氷上姉子神社(ひかみあねご)
熱田神宮の縁起である『尾張国熱田太神宮縁記』の伝承によれば、日本武尊は東征の途中で尾張国愛智郡氷上邑にある建稲種公の館に寄り、建稲種公の妹の宮酢媛(宮簀媛)を知って契りを結んだ。建稲種公は日本武尊の東征に従い、日本武尊とは別の道を行ったが帰途で亡くなったため、それを知った日本武尊は宮酢媛のもとへ急いで向かい、そこにしばらく留まった。その後、日本武尊は神剣を宮酢媛のもとに置いて大和へと出発したが、伊吹山で病にかかり、ついに伊勢国能褒野で亡くなった。宮酢媛はその後も神剣を守っていたが、年老いたため祠に祀ることとし、占地して社地を定め熱田社と名付けたという(熱田神宮の創祀)。また宮酢媛が亡くなった時には祠が建てられたが、これが尾張国愛智郡氷上邑にある氷上姉子天神であるという。氷上姉子神社の社伝ではより具体的に、仲哀天皇4年に宮酢媛の館跡(現在の元宮の地)に宮簀媛命の神霊を祀ったのが氷上姉子神社の創祀になるとし、その後持統天皇4年(690年)に東方の現社地に遷座したとされている。
境内末社:元宮
祭神:宮簀媛命
境内末社:神明社
祭神:天照大神
境内末社:神明社
祭神:少彦名命
※氷上姉子神社
祭神:宮簀媛命
鎮座地:愛知県名古屋市緑区大高町火上山1-3
御祭神:宮簀媛命
創建:仲哀天皇四年(195)
社格:式内社
境内末社:元宮、神明社、玉根社
ヤマトタケルの伝承はこの地方に多くある。まだまだ楽しめそうだ。
熱田神宮の縁起である『尾張国熱田太神宮縁記』の伝承によれば、日本武尊は東征の途中で尾張国愛智郡氷上邑にある建稲種公の館に寄り、建稲種公の妹の宮酢媛(宮簀媛)を知って契りを結んだ。建稲種公は日本武尊の東征に従い、日本武尊とは別の道を行ったが帰途で亡くなったため、それを知った日本武尊は宮酢媛のもとへ急いで向かい、そこにしばらく留まった。その後、日本武尊は神剣を宮酢媛のもとに置いて大和へと出発したが、伊吹山で病にかかり、ついに伊勢国能褒野で亡くなった。宮酢媛はその後も神剣を守っていたが、年老いたため祠に祀ることとし、占地して社地を定め熱田社と名付けたという(熱田神宮の創祀)。また宮酢媛が亡くなった時には祠が建てられたが、これが尾張国愛智郡氷上邑にある氷上姉子天神であるという。氷上姉子神社の社伝ではより具体的に、仲哀天皇4年に宮酢媛の館跡(現在の元宮の地)に宮簀媛命の神霊を祀ったのが氷上姉子神社の創祀になるとし、その後持統天皇4年(690年)に東方の現社地に遷座したとされている。
境内末社:元宮
祭神:宮簀媛命
境内末社:神明社
祭神:天照大神
境内末社:神明社
祭神:少彦名命
※氷上姉子神社
祭神:宮簀媛命
鎮座地:愛知県名古屋市緑区大高町火上山1-3
御祭神:宮簀媛命
創建:仲哀天皇四年(195)
社格:式内社
境内末社:元宮、神明社、玉根社
ヤマトタケルの伝承はこの地方に多くある。まだまだ楽しめそうだ。