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く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<BOOK> 『日本国憲法の初心 山本有三の「竹」を読む』

2014年02月12日 | BOOK

【鈴木琢磨編著、七つ森書館発行】

 著者は毎日新聞編集委員。昨年2月、東京の古本屋で『竹』と題した薄っぺらな本が偶然目に入った。著者は山本有三、奥付には発行1948年3月20日、価格65円とあった。ページをめくると「戦争放棄と日本」をはじめ「ロハス大統領と神保中佐」「政治と文化」など7編の時評や随筆。『路傍の石』の作家と憲法はなぜ結びついたのか? 本書は著者のこんな疑問から生まれた。

    

 戦前、売れっ子作家だった山本有三は戦後、政治家として表舞台に立つ。GHQ(連合国軍総司令部)は占領当初、日本語のローマ字化を画策した。これに対し山本は「日本語の問題はわれわれ日本人が解決するから口出しはしないでくれ」と拒否。ただ以前から日本語を平易なものにすべきと考えていた山本は新憲法の口語化を政府に進言した。実際、憲法の前文と第1条、第9条は山本自身が口語体の試案を作成し、政府はこれらを参考に口語体の憲法改正案を作り上げた。

 山本は1946年5月、貴族院議員に勅選されている。時評「戦争放棄と日本」は新憲法が公布されたその年11月3日の翌日、朝日新聞に掲載された。第9条について山本はこう記す。「裸より強いものはない。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさぐられる。それよりは、役にも立たない武器なぞは捨ててしまって、まる腰になるほうが、ずっと自由ではないか。そこにこそ、本当に日本の生きる道があるのだと信ずる」。平和憲法への熱い思いと誇りがこもる。

 「ロハス大統領と神保中佐」は1946年の「新潮」8月号に掲載された。神保信彦中佐は陸軍に所属していた山本の親友で、フィリピンでの戦闘中、日本軍の捕虜になったロハス将軍に司令部から銃殺命令が下った。だが将軍の人格と見識に敬意を抱く神保は銃殺を装ってかくまう。その後、中国に転属となった神保は終戦で戦犯として捕らわれの身になった。一方、ロハスは戦後、フィリピン大統領に。ロハスは命の恩人神保の抑留を知るや、蒋介石宛てに助命嘆願書を送った。神保はそのおかげで無罪の判決を受け無事帰国した――。

 「ロハス氏があらたにフィリッピンの大統領に選ばれたというニュースぐらい、近ごろ、私を喜ばせたものはない」と始まるこの一文を、山本はこう結んでいる。「日本軍の残忍な行動は、あまねく世界に伝えられている。しかし、このロハス氏の場あいを思うとき、軍部の中にも、心ある者が全くいなかったわけではない。軍に非人道的な行為のあったことは、謝罪すべきことばもないが、この一事だけは、フィリッピンの人びとに対しても、世界の人びとに対しても、改めて日本を見なおしてもらうよすがになると思う」。

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