心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

探す

2022年09月14日 | ほんのすこし

一人暮らしは今に始まったことではない。すでにアパートで16年は過ごしていた。

だから逆に一人で生活することには慣れていると思う。ただその16年間は一日の内で数時間は母と一緒にいる時間があったから、今のこの一日中ひとりの状況は違うといっていいだろう。そしてアパート住まいと一戸建てとの違いもある。

戸惑うことも多く、今は少しずつ与えられた状況を受け入れていくしかない。

これからどのくらい生きていくのか、自分に与えられた命はどの程度なのか、想像もつかないが、一日一日が前よりずっと惜しい時間だということはわかる。今はただぼーっとしていることが多いけど、自分がやること、やれることを探すことが今のわたしには必要だと思える。

母がいたときは、母に聞けばよかった。わたしがしたことについての批評や感想を聞くのも楽しかった。母はわたしが何かに挑戦することを喜ばしく思っていた。背中を押してくれていると感じることが多かった。それは何かをやろうとするときの大きな励みでもあった。

その励みをくれた人がいない今、わたしは自分を見失っている。わたしは何をしたいのか。これでいいのか。

探すことを忘れてはいないか。

人生という限りある日々をどう生きたか、どう生きていたか、振り返ったときに自分で自分の頭をなでてあげることができるか、今のわたしには遠く、果てしなく遠くにある自分の姿だ。

迷いの中で見えるものはあるだろうか。目指すものを探し出せるだろうか。

眠れない夜に暗闇に向かい手をさしのべ、何かを掴むことはできるのだろうか。掴みきれずに両手を握りしめて、手のぬくもりがあるだけでホッと胸をなでおろす。生きているんだな、わたしひとりが生きているんだな。離れていても心配してくれる人達はいる。だけど、毎日の暮らしはひとりだ。ひとりでしっかり地に足をつけて、「暮らしていく」こと、取捨選択すべきことが沢山ある。無駄を無くし、必要不可欠がなんであるかを知ること、これまで以上に家計を見つめ直すこと、生きていくためにこれまで自分がしてきた大いなる勘違いを軌道修正すべきだと、母が何度も懸念して言ってきたことを思い出す。

人は収入以上のものを求めてはいけない。あるものをいかに上手く使いこなすか、だと。

その点に関しては反省だらけだ。

最近見つけた言葉に、ネットでショッピングするときの注意があった。

「夜中に買い物をするな、判断能力が鈍っているから。欲しい! と思っても即クリックするな、次の日にもう一度考えると案外必要でないものが多い。」

・・・確かに・・・今までは「これ、ちょっといいかも」と思うと、後先考えずにクリックしていた。買っても使いこなせていないものも多かった。あるもので使えるのにわざわざ商品を買わなくても・・・という母の言葉を思い出す。

それを買うことで「作業をした、仕事をした」気になっていただけなのだ。

大いなる反省は日々出てくるだろう。ここに記しておくことにする。反省の中から何かが見えてくるやもしれない。

 

 


そうか、もういないのか・・・

2022年09月09日 | 母のこと

ここ数日、とてもいいお天気です。雲一つ無い青空と夕焼けの綺麗な日が続いています。

ずっと雨が降り続いていたり、じめじめと蒸し暑い日が続いたり、こんな青空が広がるなんて・・・思わず、「ねぇ、今日はいい空だよ」と言いかけて、ふと気がつくわたし。

そうか、もう、いないんだった。話しかける相手はもういないんだった。

話しかけても応えてくれる相手はもういないんだった。

入院したらもう帰ってこれなくなる、と頑固に言い張っていた母、その通りになってしまいました。ブログの更新をした後、13日のお墓参りを済ませて、お墓参りのことや知り合いから電話があったことを手紙に書いて、明日持っていこうと思っていました。本人に会えるわけではないけど。

14日の早朝、まだうつらうつらと眠りから覚めずにいたわたしの耳元でスマホが鳴りました。

「急いで来てください」という看護士の声にびっくりして飛び起きました。

最低限の身繕いをして病院に駆けつけると、すでに看護士の問いかけに応えず、心臓マッサージをしている様子。一体何十分続けていたのでしょうか。「0」の画面がふたたび波打つことはありませんでした。

最後の最後に声を聞きたかった。

前の日までだんだん食欲も出て来ていた様子(伝聞)だったのに、どうして?

どうして? どうして? 

でも、帰らない。頭はパニックでした。ひとりであれもこれもしなくてはならない。決めなければならないことだらけでした。父のときも弟のときも経験してきたはずなのに、全然思い出せませんでした。葬儀社を決め、家から一番近いところを選びました。急いで連絡しなければならない人たちにアポを。電話だけで一日が暮れ、葬儀社の方と段取りを決め、母のそばで一晩を過ごす。ふたりだけで暮らしてきたという現実がそこにはありました。ひとりぼっち、そんな時間が通り過ぎていき、次の日には母の兄弟家族が来てくれて、少しホッとしました。その次の日には湯灌(ゆかん)の間じゅう、母の実家の方達が付き添ってくれました。夕方にはこども達も到着。

ようやく、ひとりじゃないって思えました。誰かがいてくれるだけでなんて心強いのでしょう。

無事に母を送り出し、今は祭壇にお骨を。納骨は息子家族が来たときに、と思っています。毎日、遺影を見ながら手を合わせていると「もう少しなんとかできたんじゃないか」と思えてきます。後悔だけが残って、自分のふがいなさを思ってしまいます。

9月に入り、ようやく弔問客も落ち着き、役所の手続きやらも一通り終え、なんとなくぼんやりとした気持ちで、何をしたらいいのかとぼーっとしています。母のいた介護ベッドも引き取られ、一階は前よりずっと広くなってしまいました。わたしには広すぎるよ・・・

弔問客に、母がいつも行く美容院の先生がいました。新聞で見てびっくりして・・・と。遺影を見て

「わたし、〇〇さんのこととても尊敬していたんですよ。〇〇さんの考え方や生き方がすごく好きで、いつも話をするのが嬉しかったんですよ」と話してくれました。母も美容院に行くのをとても楽しみにしていたものです。

新居に入りたった二年、もっと一緒にいたかったなあ。

会いたくてももう会えないんだなあ。

※※※

冒頭の写真は、母が大好きな紫陽花、庭から切り取ってきたら、大きなお皿にそっと置いていました。そのときの写真です。

 


入院

2022年08月11日 | 母のこと

母の4回目のワクチン接種が7月31日に予定されていて、お昼の予約だったので、11時半頃に家を出ることに。

体温計では36.5度。大丈夫だねって二人でそのまま会場へ。

ところが、入り口で検温されたときに「待った」がかかってしまいました。38度あったのです。

えーーー! なんで?

でも、規則ですから、係の看護士さんが来てくれて、何度か測定しましたが、やっぱり38度。色々話を聞いてくださって、再度申し込みすることになりました。

その日から、どういうわけか一日のうちで36度から38度を行ったり来たり。元々痛み止めとしてカロナールを処方されているので、それを飲むと下がるような。でも数日その繰り返しで。病院に行こう!と言っても、じっと静かにしていれば治る!の一点張り。

とうとう、トイレ付き添っていった戻り、一歩も歩けなくなり、力が出なくなったと。

オムツをかって、トイレには行かずにベッドで用を足していいんだよと。足が言うことをきかない。力が出ない。

三日間、オムツ交換やら体の汗取りやらをしましたが、その間も平熱に戻ることもあり、ベッドでお粥を少し食べることもできていました。少しでも食べることができると嬉しくて、「もう少し多く食べることができれば、力が出てくるね」と話していました。このままだと車にわたしが乗せることは無理。

そこでケアマネさんに連絡を取り、「ベッドから降りることができないけど、こういうときは救急車を呼んだらいいのでしょうか?」と。ケアマネさんが現在かかっている病院に連絡をとってくれて、熱が38度続いている事と動けないことを知らせると、「動けないだけでは救急車は呼べないので、病院まで車で連れてきてほしい」と。

そこで、介護のかたが三人で来て、ようやくベッドから車いすに乗せ玄関から出し、わたしの車の助手席に乗せ、病院へ。そこではすぐに入らずに夜間入り口前で車で待機。しばらくすると、コロナの検査をするために窓から母の鼻へ検査用具を。待つこと15分程度。結果は陰性。ようやく正規の外来で見ていただくことに。

連れて行ったのが午後だったことも幸いでした。待合室にもあまり人がいなくて助かりました。

すぐに点滴をし、採血・レントゲン。

レントゲン結果や採血結果により、肺炎にかかっているとのこと。それがコロナからくる肺炎なのかさらに詳しく調べる、PCR検査を待つこと40分以上。

結果はコロナからくる肺炎とは関係なく、リュウマチなどの治療薬が悪さをしているのではないかと、そのまま入院になりました。

介護の方が「本人、苦しんだことでしょうね」と言ってました。

家にいたときに、わたしの問いかけに母は無言でいることが多くなっていました。あのとき、きっとすごく苦しかったんだろうなと思います。そうとも知らず、「静かにしていればよくなるから、このままにしてくれ」という言葉に甘えてしまっていたわたし。本当に自分の情けなさにがっかりしました。

先生は高齢なのでこのまま肺が良くならないかもしれないと話しました。以前にも数年前にかかって入院したことがあります。今度も元気になって退院できますように・・・

汗だらけだったベッドのもの、大量の洗濯物が出ていますが、入院した次の日からここは大雨が続いています。なかなか乾きません。乾かないうちに退院してくるのかなあ、それはそれで大いに嬉しいなあ、とか。今は主のいないベッドを見ては、やっておかなくちゃいけないこと、お墓参りの準備、あれこれと動かなくてはならないことがあるのに、ちっとも動けないでいるわたしです。

そうそう、病院は荷物だけを病棟看護士さんに渡し、本人とは退院まで一切会うことができません。それが母には一番辛いことだと思います。しかも最初のコロナ時期の胃潰瘍入院のときは毎日洗濯物を取りに行ったり出来たのに、今は二・三日に一回ぐらいにしてほしいらしい。手紙を書いて入れておきました。

今日も午後から行きます。午前中、初めてコンビニで写真をプリントしました。前は家のプリンターで出来たのですが、不具合があって無理。でも初めてすることってドキドキしますね。母は目が悪いので2L版にしてみました。曾孫の写真、喜んでくれるでしょう♪

荷物受け渡し時間午後二時から四時。行っても会えない・・・早く会いたいです。

 


書きたいことは山ほどあったのに、ね

2022年07月24日 | 母のこと
ずっと更新途絶えていましたが、それでもときどき顔を覗かせてくだっていた方たちには本当に感謝感謝です。

毎日、同じようでどこか違う日々を過ごして、その中にも心配ごとが入り込んだり。一番大きなことは母がトイレで気を失って、救急車を呼ぶ羽目に陥ったことかなあ。
そんなとき、ふたりっきりって大変なんだとつくづく知らされました。電話をかけるにも、具合悪い母をなんとかトイレの座面に座らせて急いで電話を取りに行ったり、そして抱えながら電話の応対。出てくださった隊員の方の冷静な対応に少しずつ慌てていたわたしの態度も落ち着いてきて。

電話の途中で母の意識が少し戻ってきて、「救急車を呼んでるから」と言うと、「戻してくれ」と言われ、その旨を伝えると、すでに向かっていると言われ。
結局、隊員達がやってきたときには母の意識もかなり良くなり、本人の強い希望により救急車に乗ることはせず、その場で血圧やら酸素濃度やら検査していただき、様子を見てまたなにかあったら連絡を、と。
その言葉に母がどれだけ喜んだか・・・

もう救急車で運ばれると、この家にはもう戻ってこられなくなる、そう思っているみたい。

来てくださった隊員の方達がとても優しく接してくださったので、ふたりともすごく安心して、良かった良かったと胸をなでおろしていたのでした。

こういうことが七月に入る直前にあり、それから猛暑続き。母は食事がなかなか進まず、体力がとても衰えました。そして気力も。
お粥と軟らかいもの、果物、口に入れやすいもの、あれこれ思案して出すのですが、口に入れても美味しく感じないみたいで、料理担当のわたしとしては頭を抱えていました。

そんな日がしばらく続き、定期診察がやってきて、先生に食事が進まないことを話すと栄養剤を出してくれました。
「甘いのは大丈夫ですか?」と言われたので、甘い物大好きだからと応えましたが、同じ甘いものといっても大福やチョコレートとは全然違う甘さの飲み物でした!
それでも少し湯冷ましとかで割って飲む、ということもでき、母としては自分がこれではいかん!と考えたのか、苦手な飲み物ではあるけど、少しずつ飲んでいます。

なんとかこのまま夏を乗り越えてほしいと願うばかりの日々。
この頃は笑うと咳き込んだり、痰を出すのが苦しかったり。何かの動作をしたあと、しばらくぼーっとしていて、声をかけるとハッと我に返るといったことが多くなりました。

横になって寝ているのが一番楽だよ。
楽なら横になれば?

そういうやりとりが一日で一番多くなりました。

母の弱くなっていくさまを目の前にしていくのは、とても堪えられないものがありますが、この夏を乗り越えられたら・・・とそれだけを思いつつ、庭の紫陽花をぼんやり見ています。


軟らかなものが良くなりました

2022年03月01日 | ほんのすこし
昨年から母は食べるものが硬いとなかなか食が進まなくなりました。ごはんの炊き具合も普通の硬さに比べるとかなり柔らかく炊いています。わたしも一緒に食べるので、もうこの硬さに慣れてしまいました。

ふだん食べている分にはその硬さでいいのですが、困るのが、炒飯を作るとき。ごはんが軟らかすぎて、パラパラした炒飯は無理なのです。母はそれで食べやすいからいいんだ、と話していますが。わたしはちょっとまだ物足りない。母に合わせて料理をすると、不都合な部分もあるのでした。

もちろん、料理も、硬いか軟らかいかで、食が進むか進まないかが決まってくるので、慎重に考えて作ります。でも厄介なのが、軟らかければそれで良し! と思うと思わぬ落とし穴があります。

キャベツなどレンジでチンしてから細く切って食べやすくすると、「まだ硬い」と言われ、それを今度は少し煮込んでから出すと、今度は
「軟らかすぎてキャベツの味が無い」と言われる始末。
なかなか食材の軟らか加減を見定めるのは難しいのです。いや、単に料理が下手なのかもしれないけど。

そんな中、先日、ふと閃いて作ってみました。
太いカニかまを薄切りの豚肉で巻いて、小麦粉をまぶし、焼き目をつけたら、甘辛たれで少し煮込んで出しました。
これが、食べやすくて、お肉大好きな母にも満足のいくものとなったようです。残ったものを指さして、
「明日の朝、これをお皿につけてくれ」ですって(笑)

ちゃんと取っておきましたよ。

お肉の薄さと中身の軟らかさがマッチして噛みやすかったのでしょうね。
これからも食べやすいものを考えながら作っていかなくちゃ、と思っているところです♪


ようやく綺麗にしました

2022年02月28日 | ほんのすこし
長年、す~っごかったこのポット。
黒ずんだままで使っていて、それでもなんだか引越で処分できなくて、新居に持ってきていました。珈琲を飲むのはインスタントがほとんどなのに、ね。それでもなんとなく愛着があったのです。

ドリップ珈琲はお客様がいらしたときに、これを使って出していましたが、母に、あまりにも黒ずんでいるので処分しないのか? と何度か言われていました。「そうだね~」といつも生返事で答えていたのですが。

最近、ふと思いついて、もしかしたら綺麗になるかも……と。
母が休んでいる午前中に台所でガシガシやってみました。黒ずみが取れることには期待していなかったのですが、蓋を最初にゴシゴシしてみたら、下からピカピカの色が見えてきました。
これは、ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。俄然,やる気が出てきました。蓋は案外思っていた以上に綺麗になりました。

本体の方は手強かったです。
かなり時間をかけてゴシゴシ。
夢中になってやっていて、お昼近くにまでなりました。カウンターにタオルを敷き、乾かしておきました。母が気づくかなあって思って。

その日、母はちっとも言いませんでした。あんなにすぐに変化にめざとい人が、このピカピカの状態に気づかないなんて!
ちょっと不満でした。次の日も母からは何もなく……
とうとうしびれを切らして、
「ね~、これ、綺麗になったと思わない?」と自慢げに言いました。

軽く「うん、綺麗になった、なった」と答えられ、ちょっと拍子抜け。もうちょっと褒めてくれてもいいんじゃないの?(内心の声)

「このくらい綺麗にできるなら、もっと前に丁寧にやっていれば苦労しなくて済むのに」
ぎゃふん。

そう。長年、放っておいたしわ寄せだわ。
これからは間をおかずに磨いていきます!
ピカピカっていいなと、毎日眺めているところなのでした。


ねっとう?

2022年02月27日 | 母のこと
今日は、予約していた母の3回目ワクチン接種の日。去年の二回ワクチンは心配していたほどの副作用がひどく出なかったので、今回は本人もさっさと終わらせよう! といった感じ。

ところが、昨日と今日の予定会場が急遽変更になり、変更になったことを地元紙で知り、ちょっと慌てた。会場が狭いし、天候も怪しいからだ。昨夜から予約をキャンセルしようかなと思ったり。
というのも、昨日はすごいいいお天気で、お天気過ぎて屋根に溜まって長く垂れ下がっていた雪が、どどどっと落ちてしまうアクシデントに見舞われ、それを片付けるのにかなりの時間と労力を使ってしまい、労働後の始末(下着の取り替えや汗の拭き取り、濡れた髪の始末)を丁寧にやらなかったおかげで、夕方にはなんだか「風邪ひいた?」みたいな気分。
母に「ちゃんとしないと本格的に風邪をひくぞ」と脅された(笑)

そんなこともあって、今朝はなんだか熱も少しあるかな? って。だから会場変更になったこともあり、キャンセルしない?って聞いてみたのだ。でも本人は早くやってしまいたい気持ちが強く、キャンセルなし。
仕方ないから行くか…… 新聞の一面を見たら、昨日のワクチン接種のことが書いてあり、かなり渋滞したとのこと。
「母さん! 10時予約だけど、朝の8時45分から受け付けるってよ。昨日はすごい渋滞だったらしいから、早めに行こう!!」
のんびりしていた二人だけど、慌てて準備して、会場に向かった。

早く行って良かった。
まだ早い時間だったから車いすの人が少なくて、とてもスムーズに行った。知り合いの元看護士さんがついていて、久しぶりに話が出来た。こういうちょっとしたことが嬉しい時代になったんだなと思えた。早く終わってほしいね。

順調にいき、早く家に戻れて、ホッとした母。注射しやすいようにと、昨日、長袖の下着の肩を出す練習もした。うまく行って良かった良かった。
その下着を脱ぐと、わたしによこした。
「これ、ねっとうに入れて」

は?
初めて聞く、下着の処理の仕方だ。一瞬、今までのわたしの洗濯の仕方が間違っていたのか?と思って、母の顔を見た。すると母が怪訝な顔をしてわたしを見た。
「母さん、これって熱湯に入れておくんだったの?」
「あれ? 今、なんて言った?」
「熱湯って……」
「ネットって言ったつもりだったんだのに。なんか格好つけて言おうと思ったら、ねっとうって言ってたのかあ!!」

もう笑いがしばらく止まらず。母も笑う笑う。あんまり笑うと母はこの頃とてもくたびれる。今日も笑ったあとが大変で、くたびれて息が荒い。調整するのに時間がかかる。
それにしても自分が言ったことで笑って、くたびれるって、年を取るのも大変なことだなと思うよ、ホントに。

ってことで、いい下着はネットにちゃんと入れて洗濯かごに置いたとさ♪

※※※

またまたしばらく更新せずにいました。今年は雪が多すぎて、片付けに追われ、気力もそがれていましたあ。

※※※


遅ればせながら始める

2022年01月09日 | ほんのすこし
失敗したなあ、これを見た瞬間、思った。
生協のカタログを見たときは継続するってなかなかいいんじゃないの? なんてちょっと想像して届くのが楽しみだった代物だが。届いたものを見たら、あまりにも大きく重く、しかも頑丈な箱に入っていて・・・
想像していた手軽さはどこにもないってことに気がついた。

仕方ないので、ベッド脇のテーブルに置いていた。寝る前に書き込みできるかもしれないと軽く考えていたのだ。

あぁ、それは全くの当て外れだった。
元旦から一度も開くことなく、今日まで放りっぱなし。日記、しかもたった4行だけの日記をつけるという行為ができずにいたのだ。一体わたしは今まで何をしていたのだろう?
ここはどこ? わたしはだれ? な状態だ。

年明けからかなりの挫折感を味わうことになったが、表紙にちゃんと2022ー2031と明記されているから、来年から始めるというのも悔しい。だから、今日はつけることにした。来年から始めるよりはいいだろう。

わたしに足りないものは継続だ。それの最たるものがこの日記だと考えることにした。10年(おっと、9年と357日?)書き続けていけるかどうか・・・それまで生きているならってことだけどね。

昨年はgooに入ることも記事を書くこともなかなかできずに終わった。今年は少しずつでも書けたらなと思う。何かを残すにはここは最適なんだけど、気持ちが遅れがちになるのは何故だろう。
まわりにどう見られているか、とか、どう見られたいのか、とか、そういう気持ちがまだまだ捨てきれないんだろうな、きっと。
友人が「あなたが思うほど、周りの人はあなたのことを見ていないよ」と何年か前に言われたのが、まだ頭に残る。そうだよな、そうなんだよなあ。
だから、素直に書けたらいいな・・・

この頃、よく昔のことを思い出す。昔のふがいない自分のことが多い。過去を修正したいけど、無理だ。思い出したくない過去、蓋をしておきたいこと、たくさんたくさんある。今更ほじくり返してどうする? と自分に問う。
それより目の前の一日をどう過ごすか? が大事だと言いきかせる。

母とふたりで過ごせる時間があとどのくらいあるかわからないけど、大事に大事に、過ごそう。


晴れたからといって

2022年01月08日 | ほんのすこし
連日、雪です。昨日はその合間をぬって、太陽が顔を出しました。雪がピカピカです。

窓の外を見た母が
「晴れたなあ。ストーブを消すか」と言いました。一瞬、目がまん丸くなったわたしの顔を見て
「こんなにいい天気だもの。灯油がもったいない」ですと。
「そんなあ、絶対寒いから、風邪引いたらどうするの?」と引き留めるわたしを尻目にストーブの電源を切りました。たしかに部屋に差し込む太陽の日差しをみれば、暖かそうな気もします。
「ストーブ消して、ベッドに入れば全然寒くないよ」と節約できた気分の母は早速、ベッドへ。頭はすっぽりとバスタオルで覆っています。あれじゃあ、寒さも感じられないか・・・

わたしは二階へ行き、作業を。しばらくして階下に降りてくると、なんとなくひんやりした感じがします。日の光は差し込むものの、部屋の温度はいつもよりも二度低い状態。う~ん、これは無理だな。
ストーブのスイッチを入れて母の方を見ると、鼻音を立てて寝入っている様子。起きたら、空気がぬくぅくなっていますよ。

夕方のニュースで地元がマイナス16度だったと報道されていて、びっくり。
「母さん! 今日一番寒かったみたいだよ。マイナス16度だって!」と伝えると、「どうりで寝ていても顔が寒かったもの」と答えました。
内心、天気がいいから暖房はいらないって言ったの誰でしたっけ? と突っ込みをいれてました。

雪国は快晴だからといって、油断してはなりませぬ。
雪が降るときよりもずっと冷え込んでいるときもあるのですよ。
かろうじて風邪引きさんにはならなかった二人でした♪


夜中の話

2022年01月07日 | 母のこと
普段は見逃しているものが、状況が変わると、その存在を意識することがある。
影もそうだ。
日中、何度もそこを通っているのに(階段近く)目を当てることが少ない。たまに埃を払うために近づくのだけど、一日で必ず目に留めるといった類いのものではない。
だけど、夜中に母がトイレに入る音に気づいたとき、そっと階段下の物音に耳を傾け、寒いなと思いながら母がトイレから出てくるのを待っているときなど、それは目に入る。

階段廊下の天井二箇所に備え付けれた小さな照明は、建築士がしっかりと計算しつくしたと感じられる小さな存在で、夜中の空間を暖かなものにしている。照明のありがたさをしみじみ味わうひとときでもある。
トイレの戸が開く音がして、母が出てくる姿を見つける。そばに行って声をかける。
「お、お前も入るのか?」
首を横に振って、トイレの戸を母の後ろから閉める。前に足を出した母の腰を両手で支え、歩くのに不安がないようにする。
ベッドに入る前に白湯を飲む母を待ち、ベッドに腰掛けた母に下着の着替えを促す。
「汗かいているんじゃないの?」
「大丈夫だ」
パジャマの上から背中を触ってみる。じんわり湿った感じがして、
「やっぱり取り替えた方がいいよ、汗かいてるから」
「そうか?」
着替えを手伝い、さっぱりしたところで横になることを勧める。最後の布団をかけてやると、
「悪いな、お前、寝れなくなるんじゃないか?」
「大丈夫、また寝るから」
それを聞くと、少し安心した顔をして目をつぶる。

階段廊下の本棚の上が小さな灯りに照らされている。
昼間は見えなかったガラスの下に文様がはっきりと映っている。あぁ、これってこういうデザインに見えるんだ・・・

夜中には、日中知らなかったことが少しだけあるようだ。
トイレに何度も起きる母だけど、そのうちの全部を見ているわけじゃない。そのうちの少しだけのお手伝い。それができると、わたしの中でちょっと嬉しい気分が湧いてくる。
ただ、手伝ったあとに再び眠れるかどうかということは別の話だ(笑)