【衣替えオープン、建物は国の登録有形文化財】
奈良県生駒市に「生駒ふるさとミュージアム」が誕生した。建物は1932年(昭和8年)に生駒町役場の庁舎として建設され、その後、中央公民館に転用されていた。2010年には国の登録有形文化財に指定されている。その内部を改修し郷土資料館として再出発した。
館内は展示室をはじめ郷土情報室、資料閲覧室、企画展示室、研修室、古代の土笛や勾玉を製作できる作業体験室などがある。展示室(上の写真)には遺跡・古墳から出土した土器や埴輪、古文書、民具などを展示。現在展示中のものでは「傘形連判状」「伊勢おかげぬけ参り帳」などの古文書が目を引いた。
「傘形連判状」(下の写真)は明治維新の最中の1868年(慶応4年)に起きた「矢野騒動」と呼ばれる一揆のときのもの。陣屋役人が年貢の負担増を強いたため、11の村人が連判状を持って長州藩の大坂屋敷に、長州藩支配下の百姓になることを嘆願。その後、長州藩の一隊は陣屋を取り囲んだ村人が見守る中、役人たちの身柄を拘束したという。一揆に参加した11の村のうち7つの村の連判状がこれまでに見つかっている。連判状が傘形なのは「皆平等」を示すとともに「首謀者を隠す狙い」もあったそうだ。
「伊勢おかげぬけ参り帳」は約180年前の1830年のときのもの。ピーク時には1日3万余りの人が清滝街道と交差する小瀬道筋を通ったと書き記されている。江戸時代には60年周期で「お蔭参り(抜け参り)」といわれる伊勢神宮への集団参詣が行われた。1830年はちょうど「文政のお陰参り」の年に当たる。この古文書からも往時のお伊勢参りの盛り上がりぶりが伝わってくる。
企画展示室では生駒との縁が深い奈良時代の僧行基(668~749年)を取り上げて、国指定史跡「行基の墓」がある竹林寺の軒丸瓦(江戸時代)や「行基菩薩念仏講中掛銭覚帳」(1817~99年ごろ)、「行基菩行状絵伝」(パネル)などを展示中。行基は平城京の菅原寺で生涯を閉じるが、遺言で「生馬(いこま)山の東陵」で火葬にされた。葬られたのは生駒山の東麓にあった生馬院。その立地場所が現在の竹林寺にほぼ一致するといわれている。