光が散乱しているけれど、すれ違う人もまばら。
まるで今日の夜の火祭りのために体力を温存すべく
みんな家で休んでいるようだ。

30分ほど歩いてようやく市街地の南の端、
ウルトラモダンな建築で有名な科学都市につく。
今まで雑誌やガイドで見たことはあったが、初めて
実物を見る。これは巨大なプラネタリウムらしい。


火祭りのバレンシア(6)

2008-03-27 15:41:40 | スペイン
翌朝、気持ちよい目覚め。やはりスペインにいる、
休暇中、ということだけでいろいろ心が躍ってしまうのだ。
ベッドから起きだすのも全然苦じゃないし。

旧市街に歩いていき、カテドラルやロンハと呼ばれる
ゴシック・フランボワイヤンの建築様式が残る交易所跡を
見学。中央市場にも行くが閉まっていた。とほほ。

ひとしきり歩き回ったところで、することもなくなったので
地下鉄に乗って一番近い海岸へ。バレンシアは地下鉄で海に行ける
なんか博多のような街なのだ。しかも福岡と違って人工海浜じゃなく
ほんとの海岸だし。

この海岸、この空、この水平線。すばらしいの一言につきるな。

火祭りのバレンシア(5)

2008-03-26 07:06:44 | スペイン
昼寝が終わって、ノロノロと起き出しホテルの部屋の
時計を見るともう夜の10時。ポロシャツに着替え
夜のバレンシアの街へ歩いていく。

旧市街の広場に来ると、周りが騒がしいことに気がつく。
通りには伝統的な衣装を着た男女がブラスバンドの
音にあわせて街道を練り歩いている。
火祭りの行進だ。行進とブラスバンドの大音響と
それを一目見ようと集まってくる人々でバレンシアの街は
大変な大騒ぎになっている。

火祭りのバレンシア(4)

2008-03-24 18:46:13 | スペイン
ひとしきり旧市街を探検した後、街のもっと北、
lastminutes.comで予約していたホテルへと移動する。
バレンシアの街は一歩旧市街を出ただけで、
広いアベニューと、近代的な高層ビルの立ち並ぶ
まったく違う顔を見せる。大型のホテル、オフィスビル、
ショッピングセンターなどが軒を連ね、まるでここが
バレンシアじゃなくて、どっかカリフォルニアの
郊外の町でもいいような錯覚を受ける。
(カリフォルニア行ったことないが・・・)

ホテルは歩いて30分ほど行ったところにある高層ビルだった。
と・・・遠い。地図をよく見ると地下鉄の駅で2つも先立った。
しかもこの街は駅間距離が長いのだ・・・。
HOLA DOS NOCHES POR FAVOR
など片言のスペイン語をフロントでしゃべる。
その後すぐ言われたことが分からなくなったので英語に戻る。
情けねえ!

火祭りのバレンシア(3)

2008-03-23 17:23:12 | スペイン
市役所前広場からゆっくり街を北上。
近代的なビルは消え、だんだん古ぼけた
旧市街に入ってくる。狭い路地、地中海らしい
黄色やオレンジ色の建築、優美な模様のバルコニー。
旧市街の中心部、大聖堂の前に来る。

巨大な聖母マリア像の周りは献花で埋め尽くされている。

火祭りのバレンシア(2)

2008-03-22 07:22:16 | スペイン
バレンシアの地下鉄は結構発達していて5つの
路線が街をくまなく網羅している。
車内の駅名表示はカタロニア語のみ。なんか読みにくい。
たとえば空港がスペイン語なら、aeropuertoがaeroportとなるのだ。
微妙にスペイン語と違っている。

地下鉄コロン駅を降りて市役所前広場へ向かう。
ツーリストインフォメーションで市内地図をもらうのが目当て。
途中、たまたまあの有名な張りぼて(las fallas)に出くわす。
こういう張りぼてが市内あちこちに展示され、明日の夜
いっせいに火に焼かれてしまうのだ。


火祭りのバレンシア(1)

2008-03-21 07:07:54 | スペイン
ストラスブールからパリに戻って2日後、
無理やり有給休暇をとってバレンシアへ旅立つ。
慌しいことこのうえない。というか自分のせいだが。
スペインの3大祭りの一つ、バレンシアに
春を告げる火祭り、las fallasのフィナーレを見るため。
フィナーレは3月19日の深夜。

実はこのフィエスタの話を20年近く前、
大学生の頃、そこに行ったと言う友人の話を聞いてから
行きたくてたまらなかったのだ。でも、なんとなく
時間だけが過ぎて今日が来てしまった。
もうすぐ40歳になってしまうし、仕事は山積みだけど
これは行ってみないといかんばい、今年こそ!などと
自分に言い聞かせかなり無理なスケジュールでバレンシアに
行ったってわけさ。

パリのシャルル・ド・ゴール空港から直行で2時間、
うとうと居眠りしている間に飛行機はバレンシア国際空港に
着いていた。空の青さがまぶしい!同じ欧州なのに気温が
全然違う。気温は午後5時で20度。温暖このうえない。
ああ、念願のバレンシアに来たんだ。
写真は中心部に近い、ノルド駅。駅の隣に闘牛場がある。

スペイン旅行準備

2008-03-02 16:40:04 | スペイン
なんか昨日のブログを読み返してみると、
「弱音や愚痴を吐くのは自分のスタイルじゃないね」
とかと偉そうなことを言いつつ、文書の最後は
弱音になっているところが情けない(笑)。
まあいいや、自分らしくて。

今月スペインに旅行しようと思って、ガイドブックを
読み漁る。地球の歩き方(スペイン編)、ミシュランGuide vert、
アシェットのguides voirシリーズのスペイン。
アシェットのガイドは絵と写真が満載で個人的には
ガイドブックの芸術品だと思っている。スペインのカテドラルの
内部構造や、旧市街の散歩のコースまで町並みと一緒に
描写されていて、読んでるだけで行った気分になれる逸品。
あと各地方の名物料理が写真付で出てるしね。

ホテルとエアチケットはインターネットで予約したんで
あとは心構えを作っとくだけだ。あ、こういうのetat d'esprit
と言うんだろうな。一緒に仕事をしたフランス人が
何かプロジェクトを立ち上げるときには実際面に移る前に
関係者間のetat d'espritを作っとくことが大事だと言っていた。
確かにそうだと思う。押し付けられたり、どうなるか分からず
闇雲に仕事させられるより、みんなのやる気が高まったうえで
仕事に着手するほうがスムーズに行くもんな。
と頭では考えつつ、よく一人だけ空回りすることが多い自分。


バルセロナの人

2007-09-20 06:32:38 | スペイン
今日仕事の関係でバルセロナの会社に電話をかけた。
電話の相手は、これまでメールのやり取りはあったけれど
話すのは初めてのフランス人の女性。

すごい若い女性かと思っていたのだけれど、電話口の
声はかなり低く、40代の女性という感じ。
だけどやっぱり話した感じは、メールの口調と同じく
どこまでもサンパティックな人なのだった。

彼女はもともとベルサイユの近くで育った、大学もパリの
フランス人なんだけれど、スペイン人の建築家のアシスタント
をしたせいで、8年ぐらい前からバルセロナに移住しているらしい。
気候も人間も、「言うことなし」とのこと。元フランシリアンの
彼女が言っているぐらいだから、バルセロナってホントに
気持ちのいい場所なんだろうな。

ジョルディ・サバールというカタロニア人の音楽家の
ことでちょっと話したんだけど、彼、バルセロナじゃ
大スターらしい。まあ僕が知らなさ過ぎるだけなんだけど。
CDしか聞いたことないですが、サバールは大好きな
音楽家だ。中世の楽器を再現して演奏するんだよね。
奥さんも有名な声楽家らしい。

行ってみないと分からないスペイン(7)

2007-08-28 06:36:54 | スペイン
あまりに空が青いせいからか、サラマンカに来て
何かあるたびに、いや何もなくても、ついつい
青い空を見上げてしまう癖がついてしまった。
高い、一点の曇りもない空を。

さっきの大聖堂の脇をすり抜けて、ヨーロッパで
三番目に古いというサラマンカ大学の正門前。
中世の学生たちも勉強していたそのままの
講堂や壁、談笑していたであろうオアシスのような中庭、
ざらざらになったレリーフも残る階段など
大学の中を見学する。知力は権力であり、
一部の限られた人間にしか教養は手に入れることが
できなかった歴史を実感する。
そんな時代に比べると、確かに大学は大衆化したが、
意欲さえあれば教養をつけられる現代のほうが
僕は好きだと思う。

行ってみないと分からないスペイン(6)

2007-08-27 04:24:17 | スペイン
翌日は特に急ぐわけでもなくノロノロと起きて
11時過ぎにホテルを後にする。今日はどうやって
サラマンカを観光しようか。

大聖堂のある街区をぶらぶら歩いているとき
ふと目にした光景にシャッターを切る。
なんのことはない風景なんだけど、スペインの
光と影を端的に表す風景だと思った。
日差しはどこまでも強く、くっきりとして
乾いた風が吹いて。

行ってみないと分からないスペイン(4)

2007-08-23 06:16:17 | スペイン
通りに出て、大聖堂と反対側の方向へ歩いていくと
街のヘソ、マイヨール広場に行き着く。
行くべきにして行き着いたような場所にある広場だ。
サラマンカの街は、目抜き通りだけでなく、
全方向からあらゆる通りが
この広場に行き着くような構造になっている。

スペインにある広場の中でもっとも美しいと言われる
マイヨール広場。通りを取り囲む優雅な建物は
レストランやバール、ホテル。そして広場に張り出した
テラスでは観光客も地元の人もビールを傾ける。
フェリペ5世により18世紀に建立されたこの広場は
王位継承戦争の勝利の記念に作ったらしい。