練習日誌に関してはかなり重視しています。その日の練習でどのような事を考え、何を感じたのかを毎日日誌に書いていくことは大切なことだと思います。携帯でメールをする時間はあっても日誌を書くことができないという選手は100%伸びません。毎日歯磨きをするように「日誌」を書く、自分の内面と向き合うというのが当たり前にならなければいけないと思っています。
今回1年生が一人日誌を忘れて提出しませんでした。「忘れて済みません」と謝りに来ました。必ず出すようにと指導しているのでその約束が守れなかったという意味では謝罪することは必要になると思います。しかし、本当の意味での日誌の忘れというのは自分自身にとってマイナスなのです。この事を分からないといけません。「書いたけど忘れた」というのは「書いていないのと同じ」です。日誌は自分の内面を記すモノですから書くという行為はやっている。ここは評価できます。しかし、書いていなくても「忘れた」と言えばお終い。誰にも分かりません。きちんと決められたルーティーンをやっていくことが大事なのです。以前、チームが崩れたときには「日誌の忘れ」が多かった。どれだけ言っても忘れてくる。忘れても何も言いに来ない。酷い者は書いていないから学校に来て休み時間に書いて持ってくる。「先生に言われるから仕方なく書く」というレベルだったのです。それを上級生がやっていました。言われていることをきちんとやらない、やれと言われている意味が分からない。この状態で強くなるはずがありません。案の定、ほとんど競技力は向上しませんでした。「指導者が悪い」と言われたらそこまでの話です。私が選手の気持ちを「競技」に向けることができなかったから競技力が上がらなかったのですから・・・。
また、日誌を書くということが大事なのではありません。先ほども書きましたが「自分が何を感じたのか」「何を考えたのか」が非常に大事なのです。1年生に最初に日誌を書かせると「今日の練習は走り込みだった」「きついところで手を抜かず頑張った」というレベルの内容しか書けません。「練習を消化する」ということが一番の目的になっていて、「与えられたメニューをやる」ことだけしかできないからです。これでは絶対に強くなりません。どのような部分にポイントを置いていたのか。自分に足りないことは何か。この辺りをしっかりと見据えて書けるようになると本物になります。「量」を書けばいいというわけではありません。その中身がどうかで競技力の向上は決まってきます。やるだけの練習と目的意識を持った練習は全く違います。目的を持って練習に取り組めば「SDをやった」「疲れたけど最後まで頑張った」という言葉は出てこなくなります。ライバルである選手に負けた。「仕方ない」と思うのか「悔しい」と感じるのかで大きな「差」になります。これが練習中の「心」の動きです。練習中にどれだけ「心」が動くかで成長が決まってきます。この「心」が動くかどうか、それを感じることができるかどうかで全てが決まると考えています。
これまでの選手の成長はやはり「心」の変化が伴うものでした。「書くだけ」の日誌を書く者、きれい事だけを書く者は絶対に強くなりません。練習の間に言われている話をきちんと聞き、自分のやらなければいけないことを考えてやる。これが出来る者は必ずと言っていいほど伸びてきました。うちの選手が強くなったときには「人間的な成長」を伴うと思っています。これができるまでにどれだけの時間を要するか。途中で気づいて間に合う者もいますがやはり1日でも早く気づいて変化する方が良いに決まっています。今回は1年生であれ厳しく指導することにしました。
このことで朝練を使ってミーティングをさせました。何か問題があったからこれからどうするかのミーティングではなく、今自分達が何をしなければいけないかを話をするようにしました。日誌を書くことの意味を2年生の口から伝えさせる。1年生がどのような気持ちで日誌を書いているのか、足りないところは何かをきちんと考えさせる時間が必要になります。テスト週間ですが、これは非常に大事な時間だと思います。これがきちんと分かるようになれば自然と勉強にも取り組めるようになります。自分の「甘さ」を理解させ何をするかを考えさせる。継続していくことが大事です。
「心」を記すことができる選手になってもらいたいですね。それが一番の近道ですから。
今回1年生が一人日誌を忘れて提出しませんでした。「忘れて済みません」と謝りに来ました。必ず出すようにと指導しているのでその約束が守れなかったという意味では謝罪することは必要になると思います。しかし、本当の意味での日誌の忘れというのは自分自身にとってマイナスなのです。この事を分からないといけません。「書いたけど忘れた」というのは「書いていないのと同じ」です。日誌は自分の内面を記すモノですから書くという行為はやっている。ここは評価できます。しかし、書いていなくても「忘れた」と言えばお終い。誰にも分かりません。きちんと決められたルーティーンをやっていくことが大事なのです。以前、チームが崩れたときには「日誌の忘れ」が多かった。どれだけ言っても忘れてくる。忘れても何も言いに来ない。酷い者は書いていないから学校に来て休み時間に書いて持ってくる。「先生に言われるから仕方なく書く」というレベルだったのです。それを上級生がやっていました。言われていることをきちんとやらない、やれと言われている意味が分からない。この状態で強くなるはずがありません。案の定、ほとんど競技力は向上しませんでした。「指導者が悪い」と言われたらそこまでの話です。私が選手の気持ちを「競技」に向けることができなかったから競技力が上がらなかったのですから・・・。
また、日誌を書くということが大事なのではありません。先ほども書きましたが「自分が何を感じたのか」「何を考えたのか」が非常に大事なのです。1年生に最初に日誌を書かせると「今日の練習は走り込みだった」「きついところで手を抜かず頑張った」というレベルの内容しか書けません。「練習を消化する」ということが一番の目的になっていて、「与えられたメニューをやる」ことだけしかできないからです。これでは絶対に強くなりません。どのような部分にポイントを置いていたのか。自分に足りないことは何か。この辺りをしっかりと見据えて書けるようになると本物になります。「量」を書けばいいというわけではありません。その中身がどうかで競技力の向上は決まってきます。やるだけの練習と目的意識を持った練習は全く違います。目的を持って練習に取り組めば「SDをやった」「疲れたけど最後まで頑張った」という言葉は出てこなくなります。ライバルである選手に負けた。「仕方ない」と思うのか「悔しい」と感じるのかで大きな「差」になります。これが練習中の「心」の動きです。練習中にどれだけ「心」が動くかで成長が決まってきます。この「心」が動くかどうか、それを感じることができるかどうかで全てが決まると考えています。
これまでの選手の成長はやはり「心」の変化が伴うものでした。「書くだけ」の日誌を書く者、きれい事だけを書く者は絶対に強くなりません。練習の間に言われている話をきちんと聞き、自分のやらなければいけないことを考えてやる。これが出来る者は必ずと言っていいほど伸びてきました。うちの選手が強くなったときには「人間的な成長」を伴うと思っています。これができるまでにどれだけの時間を要するか。途中で気づいて間に合う者もいますがやはり1日でも早く気づいて変化する方が良いに決まっています。今回は1年生であれ厳しく指導することにしました。
このことで朝練を使ってミーティングをさせました。何か問題があったからこれからどうするかのミーティングではなく、今自分達が何をしなければいけないかを話をするようにしました。日誌を書くことの意味を2年生の口から伝えさせる。1年生がどのような気持ちで日誌を書いているのか、足りないところは何かをきちんと考えさせる時間が必要になります。テスト週間ですが、これは非常に大事な時間だと思います。これがきちんと分かるようになれば自然と勉強にも取り組めるようになります。自分の「甘さ」を理解させ何をするかを考えさせる。継続していくことが大事です。
「心」を記すことができる選手になってもらいたいですね。それが一番の近道ですから。