トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

木曽路を歩く(木曽路十一宿)南木曽駅から落合宿(中津川駅)

2019年04月23日 | データ
 
■2019.04.20(土) 宿泊地から中津川駅近くの駐車場へ移動。
6:43中津川駅発の電車に乗り7:02南木曽駅に到着。
ここから昨日の続きを歩く。
三留野宿の焼印処はまだ開いていない、昨日は到着が遅く既に閉まっていた。
街道つえのその部分を空けて次に進める。
SL公園のD51
木曽義仲のかぶと観音

妻籠に砦を築いた義仲が北陸路に出撃せんとする時、鬼門の守りに兜前立の観音像を外してここに祀ったのがかぶと観音の起こりと伝わる。
近くには義仲・巴のロマンスを伝えるのっぽのアカマツ、「そでふりの松」は水舟になっている。

枝ぶりの良いはなもも。
鮮やかです。
上久保一里塚。(一方の写真)
しっかり対で残っている(本来の一里塚の姿)
ふむふむ
妻籠宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒、人口418人 :天保18年)
木曽路で当時一番人口が少ない宿場。
妻籠宿も保存地区です。
木曽路・国の重要伝統的建造物群保存地区
・ 奈良井重要伝統的建造物群保存地区-種別:宿場町
・ 木曾平沢伝統的建造物群保存地区-種別:漆工町
・ 妻籠宿伝統的建造物群保存地区-種別:宿場町
日本人は昔から花を愛でる文化がある。
大妻籠→石畳→男滝、女滝(吉川英治の宮本武蔵舞台の一つです)→馬籠峠。
本日の妻籠宿から馬籠宿は多くのハイカーで賑わっていた。
7割程度は海外の方です。
一石栃立場茶屋も焼印処なのでしばし焼印できるまでお茶お頂きしばし休憩。
茶屋の方が言うには今年は極端に海外のハイカーが多いとの事。
古の歴史のある街道は本来日本人が多く歩くべきである。
『渋皮のむけし女は見えねども 栗のこはめしここの名物』(十返舎一九の碑)
樹梨でこわめし+そばで昼食。
おばちゃんとの会話も弾み楽しい一時。
もちろんとても美味しいです。
馬籠宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠18軒、人口717人 :天保18年)
時間も時間なので混んでます。
馬籠宿を抜けると人が全くいなくなる。
中山道馬籠宿・落合宿間にある「是より北 木曽路」の碑。
これで木曽路踏破です。
残すは落合宿を超え中津川駅までです。
 
木曽路で見つけた一里塚。
写真を忘れたり見逃したものもあると思います。
中津川から車で南木曽の焼印処へ戻り押せなかった焼印を押して
「木曽十一宿街道づえ」のすべての焼印が揃った。
 

活動時間:7時間41分
活動距離:20km・・・・合計で96.1km
高低差:526m

天候に恵まれ花に癒やされ巡った木曽路の2泊3日。
其々の宿場は何度となく訪れた場所であるのに新しい感慨があった。
昔の人が歩いた道を歩くことで同じ風景を見ただろうと考えるだけで木曽路の素晴らしさと厳しさが多少分かったような気がする。

木曽路を歩く(木曽路十一宿)木曽福島宿から三留野宿(南木曽駅)

2019年04月22日 | データ

■2019.04.19(金) 6:22南木曽駅発に乗り7:02木曽福島駅到着。
二日目は木曽福島駅から南木曽駅までを歩く。
まだ寝ている街を抜ける。
道路脇にはイチリンソウが咲いている。
塩淵一里塚を過ぎて暫く行く。
国道脇の除雪機
いつもお世話になります。
標高も下げ南にきたので花が多い。
御嶽遥拝所。
ここは「御嶽の四門」の一つ。
大峯山の「金御嶽」(カネノミタケ)を頂点に各国の「国御嶽」(クニノミタケ)がある。オンタケとミタケは混在するが木曽御嶽山の影響が強い所が「オンタケ」である。
本来相撲の御嶽海はミタケウミではなくオンタケウミとすべきかな?
木曽御嶽山は裾のしか見えない。
木曽の棧
・松尾芭蕉
「かけはしや 命をからむ 蔦かつ羅」
・正岡子規
「かけはしや あぶない処に やまつつじ」
「桟や 水にとどかず 五月雨」
「むかしたれ 雲のゆききのあとつけて わたしそめけん 木曽のかけはし」
・木曽の棧
古くは今昔物語集に記述があり、豊臣秀頼が改良工事をした(『前田慶次道中日記』)。 1647年、通行人の松明により焼失するが、翌年に尾張藩が872両をかけて、石垣と3つの木橋を設けた。1741年と1880年の改修を経て、1911年には国鉄工事のため木橋が無くなり、石垣のみとなった。
人の顔みたいな侵食された石
上松宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒、人口2482:天保14年)
当時では木曽路で一番人口が多かった。
昭和25年(1950)の火災により江戸時代以前の建物の多くは失われましたが上町だけが延焼を免れた為、一部古い町並みが残っている。
枝垂れ桜。
そばで有名な元の「越前屋」
寛永元年(1624年)に創業の日本で二番目に古い蕎麦屋
街道つえの焼印をしてもらいために「ねざめ亭」へ
 
焼印ある?
 
あるよー
ここ出身ですね。
・寝覚の床
木曽川の水流によって花崗岩が侵食されてできた自然地形である。1923年(大正12年)3月7日に国の名勝に指定
・小野の滝
木曽八景の1つに数えられ、国道19号にさわやかなしぶきをおくる唯一の滝で、安藤広重の浮世絵にもあります。
 
※木曽八景
・徳音寺の晩鐘(日義村)
・御嶽の暮雪 (開田村、三岳村、王滝村など)
・棧の朝霞  (上松町)
・寝覚の夜雨 (上松町)
・風越の晴嵐 (上松町)
・駒の夕照  (木曽路各地より)
・与川の秋月 (南木曽町)
 
日帰りで分けて中山道を歩くおじさん達。
集木場と桜
吊橋
自撮り。
コブシ
空木への登山口。
昔はここを歩いた。
木曽川の景色
桃山発電所(日本最初の東・西サイクル発祥の地)
大桑村に入る。
R19沿いの枝垂れ桜
道の駅「大桑」で天ぷらそばで遅めの昼食
これが美味しい。
 
ミツバツツジ
スミレ
今日は花の道
ここはまだ登っていない。
どぶろく風味「木曽の棧」に西尾酒造がある
・須原宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒、人口478人:天保18年)
ここで焼印。
「桜の花漬け」はなかった。
水舟。
 
定勝寺
 
 
岩出観音
はなもも
・野尻宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠19軒、人口986人:天保18年)
 
・三留野宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒、人口594人 :天保18年)
 
南木曽駅には18時を過ぎに到着、今日が一番長い距離を歩いた。
 
・今日のデータ

活動時間:11時間2分
活動距離:39.1km
高低差:406m
 
車まで戻り、今日も温泉と食事をしに。
そして中津川にある靴屋で運動靴を購入、明日はこれで行動する。
 
履いている登山靴は持っている登山靴の中では一番歩きやすいものですが
それでもテント装備用なのでソールが固くアスファルトを長時間歩くのは問題でした。
 
 

木曽路を歩く(木曽路十一宿)贄川宿から木曽福島宿

2019年04月22日 | データ

好きな木曽路には十一の宿場がありそれを歩こうと考える。
歩くためのガイドは→信州木曽路 中山道を歩くを入手し計画を練る。

行程:日出塩駅から中津川駅(約95Km)
日程:2泊3日

 
■2019.04.18(木) 深夜2時過ぎに木曽福島駅目指す。車は大手町Pに止める。
木曽福島までは1.3Km。
少し寒いので手袋をしそろそろ起きだす町並みを行く。
6:08の松本行普通に乗車。
学校に通う利用者と電車に乗り込む。
 
電車は木曽川沿いに北上、分水嶺を超えると奈良井川沿いになる。
 
6:44 日出塩駅に到着
 
寅さんもここに降り立つ。
男はつらいよ 寅次郎夢枕第10作 昭和47年12月
 
駅舎は新しくなっている。
この日出塩駅の1日の利用者(2016年)は12人であり中央本線内の駅では最も少ない。
 
この駅は本宿と贄川宿の間にある駅。
ここから逆の方に少しゆくと日出塩一里塚跡がある。
 
一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)
妻籠にある一里塚が唯一この本来の状態で残っていた。
「是より南 木曽路」の碑(これよりみなみきそじのひ)は、長野県塩尻市贄川にある石碑。
裏面には「歌ニ繪ニ其ノ名ヲ知ラレタル木曽路ハコノ櫻澤ノ地ヨリ神坂ニ至ル南二十餘里ナリ 」とある。
かつて桜沢橋の下を流れる桜沢が尾張藩と松本藩の境界。
中山道馬籠宿・落合宿間にある「是より北 木曽路」の碑と対を成す。
木曽路とはこの2つの石碑の間ということになる。
片平橋(土木学会推薦の土木遺産:通行は不可)
若神子の一里塚。
貨車が走る。
R19は車で何度と無く走っているが・・・
贄川宿。(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒、人口545人:天保14年中山道宿村大概帳)
当時として11宿中3番めに人口の少ない宿場。
贄川関所
贄川関所は建武の新政が行われた建武2年(1334)頃に木曽家村(木曽義仲の七代後裔)が最初に設けた。
江戸時代には中山道の人と物の往来を監視するために置かれた贄川口留番所で、女改め、白木改めなどの役割を担った。
長野県天然記念物の贄川の栃の木(樹齢千年)
道の駅「木曽ならかわ」で「木曽十一宿街道づえ」を1,200円を購入。
これから焼印処へ寄り焼印を押して貰う。
焼印処は15ヶ所あります。(今回の目的の一つ)
芭蕉の句碑(送られつ をくりつはては 木曽の秋)
中山道の石垣
奈良井川沿いを進むと「奈良井宿」
(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒、人口2155人:天保14年中山道宿村大概帳)
当時としては上松町の次に人口が多かった。
まだ観光客は少ない。
目的の蕎麦屋は準備中・・・
開いている団子屋で休憩。
大法寺の首のない子育て地蔵の名を借りたマリア地蔵
ここまでキリシタンの影響があるのか。
明治天皇巡幸時の在所跡
天皇は、歴史的、民族的に支配の正統性をもつ、仁恵(じんけい)深い君徳を備えた存在をしめした。
高札。
・鎮神社
旧奈良井村の鎮守です。はじめは中原兼遠(木曾義仲の乳母父)が鳥居峠に建立しましたが、天正十年(1582)に戦火で焼失し、奈良井義高によって現在地に移されたと伝えられています。同社の記録によると、元和四年(1618)奈良井宿に疫病がはやり、これを鎮めるために下総国(千葉県)香取神宮から経津主命(ふつぬしのみこと)を勧請し祭祀をはじめたといいます。
鳥居峠への石畳。
サンシュユ。
標高が高いせいか花はまだまだ。
途中の葬沢は織田軍と武田軍(勝頼)が戦った鳥居の戦いで武田軍が負けて武田軍の兵500の屍骸で埋まったそうです。
織田軍とは木曽義昌で結構強かった。
・鳥居峠
木曾義元が御嶽山に戦勝祈願のため、峠に鳥居を建てて以来、鳥居峠と呼ばれるようになったといわれている。
峠の標高は1,197mでちょっとした山登り。
子産の栃。
御嶽神社(御岳遥拝所)
芭蕉の碑や木曾義仲の硯水もある。
薮原宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、人口1493人 :天保14年の中山道宿村大概帳)
飛騨街道の分岐点。
R19を通る所も多い。
宮ノ腰宿:(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、人口585人:天保14年の中山道宿村大概帳)
・義仲館
ここで焼印をもらいがてら係のおじさんと話し込む。
館内は以前訪問しているの今回はパス。
時間も押し迫っていますし。
 
道路脇に咲く福寿草。
鈴鹿の福寿草より花だ大きい。
庭いじりをしているおばあさんや畑の仕事をしているおじさんと色々話をしながらの木曽路歩きもまた楽しい。
中央アルプスが見え隠れする。
木曽町の相撲場。
御嶽海もここで練習したのか?
5時過ぎに木曽町到着。
福島宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒、人口972人:天保14年の中山道宿村大概帳)
日本四大関所の一つに数えられた福島関所。
中山道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まった重要な関所であった。
はなももが綺麗だ。
贄川宿は梅がまだ満開前でそこから標高を上げる鳥居峠では花が少なくなった。
峠を超え標高が下がるに従い梅→桜→はなももと見れるようになった。
木曽福島宿がそろそろ桜が満開になる。
そして初日はここ木曽福島までです。
木曽路の贄川宿〜福島宿までは歴史的には木曽義仲及び末裔が活躍した地域であり、街道沿いには義仲や木曽氏の史跡が点在してる。
松尾芭蕉も木曽路を歩いており(更級日記)、正岡子規も明治24年(1891)に木曽路を旅した。

計画では歩行速度を4km/hで立てたので余裕かと思いましが履いてきた靴が登山靴で大失敗。平坦な道を歩くのには最悪ですね。
・今日のデータ

活動時間:11時間23分
活動距離:37.3km
高低差:482m

急遽日程をきめたのでP泊を組み合わせた変速方式です。
木曽福島の駐車場に車を止めてあるので南木曽に移動して食事と温泉に入ります。
明日早朝、南木曽駅から電車に乗り木曽福島まで戻って木曽路を歩きます。
したがって明日は木曽福島(福島宿)〜南木曽駅(三留野宿)の行程となります。

岐阜ドライブ(薄墨桜、谷汲山華厳寺、金華山)

2019年04月10日 | データ
■2019.04.08 日本三大桜の一つ「根尾谷淡墨桜」を見に中距離ドライブと洒落こんだ。

駐車場からはの行きを被った能郷白山が見える。

今年の淡墨桜

昨年の台風で大枝が4本折れた影響か少し寒々見えます。(前回訪問時の写真:2017の薄墨桜

支柱に支えられている。

昭和23年頃には遂に枯死するかとも思われる状態になるが238本の根接ぎが行われ現在に至っている。

樹齢は1500余年と推定され、継体天皇お手植えという伝承がある。

対岸の桜も綺麗だ。


次に谷汲山華厳寺へ移動、近くです。

■谷汲山華厳寺
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。 山号は谷汲山(たにぐみさん)。 本尊は十一面観音、脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。 西国三十三所第三十三番札所、満願結願の寺院で桜、紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。 西国三十三所の札所寺院では唯一、近畿地方以外にある。 (→Wikipedia)

総門を潜ると桜並木が続く参道。

仁王門

本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。
本堂。

お参りし御朱印を頂く。

車で40分ほど走り岐阜市内の金華山へ

■金華山
長良川河原の無料駐車場に車を止め歩き出す。
山頂の岐阜城まではロープウェイを使わず人力で登ります。
最近山登りは行けてませんがテニスやスキー、ジム通いで脚力は現役の時より確実にアップしているので問題ない。

登山ルートは「瞑想の小径」から
適度な間隔に名言格言が出てくる。

登山道に花はコバノミツバツツジのみ。

約50分で山頂。

1567年(永禄10年) 織田信長の居城となり稲葉山城から岐阜城と改称された。天下統一の拠点として、山上には天守、山麓には壮麗な御殿(天主)が建設され、城下町には楽市楽座が設けられて繁栄した。

斎藤道三も織田信長もここから見下ろした。

名駅のツインタワーも見える

下山も同じコースを辿る。

さあ木曽11宿踏破が計画段階から実施段階になってきた。

於大公園へ花見散歩。

2019年04月05日 | データ
■2019.04.04 そろそろ桜も見頃と言うことで、近場の東浦町の於大公園へ花見へ出かけた。
時期が時期だけに駐車場はほぼ満車。
この公園の「於大」とは松平広忠の正室の事で於大の方と呼ばれた。於大の方とは徳川家康の母である。

手入れがされています。

ユキヤナギと桜

日当たりの良い所は満開に近い

ユキヤナギの白色が眩しい。

枝垂れ桜

八重ですね

花桃

芝桜

ヤマブキと竹林

リキュウバイ

ミツマタ(ほぼ終わりかけ)

トサミズキ

ハナズオウ

コブシ

ヒュウガミズキ

キブシ

ドウダンツツジ

バイモユリ(アミガサユリ)

サンシュユ

矢車草
 
ミモザ

サンシュユ

おこちゃま撮影会です。

輝く水面とユキヤナギ

風もなく絶好の花見日和。
公園内の東屋で持参した飲み物とお菓子でお茶タイム。

春休みで遊具では賑やかな声が響いている。