経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

経済学から見た文明論

2012年06月02日 | 経済
 今年になって文藝春秋に「日本の自殺」が再録されたとき、近年の社会問題である自殺が取り上げられたと勘違いしていた。それを、かつて香山健一が書いたらしい文明論と知ったのは、先日、新書になったものを見つけてからだった。内容は、「パンとサーカス」を求める大衆が日本を没落させるというものだが、現在状況には合わないような気がする。

 現在の若者が求めているのは、福祉のパンより正社員の口だし、無料のサーカスは、そう見せかけてカネを搾り取る携帯ゲームだったりする。ポピュリズムや建設なき改革への熱望は、今に当てはまるが、豊かさによる甘えより、デフレの閉塞感がそうさせているように思える。

 そもそも、豊かでなければ、退廃の社会思潮は生まれないもので、豊かさの弊害みたいなものだ。今の日本の苦境が大衆の退廃ゆえにもたらされたかといえば、そうではなく、1997年に、エリートが度外れた緊縮財政をしたために、はまり込んだものである。翌1998年には、自殺数が3割以上8000人も急増し、文字通り「日本の自殺」になったのである。

………
 ただ、繁栄が文明の衰亡の種となるという説は、分からないでもない。繁栄が高成長経済というのなら、高貯蓄=高投資=高成長の経済が徐々に貯蓄率を低下させていく過程は、最も豊かさを味わうことが可能だからだ。勃興期は、成長を高めるために資本蓄積をしなければならない以上、多くを消費に回すわけにはいかないもので、逆に衰退期は、資本が取り崩されるのだから、労力以上の消費を楽しめる。

 したがって、文明が衰亡の過程で最後の輝きを放つというのは、経済学の観点から見てももっともなことに思える。それが当てはまるのは今の米国で、すっかり貯蓄率を低下させてしまったわけだから、繁栄は最後の段階を迎えているかもしれない。まだ今は、機軸通貨といった過去の遺産が何とかもたせているところがあり、それを長持ちさせる賢明さが肝要だろう。

 前にも書いたように、高貯蓄経済というのは、自然に出来上がるものではなく、輸出などの外挿的な需要をテコに、政策も動員して実現しなければならない。逆に、上手く貯蓄率を低下させるには、あえて輸入を増やすことが必要になる。これが同時に起こると、あたかも文明の交代といった様相を呈することになる。

 戦後、米国は、日本からの輸入を受け入れて消費を楽しんだ一方、日本は輸出を牽引役に経済大国へと躍進した。1980年代に日本が世界一の債権国に駆け上がるのに、レーガノミックスの役割も大きかった。また、小ブッシュ政権期のサブプライムバブルがなければ、中国や新興国の台頭もあり得なかっただろう。まあ、投資率を高め過ぎた中国には、維持不能の危うさがあるにしても。

 こうした観点からすれば、高貯蓄から低貯蓄へと移り変わりつつある日本の国民は、もう少し恩恵を受けても良さそうなものである。残念ながら、米国のように、消費を拡大して没落するのではなく、稚拙なタイミングでの緊縮財政を取り、それによるデフレ・円高で設備投資をすり潰す形で衰退させている。衰退するにしても、もっと美しく、年を経ることはできないものだろうか。

(今日の日経)
 米雇用一段と鈍化。円独歩高、ドルからも逃避。長期金利0.805%。昨年度税収、補正見積り上回る可能性。4月GDP前月比1.0%増。中国、製造業悪化、刺激に着手。太陽電池、日本で市場争奪。新車販売5月39.5万台。

※米国は一進一退だろう。この弱さだと財政の崖があると悲惨なことになる。欧州は異常事態だね。緊縮をすれば、金融を直撃するのは、ハシモトデフレの教訓でもある。※上ブレは8000億円くらいか。エコカー継続などの補正予算もあるかな。

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