■2020.03.17 熊野古道/伊勢路は川添駅から三瀬坂峠を超えて梅ケ谷駅まで
昨日より距離も時間も長い(35Km、9時間10分)
昨夜冷え込み車は霜がびっしり。
朝食はチキンスープとトマトサンドイッチ、狭い車内でお湯を沸かしたりトマトを切ったりするのは大変。
昨夜のP泊車は5台、この時間にゴソゴソしているのは私のみ。
霜を取り梅ケ谷駅までは約10分、そこから昨日の到着駅川添までは列車で移動。
6:29梅ケ谷駅→7:07川添駅。
紀勢線は無人駅が多く、ワンマン列車の場合、1両目の後ろドアから乗車し1両目の前から出なければならない。
事前に列車料金は調べられるので小銭を準備してきた。
軽くストレッチをしてから歩き出す。
昨夜から冷え込んだせいか、お茶畑の霜取り(霜よけ?)扇風機が動いている。
しばらく行くと街中でうさぎを発見!!(どうも逃げ出した様だ)
※道中安全祈願地蔵(3段右)、伊勢路には至る所にあります。
まちかど博物館「奥伊勢」やカフェはまだOPEN前・・・コヒーが飲みたい。
R42の歩道を進む、高奈と下三瀬の峠から冠雪した山が見える。
多分、大峯山かな。
ここを過ぎると国道を離れ下三瀬集落へ入る。
田んぼ、畑は電気柵等で囲われている、地元の人に挨拶をして害獣はと聞くと「イノシシ、サル、シカ」だそうです。鈴鹿の東側と同じだ。
※三瀬砦跡
北畠氏の家臣で、土地の有力者であった三瀬氏歴代の居城であったといわれている。
永禄十二年(1569年)伊勢に侵攻した織田信長と北畠氏が戦った大河内城合戦でも奮戦し、北畠具教が織田軍と和睦し、再起を秘めて三瀬館に隠棲したとき、三瀬館守護の支柱となったとされる。
※大谷不動明王の滝
本来は「三瀬の渡し」が使えれば佐原を通る回り道は不要。
地元の有志で復活している(渡るには事前電話連絡が必要)
この渡しを使えば6Km短縮できる。
※多岐原神社:祭神は、真奈胡神(まなごのかみ)。倭姫命が急流を渡れずに困っていたところを真奈胡神が助けたとされる。この神社は内宮の摂社27社のうち、第27位である。
※復活した三瀬の渡し
※三瀬坂峠:峠(標高256m)は高い峠ではありませんが、急坂のつづら折りがつづきます。茶屋跡、※宝暦地蔵などあり、古道の雰囲気。
※瀧原宮:内宮(皇大神宮)の別宮で祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。
倭姫命が内宮よりも先に天照大御神を祀った場所という伝承がある。
境内には内宮と同じような巨木が多く歴史を感じる。先の大戦でB29が爆弾8発落とされ被災している。
滝原〜阿曽〜柏野までは9km。
阿曽で昼食を求めにコンビニへ立ち寄る。
伊勢路には一日歩いてもコンビニが一件も無い踏破ルートがあるので食事計画は重要。
今回の2泊3日は昼はすべてコンビニ調達できる。
※大内山の一里塚(3段右):木曽路では多く見かけたが、伊勢路では初めて。
※電気柵のソーラ電源(3段左):電気柵の電源はソーラパネルが多い。
近畿自然歩道(大内山川沿いに巨木をたずねるみち)、ここも伊勢路です。
川の水が綺麗で左岸沿いの樹林帯に路が付いている。
やはり地面を踏み、木々の中を歩く方が楽しいですね。
※芦谷の中組常夜灯
※大内山駅
※近くに大内山動物園がある。
※牛乳で有名な大内山牛乳のモニュメント
コロナウイルス感染症の流行に伴う小中学校の臨時休校のため給食も中止となり、給食用に供給する予定だった生乳を練乳や脱脂粉乳などの加工品に振り替えている。
国道沿いを歩いていると河原から野猿が十数匹、目の前を登ってきて国道を横断し反対側の落石柵を登っていった。その中のボスザルは常に私を威嚇していた。
山でもよく遭遇しますがこれだけの数では恐怖感を感じます。
明日はいよいよツヅラト峠へ向かいます。
16:40 梅ケ谷駅に到着。
デポした車でP泊地移動。
初日と二日目でほぼ70kmを歩いた。興味のある立寄りポイントは道草しているので少し早歩きでなんとかコースタイムをキープしてきた。
が・・・
毎日後半に足裏の拇指球に少し痛みが出た。
中敷きで対策しているのでかなり改善されているが舗装された道が多く9時間を歩くと負荷が溜まる。
当初計画は全行程7日間であったものを6日間に変更し実施したのがまずかった。
後半を3日間→4日間に当初の予定通りに戻す事に。
従って明日は船津駅までではなく三野瀬駅までとする。
山と違って舗装された道では足の回転が速く足裏への衝撃が多い。
今日のP泊地は「始神さくら広場」→「道の駅海山」へ予定変更。
平日の道の駅は空いている、P泊車は7台。
昨日も今日も予定した温泉が臨時休業。
描いていたイメージは
疲れた体を
温泉に入り
リフレッシュ。
↓
地元の
食材を肴にP泊地でひとり
酒
↓
ぐっすり睡眠
の予定でした。