トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

信州旅行(鷹狩山からの眺望)2/2

2019年05月27日 | データ
早朝一人で後立山の山々を見に鷹狩山展望台へ。
泊まった宿からは15分程度で到着する予定。
途中御来光が差し込む。
鷹狩山(標高 1164m)の展望台から
大町市街に朝日が少し差し込む。
爺ヶ岳>鹿島槍ヶ岳>五竜岳
モルゲンロードに染まる山々。
綺麗な双耳峰の鹿島槍ヶ岳
以前縦走した時は五竜岳からキレット小屋までは風雨の縦走だった。
小屋で泊まった翌日の八峰キレットから鹿島槍ヶ岳は快晴だった。
爺ヶ岳
大町市街にも日が差し込む
皆さーん朝ですよ。
4:40から1時間滞在して宿に戻り朝ぶろ→朝食。
そしてチェックアウトし9時頃また鷹狩山へ。
恋人の聖地だそうです。
今更ながらツーショット
展望台の望遠鏡で稜線を舐めまわす。
槍の碑先も見えます。
緑が眩しい。
21大滝山>蝶ヶ岳>常念岳>横通岳>大天井岳
雪の稜線を左から
蓮華岳から烏帽子の間がトレースが繋がって無いのと未踏破は餓鬼岳、唐沢岳
今年は行けるかな。
雪倉岳方面も未踏だ。
雪の唐松岳は最高に良い天気だった。
山を見ずに何を見ているのだろう?
天気を見て決めた日程は大成功でした。
それも毎日が日曜日だから出来る技ですね。
現役の頃も天気が良かったら休暇取ります・・・って言っていた。
会社では一番休暇を取る管理職で毎日定時。
年間就業時間は1800時間を切っていた。
働き方改革は自分自身で実施した結果だった。
日々の向上を限りなく実施・・・そのうち廻りが止まって見えた。
 
山は見るだけじゃなくやっぱり登らなくては。

信州旅行(花三昧:信州花フェスタ)1/2

2019年05月27日 | データ
春の旅行は信州花フェスタ2019へ。
 
伊那谷を北上、左側に中央アルプス、右側に南アルプス。
雪解けは例年に無く早い。
予定通り9:30に駐車場到着。
メイン会場は長野県松本平広域公園。
 
綺麗な花に癒やされ清々しい気分で散策。
秋篠宮家の長女眞子さまの植樹でご訪問されていた。
メイン会場で昼食後にサブ会場へ移動。
国営アルプスあづみの公園(堀金・穂高地区)
イベントは土日に集中しており意外と静かだ。
入口付近の花フェスタの展示品があるがそれ以外は特別なものはなかった。
次に大町市の「ラカスタ ナチュラル ヒーリング ガーデン」へ
ここはお気に入りの場所です。
まずは電話で予約をしてから訪問する。
入園料は1,000円とチョット・・・・
3回目の訪問です。
庭の花がどれも綺麗です。
珍しい花も沢山あります。
私の知る中では一番ステキな庭園。
トドクロちゃんは「アロマ作りの体験」を。
 
待つ間、後立山連峰を見たり置いてある山雑誌を読んでいた。
宿泊は大町八坂の「金熊温泉明日香荘
静かな場所で気に入りました。
 
この地方にはこんな伝説が有ります。
 
大姥様と金太郎の伝説
むかし、大姥(山姥)が信州八坂の一角の一番高い山に棲んでいた。大姥は有明山の八面大王と恋仲になり、大王の子を宿し産んだのが金太郎である。金太郎が育った洞窟の割れ目は、遠く越後まで抜けているといわれている。金太郎はその岩山で熊と相撲をとりながら育ったので、たいそうな力を持っていたそうだ。
  金太郎が6歳のとき、源氏の大将頼光が時の天皇の命により諸国の鬼退治をしていたが、あるとき鬼の力が強く退治がむずかしくなり、大姥を訪ねてきた。大姥はそれならこの子を連れて行きなさいと金太郎を家来にしてやった。
  そのおかげで頼光は鬼退治をすることができたということだ。それ以来、頼光は金太郎を家来にして坂田金時と名のらせ、後に頼光四天王の一人に加えられたという。
  この山は大姥山というが、金太郎(坂田金時)が育ったので金時山ともいわれ、熊と戯れた近くの川を金太郎と熊にちなんで金熊川(カナクマガワ)という。また、この山は神聖な山として祀られ、大姥神社奥社へ女人が一足でも足を入れようものなら荒れると恐れられていた。
翌朝、この大姥山の登り山頂でご来光と眺望を楽しもうと思いましたが・・・・
 
結局、鷹狩山展望台での眺望となった。
 
眺望の写真は
展望台を後にして近くの「霊松寺」へ
長野県で最古の曹洞宗寺院
山門は長野県指定有形文化財。
大町市街の自家焙煎珈琲のUNITE COFFEE でお茶。
美味しいコヒーでした。
 
そして近くの若一王子神社へ
本殿は重要文化財。
帰路はR19を権兵衛トンネルで伊那谷へ抜け
かんてんぱぱの健康パビリオンで年一回の健康測定と体力測定を実施。
骨密度が20歳だとか脳年齢が50歳だとか夫婦騒ぎながら帰路につく。

木地師の里と政所茶(東近江)

2019年05月18日 | データ
 先日、姉の嫁ぎ先へ久し振りに訪問し雑談。
その際にお茶の在来種の話が出た。現在一般的に飲まれているお茶の約80%が「やぶきた茶」で残りの20%が在来種などである、この在来種は飲んだ事が無い。
在来茶とは日本古来より山里に自生する野生種のことで現在では殆んど見ることの出来ない貴重な品種らしい。
 
昨年、鈴鹿山脈の「日本コバ」を登ったがその登山口が在来種の政所茶生産地である事を思い出し訪れる事に。
そこは木地師発祥の場所だったりで歴史的に興味がある。
 
■2019.05.17
まずはいなべ向けて車を走らせる。
いなべ市からは石槫トンネルを抜けると東近江市に入る。
しばし峠を下ると「道の駅 奥永源寺渓流の里」に着く。
そこからしばらく木地師街道をゆくと蛭谷にある筒井神社に到着。
筒井神社の由緒。
木地師の祖とされる惟喬親王とは
惟喬親王
は承和十一年(八四四)、第五十五代文徳天皇(もんとくてんのう)の長子として生まれた。幼いころから聡明で、父・天皇は親王をことのほか愛されていたという。親王が七歳のとき、弟宮・惟仁親王(これひとしんのう)が誕生された。この時点で惟喬親王の運命は暗転した。
 惟喬親王の母・静子は紀氏出身である。紀氏は由緒ある氏族であるが、政界では勢力がなかった。いっぽう、あらたに誕生した惟仁親王の母は、太政大臣・藤原良房の娘、明子である。良房は、外戚の地位を利用し誕生まもない惟仁親王への皇位継承を企てた。その結果、生後九ヶ月の惟仁親王が皇太子に定められた。
 天安二年(八五八)、文徳天皇崩御。良房の敷いたレール通りに皇太子・惟仁親王が即位、清和天皇となられた。(永源寺町史より)

ここでも藤原氏が登場。権力を欲しいままにした一族。

 貞観十四年(八七二)七月、惟喬親王は病をえて出家、比叡山の麓・小野の里に隠棲し「小野宮」と呼ばれた。二十九歳であった。大原三千院に近い大原上野町(京都市左京区)や雲ヶ畑、大森東町(京都市北区)などが隠棲地とつたえられている。
 そして、寛平九年(八九七)二月二十日、親王は五十四歳で亡くなられた。
以上が史料で辿ることのできる親王の生涯。
 平安王朝の華やかな表舞台から退き山深い里に隠棲、病没された悲運の親王は、やがて、木地の良材をもとめ山野を渡り歩いていた山の民により、「木地師の祖」として甦り篤い尊崇をうけることになる。

九輪草が可愛い。

「惟喬親王伝説」は多い。

 ■小椋谷の伝説(今回訪問した蛭谷・君ケ畑の伝説)
愛知川最上流の小椋谷(「六ヶ畑」と呼ばれる君ヶ畑・蛭谷・箕川・黄和田・九居瀬・政所の地域。東近江市)では、戦国時代から木地師(きじし)が活動していたといわれる。
 木地師とは、山中の樹木を伐りだし轆轤(ろくろ)を使って木製の椀や盆など、日常生活品を作り出す職人である。適当な材木がなくなると、山から山へと良材をもとめ各地に移住した。その根元の地ともいうべき小椋谷に、惟喬親王伝説が芽生えたのは近世初頭のことである。
 蛭谷(筒井公文所・筒井神社)や君ヶ畑(高松御所・大皇器地祖神社)につたわる惟喬親王「御縁起」には、およそつぎのような物語が記されている。
 「天皇の位を弟宮に譲られた親王は世の無常を儚み出家されたが、都にとどまることを憚り、大納言・藤原実秀(さねひで,のち小椋実秀)や堀川中納言らわずかな供をしたがえ東路をさして出発された。親王は琵琶湖をわたり、愛知川源流の小椋谷に安住の地を見つけ御所をもうけられた。その後は読経三昧の日々をすごしておられたが、ある日、親王は法華経巻の紐を引くと軸が回ることから轆轤を考案、また、池でくるくる回る樫の殻を見て木椀をつくることを思いつかれた。そして、御所周辺の杣人たちに轆轤の技術を伝授された。これが木地師のはじまりである。」
 他に
■愛知川沿岸の伝説
■大君ヶ畑、笹路、山女原の伝説
■京都大原の惟喬親王伝説
■京北・雲ヶ畑と 大森東の伝説
■三重県と奈良県の伝説
がある。

惟喬親王御陵(近年作らてた御陵)
 木地師は、惟喬親王を祖と仰ぎ、近江国愛知郡小椋庄に住む木地師一門を本家とし、地方に散在する木地師すべてを分家とみる、擬制的同族組織だった。
 ここで昼食。
 二人で使う轆轤(ろくろ)。
君ケ畑にある大皇器地祖神社(おおきみきじそじんじゃ)
中世この大皇器地祖神社と先の筒井神社が木地師たちを統括していた。
 ここは鈴鹿10座の「天狗堂」登山口でもある。
たぶん登りに来ます。
 そして政所茶。
室町時代に永源寺五世管長の越渓秀格禅師が、この地の水質・地質が茶の栽培に適していることを見つけ、村人に栽培を奨励したことに始まる。茶摘み歌でも「宇治は茶所、茶は政所…」と歌われ、宇治茶と並ぶ茶どころとしてその名を全国的に知られた。
石田三成が幼少のころ秀吉に出したとされる三杯の茶【三献茶】としても有名。
農薬未使用の手摘みの在来種。
 王墓。
 高松御所金龍寺(惟喬親王が隠棲されたとされる場所と言われている)
 轆轤を使い木地物をつくる技術は弥生期に存在し、奈良時代にはすでに職業として成立していたという。また、惟喬親王の諸国行脚伝説を立証することは、不可能である。
 惟喬親王を木地師の祖とする伝説は、蛭谷・帰雲庵の住僧や筒井神社の神主を務めていた大岩助左衛門により近世初頭に初めて語られたものらしい。しかし、悲運の皇子、親王への民衆の同情は、伝説・伝承を歴史的事実とする認識を生み信仰にまで高めた。「親王伝説」はまた、全国の木地師に誇りを与え、小椋谷を「わがふるさと」とする強力な木地師グループの絆を形成する原動力ともなった。

木地師の話はこのくらいにして。

政所茶をいただける場所を探し「きの花工房」に辿り着く。
製茶工場を活かしお茶お頂ける工房。
政所茶で作った紅茶もいただく。
風味は川根茶に似ている。
 今日はゆったり散策できた。

温泉ドライブ(おきよめの湯)

2019年05月12日 | データ
■2019.05.12 久し振りに妻の実家と温泉ドライブへ。
お互い一度も行った事が無い長野県天竜村の「おきよめの湯
其々目的地を目指し車を走らせる、途中状況を連絡しながらR153を北上。
足助を過ぎた辺りで前方に見た事のある車を発見。
しばし走ると自然に後ろに付く。
下道が多いが自宅を出てから2時間30分で目的地にとうちゃこ。
まずは昼食を
舞茸天ぷらざるそばの大盛を注文、そばの量は通常の2.5倍程ある。
更科そばのように白っぽいそばだが腰があり歯切も心地よい。
鼻に抜けるそばの香りが少し弱いかな。
 
天ぷらは「舞茸」「シイタケ」「山椒?」「タラの芽」
泉質はアルカリ性単純温泉で良い感じのぬるぬる感。
静かな温泉で新緑の渓谷を見ながら入浴できる。
サウナもありGood。
帰路は茶臼山経由としたが雨がぱらつき芝桜は見ずに通過。
ここで妻の実家とは別れて別行動とする。
 
稲武の大井平公園でしばし散策。
散歩中の女性に武節城跡までの距離を聞く。
また山側にタラの芽が自生していると教えてくれたがチョット土手を登る必要があり諦める。
この女性は道の駅の隣の漬物屋の女将さんらしい。
武節城跡
ふむふむ
私も山岡荘八の「徳川家康全26巻」を読破しているのでこの辺りの歴史は良くわかる。
新田次郎の「武田信玄」も何年か前に読んでいるので敗走する「武田勝頼」の気持ちが分かるような気がする。
本丸跡から二の丸方面
この城跡を降りて行くと「道の駅どんぐりの里いなぶ」へ出れた。
隣の漬物屋(小沢商店)を見つける。
 
試食した山ゴボウのみそ漬けが美味しかったので
「山ごぼう 味噌漬け 徳用」を購入。

緑が清々しい時期。

2019年05月07日 | データ
■2019.05.07 昼から安城市の丈山苑へ。
緑の清々しい時期で京都の詩仙堂を模した庭園。
入場料が100円でお抹茶が300円とリーズナブル。

カキツバタ。

オキナ草の終わった後、チングルマの様です。

立派な牡丹。

お抹茶御頂きます。

結構なお手前で。

ここは秋の紅葉が素晴らしい。

去年の紅葉→ここ

 

以下はおまけです。

これは我家の庭の花々。

先日行ったブルーボネットの花々。