「 萩往還マラニック250km」の過去を調べてみました。いつから変わってきたのか・・・
左のグラフは「萩往還250km」の第1回(平成4年)からのエントリー者数。
第15回までは参加者は200名前後だったようです。
Aの年(平成16年)にいきなり増加しています。296名→416名。理由は・・・・
平成16年5月2日が日曜日だったことと、他のウルトラマラニックが中止になったことで、多くのウルトラマラニッカーが萩に流れてきたためです。ところが、この年は大雨になり、完踏率は47%と最低。
翌年から「140kmに参加しないと250kmには参加できない」というルールができました。
以前は定員はありませんでした。定員が設定されたのは、第21回から350人、第23回から450人に増量、第26回から500人にさらに増量、現在に至る。
Bの年は小野会長が大会運営から手を引いた年(平成20年)です。それまで小野会長がほとんど大会運営の指揮をしていたそうです。そのころ、申し込みについて大会本部?自宅?に電話したら、会長が出られびっくりしました。説明会では選手をしかっていました。怖い存在でした。
会長が辞められてから、大会はシステムが変わってきました・・・・
●平成21年: 記録集が詳細になった。コース図がA4の製本になった。それまではB4のコピー紙だった。
完踏賞がメダルになった。なぜかギリシャの像?
点滅ライトが100均のものから、オリジナルのLEDライトに変わった。
●平成22年: 選手の監視が始まった。失格者が出た。
●平成23年: 製本されたりっぱな完踏記集ができた。それまでにも完踏記集はありましたが雑でした。。
●平成24年: 収容バスが巡回するようになった。完踏メダルがデカくなった。
●平成27年: 参加費のアップ。受付14時半まで。説明会参加強制。確認テスト満点必須。
第17回から21回ごろが一番楽しかったような・・Cの年(23回)あたりから変わってきたような・・・参加者が増え過ぎているのでは・・それらに対してお世話し過ぎているのでは・・
★クラブの話題を :
・第22回大会で、みどりちゃんがゼッケン1番になり、大会ポスターに大抜擢。超有名になりました。エイドごとに「ポスターの人だ」と言われてました。
・第19回大会で参加者7名全員完踏しました(田代、吉松、MTB、河野、岩本、福地、上野)。