く~にゃん雑記帳

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<寧楽美術館所蔵の瓦> 白鳳・奈良時代中心の古瓦 帝塚山大博物館で展示

2012年11月10日 | 考古・歴史

【「瓦は歴史を正直に語ってくれる」と甲斐弓子特別研究員】

 古代瓦の収蔵・研究では国内有数の帝塚山大学付属博物館(奈良市)で、いま「寧楽美術館所蔵の瓦」展(24日まで)が開かれている。寧楽美術館は若草山や東大寺南大門を借景に取り入れている国の名勝「依水園」の中にある。同美術館は中国古代の青銅器や古鏡、中国・朝鮮・日本の陶磁器などを中心に2000点を超える資料を収蔵。その中には白鳳・奈良時代を中心とする古瓦類が約200点含まれている。

  

 その中で特に注目されるのが7世紀白鳳時代の山村廃寺(奈良市山町ドドコロ)出土の軒瓦。ドドコロとは随分変わった地名だが「堂所」が訛ったものといわれる。軒丸瓦(写真1)は単弁8弁蓮華文で外縁に線鋸歯文が巡る。軒平瓦(写真2)は均正忍冬唐草文で「法隆寺式」とも呼ばれる。この軒平瓦の文様をもとに、法隆寺西院伽藍創建時の軒平瓦が白鳳時代後半の製品との画期的な見解が1936年に発表されている。

   

 藤原宮は宮殿建築として初めて瓦葺きになった。その宮跡出土の軒丸瓦(写真7)は複弁蓮華文で、中央に置いた中房の蓮子(ハスの実)が1+8+8になっている。このように蓮子が中央の1個を中心に二重に置かれるのがこの時代の軒丸瓦の特徴という。

 平城宮から出土した軒丸瓦(写真18)の中には恭仁宮出土の蓮華文の模様と全く同じものがある。これは瓦を作るための型「瓦当笵(がとうはん)」が恭仁宮から、745年の平城遷都に伴って平城宮の造瓦工房に移動してきたことを示す。ただ恭仁宮出土の瓦には外縁に線鋸歯文が巡り、平城宮出土のものには凸鋸歯文が巡る。外縁が彫り変えられた理由は不明だが、遷都に伴って新たな軒丸瓦として作ったことを示したかったのではないかという。

    

 展示品の中には東大寺の堂塔に葺かれた軒瓦もあった。天平時代の末に造営工事が始められた頃のもの(写真27)と、1180年の平重衡の焼き討ちに伴う鎌倉時代復興期のもの(写真28)では文様も大きさも随分異なる。鎌倉復興期の軒瓦は従来のものより大ぶりに作られ、中央部分に「東大寺大仏殿」といった文字や梵字が刻まれている。

 同大学考古学研究所の特別研究員、甲斐弓子さんは「瓦は歴史を語る」「瓦って実に正直」と話す。「瓦は木製の笵に粘土を入れて作る。最初のうちは文様がくっきり出るが、何回も使っているうちに線が太くなったり、ぼやけたりしてくる。そのことから作られた順番が分かる。平安時代の瓦はあまり美しくないが、鎌倉時代になるときれいになる。なぜか? 多くの宗派ができ仏教文化が華を開いたことが関係しているのではないだろうか」。

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