kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

卒業生

2011-06-09 | 陸上競技
卒業生が来ました。昨年卒業した者が3人、一昨年卒業した者が2人、かなり前に卒業した者が1人。申し合わせたわけではありませんが同じ日に6人の卒業生が練習に来ました。女子は2人1組で来たので「行ってみようか」という感じだったのだと思いますが男子は完全に個別。女子もそれぞれが来てたまたま一緒になったという感じでしょうか。様々な意味で救われます。

1人は私が陸上部の顧問になって初めての部員です。商業時代ですから卒業して5年は経過しているでしょうか。4年ぶりくらいの再会です。今思い起こしてもこの頃は大変でした。陸上競技の指導というよりは「生活指導」という感じがメインでした。毎日のように先生に怒られていたと笑いながら話していました。中学時代部活動というものをやっていないに等しい状態で陸上部に入ってきました。私が顧問になった年ですから上級生もいません。1から作っていく状態でした。今思い出しても本当に酷かった・・・。練習中にトゥトレのチューブを付けて逆方向に引っ張り合い転倒し骨折したり、他校の練習中走っている選手にいきなり話しかけたり。練習中の会話はゲームの話・・・。競技力云々ではなく基本的な生活習慣や考え方を身につけさせることに労力のほとんどを使いました。
しかし、3年生になる頃にはほぼ「まとも」になりうちのチームの基礎となる部分を作ることができた学年だったと思います。この年初めて中国大会に進むことができました。
今回来てくれた男子は入学当初100mが16秒で走れるかどうか。卒業するときには13秒ちょっとで走れるようになっていました。中国大会前には自分から女子の練習を引っ張ると申し出てくれて250mでは必死に女子と勝負をしていました。この頃のチームは「力」はありませんでしたが、こちらの求めることに必死になってくれている部分がありました。本当に大変でしたが今でも鮮明に覚えています。「高校時代に鍛えられて良かった」と言っていました。時間が経つと分かることもあると思いますね。

女子の卒業生は何か想うことがあるのでしょう。卒業生が来てくれたのでその前で全体に話をしました。練習をするよりももっともっと大事なことがあると思っています。自分達が今やっていることを胸を張って卒業生に報告できるのかという話です。これに関しては書きません。
この子達の中で「shoko陸上競技部」というのは大きなウエイトを占めているのだろうなと改めて感じました。高校時代の生活の中心は「陸上競技」でした。もちろん最初からそうだったのではなく、一生懸命やっているうちに自然に「陸上競技」中心の生活になっていったのだと思います。「もう一度走りたい」と何度も何度も言っていました。過ぎ去った時間はもう戻ってきません。しかし、必死になって取り組んでいた時間というのはかけがえのない大事な大事な時間だと思います。素直に話を聞いてそれだけを信じて全力で取り組む。私がいなくても裏表なく行動できるようになっていたからこそ、見違えるような成長をしてくれたのだと思います。本当にシンプルなことです。たった少しの「差」が大きな「差」となる。それも取り返しの付かないほどの「差」に。当時、本当に楽しく指導ができていました。この子達のためならどれだけ時間を使っても惜しくないと思えるくらい純粋に競技に取り組んでいました。だからこそ最後の最後に泣き崩れるくらい涙を流すことができる。本当に本当に悔しくて涙を流す。それができるだけのエネルギーを費やしていたからに他なりません。

大好きですね。こういう子達と一緒に陸上競技と向き合うことができた時間は一生忘れられないと思っています。私も何度も何度も涙を流しました。心の底から悔し涙、申し訳ないなという涙を流した。決して恥ずかしいとは思いません。共に信じて目標だけを目指して取り組んでいたからこその涙です。

卒業生に救われました。感謝。
コメント
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