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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

0からのスタート

2018-03-04 | 陸上競技
部活について。卒業生に対しての卒部式を2月28日に実施。本来なら卒業式の後の方が良かったのですが。色々と事情があって。

最初に全体で集まってその後、各パートに分かれて。短距離は別室で行いました。それぞれに話をさせました。思う事はあるでしょうから。なかなか話ができない部分があります。

かなり前に話はしていました。この子達が1年生の時だったと思います。「最後に何を思うか」という所は大切だと思います。2年ちょっと部活動をやってきて本当に記憶に残っているか。必死になってやってきたらそれなりに思うことがあるはずです。涙ながらに話をする選手も複数。周りからどう言われるか分かりませんがやらり「全力でやる」事がなければここで涙は流れないと思います。

この子達が入部してきた時から私が指導を始めました。短距離は自分達でメニューを決めてやっていた部分がありました。そこからの急激な変化。ここに関しては前にも書きましたがもっと緩やかな変化の方が良かったのかもしれません。私が前任校でやっていたスタイルでは間違いなく無理。ギャップが大きすぎる。初めて練習に参加した時に2時間半くらい軽くやったのですが「普段は30分の日なのになんでこんなにやるのか?」という話も出ていました。練習をやるという所からきちんと始めないといけない。

競技指導云々よりも「競技をするために何が必要か」という部分からのスタート。本当に0からのスタートだったと思っています。当たり前のように遅刻してくる。私が不在の時は部室から出てこない者がいる。そんな状態。競技場での練習中にはスマホを触っている姿もあったとか。まーなかなかです。別にそれを全否定するつもりはありません。そういう陸上競技もあって良いんだろうなと。私のスタンスとは違う。この違いを押し付ける感覚になってしまっていたので上手くいくはずがない。

男子のリレーでは県新人で「30mオーバーゾーン」を経験しました。陸上人生初です。ホームストレートの真ん中くらいまできていました。バトン練習に関してはかなり話をしていた時でした。日頃往生という感じでしたが。ミスをした理由が「スタートの時に隣の選手がぶつかったので」という感じだったと思います。全く的外れな話でした。それでも普通に話をしている。笑っていました。

女子は県体で1ー2走で失格。走力自体は全くありませんでした。一番速い選手が14秒5位でしたから。それでもリレーを組んで闘うと決めていました。ミスをした後笑っていました。このことに関してはかなり厳しく指導した記憶があります。隣では他校の選手達が泣き崩れていました。バトンミスで失格をしている。同じ状況でも全く違います。リレーに対する想いの小ささを痛感しました。

なかなかでした。そこからチーム作りが本格化する。もちろん、かなりの批判を受けながら。私の行動の一つ一つが問題視される部分がありました。そんな中でもきちんと理解してくれてついて来てくれたもいうのは本当にありがたいですね。

男女キャプテンが話をしました。先生に注意を受ける。その時に「自分達は関係ないのに言われるのか?」「本当に後輩がムカついた時期があった」と(笑)。それはそうだと思います。2年生になってキャプテンとなりかなり指導されました。全体に指導される事も多かったですが下級生の行動により巻き添い的に指導される部分がかなりありました。下級生は力があった。が、全て自己中心的。それでチームとしての行動ができない。チームとして考えることを求められていましたから。

そんな中で少しずつ進んでいく。2年生の秋には男女共にリレーで決勝へ。少しずつ形になっていました。選手が集まりにくい学校としてどう戦うのか。伸び率はかなりのものだと自負しています。が、その部分の理解と「なんでここまでしてやらないといけないのか?」という感覚。こういう感覚の選手であれば批判的な考え方になると思います。

最後の県総体、準エースであった男子キャプテンが故障を抱えて出場。リレーで決勝まで進みましたが8位。その時にサポートに回ってくれた3年生が下級生に「自分達のために走ってくれてありがとう」と言ったとのことでした。卒部式の時に初めて知りました。チームとして進めていたんだなと。その想いをどれだけの者が受け継いでくれていたのか。悲しくなりますが。

中国大会決勝でリレーが8位。県総体で故障していた者が再び足を痛めて力が出し切れなかったというのも多少は影響しているかもしませんが全体的な力不足です。そのことに関して女子キャプテンは「後輩と一緒にインターハイという目標に向かってやってこれて本当に良かった」と。私的には男女共に申し訳ないなという気持ちですが本人達の中に何かが残ってくれているというのは大きい。

男子キャプテンの話。陸上競技は個人種目だけどやっぱりチームスポーツだと思うと言っていました。他校ではなくうちで競技ができて本当に良かった、と。本気でやる中ではトラブルや衝突も起きます。起きないのは仲が良いからと言われるかもしれませんが、それぞれ思う事をぶつけ合えば間違いなく衝突する。ぶつかり合って磨かれるのだと思います。走るのは1人だけど練習はチームとしてやる。そういう感覚を持ってくれていたのはありがたいなと思います。

やはり一番大きいのはこの学年の中からインターハイ選手が出たこと。普通ではありえないと思います。これも何度も書いていますが。ポールでのインターハイ。他地区と比べたらという話も出てくるのかもしれませんが完全に素人が3m10跳んだ事は価値があると思っています。1年生の時には14秒8くらいだった走力も気がつけばある程度の所まで上がっていました。この子がインターハイに進めた。

入学当初、目標は「学校の前に横断幕を掲げる」だと言っていました。普通に考えたら無理。それでもポールと出会い、gt先生から専門指導を受けて少しずつ記録を伸ばす。この子の努力もあったとは思います。が、やはりこの子がポール練習をするためには同級生のポールの男子の存在が大きい。経験者でしたから近くでサポートしてくれていました。更にポールをやるためにはマットを準備しないといけない。それは1人ではできない。チーム全体で取り組んできた結果がインターハイに繋がったのだと思います。誇らしい結果だと思います。

0からのスタート。このことに関して男子キャプテンが「0からの先生と一緒にチームを作り上げてきた」と書いていました。同じ感覚の中でやれていたのだなと思います。喜びも苦しさも共有できていたところがある。それぞれについて書けばきっと莫大な量になります。時間があればまた書きたいなと思います。この学年からスタートしたうちの取り組み。認められない部分があるとは思いますが、私は本当に誇りに思います。

また書けたら書きます。多分。
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記憶に残る

2018-03-04 | 陸上競技
クラスの生徒には何度か話をしていました。私自身が今の学を卒業しています。高校時代、あれこれやってきました。まーほぼ練習だったと思いますが。色々なことをしたと思いますが「卒業式」の日の記憶があまりない。たった1日の事だから仕方ないのかもしれません。当時はスマホなどもないですから写真自体もない。教室で担任の先生と写真を1枚撮ったのが残っていました。それ以外の記憶がない。

卒業式の日は特別だと思います。特別ではないが特別。難しい表現ですが。

私自身、みんなで1つのことをするというのが好きです。これも話をしましたがクラスマッチや学校行事では全員でトコトンやりたい。どこまでやるんだ?ってくらいやる方が楽しい。記憶に残ります。私自身が楽しみたいというのも大きいと思いますが。そういう感覚の中でやってきました。

卒業式の日。何かしたいな、と。前回卒業生を送り出した時にクラスで風船を飛ばそうという企画がありました。この時は風船に植物の種をつけて飛ばす。旅立ちと芽生えという意味を込めて。が、卒業式当日はあいにくの雨でした。そのため飛ばしたのは良いのですが校舎を越えた所で落ちているというのが多数(笑)酷かった。それはそれですごい記憶なんですが。

今回は私自身の強い想いもあってもう一度風船を飛ばす事を提案。生徒は満場一致。単純に風船を飛ばしたいというのではなく「卒業式の日にみんなで1つの事をしたい」という部分がかなりありました。アホみたいな事かもしれませんが記憶に残る。それを保護者に見てもらう。保護者の記憶にも残るかなと。まー自己満足なんじゃないかという部分も多々ありますが。

朝の時点で風船にヘリウムを入れて準備。卒業式とホームルームが終わった時点で飛ばそうと思っていたのですが。3時間くらい経過していたので若干風船に元気がなくなる(笑)これじゃ飛ばないじゃないか?!と危機感を感じる。実際いくつかの風船はフニャっとなっていました。飛ばなくなった風船のヘリウムを一つに合わせて行きながら対応。バタバタで外へ。

実際はグランドから飛ばそうという案でした。まー中庭から飛ばすと「また勝手な事をしている」という批判の的になる危険性がありましたから。が、生徒と話していると「風船飛ばすのをみんなに見てもらいたい」とのこと。ここまできたらもう関係ないかなと。怒られるのは私だし。風船に関しては自然に還るモノを選択していました。一応環境に気を配って。中庭からであれば保護者も渡り廊下から見れます。貴重な経験になるかなと。







中庭から飛ばしました。イメージとしては真っ直ぐ飛んでいって欲しかったのですが前日からの強風により校舎を過ぎた所から真横に飛んでいきました(笑)。それでも生徒も保護者も喜んでくれていました。多少なりと記憶に残れば。

綺麗事ではない。なんとなく終わらせるというのは私的には合わないと思っています。これも私の自己満足なのかもしれませんが。それでもこうやってみんなで何か一つのことをやって終わるというのには意味があると思います。別にこの子達に好かれようと思う気はありません。こうやってblogに書けばまた批判されるのかもしれません。

それでも何を伝えるかというのは大きい。勢いだけではなくこちらがどのような想いで何を伝えようとしているのかは本当に大きなことだと思います。

旅立ちです。これからが大切。目標に向かって進んでいってもらいたいですね。
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卒業式

2018-03-03 | 陸上競技
卒業式。この日までに何をするか。そこが大切だと思っています。特別な日ですがこの日だけ何かを話すというのも違うなと。そこまでのプロセスで何をしてきたのか。ここは大きな話だと思っています。

担任をして最初の卒業生を送り出した時は私がDVDを作りました。2回目は生徒と一緒にDVDを作りました。3回目は生徒が自分で作りました。自ら動くという感覚が育てられたのかなと。私から与えるだけではない部分が欲しかったので。

今回は流れのまま。これまでも学校行事の時にはスマホで写真を撮ってデータを渡していました。ある程度のデータを追加で集めてDVDに焼いて渡すだけとしました。あとは少し時間をかけてポストカードにコメントを書いて渡す。話をするだけよりはメッセージを送りたいなというのがあったので。一人ずつ手紙を書いても良かったのですがあまりにも長くなるとどれだけ時間があっても足りません。ここは考えないといけない。話をするプラスメッセージかなと。

卒業式を迎えるまでに何度か教室で呼名練習をしてきました。生徒が返事をするというよりは私が読む練習をしなければいけないなと思ったので。体育館で練習をした時にマイクを使って呼名しました。すると、声が小さくて聞こえない&いつもと感じが違って分かりにくいというクレーム?がついたので今回もマイクを使わずに自分の声で名前を呼ぶことになりました。こういう部分、協調性がないとかスタンドプレーと言われるのかもしれません。それでも必要があればやるべきだと考えています。

卒業式の日、式直前に教室で練習。ここが一番ヤバかったですね。一人一人を目の前にして呼名する。顔が見えます。こちらの声に精一杯答えようとしてくれる感じがありました。後半にはこちらも涙が出てきて終わった時にはかなり(笑)早すぎです。生徒にもバレていたようでしたが。

式自体は良い返事でした。歌を歌う時にもかなり声が出ていました。感動。答辞は陸上競技部の選手が行いました。途中部活の話が出てきた時にはやはりこみ上げるものがありました。良い式だったと思います。

教室に戻り一人ずつ卒業証書を手渡し。そのタイミングでそれぞれが一言話をするという流れでした。これはうちの学校の流れのようなので。初めてでした。うちのクラスの生徒は3学期に全員「1分間スピーチ」をさせていました。かなり嫌がっていましたが(笑)それでも思っていることを人前で話すというのは必要かなと。卒業式で話すことがないじゃないか?!という噂もありましたが。今回は保護者への挨拶を含めてかなり涙を流しながら話してくれていました。こういう機会も必要かなと。

私からも少しだけ。今回学校新聞にコメントとして「与えられる」から「与える」へ、というタイトルで書きました。この辺りのことも含めて。保護者の前で話をするというのは微妙ですが「痛い目に合えばいい」という内容を。これまでは周りが失敗しないようにフォローしてくれていました。繰り返しになるかもしれませんがうちではほぼ至れり尽くせり感があったと思います。しかし、これからはそうはいかない。保護者も含めて「失敗しないように」という前提の中で話をします。でもそれでは本当に大切なものに気づかない事が出てくる。だからこそ痛い目にあって気づくこともあると思います。失敗しないように安全にやっていくだけでは何も変わらないかなと。

あとは「楽しむ」事が必要だと思います。ひたすら楽しむ。自分自身が楽しいと思えなければ周りも楽しめない。この辺りの感覚は話をしています。自分だけが楽しいというのはエゴにしかなりません。それでも楽しいと思えなければ何も変わらないと思います。その手の話をずっとしてきました。別に私が今更色々な話をする必要はないかなと。分かってくれていると思います。

もう少し書きたいなと思います。中身が薄いかもしれませんが。
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卒業式を迎えるまで

2018-03-03 | 陸上競技
色々と思う事がありました。前の記事にも書きましたが。前回卒業生を送り出してから5年。その次の学年は2年生が終わる時に転勤。卒業式を一緒に迎える事が出来ませんでした。「2年見たんだから十分」という人もいる。確かにそうかもしれない。単なる担任でしかないのだから。それでもかなりの想いはありました。送り出したかったな、と。離任式の時に教室で一人ずつ呼名をさせてもらいました。

転勤して新しい環境でやっていく。これまでとは色々と異なる部分がある。私の転勤と同時に入学してきた生徒達。思い入れはあります。転勤した当初は「受け入れられていない」と感じる部分がかなりありました。「これまでのやり方」を求められる。試合の前の土曜日は山で練習すると決まっていたのに何故競技場に行くのか?と否定される。「自分達でやる」という部分を徹底したいと思っていたがどちらかというと「与えられること」が当たり前になっていて待っていたら我々が何かをやってくれるという感覚。

感覚の違いというのは如何ともし難いと思います。どちらか一方の感覚をもう一方が共有できるとは限らない。色々な事が私にとって「否定される」という感覚がありました。至れり尽くせりというのは誰のためにもならないと考えてきました。が、手厚く細かい所まで世話をするという部分が大きくあった。悪いとは思わないが感覚的に私はそれができなかった。

前任校の生徒や選手に対する想いがあったというのもある。何かあったら気にしていた。選手に関しては県総体までは一緒に練習できるといいなと考えていた。もちろん、前任校の選手の中にも「転勤したのに関わってくるな」という感覚の者もいたと思う。そういうのもあり「何で他校と一緒に練習しなければいけないのか」という批判も噴出した。やることなす事マイナス方向への反応だった。特に部活動は自分達のやり方がある、というのが強くほぼ受け入れてもらえなかったかなと感じている。

そんな中で部活を離れたところでクラスの生徒達と関わる事ができた。ここにかなり救われていたと思う。雑談をしたりする中で忘れる事ができた。それは最近でも同様かもしれない。部活を離れたところであれこれ考える事が出来る機会は本当に貴重だったと思う。

今の時代、何かを発言したらそれに対して批判の声が集まる。一番楽なのは見て見ぬ振りをすることだと。大きな声で激怒することにより批判もでる。ダメなものはダメだと教えるというのはすごく大切な事だと思っている。誰もがやっていかなければいけない事。信頼関係が必要になると言われる部分もあると思うが、その場面その場面でダメだと伝えることは必要だと考えていた。全体で伝える機会も少ない。クラスでは感じた時に必ず話をするようにしてきた。真面目な話をすることも必要だと。このご時世、大声で指導するのは恫喝と言われる可能性が高いですからね。優しく諭すくらいしか求められないのたとは思いますが。

まーまとまらない話ですね。そんなこんなを卒業式を迎えるまでの一週間くらい考えていました。何をもって生徒のためという話になるのか。求められる事は何か。学校教育自体が大きく変革する時期に来ているんだろうなと。不易と流行。ここに関しては譲れないものがある。が、簡単ではない。それが今の時代なのかなと。

別に私自身を正当化するつもりはサラサラありません。様々な感情を持つ事が許されないというのであれば今の仕事はできないなと。普通なら隠して抑えてやっていかなければいけない部分なのがしれませんが。何となく感じながらやっています。

卒業式について書きたいと思っていたのにまた話が逸れました。まーいいか。
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ここ最近

2018-03-02 | 陸上競技
えー、前回更新したのがいつなのかよくわからないですが。なかなか時間の確保が難しくて。

今の学校に転勤して3年目が終わろうとしています。赴任した時に1年生の担任をしてからそのまま持ち上がり。3月1日は卒業式でした。そのための準備や心の中整理などをしていたら更新するに至りませんでした。

今の仕事の楽しさは担任と部活の指導だと思っています。仕事を続ける限りこの二つは続けていきたいなと思います。生徒からすれば物足りないという感覚もあるかもしませんが。

卒業式を迎える。その日までに色々と自分の中でまたやらなければいけないことがありました。前回担任として卒業生を送り出したのが5年前。そのまま担任を持って2年生の終わる時に転勤。この辺りのことが自分の中であったのでなかなか。人によっては「2年間面倒みたんだから十分だ」と考えるのかもしれません。ここは私個人の感覚なので上手く表現できませんが。

多分前の記事に書きましたが、今年の卒業式を迎えるまでに5年前の卒業生と連絡を取りました。一応グループラインがあってそれに入っています。思い出せばこの子達に無理やり?LINEのアプリを入れられてそこから始まった気がします。なかなか連絡は取らないのですが本当に大切な教え子です。転勤して今までと違う感覚があり、それに対して少し触れました。まー私の感覚なのでこの子達には上手く伝わらないかもしれませんが。

何人かはグループラインで、何人かは個別に連絡をくれました。当時のことを思い出したくれていました。あの頃は本当にバカなことばかりやっていました。今だから許される話も沢山あります。文化祭でのクラスの動画を作るために私の授業を潰して近くの体育館に行ってSoftBankのCMのパクリを撮影する。教室展示をするために死ぬほど風船買ってきたりして夜遅くまで作る。ジブリの世界を再現するために土日も学校にに来て朝から晩まで作り続ける。今考えるとすごい話です。そのクオリティも高かった。












私自身も体力的に余力があり、更に生徒がものすごいエネルギーを持っていた。「担任がkanekoで良かった」と言ってくれていましたが私自身が力をもらっていた感じがありました。

その子達に近況報告。元気ない、病んでるんじゃないかと叱られる(笑)。個人的に連絡をもらってやりとりをする。私がしっかりしないとなーという感じでした。5年経過してもこの子達との関係は変わらない。私が叱咤激励されて背中を押してもらっていました。

学校が変わりいつのまにか私自身が私らしさを失っていた部分があるのかなと。やりたいなと思うことがあっても何となく遠慮してしまっていた。「生徒のために」という想いはずっとありましたが「綺麗事」になってしまっていたのではないか。それを痛感しました。やりたい事があるなら思い切ってやってしまおう。そう思えました。

それを受けて今のクラスの子と連絡を取り合う。風船飛ばしを決行することに。勝手な事をやると「何だあいつは」と言われる可能性がある。それでも「卒業式」の持つ意味を考えたい。この日に何を感じるか。そこはすごく大切だと思います。卒業式の日に何かをしたい。単に話をして終わるのではない。そのために何をするか。考えていました。

大好きな子供達に背中押してもらいました。私にしかできない事があるんだと。今のご時世、何かをやればバッシングを受ける。それを恐れて何もできなくなる。某テレビ局と同じ。でも、子供達にとって大切なことは何か。うちの学校を卒業して何をするか。ここだと思います。

前を向こうと改めて思いました。

って感じで数日間過ごしていました。また詳細は書いていこうと思います。
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