kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

卒業生の話2

2012-12-13 | 陸上競技
前の続き。この日は2人来てくれたのでもう一人の話も聞きました。卒業生の話を聞く中で1年生が何かを感じ取ってくれたらと思っています。

もう一人はうちのチームがある程度成熟した時のキャプテンです。このときは同じ学年が男女合わせて6人いましたがそれぞれが役割を最大限に果たしてくれていました。チームがまとまるためにはキャプテンの存在が非常に大きい。矢面に立つのはキャプテンですからね。当時感じていたことを話させました。

この子も中学時代の実績はそれほどありません。小学校の時にはかなり強かったようですが当時は全て長距離です。中学時代も長距離をやっていましたが、高校に入って短距離をやりたいということでした。1年生の時には100mと200mに出場していましたが、走るだけという感じでしたね。競技に対する気持ちもそれほど強くありませんでした。

1年生の冬期に入ってから色々と話をしました。ちょうど2年生が修学旅行に行く前後だったと思います。それなりに競技に取り組むという姿勢はあったのですが「絶対に」という感じではなかったですね。そこが物足りない。本人はそれなりにやっていたのだとは思いますが。この学年の1つ上の選手たちは「競技」という意味ではかなり真剣でした。一生懸命に取り組むことができる選手たちでしたからその姿を見ています。学年の中でキャプテンのタイプというのはこの子だけだと思っていたので一つ上のキャプテンの姿を見ておくようにとしつこく話していたと思います。この段階でキャプテンをやれという指示は出していません。頭のよい子でしたからそれなりに感じ取っていたのかもしれませんがこの辺りから取り組みが変わってきていました。

本人の話では2年生が修学旅行に行っている間に「人に頼らず自分がやらないといけない」というスイッチが入ったとのこと。人は何がきっかけで変わるか分かりません。しかし、変わることができる選手というのは幸せだと思いますね。自分はキャプテンとして弱い部分があった。他のメンバーが思ったことをすぐに言うタイプ(悪い意味ではなく)だったのでどこ一歩引いてしまうところがあった。これではダメだと思って自分から発言できるように努力したと。自分の性格を変えることができるのは自分だけですね。
陸上競技は「自分のため」にやるもの。結局戦うのは一人。でも、それだけでは「チーム」は作れない。周囲に気を配りどのように行動すればよいのかを考える。自分のことだけ考えて競技をやっていたら結局は自分自身も強くなれない。キャプテンをやってそれを強く感じた。


自分は競技をしていく中で学年で一番力がなかった。それが悔しくて悔しくて仕方なかった。だからひたすら努力をした。競技をしている中で一番悔しかったのは2年生の時の県新人。同級生が6人いて自分以外の5人は個人で3番以内に入り中国新人への出場権を得た。自分の力でつかんだ中国大会。その姿をスタンドから見ていた。自分一人だけが個人で中国に進めなかった。これが本当に本当に悔しかった・・・。自分も絶対い個人で中国をつかんでやると強い思いがあった。

このときは涙ぐんでいました。当時を思い出して悔しさが溢れたのでしょう。これは選手にとっては本当に大きな刺激になると思います。卒業してからも当時を思い出したら涙が出る。それだけの強い思いがあったからこその出来事だと思います。今の1年生のこのような涙は流せないでしょう。自分の先輩が競技のことを思い出して涙する。私が発するどんな言葉よりも説得力があるのではないかと思います。

冬の練習、400mと800m対応の練習になった。最初は逃げかと思っていた。でも中国に絶対に行くという目標のために自分が力を出せる種目選択を視野に入れないといけないと感じた。必死に練習をして翌年の県総体で800mで6位入賞。自分の力でつかみとった中国は本当に本当に嬉しかった。苦しい冬期を乗り越えて本当によかったと思えた。

リレーの話もしていました。実は一度もリレーで決勝を走ったことがない。それも悔しくて悔しくて・・・。どれだけ自分の調子が良くてもその調子の良さを超える者が必ず4人いた。いつも自分は5番手で決勝が走れなかった。中国新人のマイルは予選で本当に調子が良かったから走れるかと思っていたけど結局走れなかった・・・。悔しさがにじみ溢れていましたね。
今でも県総体、中国大会の時期になると当時のことを思い出す。3年生の最後の中国の前、先生に呼ばれて話があった。「1年生にかけても良いか」と言われた。自分も中国を走りたい気持ちがすごくあった。でも、みんなでインターハイに行くためにはそれが最善だと先生が言ったのだからその言葉を信じた。自分の「想い」だけではなくチーム全体のことを冷静に考えていたのだと思います。

自分は61秒。他のチームだったらそのチームのエースになれていたかもしれない。でも、自分は他のチームでなくてshokoのメンバーとしてマイルに臨めて良かった。他のチームではなくshokoの他の仲間と一緒にインターハイを目指して全力で取り組めたことが大きい。うーん、嬉しい言葉ですね。こういう想いを持った選手がいてくれたのですからチームとしてはかなりの成熟度だったと思います。キャプテンに任命したかいがあります。この子がいたからチームがそのレベルまで来たのだと思っています。

卒業生、それぞれ「想い」があります。高校時代のことをこれだけ熱く話ができる二十歳がどれだけいるでしょうか?一つのことに集中して一生懸命に取り組む。この中で感じたこと身につけたことが将来の大きな力になる。大事なことです。弱り切っていた私の心もこの子たちのおかげで「しっかりしなければ」と思えました。大きな力をもらった気がします。


その後は1年生と卒業生で話をさせました。この中で多くのことを感じてもらえたらと思います。「きっかけ」は何か分かりません。スイッチが入れば必ず変わると思います。私は良い選手に恵まれていると改めて感じました。今度はこの目の前にいる選手とともに戦っていきたいと思います。そのためにできることは全てやりたい。そう思えました。

卒業生に感謝。貴重な時間を過ごせました。良い子ばかりです。幸せ。
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卒業生の話

2012-12-13 | 陸上競技
火曜日、私はへこんでいました。前の記事に書いたように携帯の画面がやられてしまったことと自分のタイミングの悪さに改めて悲しくなったからです。慣れていたつもりですがこの「奇跡的なタイミングの悪さ」はどうにもなりません。乗り越えることができるのか・・・。

この日は1週間前から「卒業生に話をしてもらう」ことを計画していました。2年生が修学旅行に行くタイミングで来てもらい1年生に刺激を与えたいと思っていたからです。1年生に今までの選手がどのような取り組みをしていたのか、私の口からではなく実際に選手として競技に取り組んでいた卒業生からの話を聞くほうが伝わりやすいのではないかと感じたので直接話をしてもらうことに。私の突然のお願いを快く聞いてくれました。一人はたまたま仕事が休み、他の者は仕事が終わってから来てくれるということでした。ありがたいですね。

結局仕事の関係で話をしてもらえたのは2人。一人は私が指導して初めてインターハイに出場してくれた選手、もう一人はその時のチームをまとめてくれたキャプテンです。2年前の卒業生ですからここ最近の話です。どのように伝わるかは分かりませんが私も当時を思い出しながら聞いていました。

インターハイ選手の話は「競技に対して」の部分が大きかったですね。この選手、中学時代の実績は0です。走りが柔らかく膝が自然に引き出される走りだったのですが中学時代に県の決勝に進出したことはありません。本人の話を中心に書いていきます。中学時代の実績は全くない。しかし、高校に来て陸上をやってみないかと声をかけられて「何か私に期待されているのではないか」と感じたそうです。中学時代は練習が好きではなく遊ぶことが最優先。高校に入って「必死にやろう」という気持ちはそれほどなかった。が、高校に入ると顧問が異常に暑苦しい(笑)。ちょっと一生懸命やってみようかなという気持ちになった(笑)。(恥ずかしいのでちょっと脚色しています(笑))。漠然とですが「やる気」になり完全にスイッチが入ったようです。

しかし、中学時代の実績はありませんから現実に起きていることを受け止めることができなかった。気が付いたら1年生の県総体で決勝に立っていた。何で自分がここにいるのか分からない。あー決勝かーというレベル。結局、7位となり中国には進めない。今考えると「絶対にやってやる」という気持ちが足りなかった。そのまま練習をやっているといつの間にか強くなっていた。でも冬期練習は何度も心が折れそうになった。実力的には自分のほうが上なのに練習で勝てない。これは「辛いことから逃げている」だけだった。本当はもっと走れるのに、もっと力が出せるのに自分の中の「弱さ」に負けて力を出し切れなかった。でも、周りの仲間が支えてくれたおかげである時一気に目が覚めた。それからは本当に競技に集中できた。

結果、2年生の県総体で優勝。インターハイへの可能性が出てきた。しかし、このとき自分自身の身体に目を向けることができていなかった。勢いで記録を出していたので自分の身体のコンディションがどのような状態なのかを考えることができなかった。中学大会の400mで予選を通過した後、準決勝のためにアップを始めたら腰が痛くなって歩けなくなった。レースに出たが全く。マイルがあるので何とかしたいという気持ちがあったがどうにもならなかった。でも、自分のためにmatuzaki先生がわざわざ5時間かけて島根まで治療に来てくださった。そのおかげでマイルの準決勝を走ることができた。多くの人に支えられて競技ができているという「感謝」の気持ちを強く持つことができた。

その後、腰が痛くて走れなくて、肉離れ、膝の痛みなど多くの苦難があった。それでも「みんなでインターハイに行く」という気持ちがあったから全力で取り組めた。膝の痛み、腰の痛みがあったがシーズンの最後のレースでは58秒台に突入。これは一つ上の先輩の存在が大きかった。エースは一つ上の先輩だったがこれまでお互いに全力で走って勝負するレースはなかった。いつもどちらかが万全の状態ではなく力が出せていなかったが、最後の県体はどちらも走れる。ここで先輩に勝ちたいと思っていた。レースの300mまでは自分のほうが少し前、勝てると思っていたが最後の最後で逆転されあと一歩のところで勝てなかった。これが「エース」としての自覚なのだと感じた。

冬期はまた故障。16秒台の選手と走っても勝てない。本当に心が折れそうだった。このまま辞めてしまいたいと何度も思ったが、「みんなで」という意識が強くあったし、苦しいときにみんなが支えてくれたから超えることができた。結果、インターハイに出場できたが本当に多くの人のおかげだと思う。

やると決めた日から生活の中心は「陸上競技」となった。現役を引退するまで「友達と遊ばない」と決めていたので誰とも遊んだことがない。チームメイトと一緒にいる時間はあったがそれ以外は全く。それが当たり前だったし、全く苦ではなかった。強くなるためにはなんでもやるという気持ちだったのでそれ以外は考えなかった。

この話を聞いて私も思い出しました。本当に色々なことがありましたが、インターハイに届きました。インターハイが決まった。でもマイルで7位。自分だけがインターハイに出場して良いのか?と自分を責めたこともあったようです。でも、チームメイトが心から応援してくれた。この気持ちを背負って競技に取り組むことができた。中学自体の実績が67秒程度の選手が高校で57秒5まで伸びたというのは本人の「やる気」と周りの支えが大きかったと思います。「先生、仲間、他校の先生、お母さんのために」という想いが強くあったと自分の口で1年生に話をしていました。本当に立派だと思います。

話の概要を書いていますからなかなか伝わりにくいですね(笑)。これを卒業生の言葉で聞くとさすがに「心」に響くものがあったようです。もう一人の話はまた別に書きます。長すぎます(笑)。
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