トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

木曽路を歩く(木曽路十一宿)贄川宿から木曽福島宿

2019年04月22日 | データ

好きな木曽路には十一の宿場がありそれを歩こうと考える。
歩くためのガイドは→信州木曽路 中山道を歩くを入手し計画を練る。

行程:日出塩駅から中津川駅(約95Km)
日程:2泊3日

 
■2019.04.18(木) 深夜2時過ぎに木曽福島駅目指す。車は大手町Pに止める。
木曽福島までは1.3Km。
少し寒いので手袋をしそろそろ起きだす町並みを行く。
6:08の松本行普通に乗車。
学校に通う利用者と電車に乗り込む。
 
電車は木曽川沿いに北上、分水嶺を超えると奈良井川沿いになる。
 
6:44 日出塩駅に到着
 
寅さんもここに降り立つ。
男はつらいよ 寅次郎夢枕第10作 昭和47年12月
 
駅舎は新しくなっている。
この日出塩駅の1日の利用者(2016年)は12人であり中央本線内の駅では最も少ない。
 
この駅は本宿と贄川宿の間にある駅。
ここから逆の方に少しゆくと日出塩一里塚跡がある。
 
一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)
妻籠にある一里塚が唯一この本来の状態で残っていた。
「是より南 木曽路」の碑(これよりみなみきそじのひ)は、長野県塩尻市贄川にある石碑。
裏面には「歌ニ繪ニ其ノ名ヲ知ラレタル木曽路ハコノ櫻澤ノ地ヨリ神坂ニ至ル南二十餘里ナリ 」とある。
かつて桜沢橋の下を流れる桜沢が尾張藩と松本藩の境界。
中山道馬籠宿・落合宿間にある「是より北 木曽路」の碑と対を成す。
木曽路とはこの2つの石碑の間ということになる。
片平橋(土木学会推薦の土木遺産:通行は不可)
若神子の一里塚。
貨車が走る。
R19は車で何度と無く走っているが・・・
贄川宿。(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒、人口545人:天保14年中山道宿村大概帳)
当時として11宿中3番めに人口の少ない宿場。
贄川関所
贄川関所は建武の新政が行われた建武2年(1334)頃に木曽家村(木曽義仲の七代後裔)が最初に設けた。
江戸時代には中山道の人と物の往来を監視するために置かれた贄川口留番所で、女改め、白木改めなどの役割を担った。
長野県天然記念物の贄川の栃の木(樹齢千年)
道の駅「木曽ならかわ」で「木曽十一宿街道づえ」を1,200円を購入。
これから焼印処へ寄り焼印を押して貰う。
焼印処は15ヶ所あります。(今回の目的の一つ)
芭蕉の句碑(送られつ をくりつはては 木曽の秋)
中山道の石垣
奈良井川沿いを進むと「奈良井宿」
(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒、人口2155人:天保14年中山道宿村大概帳)
当時としては上松町の次に人口が多かった。
まだ観光客は少ない。
目的の蕎麦屋は準備中・・・
開いている団子屋で休憩。
大法寺の首のない子育て地蔵の名を借りたマリア地蔵
ここまでキリシタンの影響があるのか。
明治天皇巡幸時の在所跡
天皇は、歴史的、民族的に支配の正統性をもつ、仁恵(じんけい)深い君徳を備えた存在をしめした。
高札。
・鎮神社
旧奈良井村の鎮守です。はじめは中原兼遠(木曾義仲の乳母父)が鳥居峠に建立しましたが、天正十年(1582)に戦火で焼失し、奈良井義高によって現在地に移されたと伝えられています。同社の記録によると、元和四年(1618)奈良井宿に疫病がはやり、これを鎮めるために下総国(千葉県)香取神宮から経津主命(ふつぬしのみこと)を勧請し祭祀をはじめたといいます。
鳥居峠への石畳。
サンシュユ。
標高が高いせいか花はまだまだ。
途中の葬沢は織田軍と武田軍(勝頼)が戦った鳥居の戦いで武田軍が負けて武田軍の兵500の屍骸で埋まったそうです。
織田軍とは木曽義昌で結構強かった。
・鳥居峠
木曾義元が御嶽山に戦勝祈願のため、峠に鳥居を建てて以来、鳥居峠と呼ばれるようになったといわれている。
峠の標高は1,197mでちょっとした山登り。
子産の栃。
御嶽神社(御岳遥拝所)
芭蕉の碑や木曾義仲の硯水もある。
薮原宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、人口1493人 :天保14年の中山道宿村大概帳)
飛騨街道の分岐点。
R19を通る所も多い。
宮ノ腰宿:(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒、人口585人:天保14年の中山道宿村大概帳)
・義仲館
ここで焼印をもらいがてら係のおじさんと話し込む。
館内は以前訪問しているの今回はパス。
時間も押し迫っていますし。
 
道路脇に咲く福寿草。
鈴鹿の福寿草より花だ大きい。
庭いじりをしているおばあさんや畑の仕事をしているおじさんと色々話をしながらの木曽路歩きもまた楽しい。
中央アルプスが見え隠れする。
木曽町の相撲場。
御嶽海もここで練習したのか?
5時過ぎに木曽町到着。
福島宿(本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠14軒、人口972人:天保14年の中山道宿村大概帳)
日本四大関所の一つに数えられた福島関所。
中山道の要衝として「入鉄砲」「出女」を取り締まった重要な関所であった。
はなももが綺麗だ。
贄川宿は梅がまだ満開前でそこから標高を上げる鳥居峠では花が少なくなった。
峠を超え標高が下がるに従い梅→桜→はなももと見れるようになった。
木曽福島宿がそろそろ桜が満開になる。
そして初日はここ木曽福島までです。
木曽路の贄川宿〜福島宿までは歴史的には木曽義仲及び末裔が活躍した地域であり、街道沿いには義仲や木曽氏の史跡が点在してる。
松尾芭蕉も木曽路を歩いており(更級日記)、正岡子規も明治24年(1891)に木曽路を旅した。

計画では歩行速度を4km/hで立てたので余裕かと思いましが履いてきた靴が登山靴で大失敗。平坦な道を歩くのには最悪ですね。
・今日のデータ

活動時間:11時間23分
活動距離:37.3km
高低差:482m

急遽日程をきめたのでP泊を組み合わせた変速方式です。
木曽福島の駐車場に車を止めてあるので南木曽に移動して食事と温泉に入ります。
明日早朝、南木曽駅から電車に乗り木曽福島まで戻って木曽路を歩きます。
したがって明日は木曽福島(福島宿)〜南木曽駅(三留野宿)の行程となります。


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