【講師の小磯千尋さん「根底にあるのは不殺生の教え」】
帝塚山大学(奈良市)考古学研究所主催の市民大学講座が8日開かれ、大阪大学外国語学部非常勤講師の小磯千尋さんが「インド哲学と食―浄・不浄の概念と食文化」と題して講演した。約10年間のインド滞在歴がある小磯さんはインドの食文化について「風土や宗教の違いで差があるものの、根底には不殺生の教えがある」と話した。
小磯さんは1957年長野県出身。早稲田大学を卒業後、インド・プーマ大学哲学科博士課程修了。著書に「世界の食文化⑧インド」(共著)など。インドは多民族・多言語・多宗教で知られるが、全国民のほぼ8割をヒンドゥー教徒が占める。ただヒンドゥー教は①開祖なし②聖典なし③偶像崇拝④輪廻転生への信仰――という特徴を持ち「宗教というより生き方や社会習慣的なもの」という。
ヒンドゥー教徒の食に対する考えは日本の「いただきます」に当たるマントラ(言葉)「食は単に空腹を満たすにあらず/神への供犠と思っていただきたまえ」に象徴されるという。インドでは浄・不浄の観念が根強い。とりわけ「死」「血」と体からの「分泌物」(唾液・汗・涙・耳あか・鼻くそ・排泄物)が不浄視される。
中でも唾液は不浄性が移りやすいため親子でも同じ食器を使わない。スプーンやフォークは誰が使ったか分らない。だから「一番信用できる浄なる自分の右手で食事する」。料理では「パッカ」(煮えた・熟したもの)が浄で、「カッチャ」(生や未熟なもの)は不浄といわれる。このため結婚式などではバナナの葉を食器代わりにし、料理は油を使った揚げ物や炒め物が中心になるそうだ。
不殺生の教えからインドでは肉や魚、卵を食べない人が多い。その分、ベジタリアン(菜食主義者)が多い。小磯さんによると「全体の3割ほどに上るのではないか」という。2001年にはインド食品安全・標準制機構の主導で、緑色のベジタリアンマークと茶色のノン・ベジタリアンマークが導入された。レストランのメニューでもマークの表示を推奨している。不殺生を最も大切な戒律とするジャイナ教徒の場合は地中の虫に配慮して根菜類さえ食べないという。
ヒンドゥー教徒は牛肉を食べない。ただ、これは不浄だからではなく逆に神聖な動物のため。特に雌牛は全ての願いをかなえてくれる母性の象徴と崇められている。牛が提供してくれる乳・ヨーグルト・ギー(バター)・尿・糞は聖なる5品と位置付けられている。牛糞は燃料のほか床材としても活用される。
インドの食文化は浄・不浄の概念に加え不殺生の教えも絡まる。浄・不浄は我々日本人のいう清潔や不衛生などという概念とは別次元のようだ。ヒンドゥー教やイスラム教には断食もある。「断食も神により近づく手段の1つ」。アルコールもタブー視されてきた。ただ最近は食生活の変化やワインの飲酒などで飽食気味になっているともいう。