AID STATION

今を精一杯生きたい

昭和の熊本

2013年11月13日 12時31分20秒 | インポート

先日、「RKK開局60周年記念 特別番組 熊本風景今昔」という放送がありました。これからも数回あるそうです。開局した1959年からの熊本市の風景を撮影したものです。

1959年というと私は8歳。上通りの近くに住んでいましたので、その当時の熊本市内はよく覚えています。TVに釘づけになりました。そこで観たもの・・・・

・大洋デパート : 屋上の遊園地でよく遊んでいました。乗り物はすべて覚えていました。ひょっとして自分が写っていないか凝視しましたが・・・わからない4

・アーケード : アーケードができたのは昭和44年。アーケードのない時も覚えています。大洋デパートの火災はアーケードができて数年後でした。

・飛行場 : 昭和38年までは飛行場は健軍にありました。ときどき飛行機を見に行ったことを覚えています。

・市電 : 以前は水道町⇔子飼、藤崎宮前⇔上熊本の路線もありました。子飼の映像が出た時はなつかしかった。子飼の終点の横に東映映画館がありましたので、よく忍者ものの映画を見にいったものです。

・東宝映画館 : 映画館の上にあった壁画(今は学園大にあるそうな)はなつかしかった。東宝映画はよく見に行っていました。何故か学生の時は、森繁久弥、渥美清、三木のり平の「社長漫遊記」、「クレイジーキャッツ」、「無責任時代」、「加山雄三」、「ゴリラ」、「モスラ」のシリーズものをよく観たものです。

最近、知ったのですが、「モスラ」でザピーナッツが唄っていた「モスラの唄」はインドネシア語でいい加減な呪文ではなかったそうです。知りませんでした。

・鶴屋 : エレベーターガールではなく、エスカレーターガールが写っていました。以前はエスカレーターにも誘導員がいたのですね。エスカレーターが出来たころ(昭和48年)エスカレーターは難しくて乗れないという人がいましたっけ。

エレベーターガールは今でもいるのでは・・・県民百貨店で見たような?

これからも放映があるそうなので、また観てみたいです。 

コメント
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