JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

東北大震災その4

2011年04月02日 | 東北大震災


 地震から3週間が過ぎました。3.11地震当日から丸2日、停電によりテレビが見られなかったことは以前に書いた通りです。今、地震直後からの津波報道やビデオ映像をYouTubeで見ています。


 幼い頃から聞かされてきた津波の話というのは要約すると次のようなものでした。

 「地震の後、急に潮が引いて、海の底が見えるほどだった。魚が飛び跳ねているので、みんなで手づかみに夢中になっていると、突然、目の前に壁のような波が迫ってきた。灯台を超える高さで、一気に襲いかかってきた。逃げる途中で何かを取りに引き返した人はみんな呑み込まれてしまった。津波が来たら他の人には構わず逃げなければならない」


 考えてみると、津波というのは話として伝承はされているのですが、その実像は見たことがありませんでした。わずかにスマトラ津波の時の映像がありますが、観光客が撮影したものが多く、断片的でしかありません。また、津波が去って壊滅的となった被害地の写真は過去に多く残されていますが、そこに津波そのものは写っていないわけです。

 今回の東北地方太平洋沖地震では、地震発生から津波到達まで約40~50分あり、報道機関が総力をあげて撮影したこと、日中であったために地元の人もビルや高台からビデオ撮影していること、などから津波の全容と一部始終をとらえることができたのだと思います。この結果、単なる話ではなく、津波の実像を様々な角度から映像で見ることが可能となりました。これはすごいことで、ここまで克明に記録されたのは人類史上初めてのことだと思います。

 YouTubeで見たその映像。ずっと頭に刷り込まれていたイメージとはかなり違う姿が映っていました。

 堤防を乗り越えた海水は、はじめは家と家の間の道路沿いにスルスルと這ってきて、高い波が一気に襲いかかるという感じではありません。むしろ海面上昇という感じです。普通の高波ならそのあたりで引いていくわけですが、引くということがない。後から後から押し寄せ、同時にぐいぐい水嵩を上げていく。まさか家の屋上までは来ないだろうと油断していると、ものの1~2分で上がってしまう。なおも容赦なく水量は増え続け、気づいた時には町全体が水没状態となる。この時点まで引くということがない。しばらく満水状態を保った後、一気に引きが始まる。引き潮のスピードは圧倒的で、わずかに残っていた家屋も瓦礫ごと海の彼方に持ち去られてしまう。南三陸町や陸前高田市など三陸沿岸の町は、みなこんな様子が見てとれました。

 「用心深くて大胆不敵」「容赦なし」「非情」。月並みですが津波の様態を見て浮かんだのはこんな言葉です。話に聞いていた「家に何かを取りに戻った人はみな呑みこまれた」というのもわかる気がしました。はじめはサラサラと忍び寄ってくるので、人を安心させてしまうのでしょう。映像を見ていて、何か邪悪な意思でも持っているかのようにさえ感じました。

 もう一つは、仙台平野を襲った津波。三陸と違って、砂浜が続く穏やかな海岸線で、仙台から一番近い海水浴場もあってなじみの深い地域です。この映像も衝撃的でした。津波というのは水というイメージがあったのですが、映っていたのは押しつぶされた家の残骸や車、油、ガラスなどを巻き込んだ瓦礫の塊。これが時速50キロのスピードで移動するのだからひとたまりもありません。海沿いの集落を呑みこんだ津波は、今度は川をさかのぼり、堤防を破壊して田畑に流れ込み、みるみると覆い尽くしていく。数十キロにわたる巨大で凶暴な生物が襲いかかっているかのような不気味な映像。この世の地獄としか言いようがありません。逃げ場はなし。近くに高台もないため、多くの人が車で逃げたようですが、渋滞が起こって車列ごと呑まれたケースもあったとか。

 このあたりには知人が何人か住んでいて、後で無事とわかったのですが、2階まで浸水して屋根に乗って助かった人、家の1階が水没したものの柱が持ちこたえて2階で助かった人、車で逃げ切った人、様々です。映像を見ていると、よくそんなことで助かったものだと思ってしまいましたが、地震の直後、少しでも早く高いところへ避難したかどうかが明暗を分けたということでしょう。


 ある研究者によると、三陸沿岸部においては「津波35年周期」というのがあるそうです。

1896年 明治三陸大津波 死者約2万2千人

その37年後
1933年 昭和8年大津波 死者約3千人

その27年後
1960年 チリ津波    死者122人

その51年後
2011年 東北地方太平洋沖地震 死者不明数万人

 必ずしも35年間隔ではありませんが、30年から50年に一度は、大津波が襲来していることになります。チリ津波から51年ですから、35年より16年も過ぎていたわけです。「想定外」と言われても、やはり違和感を持ってしまいます。

 今回は、津波の恐ろしさ、その全貌が映像に残されました。内陸6キロまで到達したそうで、浸水地域の範囲やその地点での波の高さもわかってきたそうです。堤防を作れば何とかなるなどと浅はかな考えは捨て、少なくとも水没範囲内に町を作らないという以外に守るすべはないのでは?まして原発など・・・。大津波は数十年に一度、必ず来たし、これからも来る、その猛威の前に人間は無力、つくづくそう思います。



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