【樹皮は紙幣や証券類など高級和紙の原料に】
初春、葉に先立って多数の黄色い筒状の小花が数十個集まって、うつむき加減に花をつける。ミツマタの名は枝が3つに分かれて伸びることによる。漢字では「三椏」のほか「三叉」や「三股」が当てられることも。中国中南部~ヒマラヤ地方の原産で、中国では「黄瑞香」や「結香」と呼ばれる。
コウゾ(楮)、ガンピ(雁皮)と並ぶ和紙の3大原料の1つ。樹皮の靭皮(じんぴ)繊維が丈夫で光沢に富み、ミツマタで作った和紙はしわになりにくい、虫がつきにくい、透かしを入れやすいという特徴を持つ。このため1万円札や証券類、地図、箔合紙など上質和紙原料として、古くから駿河や中四国地方などで栽培されてきた。ただ近年は中国やネパールなど外国産に押され、国内の栽培面積は減少の一途を辿っている。
万葉集に「春さればまづ三枝(さきくさ)の幸(さき)くあらば 後にも逢はむな恋ひそ吾妹(わぎも)」(柿本人麻呂)。この「三枝」がミツマタではないかといわれるが、他にササユリやジンチョウゲ、フクジュソウ、ヒノキなど諸説ある。仮にこれがミツマタなら奈良時代初めには渡来していたことになるのだが……。磯野直秀氏の「明治前園芸植物渡来年表」では慶長19年(1614年)になっており、遅くとも江戸時代初めまでには渡来していたようだ。
ミツマタを使った駿河半紙は天明年間(1781~89年)に量産されるようになった。静岡県富士宮市の白糸の滝のそばには「三椏栽培記念碑」が立つ。富士地区の製糸業は18世紀後半のミツマタの本格栽培に端を発したのだろう。ミツマタの園芸品種に花が赤いアカバナミツマタ(ベニバナミツマタとも)がある。
ミツマタは高知県中央部にある「いの町」の町の木になっている。いの町は土佐和紙の産地。各地のミツマタ群生地では開花に合わせイベントが計画されている。福岡県添田町の英彦山では15~23日、スロープカー花駅前でミツマタまつりを開く。三重県亀山市野登地区のみつまた祭りは29日。広島県安芸高田市の虫居谷でも4月5~6日に「カタクリ・ミツマタまつり」が開かれる。「三椏が咲き山中に笑ひごゑ」(宮岡計次)、「三椏のはなやぎ咲けるうららかな」(芝不器男)。