NHKスペシャルー{飯舘村・・人間と放射能の記録・・を見て
あい変らず「原発事故」から抜けることができません。
23日夜の番組を多くの人がごらんになったことでしょうが、いままでに見たどんなドキュメンタリー番組よりも印象深く心に響き、なみだを流しながらの観賞でした。
「飯舘村」は「事故原発」から20km圏からわずかに外れていて、事故後の避難指示はありませんでした。
ですが放射線量が20ミリシーベルト/年間を超える恐れがあることから、4月11日に「計画的避難区域」に指定されました。
結果として1ヶ月以内に全村民が避難するよう指示されたのです。
5月15日から始った避難は、それぞれの家族に「不安と悲しみと怒りと絶望」を味わせることになるのです。
放送は村民の苦しみを、農業一家や牧畜業の家族に密着して克明に描写します。
冷害が続き貧しかったこの寒村が、何代にも亘る村人の努力でようやく豊かに暮らせるようになってきた最近です。
25年も牧畜に努力し、ブランド牛に育てることを誇りにしてきたお父さんは「種牛を避難させても戻れる望みが無い」」ことに絶望し、泣く泣く牧畜を断念することにしました。
手塩をかけて育てた「ブランド種牛(清姫いう名前です)」を手放す別れの場面は、どんな映画やドラマでも表せない悲しみがあります。
お父さんが、汚れた手で流れる涙をぬぐう画面は自分の涙でぼやけてしまうのです。
力をあわせて平穏に農業を営む4世代家族が、豊かな里山の生活を捨てねばならない悲しみと行く先の不安・・・・
兼業農家の畑を捨てることに悩みぬく若い農家の人・・・
村人の世話役をしながら、放射性物質の除去実験に協力するものの、行政に翻弄されて家を離れざるを得なかった家族・・・
飯館村の人びとにかぎらず、たくさんの人々が「放射性物質」に追われて、平穏な生活を奪われることになりました。
ここ数年、核家族化や貧困などで「家族崩壊」が顕著となりました。
そこで「絆(きずな)」という言葉が言われるようになりました。
さらにこんどの大震災被害者を励ます言葉としてさかんに使われています。たしかに大災害を乗り越えるにはこの国の人々すべてが、目的を一つにして相互の「絆」を強くする必要があります。
ですがこのたびの「原発事故」は、永い間培われてきた「ふつうの家族の絆」をあっさりと断ち切ってしまったのです。人びとのこの「絆」を断ち切ったのはいったい誰なのか? 自然災害のせいにするわけにはいきません。
7月23日の新聞報道にありましたが、‘09年の自○党への個人献金の72%(4702万円)が電力9社の役員からのものだったそうです(企業献金が批判を浴びて廃止した後)。役職別献金額は各社ほぼ横並びとのこと。
政府や電力会社が言うように、原発がほんとうに安全ならば、立地市町村へなぜそんなに「多額の特別交付金」をばらまかねばならないのか? 電力会社の政治献金はなぜそんなに多額になるのか?
そこにはどうしても「胡散臭さ」が付きまといます。
農家をはじめ牧畜業者も稲ワラ業者も、お肉屋さんも焼肉屋さんも、今回の「放射性物質汚染」に関してはなんの罪もありません。
安全性に懸念を表してきた学者や専門家、評論家を無視したり、潰してきた政治家、官僚、電力業界など「原発推進派」の面々こそ人々の「絆」を断ち切り、罪の無い多くの関連業者を塗炭の苦しみに遭わせている元凶だと思うのですが・・・・・
![](http://photofriend.jp/u/39864/d5f78a3133e4bc2d316429624a39ec8040000000000001685847.jpg)
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<公園内を周る電車>
あい変らず「原発事故」から抜けることができません。
23日夜の番組を多くの人がごらんになったことでしょうが、いままでに見たどんなドキュメンタリー番組よりも印象深く心に響き、なみだを流しながらの観賞でした。
「飯舘村」は「事故原発」から20km圏からわずかに外れていて、事故後の避難指示はありませんでした。
ですが放射線量が20ミリシーベルト/年間を超える恐れがあることから、4月11日に「計画的避難区域」に指定されました。
結果として1ヶ月以内に全村民が避難するよう指示されたのです。
5月15日から始った避難は、それぞれの家族に「不安と悲しみと怒りと絶望」を味わせることになるのです。
放送は村民の苦しみを、農業一家や牧畜業の家族に密着して克明に描写します。
冷害が続き貧しかったこの寒村が、何代にも亘る村人の努力でようやく豊かに暮らせるようになってきた最近です。
25年も牧畜に努力し、ブランド牛に育てることを誇りにしてきたお父さんは「種牛を避難させても戻れる望みが無い」」ことに絶望し、泣く泣く牧畜を断念することにしました。
手塩をかけて育てた「ブランド種牛(清姫いう名前です)」を手放す別れの場面は、どんな映画やドラマでも表せない悲しみがあります。
お父さんが、汚れた手で流れる涙をぬぐう画面は自分の涙でぼやけてしまうのです。
力をあわせて平穏に農業を営む4世代家族が、豊かな里山の生活を捨てねばならない悲しみと行く先の不安・・・・
兼業農家の畑を捨てることに悩みぬく若い農家の人・・・
村人の世話役をしながら、放射性物質の除去実験に協力するものの、行政に翻弄されて家を離れざるを得なかった家族・・・
飯館村の人びとにかぎらず、たくさんの人々が「放射性物質」に追われて、平穏な生活を奪われることになりました。
ここ数年、核家族化や貧困などで「家族崩壊」が顕著となりました。
そこで「絆(きずな)」という言葉が言われるようになりました。
さらにこんどの大震災被害者を励ます言葉としてさかんに使われています。たしかに大災害を乗り越えるにはこの国の人々すべてが、目的を一つにして相互の「絆」を強くする必要があります。
ですがこのたびの「原発事故」は、永い間培われてきた「ふつうの家族の絆」をあっさりと断ち切ってしまったのです。人びとのこの「絆」を断ち切ったのはいったい誰なのか? 自然災害のせいにするわけにはいきません。
7月23日の新聞報道にありましたが、‘09年の自○党への個人献金の72%(4702万円)が電力9社の役員からのものだったそうです(企業献金が批判を浴びて廃止した後)。役職別献金額は各社ほぼ横並びとのこと。
政府や電力会社が言うように、原発がほんとうに安全ならば、立地市町村へなぜそんなに「多額の特別交付金」をばらまかねばならないのか? 電力会社の政治献金はなぜそんなに多額になるのか?
そこにはどうしても「胡散臭さ」が付きまといます。
農家をはじめ牧畜業者も稲ワラ業者も、お肉屋さんも焼肉屋さんも、今回の「放射性物質汚染」に関してはなんの罪もありません。
安全性に懸念を表してきた学者や専門家、評論家を無視したり、潰してきた政治家、官僚、電力業界など「原発推進派」の面々こそ人々の「絆」を断ち切り、罪の無い多くの関連業者を塗炭の苦しみに遭わせている元凶だと思うのですが・・・・・
![](http://photofriend.jp/u/39864/d5f78a3133e4bc2d316429624a39ec8040000000000001685847.jpg)
photo by karusan from OCNフォトフレンド
<公園内を周る電車>