先日、石巻市に支援に入った時に、こんな話を聞くことができました。
「ときどき津波警報が鳴っても、本当に津波が来たことはなったし、来てもたいしたことはないと思っていた。今回もほとんどの人は家の2階に上がった程度で、避難はしなかったと思う。実際、第一波はそれほどでもなく、しばらくして何事もなかったように水が引いていったので、外に出歩いて、川の様子などを見に来る人もいました。そこに第一波とは比較にならないほどの大きな第二波が押し寄せて流されてしまった」
別の人も、第一波よりも第二波以降に被害が大きくなったと話していました。
こんな話も聞きました。
「狭い入り江の三陸沿岸と違って、石巻は大きな湾内にあるので、波が高くならないと思われていた。これまでも三陸には何度も津波が来たが、石巻ではさほどの被害はなかった」
津波は大胆不敵なだけでなく、油断を誘ったり、執念深くもある・・・。人間だれしも自分だけは大丈夫と考えがちですが、災害というのはそういう隙を突いて、不意打ちしてくるもののようです。変化自在の海水の動きを予測することなど不可能というほかありません。一説によると、津波は「陸地への海の一時的な移動である」と定義されるそうです。ビデオ映像を見ても確かにそんな印象を受けます。波というより海ごと移動するのだからそのエネルギーは尋常ではありません。
石巻市門脇町。日和山公園の下から日和大橋までの広大な地域に、かまぼこ工場や民家が所狭しと並んでいたのですが、見渡す限りの壊滅状態となっていました。南三陸町と同じで、民家などは土台ごと無くなっていました。石巻の波高は7~8メートル程だったそうですが、それでもこの有様です。
日和山から見た門脇町地区
中州方面
マンガ館周辺
津波はいつかまた来る。それは地球の都合なので致し方ありません。津波にしてみれば、そこに入り江や低地があったから流れ込み、そして引いていった、それだけのことです。でも、日本海溝の正面に日々暮らす者としては、この激烈な自然現象と折り合いを付けていくしかないわけです。
今回は日中午後の発生でしたが、明治三陸大津波は午後8時頃、昭和8年三陸大津波は午前3時頃、チリ津波も第一波到来は午前3時過ぎだったそうです。夕食を終わって床に就く時間、そしてまさに寝込みを襲われての襲来だったことになります。暗闇の中、いったいどれだけの人が逃げることができたのか・・・。
不意打ちに備え油断しないこと
一刻も早く高台に逃げること
何かを取りに引き返えしたりしないこと
第二波、第三波がより恐ろしいこと
石巻の惨状を見ると、これらの言伝えを改めて肝に銘じるしかありません。
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