経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

経済思想が変わるとき 6

2013年11月10日 | シリーズ経済思想
 本コラムと同様、クルーグマンも、スティグリッツも、このタイミングでの日本の消費増税には否定的だし、それを法人減税で補えるとは思っていないようだ。(10/21現代ビジネス、11/7NHKニュース) こうした彼らの見方は、政策の総合性の観点からなされるもので、いわば、足を引っ張りそうな政策を「混ぜる」ことはあるまいというところだ。現在の経済学でも、これくらいの判断はできる。

 むろん、本コラムは、もっと先鋭的である。需要を抜いて不安を与えたら、金融緩和も、構造改革も、意味がないとするわけだから。経営者は、需要に不安を感じたら、機会利益を得る合理的な行動はできず、設備投資を控えてしまう。失敗と成功を繰り返せるだけの時間を持たない以上、投資収益の期待値には従えないのである。需要を保ち、不安を与えないことは、政策の中で決定的に重要なのだ。

………
 エコノミストなら、皆、そうだと思うが、筆者は長期のGDP統計のグラフを眺めるのが好きである。飽きもせず、「あの時はこんなこともあった」などと思い出したりする。普通の人が懐かしの曲を耳にして、昔の出来事を思い出すようなものだ。まあ、一風変わった「おたく」なんだろうね。

 そこで、誰でも気づくのは、設備投資の推移のグラフの形が輸出のそれと、そっくりだということだ。さらに、輸出に、住宅投資と公共投資を足し合わせ、2四半期だけ前にずらすと、コワイくらい似てくる。これは、輸出・住宅・公共という外挿的に与えられる需要に従って、設備投資が判断され、半年後には実現してきたということを示している。

 この現象は、バブル崩壊後、設備投資が底入れした1994年からリーマンショック前の2007年まで見られたものである。この間は、半年後の景気がどうなるか、完璧に予測できた。言うまでもなく、金融緩和もなされていたし、規制緩和や法人減税といった構造改革も進められてきたが、設備投資は、それらに合わせて上下してきたわけではない。かくも需要を追いつつ、動いてきたのである。

 なお、細く見ると、設備投資が三つの外挿需要の合成によって動かされてきたのは、2001年くらいまでであり、2002年以降は、輸出だけに頼るようになる。その際、公共投資は下がる一方で足を引っ張り、住宅投資は横バイが続いてニュートラルだった。ちょうど、小泉改革の頃であり、当時の輸出一本槍の景気回復を覚えている方もいると思う。

………
 なぜ、こうなるかと言うと、金融政策というのは、間接的に効くものだからだ。金融緩和をすると、自国通貨安になり、それが外需を呼んで、その需要が設備投資を刺激する。あるいは、住宅投資が盛んになり、その需要が設備投資を引き出す。だから、経済政策では、それらの経路が活きているか確認するのが重要であり、間違っても、教科書そのままに、直接、設備投資を刺激すると思ってはいけない。

 こうした性質のものなので、金融緩和をしたとしても、輸出相手国も同様なら、自国通貨安にならないし、自国通貨安になっても、相手国が不況なら輸出は増えない。だから、黒田日銀総裁が消費増税でも大丈夫といった自信を見せることには、逆に不安を覚える。増税後の局面で米国の景気が停滞したら、「超」異次元緩和すら、空回りしかねない。しかも、もう一つの経路の住宅は、駆け込みの反動で塞がっているのだ。

 他方、成長戦略の方はどうか。法人減税が頼りにならないことは、ノーベル賞学者の言を素直に聞いてもらいたいが、別の面も指摘しておこう。それは、日本経済は、高投資を実現させられるだけの経済構造に「既に」なっているということだ。意外かもしれないが、リーマンショック前の設備投資のGDP比率は、歴史的にも高かったからである。

 その水準はバブル直前の1988年頃と同じくらいまで上昇していた。これが、現在の「高い」法人税と「強い」規制の下で実現していたわけである。つまり、需要さえあれば、新たな成長戦略がなくても、高投資が望める経済構造にあるということだ。当時から変化したのは、構造ではなく、外需を失ったことである。

 今年は、円高是正による輸出の底入れと、幾ばくかの消費の回復によって、製造業、非製造業ともに企業収益が急増している。成長戦略が投資収益率を高めて設備投資を促すことだとすれば、これ以上のものはあるまい。すなわち、構造改革より、多少の需要を与えることが魅力ある投資環境を作るのであり、そうなる構造を日本経済は「既に」持っているということなのである。

………
 現在の経済学では、建前上、金融政策が重要ということになっているが、実際の経済政策では、それで実現される外需を奪い合っているのが実態である。その典型は、今のドイツだろう。緊縮財政でユーロ圏の内需を削減する一方、自らは金融緩和によるユーロ安で輸出を伸ばして成長を確保している。

 実は、この戦略は、小泉政権下で日本がしていたものである。輸出を伸ばしても、緊縮財政を敷いているから、景気が内需に波及しない。そのために、デフレから脱することができなかったのだから、ユーロ圏も同じ道を歩むことになろう。この戦略は輸入し続けてくれる国がなければ成り立たないから、それが持続的でない以上、末路も変わるまい。

 不思議なのは、外需が設備投資を促して、成長と雇用を実現するのを目の当たりにしながら、「それなら内需だって設備投資を促すのでは」と思い至らないことである。非常な低金利にあるのだから、財政出動に走るのはともかく、更なる緊縮は自制して、輸出で得た所得を内需に波及させる芸当は可能なはずだが、そういう着想を邪魔するのが「思想」ということだろう。

………
 筆者のような古い人間からすると、設備投資が半年前の外挿需要に完璧に従うという、1994年から2007年にかけて見られた現象は、異常事態であった。それまでは、景気は輸出から内需に波及し、設備投資は、消費と自らの需要によって自律的に伸びるのがパターンだったからである。ところが、この時は、並行して緊縮財政が実施され、常に設備投資を飢餓状態に置くという壮絶な社会実験が試みられた。その結果が「低金利下において設備投資は追加的需要に従う」という実証データとなったのである。

 そして、来春には、消費増税によって、再度の実験が行われる。金融緩和でも大して外需が得られない中で、一気に内需を抜いたらどうなるか。最強企業のセブンイレブンでさえ、「既存店売上高が前年割れなら出店は抑える」としているのだから、結果は相当に厳しいものとなるだろう。

 かつて、ケインズ経済学のように粗さのあるものが受け入れられたのは、大恐慌の厳しい現実を説明するものが必要とされたからだった。それでも、受け入れたのは、あまり「思想」に染まっていなかった若手に限られた。そして、経験のない世代が増えるにつれ、「思想」は元へと還っていった。 

 リーマンショックから5年経ち、政策を選ぶゆとりが出てきたところで、欧州はドイツ流の倹約で、米国は茶会派の反乱で、緊縮財政を試すようになった。とりわけ、日本のそれは強烈だ。厳しい現実を見て、若手の中から、ケインズのように財務省見解を覆す者は現れるのか。日本経済の復活が見られぬのなら、せめて、そのくらいの希望は持ちたい。
(おわり)

(今日の日経)
 購買テータ提供し新商品。ユーロ圏で日本病。リーマン5年・背水のバーナンキ議長、住宅公社債を買い入れ、ドル安も狙う。



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Unknown (KitaAlps)
2013-11-11 10:39:51
 きわめてわかりやすいグラフでした。・・・残念なのは少しサイズが小さくて見えづらい点ですが、図をコピー(ドラッグ&ドロップ)して、縮尺を拡大すると、よくわかりました。

 「経済思想」とは何かと考えますと、現代マクロ経済学を支配しているのは、サプライサイドだということです。

 これに対して、「経済をよくするって、どうすれば」先生や私は、供給が不足している状況ではサプライサイドの要因が効く一方、需要が不足している状況では需要側の要因が効いていると考える立場だと理解します。「経済思想」が相容れないとは結局、これにつきると思います。

 現代マクロ経済学は、経済を支配するのは供給側の要因だと考えますから、需要を積み上げて、それが経済成長を支配するという発想をそもそも持ち得ません。

 現代マクロ経済学の主流に位置するニューケインジアンは、財・サービスの需要不足をモデルに折り込んでいることになっていますが、需要不足の原因として想定されているのは、サプライサイドの要因や市場の不完全性です。例えば、メニューコストとか賃金の下方硬直性は、いずれも供給者側(価格設定をする企業、労働を提供する労働者)が原因です。
 したがって、これらの市場の不完全性や供給側の硬直性が解消されれば、問題は解決すると考えられているわけです。当然、需要の問題を考える必要はないことになります。

 例として設備投資を左右する要因を見てみますと、資金供給側の中銀や金融機関側の問題が重視されています。ここでは、資金需要側の一般企業は「収益最大化原理」のみにしたがって単純に行動するものと仮定され、金利が安くなれば自動的に(受動的に)設備投資を増やす存在とされています。
 ここでは、一般企業は、金利以外の要因・・・需要の将来見通しやリスク・不確実性を最小化する観点など・・・で行動する存在ではないわけです。

 こうした(企業が収益最大化のみを考慮するという)仮定は、単に「問題を単純化」するための仮定にすぎなかったはずと思いますが、いつのまにか、その上に壮大な大伽藍(今の新古典派体系やニューケインジアンの体系)が建設されたために、それ以外の要因を考えることが難しくなっていると思います。体系との整合性が損なわれるからです。

 しかし、現在のような重い不況下では、現実の企業の意思決定の基準として、「需要の低い将来見通し」や「リスク・不確実性を最小化」するという基準のウエイトが高くなり、「収益最大化」基準のウエイトが相対的に低下していると考えるのが自然です。
 そうした行動は、経済学者が行った便宜的仮定からすると非合理ですが、経済学者以外の視点から見れば、論理的に、極めて合理的です。

 その結果、現代マクロ経済学は、重い不況下で現実から乖離し、今は、その乖離を埋めるために再構築が図られています。しかし、それは基本的にサプライサイドの要因に着目して行われているために、そこで得られた変数間の関係(係数やパラメーターあるいは関係式)の多くに因果関係はなく、疑似相関にすぎない可能性が強いと思っています・・・過激ですが(フリードマンも、一つの現象を説明する仮説は無数にあり得ると述べています。それらが、一見、現象をよく説明することはいくらでもあり得ることです)。

 これに対して、まさに、ここで示されたグラフが単純明快に示しているように、需要不足下では、「需要」を中心に考えると、極めて明快に経済を理解することができます。
 供給が不足しているなら、供給側の要因が成長や景気を左右し、需要が不足しているなら、需要側の要因が成長や景気を左右していると考えるのが自然です。

 現代マクロ経済学(主流)は、すべてを供給側の要因で説明しようとしているために、迷走していると感じます。

 しかし、残念ながら、経済思想の変化は、極めてゆっくりとしか起こりません。我々は、あとしばらく、今後も誤った経済思想の被害を受け続けるしかないのだろうと思います。

 需要不足下では需要中心に考え、供給不足下では供給を中心に考えるというのが拙著(前著及び新著)ですが、これをつなぐ新しい理論的枠組みとして、新著(「日本国債のパラドックスと財政出動の経済学」)ではワルラス法則の再解釈を提示しています。・・我田引水で恐縮です。
http://kitaalps-turedurekeizai.blogspot.jp/2013/10/ver2.html

 
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貨幣需要 (基礎固め)
2013-11-11 21:09:10
失礼します。
主流かどうかは微妙ですが、現在の政府は貨幣需要も想定してないように思います。
当初の金融緩和とインタゲの導入に対する見方や対応からも見てとれます。

わたし的な学派比較的見解をのべさせてもらうと以下に成ります。
現在の政府は、貨幣需要を無視、財政政策の実質効果と貨幣効果を期待せず、金融供給政策を重視。当初の成果は金融供給政策の為と思っているため、政策をこのまま続ける、またその為貨幣需要が増すような消費税増税も実行する、財政政策、制度設計はほとんど手を着けない…と。
マネタリストなら、貨幣需要は重視、財政政策の効果は重視せず、金融供給政策を重視。当初の成果は金融供給政策による貨幣需要に対する効果と見るから、政策はこのまま続ける、しかし消費税増税で貨幣需要を増やすようなことはしない、と。
ケインズ系なら、貨幣需要は特に重視、財政政策は実質景気感による貨幣需要を減らすことにより重視、金融供給政策はインタゲ等のフォワードガイダンスで貨幣需要を減らすことに重視、消費税は実質の意味でも貨幣需要…景気感の意味でも実行しないでしょう。流動性の罠の認識していれば尚更。
新しいケインズになるほど、財政政策の乗数効果は余り期待しないため細かな財政制度設計政策を実行するようになるかと。
返信する
需要不足 (KitaAlps)
2013-11-12 10:50:53
「基礎固め」さま
 明快な整理ありがとうございます。

 私の拙い観点からコメントしますと、4つに分けられたうちの3つ(「現在の政府」とマネタリストと「新しいケインズ」)は、財・サービス市場の需給がほぼ均衡しているか、供給不足の経済を前提に組み立てられていると思います。

 もちろん、前提となるデータには、軽微な景気変動に伴って発生する需要不足期のデータも含まれていますが、そのウエイトは自然に小さくなります。
 これは景気拡張期(平均的に長い)と後退期(相対的に短い)の期間の差を比べてもわかりますし、そもそも軽微な景気変動下では、需要不足も軽微です。
 また、経常収支の恒常的赤字国(特に貿易収支赤字国)は、財・サービスに関しては恒常的に供給(能力)不足の経済です。典型的には1970年頃以降の米国です。
 さらに、開発途上国は、基本的には、(お金の制約で顕在化しませんが)潜在的な需要は常に超過状態にあり、供給側の問題が成長を制約している国々です。

 こうしたデータを元にモデルを作れば、自然に供給側の要因が支配的なモデルになりますし、同時に軽微な景気変動を想定したものにもなっています。

 各派は、そうした軽微な景気変動に適合したモデルを使って、リーマンショック後の強い需要不足下の経済を説明しようとしていると思うわけです。
・・・なお、同様の趣旨のことは、ラインハート=ロゴフ[2011]も言っています。=次のページの中段参照
http://kitaalps-turedurekeizai.blogspot.jp/2013/10/blog-post_5.html

 なお、ここで「強い需要不足下の経済」について補足しておけば、正常な経済が、政府の財政赤字がゼロで民間消費と設備投資が活発な経済だとすると、今の日本は、供給能力に比べて、民間消費と設備投資(及び外需)が50~60兆円(=GDPギャップ+一般政府財政赤字)小さいわけです。=民間需要がGDPの十数%分小さいのが今の日本です。

 こうした「強い需要不足下」では、ご指摘の4つの「学派」のうちの3つの観点で想定されているメカニズム・経路のうちのいくつかは、まったく、あるいは十分に効かない可能性があると思っています。

 たとえば、財政政策の乗数効果については、リーマンショック後のゼロ金利的な状況下では、予想以上に高いという実証結果が出ています。これについては、昨年秋のIMFの報告の例などについて次のページの最下段(2の(5))で紹介しています。
http://kitaalps-turedurekeizai.blogspot.jp/2012_09_01_archive.html

 財政政策の財政乗数の測定については、バロー=レドリック[2010](Macroeconomic Effects from Government Purchases and Taxes)のように、軍事支出の効果を見て乗数が低いという結論を出している研究もありますが、これは、典型的に好況期と不況期を区別していない研究と考えられるわけです。
 不況対策としての財政出動は、多少のラグはあっても基本的には不況期に行われますが、軍事支出の増加は、景気とは無関係に好況期に行われることも多いからです(政策目的が異なりますので)。

 さて、そこで、なぜこのように、不況特に重い不況と好況期に、そうした違いが現れるかという話になるのですが、拙著(http://kitaalps-turedurekeizai.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html)では、「ワルラス法則を資金の流れで理解する」と、財・サービス市場で需要不足があるなら、財・サービス市場で使われなかった資金は他の市場(貨幣市場や債券市場)に流入し、流入先の市場で超過需要を引き起こすと考えるものです。
 この結果、ちょうど財・サービス市場の超過供給額と同額だけ、他の市場(貨幣市場や債券市場)で超過需要が生じてワルラス法則が成立します(もし、こうした市場間の資金移動《正確には移動というわけではないですがわかりやすく》がないなら、どうしてワルラス法則が成り立つでしょうか?)。

 この結果、強い需要不足下では、財・サービス市場で強い需要不足がある限り、債券市場などに巨額の資金が毎年流入しますので、財政出動に伴うクラウディングアウト、マンデル=フレミングモデルによる輸出減退などは生じませんし、毎年巨額の新発国債を発行している日本国債が世界最低の金利で円滑に消化されているのも当たり前ということになります。

 私の理解では、3つの学派のいずれでも、こうした「市場間の資金の移動」という観点が折り込まれていないと考えています。また、残る「ケインズ派」も十分ではないと思っています(流動性の罠がらみはありますが)。

 
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Unknown (基礎固め)
2013-11-12 22:31:21
興味深く拝見いたしました。

わたし的現在の興味から、市場間の資金移動を主流派が余り考えない理由を思い浮かべると以下に成ります。

主体の違いを軽視、その主体ごとの貨幣需要か現物需要かの行動選択想定を考えない、それらの時間軸を軽視、つまり予想時と実質時。また、主体ごとの金融資金力の違いによる実態金融市場に対する時間軸効果の違い、また、其の財政政策バージョン。
そして、主体ごとの資金量比較によるトータルの貨幣か現物傾向どちらの比重が大きいかのマルチエージェントシミュレーションをしてないように思います。複雑系や実験経済学は手をつけてるかな!?
例えとしては主体としては、個人総合、企業、資産家又は投資団体でしょうか…。時間軸効果を最も直ぐに発揮できるのは、余剰資金が多い時の資産家又は投資団体であり、実質景気を見る前に予想にて市場に影響を与えられる!?
わたしの今の興味がシミュレーションのため書いてみました。

それにしても本来ベンチマークである経済学の前提が経済学学徒の思考停止を促しているとしたら悲劇的ですね。簡易なシミュレーション道具やメソッドを与えられていないのは更に悲劇でしょうか…。
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銀行 (KitaAlps)
2013-11-13 23:09:26
 どうもありがとうございます。
 私の視点は、現代マクロ経済学が過去数十年、ミクロ的基礎付けを重視してきたのに対して、あらためてマクロ的制約の観点をより強く意識していくべきと主張するものです。ミクロ的基礎付けの視点に、マクロ的制約の視点を加えて考えるべきという主張です。ですから、私が付け加える点があるとすれば、それは、マクロ的観点だと思っています。

 市場間に資金移動があるとしますと、それは各市場の需要側の予算制約を変動させるはずです。現在のように、財・サービス市場で需要不足が存在することが観察されているなら、それに伴って生ずる市場間のマクロ的な資金移動を考えるだけで、(信用危機時には貨幣市場に、それがおさまれば債券市場に資金が流入し、それだけで)、少なくともいくつかのマクロ的な経済現象を単純に説明できると考えるものです。

 確かに、具体的なメカニズムとしては、現実には、多様な主体の各市場への予算配分行動を考え、それを基礎として考えればよいことになります(拙著でもそうした点に簡単にふれています。また、補論では簡単ですが、ワルラス法則を市場間の予算配分として記述してみています)。

 しかし、現代経済では金融機関が重要な役割を果たしています。例えば、家計や企業等の貯蓄が設備投資や消費などにわずかずつでも使われないとき、家計や企業等が特に意識せずとも、金融機関は、それらの集計量としての預かり資産と運用状況を常に見ていますから、(家計や企業等自身が意識せずとも)金融機関が、流入した・・・あるいは預金として滞留(マクロでは貨幣流通速度の低下として見える)している資金を(企業が設備投資を抑制しており、企業に資金需要がないなら)国債等の債券市場や貨幣市場で運用することになります。
 したがって、市場間の資金移動は、金融機関によって、ほとんど自動的に行われると考えて良いと思います(・・・これは日本ではさらにその傾向が高いと思います)。・・・この意味で「市場間の資金移動」という表現はある意味で誤解を招きやすいかと、上のコメントでは《 》書きしています。

 金融機関が、どのように資金の運用先を配分(=市場間の資金移動)するかは、拙著では、主に収益最大化原理のほかリスク・不確実性最小化という2つの基準で判断すると考えています。企業が設備投資を抑制しているなら、信用危機などでリスク・不確実性最小化が重視されるときには貨幣市場へ、信用危機は収束しているがリスク・不確実性が依然として重視されるなら債券市場特に国債市場へ、リスク・不確実性が低下して専ら収益最大化が重視されるようになれば、社債や融資へ配分のウエイトが変化するだろうと考えています。
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