今回で「萩往還マラニック大会」に15年連続、15回参加してきました。あと1回で終わりですので、これまでのできごとを、忘れないように、思い出して書いてみました。
●第15回大会(2003年): 初めて「萩往還70km」に参加。
阿蘇カルデラに初めて参加するので、その練習のために参加してみた。間寛平さんと一緒だった、往路は一緒に走れたが、復路ではついていけなかった。
記録は9時間15分、今年の記録で比較すると52位/414名中、結構いいタイムだった。
●第16回大会(2004年): 萩往還250kmに初参加。
大村湾160kmを完踏できたので、250kmもできるだろうと思って安易な気持ちで参加した。この時は「140kmに参加してないと出れない」という条件はなく、だれでも250kmに参加できた。
懐中電灯を手に持って、タイツは持っていなかったので、ブレーカをはいて参加。とても今のマラニックの格好ではなかった。油谷、宗頭にも荷物は置かず、軽装で参加。てれっと人から笑われた。
運悪く、大雨でビショ濡れ(ブレーカは耐水性ではなかった)。仙崎エイドで寒さとめまいで歩行不能になり、リタイア。
●第17回大会(2005年): また、萩往還250kmに挑戦した。
今度は雨は降らなかったが、またもや仙崎でめまいが起こりリタイア。あとで分かったが、血清鉄が正常値の3分の1以下しかなく、これが原因だった。
・この年から定員が定められた。昨年まで300名以下しか集まらなかったので、定員を決める必要はなかった。昨年は他のウルトラ大会「さくら道270kmウルトラマラソン大会」が中止になったため、その参加者が萩往還に申し込むようになり、参加者が400名以上になった。
そのため、この年から定員350名となった。
●第18回大会(2006年): またもや、250kmに挑戦。3回目の挑戦、初完踏。
これでダメだったら萩はあきらめるつもりだった。今度は宗頭まで行くことができたが、宗頭で寝過ごし、深夜に電話で起きて、あわてて再出発。なんとか完踏。3回目にしてやっと完踏できた。
・説明会会場: これまで近くのお寺の講堂であっていた(右写真、Sさんです)が、この年から教育会館に変わった。
●第19回(2007年): 2回目の完踏。
河野さんと虎ヶ崎まで一緒にラン。虎ヶ崎でハッパを掛けたら、先に行ってしまった。
・「ミラクル河野さん」
http://blog.goo.ne.jp/karudera1009/e/bd6521e8a74adc67ac156890fad52c19
●第20回(2008年): 3回目の完踏。
新記録を出そうと、上郷駐輪場までトップで走行。ところが後半バテてしまい、最悪の記録だった。
・エイド廃止: 「シーブリーズ」エイドが廃止になった。
・コース変更: 千畳敷への道はこれまで山中の遊歩道だったが、今年から、現在の車道に変わった・・・・変わったということは、選手には知らされていなかった。現場に行って初めて知った。私は下見で知っていたので、こっちを通ろうかと思っていた。
●第21回(2009年): 4回目の完踏。
・みどりちゃん初完踏。「やったねみどりちゃん」
http://blog.goo.ne.jp/karudera1009/e/93b011024d2b75905a73c06ed06cd88c
・クラブからの参加者が10名越えてきたので、バスをチャーターして山口に行くようになった。これまでは自家用車に分乗して行っていた。
・会長交代: 小野会長退任。新会長に代わる。
・CP新設: 「豊田湖石切亭エイド」は豊田公園内(59km)へ移動し、CPになる。
・CP廃止: 「笠山CP(206km)」が廃止。
・エイド移動: 「西坂本集会所中学生エイド(127km)」が2km先の現在の位置に移動。
・エイド廃止: 萩往還道の駅にあったエイドが廃止。
・エイド公認: 240kmの「おばちゃんよもぎエイド」が公認に。
・種目廃止 : 歩け歩け60kmが廃止。
・てれっとクラブをアピールするために「てれっとバッチ」を作った。参加者のみなさんに付けてもらうようにした。以後、萩往還ではバッチは結構知られるようになった。
・岩本さん最高年齢完踏者。みどりちゃん最小年齢完踏者。
・参加賞: この年まで参加賞に軍手があったが、翌年から軍手はなくなった。「萩往還」の印字があり、気に入ってましたが。
・大会前に熊本の居酒屋で「完踏祈願会&完踏セミナー」を開催するようにして、詳しいコース攻略図を作成するようにした。年々改訂していった。
・受付場所: 正門の奥だったが、現在の場所に変更になった。
●第22回(2010年):
・コース変更: 萩市内の椿大橋がコースに。
・地図変更: 地図がきれいに製本された。
・参加賞: Tシャツが廃止されタオルになった。
・完踏賞: 完踏賞はこれまで15cmぐらいの往還道標識の木のオブジェだった。この年から木のオブジェが小さくなった。これには選手みんな大不評。
●第23回(2011年):
・CP移動: 「豊田湖畔CP」が駐車場から食堂へ移転。
・CP移動: 「東光寺(215km)CP」が正門前からお店の方に移動。
・種目変更: 35kmマラニックが廃止。
・みどりちゃんがポスターのモデルに選ばれた!
・完踏賞: メダルに変わった(しかし、なぜかデザインがギリシャ風?)。
・点滅ライト: これまで百均物だったが、今年からオリジナルの円形バッチに変わった。
●第24回(2012年):
・CP新設: 陶芸の村(216km)、浜崎緑地公園(198km)、油谷中学校(87km)がCPになった。
・CP移動: 立石観音のCPがお店の前に移動。
・関門時間の変更: 仙崎の関門時間が20:30から18:30と2時間も短縮された。
・収容バスの新設: バスがコース内を巡回するようになった。
・OBS、木村さんが青海島を走行中、ライトが二人とも切れ、真っ暗な中、点滅バッチの光だけで戻ってきた。
・トップの選手がショートカットで失格。
●第25回(2013年):
・コース変更: 大坊ダム周辺の道路ができて、新コースになった。
・定員増加: 定員350名から500名に大幅増加。
・マイコップ: この年からマイコップが必須になったが、マイコップがなかったので、水がもらえなかったと大紛争が起こった。
●第26回(2014年):
・参加賞: 反射板の配布が2枚になった。
・預ける荷物: 杖を荷物に入れてはいけなくなった。
・荷物を置いていく: 仙崎での荷物預けは禁止された。
・小野元会長、83歳で他界された。
・参加者数: 250kmの参加者が500名超える。
・事件: チェックもれで失格した選手がゴールで大暴れ。それ以降、いろいろ規則が変更になってしまった。
●第27回(2015年):
・参加費: 3万円から3万8千円へアップ。
・申し込み方法: 「確認テスト」が導入され、全問正解しないと参加できなくなった。
・受付時間: 当日は14時半までに短縮。
・コース大幅変更: 青海島は静ヶ浦キャンプ場までで折り返し、鯨墓はなくなった。長門市街地の正明市交差点から南下して、湯本温泉まで行って折り返すコースが新設。
・CPの廃止: 「鯨墓CP(164km)」が廃止。静ヶ浦キャンプ場から鯨墓までの車道は歩道がなくとても危険。以前から問題になっていた。この年からここは廃止。
・CP新設: 「静ヶ浦キャンプ場(158km)」がCPに。
・CP新設: 「湯本交差点(144km)」がCP新設。
・説明会: スタート前の説明会(15時)に参加しないとスタートできなくなった。
・点滅ライト: 厚みが薄くなった。
・私の完踏回数が10回に達した。10年連続。説明会会場で表彰された。
●第28回(2016年):
・暴風雨で青海島コースが中止になり、距離が10km短くなった。
・エントリー: 受付が4日で定員になった。
・ウルトラセミナーの講演依頼が来た。快く引き受けた。演題は「各関門の最低通過時刻の考察」。
●第29回(2017年):
・12回目の完踏、12年連続完踏達成。
・エントリーが1日で締め切られた。定員は500名だが、1日で600名以上の申し込みが来たため、今回は参加者が625名にもなった。
・完踏賞: メダルのデザインが変わった。萩往還の景色とかわいい漫画になった。
・ウルトラセミナー講演2回目。演題は「ランナー目線の完踏情報」。来年も依頼するとのことだが、抽選にもれたら、どうなるんでしょう。