トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

今日はウォーキング。

2020年03月29日 | データ
今日はランニングの代わりに二人でウォーキング。
石垣の隙間の生える花。
どんな環境でも順応する力を持っている。
人にもこの力がある、ただ保護したりすると弱々しくなる。
これはもっとすごい生命力。
先日、熊野古道の伊勢路を歩いた時にもこの焼酎瓶が庭先に転がっているお宅をよく見かけた。
どうしてかわからない。スカーレットの舞台、信楽でも一つも見かけなかっと思うのに。
 
ここは陶器の町で生産地でしたから普通に転がっています。
一木橋。
陸橋でこのように作られました。
こんな名前はなかったが・・・・
至る所に焼き物の置物。
土管坂。
これほんと?
小高い丘に小道が縦横無尽に走っているので昔の記憶で歩いて見ると。
壁が面白い。
陶器の町に住んでいると、急須や湯呑みは買ったことがない。
半端モンは頂けたし、久しぶりだなも一個もらうよで・・・
昔の話です。
凄く幾何学的に均整のとれた椿。
約1時間30分の散歩。
もうすぐ本格的な春ですね。
 
これは先程買い物へ歩いて行ったときの道端の桜。
4月からは一部市町でテニスコートが利用できる。
ほぼ一ヶ月テニスをしていない。
 
こんなことは初めてだ。

2個目の球根が開花・・・バイモユリ

2020年03月25日 | データ

トップはバイモユリ(貝母百合)球根をトドクロちゃんが大小10個もらってきて庭の至る所に植えた。

そのなかで一番大きな球根は2年程前から花を咲かせた。

今年ようやく次の球根から花が・・・

本人何処に植えたか覚えてないらしい・・・ん?

久々に単焦点レンズで・・絞りを開放。

その他庭に咲いている花。

八重のクリスマスローズも良い。

そろそろ藤原岳にミノコバイモの便りが聞こえて来た。

明日にでも出かけようかな?


知多四国巡礼 No4 番所12〜21まで

2020年03月25日 | データ
■2020.03.22 通常の日曜日は、午前中はテニスで、昼からは「そこまで言って委員会」をみてから南知多町の温泉へ行くのがルーチンですが・・・
 
当面はダメそうなので。
 
それでは天気も良いので知多四国の続きへ行きましょう。
今回は順番通りで12番〜21番辺りへ、隣町です。
 
■第12番 福住寺 (曹洞宗、無量寿如来)
「有脇の昔話」が語る寺の伝説
桶狭間の戦い前年(1559年)緒川と刈谷の城主水野信元(異母妹に於大の方がおり徳川家康の伯父)が他の院をここに移し砦の鎮守として開創した。
境内や近くには猫さんが沢山いた。人懐っこい猫で近くの住民にも大切にされていることが分かる。
去勢の印、耳カットも。
■第13番 安楽寺 (曹洞宗、無量寿如来)
大銀杏が山門を飾る雛里の寺
開創は1593年。
地蔵堂には耳の遠い人が穴のあいた柄杓を供え、祈願すると耳が聞こえるようになるという「天白地蔵」が祀られている。
■第14番 興昌寺 (曹洞宗、華厳釈迦牟尼仏)
岡戸半蔵行者の出生地に行者道
1560年桶狭間の戦いに破れた今川の家臣がここに住み、乾坤院の和尚を迎えて開山。
山門の脇には四国開創の三開山の一人、岡戸半蔵行者を祀った行者堂がある。
■第15番 洞雲院 (曹洞宗、如意輪観世音菩薩)
徳川家康の母「於大の方」ゆかりの名刹
948年菅原道真の孫の雅規が開基。
すぐ南にある城山公園はかつての坂部城跡でこの城を築いたのは久松定益の子で、その孫俊勝は於大の方と再婚。
境内には松平家と久松家の墓所がある。
■第16番 平泉寺 (天台宗、尾張不動尊)
源頼朝が国家安穏祈願に訪れた由緒
830年水が涸れ、病魔退散の為に慈覚大師が建立。
また1190年に源頼朝が父義朝の墓参りの帰りに立寄り尾張不動尊の国家安穏を祈願。
境内に他に腰痛等にご利益があるという「オカラス大明神」があり丁重にお参りした。
自分と知り合いの分も。
■第17番 観音寺 (浄土宗、十一面観世音菩薩)
阿久比の丘に念仏聖の法灯を守る
階段を上がった左側にピンクの椿がとてっもきれい。(本ページのトップにも採用)
■番外 奥の院 海蔵寺 (曹洞宗、釈迦牟尼仏)
法衣が伝える高野山火伏せの神通力
1489年開創。
二世翁和和尚は高野山の大火を通見、祈祷しながら庭に水をまき大火を消し止めたと伝わる。
その際高野山より送られた「蓮糸の法衣」が寺宝として残る。
■第18番 光照寺 (時宗、阿弥陀如来)
二重層塔をいただく観音堂
1342年創建。
境内には、清水次郎長が戦いの前に願をかけた「次郎長地蔵」が祀られている。
これは保下田の久六と次郎長と決闘(半田市乙川)の勝利祈願。
■第19番 光照院 (西山浄土宗、阿弥陀如来)
半田の町の繁栄を見守る歴史の寺
1605ne開山。
このお寺近くに酢の「ミツカン」本社がある。
昔はこの近くを通ると側溝から酢の匂いがしていた。あま昔ですから・・・
また明治23年半田で行われた陸海軍大演習で大本営に隣り合う当院の書院が高官の宿舎として使われた。
■第20番 龍台院 (曹洞宗、十一面観世音菩薩)
桜の門に迎えられる町のオアシス
1957年開創。
前庭「萬松庭」があり緑豊かな寺である。
■第21番 常楽寺 (西山浄土宗、阿弥陀如来)
知多半島における念仏発祥の地
1484年応仁の乱の戦没者供養の為に発願、開創。
尾張藩初代藩主の徳川義直から「浄土宗西山派知多一郡の総本寺」とお墨付を得たとされる寺院。
第八世住職の典空上人は於大の方の妹の子で、徳川家康と従兄弟にあたる。このことから、家康が1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いや1582年(天正10年)の本能寺の変、1589年(天正17年)の上洛の際にも立ち寄っており、徳川家康ゆかりの寺として知られている。
本尊、阿弥陀如来立像は国の重要文化財である。
実はここのお嬢さんは高校の1年後輩です。
何度がお家にお邪魔したことがあります。
日が低くなるとそれなりに寒くなってきた。
 
・帰りにワークマンへズボンを買いに。
春から夏用のAERO STRETCH(エアロストレッチ)クライミングパンツが売り出された。
昨年の春先にサンド色とクロ色は購入(これしかなかった)。
今年も販売を待っていた。
そして同じサイズのLでクロとDGブラウンを購入。
これで計4着になった。
なぜ同じ物(色は違うが)を買うか?
体型に合うズボンが少ない中、しっくり合ったから。
ウエストが細く腰・お尻が大きい、そして長さが必要なので合うズボンは皆無。
最近は同じモデルの服を複数買うのが続いています。
 
用途は山用ではなくあくまでもシーズンを問わず普段用です。
日帰り程度には使えると思うが、強度に不安があることと撥水機能が無いので使いにくい。
 
ちなみに山用はファイントラックのストームゴージュアルパインパンツ2着でまわしている。
しかしながら長さで併せたのでウエストはガバガバです。
 
 
 

 


熊野古道/伊勢路170km 梅ヶ谷駅から三瀬野駅 3日目

2020年03月23日 | データ
■2020.03.18 今回遠征の最終日は梅ケ谷駅から三野瀬駅まで22km、7時間20分の行程。
 
P泊場所から移動する途中、太平洋が見える。伊勢湾と違い海の向こうは海しか見えない。
朝日。
予定した三野瀬駅では場所はあるが停めたような形跡がなく、更に近くに派出所がある。
その派出所で聞こうと思うがこの時間まだ起きていない。
そこで本日のスタート地点(昨日利用した場所)へ止める事にした。
 
梅ケ谷駅近くに、紀州公句碑 - 「牟婁こえて 鶯聞くや 梅が谷」の句が刻まれた碑がる
 
車を停め梅ケ谷駅から20分程度歩くとツヅトラ峠の案内と東屋がある。
田んぼの柵の中にホンシュウジカがまぎれこんでいて柵沿いに走り回っている。
暫くすると柵に向けてフライングボディーアッタクを。え・・・・
何度も果敢にチャレンジ、子鹿なので柵は揺れるのみだが親鹿ならあるいは・・・
この光景を近くで農作業していたおじいさんと一緒に眺めていた。
おじいさんは仕方なく柵の一部を開放し逃してあげた。
おじいさん曰く最近は漁師がへったでな・・・・
伊勢路のなかでも人気の高いツヅラト峠。
かつて「伊勢国」と「紀伊国」の国境であった峠。紀伊へのルートが荷坂峠に移行した後も、昭和初期まで生活道として使われていた道です。伊勢から熊野へ向かう旅人は、この峠に立ってはじめて熊野の海を目にした「聖地・熊野」への玄関口でした。
「ツヅラト」とは「九十九折」のこと。その名の通り、紀伊長島へ下る峠道はカーブが連続しています。現在も道は整備されており、石畳や石垣もよく保存されている。
 
ツヅラト峠はあまりに急であることから徳川頼宣が紀州藩主を務めた頃に荷坂峠(現国道42号)を越えるルートに熊野街道が変更された。
伊勢側から峠までは整備された道。
 
峠の標高は357m。
伊勢から熊野三山を目指す巡礼者が、初めて熊野の海を目にした場所です。
これは感動しますね。
絶景をおやつにコーヒータイム。
ツヅラト峠は峠から熊野側に見どころが多い。
出だしは登山道並みの急勾配だあが次第に緩やかになる。
※野面乱層積の石垣:谷に面して数ヶ所にある石垣は、いにしえから長い風雪に耐え道を護ってきた、いわば道路保護の遺跡。
※石畳:ジグザグに縫うように石畳が敷かれている。この石畳地元のボランティアによって掘り起こされた。
※炭焼窯跡
※山の神
志子奥集落を抜けR422へ
紀北町は紀伊長島町・海山町が合併して発足。
平成の大合併は良かったのか・・・
・紀伊長島地区を歩いて入ると車が止まり、観光ボランティアをしている人が降りてきて「魚まち
散策マップ」を渡してくれた。
※濱口熊嶽邸跡:真言三密の秘法などを用い難病などを直した霊術師の邸宅跡地。
※琴比羅社:海上交通の守り神として篤い信仰を受けている。
※長島神社:御祭神の中に加藤清正が入っている。紀北町紀伊長島区長島にあり漁業を中心に栄えた氏神。
「魚まちのたまり場」先程のボランティアの方が開けときますので立ち寄って下さい。
・・・で、立寄ります。
 
この地域は古き良き昭和の漁師町の町並みが残っている。
魚のまちたまり場の隣で昔ながらのコロッケを購入(70円)。
いやー美味しい。今まで食べたコロッケの中で一番美味しい。
 
子供の頃は駄菓子屋の菓子より、肉屋のコロッケをよくおやつ代わりに買い求めた物です。
小遣いは20円なのでコロッケ2つ食べていましたね。
※マンボウ陶板が道案内。
※蘇民将来子孫家門:昔、伊勢の地を旅した須佐之男命は、日が暮れ泊まるところに困っていると、貧しくとも心豊かな蘇民将来が須佐之男命を自分の家に泊め、手厚くもてなしました。
その善行に感激し、「後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云いて、茅の輪を以ちて腰に付けたる人は免れなむ。」 と言い残した。
 以来、蘇民家は茅の輪のおかげで、疫病が流行ってもその災いから免れ代々栄えました。
そして、いつの頃からか伊勢地方では、注連縄に魔除けとして「蘇民将来子孫家門」 の札を下げるようになった。
※造船所
紀伊長島地区の津波対策。
来ないことが一番ですが準備は大切です。
※一石峠・平方峠:低い峠道。
※サボ鼻道は眺望が良い。
※古里海水浴場
※三浦峠
この標識の年輪は30年。
紀の国は木の国ですね。
これだけ植林ばかりだと自然林が懐かしくなる。
※三野瀬海岸
予定より速く三野瀬駅に到着。
列車の時間までかなりあるので近くを散歩。
ここは次回のスタート場所「始神さくら広場」
三野瀬で乗った列車は次の紀伊長島駅まで。
更に次の列車まで2時間近くある。
駅員さんに近くのお食事処を教えてもらう。
紀伊長島駅目の前の「万両」へ
店のおやじにオススメを聞き「さんま&焼きさんま寿司」セットを。
〆鯖寿司と同じようにサンマが〆てある。これは私好みの味で美味しい。
紀勢線は昼の時間帯は本数が少なく注意が必要。
さらに発着駅も確認がいる←今回はこれを見逃した。
紀伊長島駅から一駅先の梅ケ谷へ、結局2駅行くのに3時間半掛かった事になる。
梅ケ谷駅。
ここで車を回収。
 
さすがに3日目になると疲れは溜まる、回避スペースで仮眠を取り帰る。
 
この三日間で実測で100km近くを歩き通した。暑くない季節で歩きやすかったが新緑とは行かなかった。
空き家や耕作放棄地もかなり目立った、一番目立ったのがソーラパネル。
都会への一極集中と少子化の弊害は留まるところをしらない。
さあ日本は何処へ向かっている。

熊野古道/伊勢路170km 川添駅から梅ヶ谷駅 2日目

2020年03月21日 | データ
■2020.03.17 熊野古道/伊勢路は川添駅から三瀬坂峠を超えて梅ケ谷駅まで
昨日より距離も時間も長い(35Km、9時間10分)
 
昨夜冷え込み車は霜がびっしり。
朝食はチキンスープとトマトサンドイッチ、狭い車内でお湯を沸かしたりトマトを切ったりするのは大変。
昨夜のP泊車は5台、この時間にゴソゴソしているのは私のみ。
霜を取り梅ケ谷駅までは約10分、そこから昨日の到着駅川添までは列車で移動。
6:29梅ケ谷駅→7:07川添駅。
紀勢線は無人駅が多く、ワンマン列車の場合、1両目の後ろドアから乗車し1両目の前から出なければならない。
事前に列車料金は調べられるので小銭を準備してきた。
軽くストレッチをしてから歩き出す。
昨夜から冷え込んだせいか、お茶畑の霜取り(霜よけ?)扇風機が動いている。
しばらく行くと街中でうさぎを発見!!(どうも逃げ出した様だ)
 
※道中安全祈願地蔵(3段右)、伊勢路には至る所にあります。
まちかど博物館「奥伊勢」やカフェはまだOPEN前・・・コヒーが飲みたい。
R42の歩道を進む、高奈と下三瀬の峠から冠雪した山が見える。
多分、大峯山かな。
ここを過ぎると国道を離れ下三瀬集落へ入る。
田んぼ、畑は電気柵等で囲われている、地元の人に挨拶をして害獣はと聞くと「イノシシ、サル、シカ」だそうです。鈴鹿の東側と同じだ。
※三瀬砦跡
北畠氏の家臣で、土地の有力者であった三瀬氏歴代の居城であったといわれている。
永禄十二年(1569年)伊勢に侵攻した織田信長と北畠氏が戦った大河内城合戦でも奮戦し、北畠具教が織田軍と和睦し、再起を秘めて三瀬館に隠棲したとき、三瀬館守護の支柱となったとされる。
※大谷不動明王の滝
本来は「三瀬の渡し」が使えれば佐原を通る回り道は不要。
地元の有志で復活している(渡るには事前電話連絡が必要)
この渡しを使えば6Km短縮できる。
※多岐原神社:祭神は、真奈胡神(まなごのかみ)。倭姫命が急流を渡れずに困っていたところを真奈胡神が助けたとされる。この神社は内宮の摂社27社のうち、第27位である。
※復活した三瀬の渡し
※三瀬坂峠:峠(標高256m)は高い峠ではありませんが、急坂のつづら折りがつづきます。茶屋跡、※宝暦地蔵などあり、古道の雰囲気。
※瀧原宮:内宮(皇大神宮)の別宮で祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。
倭姫命が内宮よりも先に天照大御神を祀った場所という伝承がある。
境内には内宮と同じような巨木が多く歴史を感じる。先の大戦でB29が爆弾8発落とされ被災している。
滝原〜阿曽〜柏野までは9km。
阿曽で昼食を求めにコンビニへ立ち寄る。
伊勢路には一日歩いてもコンビニが一件も無い踏破ルートがあるので食事計画は重要。
今回の2泊3日は昼はすべてコンビニ調達できる。
※大内山の一里塚(3段右):木曽路では多く見かけたが、伊勢路では初めて。
※電気柵のソーラ電源(3段左):電気柵の電源はソーラパネルが多い。
近畿自然歩道(大内山川沿いに巨木をたずねるみち)、ここも伊勢路です。
川の水が綺麗で左岸沿いの樹林帯に路が付いている。
やはり地面を踏み、木々の中を歩く方が楽しいですね。
※芦谷の中組常夜灯
※大内山駅
※近くに大内山動物園がある。
※牛乳で有名な大内山牛乳のモニュメント
コロナウイルス感染症の流行に伴う小中学校の臨時休校のため給食も中止となり、給食用に供給する予定だった生乳を練乳や脱脂粉乳などの加工品に振り替えている。
 
国道沿いを歩いていると河原から野猿が十数匹、目の前を登ってきて国道を横断し反対側の落石柵を登っていった。その中のボスザルは常に私を威嚇していた。
山でもよく遭遇しますがこれだけの数では恐怖感を感じます。
明日はいよいよツヅラト峠へ向かいます。
16:40 梅ケ谷駅に到着。
デポした車でP泊地移動。
初日と二日目でほぼ70kmを歩いた。興味のある立寄りポイントは道草しているので少し早歩きでなんとかコースタイムをキープしてきた。
が・・・
毎日後半に足裏の拇指球に少し痛みが出た。
中敷きで対策しているのでかなり改善されているが舗装された道が多く9時間を歩くと負荷が溜まる。
当初計画は全行程7日間であったものを6日間に変更し実施したのがまずかった。
 
後半を3日間→4日間に当初の予定通りに戻す事に。
従って明日は船津駅までではなく三野瀬駅までとする。
 
山と違って舗装された道では足の回転が速く足裏への衝撃が多い。
 
今日のP泊地は「始神さくら広場」→「道の駅海山」へ予定変更。
平日の道の駅は空いている、P泊車は7台。
 
昨日も今日も予定した温泉が臨時休業。
 
描いていたイメージは
 
疲れた体を温泉に入りリフレッシュ。
地元の食材を肴にP泊地でひとり
ぐっすり睡眠
 
の予定でした。