JO7TCX アマチュア無線局

せんだいSD550  山岳移動運用 

磐梯山にて

2012年08月16日 | 奥山 移動運用


 短いお盆休みを利用して、吾妻高山と磐梯山に登ってきました。高山は何度かの無線運用で、特に1エリアに良好なロケーションを確認しています。磐梯山は今回が初めて。会津富士と称えられる独立峰で、何度かこの山頂での運用を計画したことはあるのですが、今回やっと実現しました。

 初日は、高山。標高1805m。無料化された磐梯吾妻スカイラインを進み、浄土平を右手に見て、そのまま進むこと5分。左手に2~3台の駐車スペースと登山口案内板が見えてきます。約1年ぶりの登山道は、登山者が少ないのか、刈り払いもされず、荒れ放題の様相となっていました。上下雨具を着込んでも猛烈な笹薮とその滴でズブ濡れ。約50分の登山で到着した山頂は、相変わらず巨大反射板2基が鎮座し、異彩を放っておりました。

 さっそく反射板を背に、スイスクワッドを設置。リグはいつものDJ-S57。5W。430でCQを出してみると、埼玉県朝霞市、川口市、越谷市、さいたま市、桶川市、川越市、千葉県市川市、東京都中野区、板橋区、世田谷区、大田区等々、各局よりほぼ途切れなく応答いただきました。あっという間の1時間30分でタイムオーバー。この日の当地の天気は晴れ時々曇り、1エリアはおおむね雨だったようですが、伝搬状態は悪くない印象でした。

 この日は、桧原湖畔に一泊して、翌朝、八方台より磐梯山へ。予報では午後から天気は崩れるとのことで、8時30分に駐車場に着いた時にはほぼ満車状態でした。このコースは山頂までほとんど眺望はありません。尾根歩きというのもありません。大きな里山を登っているような印象。途中、廃墟となった中ノ湯を過ぎ、弘法清水手前からのきつい急坂を登り切り、一気に山頂へ。山頂着10時50分。


磐梯山山頂にて

いつものリグと装備


 賑わう頂の一角で三脚を取り出しスイスクワッドを設置。今日も1エリア向け430運用。と言ってもあいにくのガスで、どちらにアンテナを向けてよいのやら。あてずっぽうでCQを出してみたのものの、なかなか声がかかりません。標高1819mの独立峰。そんなはずは・・・。やっと郡山市のモービル局が拾ってくれました。59で強力に入感とのこと。大方の方角がわかってアンテナの向きを調整し再度CQ。今度は、茨城県筑西市、千葉市、野田市、柏市など1エリア各局に応答いただきました。さらに山岳移動では、柏崎市米山局と59-51(相手局のパワー不明)、南魚沼市割引岳山頂局と59-59(相手局0.5W)、長野県栄村鳥兜山局と54-41(相手局2W)。鳥兜山局はハンディホイップだったようで、はじめ51程度の信号でコールサインとレポートを確認、その後、部分的に了解できなくなったものの、かろうじてカード交換を確認して、無事ファイナルとなりました。いったん終了後、茨城県桜川市、栃木県茂木町、さいたま市岩槻区各移動局と交信。約1時間30分山頂にとどまり、下山時間を考えQRT。先ほど来のガスもいつしか消え、眼下には猪苗代湖が広がっていました。いつになるかわかりませんが、次回は145MHzでの運用を楽しみにしたいと思います。


櫛ヶ峰

廃墟となって久しい中ノ湯


 さて、今回、2泊3日で裏磐梯を散策してきました。天気にも恵まれ、3日とも磐梯山の雄姿をあきず眺めて過ごしました。この山名は、「天にかかる梯子の岩山」の由来とか。元は美しく整った4つのピークを持つ円錐形の山容だったようです。


爆発前の磐梯山(磐梯山噴火記念館リーフレットより)


 1888年(明治21年)7月15日。雲一つない快晴の朝。磐梯山は轟音と共にマグマによる水蒸気爆発を起こし、ピークの一つであった小磐梯山を吹き飛ばして、山容を大きく変容させてしまったのです。マグマ中の水分や地下水が熱せられて生じた水蒸気が次第に圧力を増し、ついに岩石のふたを吹き飛ばす・・・。それは今の痛々しい姿そのままです。808年にも同様の爆発を起こしているそうで、何万年、何千年もの長い歳月の間に、磐梯山はその姿をさまざまに変えてきたことになります。1888年の噴火では、約20億トンの岩石が岩なだれとなり、周囲の村は一瞬にして壊滅。そしてこの泥流によって川がせき止められた結果、数十年を経て、現在の桧原湖や五色沼など美しい景観を作り出したわけです。

 今も地中深く活動を続ける磐梯山。その圧倒的なエネルギーの前には、風光明媚な景観も一時のはかない姿に過ぎないのでは・・・そんなふうに思えてしまいました。


桧原湖と磐梯山(8/16朝)


コメント (4)
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