前の続き。この日は2人来てくれたのでもう一人の話も聞きました。卒業生の話を聞く中で1年生が何かを感じ取ってくれたらと思っています。
もう一人はうちのチームがある程度成熟した時のキャプテンです。このときは同じ学年が男女合わせて6人いましたがそれぞれが役割を最大限に果たしてくれていました。チームがまとまるためにはキャプテンの存在が非常に大きい。矢面に立つのはキャプテンですからね。当時感じていたことを話させました。
この子も中学時代の実績はそれほどありません。小学校の時にはかなり強かったようですが当時は全て長距離です。中学時代も長距離をやっていましたが、高校に入って短距離をやりたいということでした。1年生の時には100mと200mに出場していましたが、走るだけという感じでしたね。競技に対する気持ちもそれほど強くありませんでした。
1年生の冬期に入ってから色々と話をしました。ちょうど2年生が修学旅行に行く前後だったと思います。それなりに競技に取り組むという姿勢はあったのですが「絶対に」という感じではなかったですね。そこが物足りない。本人はそれなりにやっていたのだとは思いますが。この学年の1つ上の選手たちは「競技」という意味ではかなり真剣でした。一生懸命に取り組むことができる選手たちでしたからその姿を見ています。学年の中でキャプテンのタイプというのはこの子だけだと思っていたので一つ上のキャプテンの姿を見ておくようにとしつこく話していたと思います。この段階でキャプテンをやれという指示は出していません。頭のよい子でしたからそれなりに感じ取っていたのかもしれませんがこの辺りから取り組みが変わってきていました。
本人の話では2年生が修学旅行に行っている間に「人に頼らず自分がやらないといけない」というスイッチが入ったとのこと。人は何がきっかけで変わるか分かりません。しかし、変わることができる選手というのは幸せだと思いますね。自分はキャプテンとして弱い部分があった。他のメンバーが思ったことをすぐに言うタイプ(悪い意味ではなく)だったのでどこ一歩引いてしまうところがあった。これではダメだと思って自分から発言できるように努力したと。自分の性格を変えることができるのは自分だけですね。
陸上競技は「自分のため」にやるもの。結局戦うのは一人。でも、それだけでは「チーム」は作れない。周囲に気を配りどのように行動すればよいのかを考える。自分のことだけ考えて競技をやっていたら結局は自分自身も強くなれない。キャプテンをやってそれを強く感じた。
自分は競技をしていく中で学年で一番力がなかった。それが悔しくて悔しくて仕方なかった。だからひたすら努力をした。競技をしている中で一番悔しかったのは2年生の時の県新人。同級生が6人いて自分以外の5人は個人で3番以内に入り中国新人への出場権を得た。自分の力でつかんだ中国大会。その姿をスタンドから見ていた。自分一人だけが個人で中国に進めなかった。これが本当に本当に悔しかった・・・。自分も絶対い個人で中国をつかんでやると強い思いがあった。
このときは涙ぐんでいました。当時を思い出して悔しさが溢れたのでしょう。これは選手にとっては本当に大きな刺激になると思います。卒業してからも当時を思い出したら涙が出る。それだけの強い思いがあったからこその出来事だと思います。今の1年生のこのような涙は流せないでしょう。自分の先輩が競技のことを思い出して涙する。私が発するどんな言葉よりも説得力があるのではないかと思います。
冬の練習、400mと800m対応の練習になった。最初は逃げかと思っていた。でも中国に絶対に行くという目標のために自分が力を出せる種目選択を視野に入れないといけないと感じた。必死に練習をして翌年の県総体で800mで6位入賞。自分の力でつかみとった中国は本当に本当に嬉しかった。苦しい冬期を乗り越えて本当によかったと思えた。
リレーの話もしていました。実は一度もリレーで決勝を走ったことがない。それも悔しくて悔しくて・・・。どれだけ自分の調子が良くてもその調子の良さを超える者が必ず4人いた。いつも自分は5番手で決勝が走れなかった。中国新人のマイルは予選で本当に調子が良かったから走れるかと思っていたけど結局走れなかった・・・。悔しさがにじみ溢れていましたね。
今でも県総体、中国大会の時期になると当時のことを思い出す。3年生の最後の中国の前、先生に呼ばれて話があった。「1年生にかけても良いか」と言われた。自分も中国を走りたい気持ちがすごくあった。でも、みんなでインターハイに行くためにはそれが最善だと先生が言ったのだからその言葉を信じた。自分の「想い」だけではなくチーム全体のことを冷静に考えていたのだと思います。
自分は61秒。他のチームだったらそのチームのエースになれていたかもしれない。でも、自分は他のチームでなくてshokoのメンバーとしてマイルに臨めて良かった。他のチームではなくshokoの他の仲間と一緒にインターハイを目指して全力で取り組めたことが大きい。うーん、嬉しい言葉ですね。こういう想いを持った選手がいてくれたのですからチームとしてはかなりの成熟度だったと思います。キャプテンに任命したかいがあります。この子がいたからチームがそのレベルまで来たのだと思っています。
卒業生、それぞれ「想い」があります。高校時代のことをこれだけ熱く話ができる二十歳がどれだけいるでしょうか?一つのことに集中して一生懸命に取り組む。この中で感じたこと身につけたことが将来の大きな力になる。大事なことです。弱り切っていた私の心もこの子たちのおかげで「しっかりしなければ」と思えました。大きな力をもらった気がします。
その後は1年生と卒業生で話をさせました。この中で多くのことを感じてもらえたらと思います。「きっかけ」は何か分かりません。スイッチが入れば必ず変わると思います。私は良い選手に恵まれていると改めて感じました。今度はこの目の前にいる選手とともに戦っていきたいと思います。そのためにできることは全てやりたい。そう思えました。
卒業生に感謝。貴重な時間を過ごせました。良い子ばかりです。幸せ。
もう一人はうちのチームがある程度成熟した時のキャプテンです。このときは同じ学年が男女合わせて6人いましたがそれぞれが役割を最大限に果たしてくれていました。チームがまとまるためにはキャプテンの存在が非常に大きい。矢面に立つのはキャプテンですからね。当時感じていたことを話させました。
この子も中学時代の実績はそれほどありません。小学校の時にはかなり強かったようですが当時は全て長距離です。中学時代も長距離をやっていましたが、高校に入って短距離をやりたいということでした。1年生の時には100mと200mに出場していましたが、走るだけという感じでしたね。競技に対する気持ちもそれほど強くありませんでした。
1年生の冬期に入ってから色々と話をしました。ちょうど2年生が修学旅行に行く前後だったと思います。それなりに競技に取り組むという姿勢はあったのですが「絶対に」という感じではなかったですね。そこが物足りない。本人はそれなりにやっていたのだとは思いますが。この学年の1つ上の選手たちは「競技」という意味ではかなり真剣でした。一生懸命に取り組むことができる選手たちでしたからその姿を見ています。学年の中でキャプテンのタイプというのはこの子だけだと思っていたので一つ上のキャプテンの姿を見ておくようにとしつこく話していたと思います。この段階でキャプテンをやれという指示は出していません。頭のよい子でしたからそれなりに感じ取っていたのかもしれませんがこの辺りから取り組みが変わってきていました。
本人の話では2年生が修学旅行に行っている間に「人に頼らず自分がやらないといけない」というスイッチが入ったとのこと。人は何がきっかけで変わるか分かりません。しかし、変わることができる選手というのは幸せだと思いますね。自分はキャプテンとして弱い部分があった。他のメンバーが思ったことをすぐに言うタイプ(悪い意味ではなく)だったのでどこ一歩引いてしまうところがあった。これではダメだと思って自分から発言できるように努力したと。自分の性格を変えることができるのは自分だけですね。
陸上競技は「自分のため」にやるもの。結局戦うのは一人。でも、それだけでは「チーム」は作れない。周囲に気を配りどのように行動すればよいのかを考える。自分のことだけ考えて競技をやっていたら結局は自分自身も強くなれない。キャプテンをやってそれを強く感じた。
自分は競技をしていく中で学年で一番力がなかった。それが悔しくて悔しくて仕方なかった。だからひたすら努力をした。競技をしている中で一番悔しかったのは2年生の時の県新人。同級生が6人いて自分以外の5人は個人で3番以内に入り中国新人への出場権を得た。自分の力でつかんだ中国大会。その姿をスタンドから見ていた。自分一人だけが個人で中国に進めなかった。これが本当に本当に悔しかった・・・。自分も絶対い個人で中国をつかんでやると強い思いがあった。
このときは涙ぐんでいました。当時を思い出して悔しさが溢れたのでしょう。これは選手にとっては本当に大きな刺激になると思います。卒業してからも当時を思い出したら涙が出る。それだけの強い思いがあったからこその出来事だと思います。今の1年生のこのような涙は流せないでしょう。自分の先輩が競技のことを思い出して涙する。私が発するどんな言葉よりも説得力があるのではないかと思います。
冬の練習、400mと800m対応の練習になった。最初は逃げかと思っていた。でも中国に絶対に行くという目標のために自分が力を出せる種目選択を視野に入れないといけないと感じた。必死に練習をして翌年の県総体で800mで6位入賞。自分の力でつかみとった中国は本当に本当に嬉しかった。苦しい冬期を乗り越えて本当によかったと思えた。
リレーの話もしていました。実は一度もリレーで決勝を走ったことがない。それも悔しくて悔しくて・・・。どれだけ自分の調子が良くてもその調子の良さを超える者が必ず4人いた。いつも自分は5番手で決勝が走れなかった。中国新人のマイルは予選で本当に調子が良かったから走れるかと思っていたけど結局走れなかった・・・。悔しさがにじみ溢れていましたね。
今でも県総体、中国大会の時期になると当時のことを思い出す。3年生の最後の中国の前、先生に呼ばれて話があった。「1年生にかけても良いか」と言われた。自分も中国を走りたい気持ちがすごくあった。でも、みんなでインターハイに行くためにはそれが最善だと先生が言ったのだからその言葉を信じた。自分の「想い」だけではなくチーム全体のことを冷静に考えていたのだと思います。
自分は61秒。他のチームだったらそのチームのエースになれていたかもしれない。でも、自分は他のチームでなくてshokoのメンバーとしてマイルに臨めて良かった。他のチームではなくshokoの他の仲間と一緒にインターハイを目指して全力で取り組めたことが大きい。うーん、嬉しい言葉ですね。こういう想いを持った選手がいてくれたのですからチームとしてはかなりの成熟度だったと思います。キャプテンに任命したかいがあります。この子がいたからチームがそのレベルまで来たのだと思っています。
卒業生、それぞれ「想い」があります。高校時代のことをこれだけ熱く話ができる二十歳がどれだけいるでしょうか?一つのことに集中して一生懸命に取り組む。この中で感じたこと身につけたことが将来の大きな力になる。大事なことです。弱り切っていた私の心もこの子たちのおかげで「しっかりしなければ」と思えました。大きな力をもらった気がします。
その後は1年生と卒業生で話をさせました。この中で多くのことを感じてもらえたらと思います。「きっかけ」は何か分かりません。スイッチが入れば必ず変わると思います。私は良い選手に恵まれていると改めて感じました。今度はこの目の前にいる選手とともに戦っていきたいと思います。そのためにできることは全てやりたい。そう思えました。
卒業生に感謝。貴重な時間を過ごせました。良い子ばかりです。幸せ。