トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
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史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

知多四国巡礼 No8 篠島、日間賀島へ

2020年07月04日 | データ

■2020.07.02 知多四国巡礼でも楽しみな場所がある、その中で一番の楽しみは篠島と日間賀島。

季節により旬な食材を昼食にできる事、特に「ふぐ・たい・タコ・しらす」は絶品。この時期はしらす漁の最盛期で生しらすが頂けそうだ。また色々な歴史が詰まった島でもある。

10時過ぎに師崎港から篠島に高速船で渡る。波が強く揺れるが気にならない。昔は漁船を持っており良く釣り、カニ漁、タコ漁、うなぎ漁、わかめ漁に付いていったことがある。(だから逆に今は山が好きなのかも知れない)

約10分の船旅。

篠島の歴史。

「日本書紀」によると伊勢神宮を建立した天皇の一行が船で伊勢湾を旅していたときに篠島に立ち寄った際にここの海産物、特に鯛をことのほか喜ばれ、ぜひ、伊勢神宮へ献上してみて下さいと言われ、伊勢に旅立っていったと書かれています。
それ以来、千年以上に渡って毎年3回、白装束に身を包んだ島の神職が島で採れた鯛を塩づけに調製し、船団を仕立てて対岸の伊勢神宮内宮へ献上している(「おんべ鯛」と言う)

最近では岩合光昭さん監督の「ねことじいちゃん」のモデルにもなっている。

加藤清正が名古屋城築城の際、石垣をここから切り出した。

島の道は狭い、一番の交通手段は原付き。その狭い道を通り弘法寺へ

■番外 西方寺 (浄土宗、阿弥陀如来)

伊勢神宮の鬼門を守る

京都知恩院の直末寺で1516年の創建。1512年の伊勢神宮火災の歳、神宮の鬼門にあたるこの地に仏像を安置すれば難を逃れると宮中から知恩院に命が下り建立されたと伝わる。

帝井

南朝の後醍醐天皇の皇子、義良(のりなが)親王が島に漂着された。その際、親王の飲料水を探し求め、ここに発見。さっそく井戸を掘り城山にいる親王にさしあげた。ここがその井戸。後村上天皇(義良親王)が祀ってある。

■第39番 医徳院 (真言宗豊山派、薬師如来)

篠島の高台に建つ島内最古の木造建築

建暦年間(鎌倉時代初期)、南知多町大井の医王寺の一坊を移した寺。

■第38番 正法禅寺 (曹洞宗、釈迦牟尼仏)

竹千代を救った鳳山仙麟等膳大和尚

仙鱗等膳和尚が修行中、今川義元の人質であった家康が夜陰に乗じて魚籠に入れ、この篠島にお連れし、七十日間もお世話した事で正法寺は可睡斎の直末寺となり和尚は可睡斎の十一世住職となる。またこの寺の梵鐘に「伊勢度会郡山田庄次橋篠嶋村」と記されており、当時はこの篠島は伊勢国に属していたことがわかる。

しらす漁全盛です。捕れたてのしらすを釜茹でしています。

昼食のために食堂を探すも見つけた2軒とも休み。海の駅の食事処ですまそうとするも12時20分の時点で昼食は終わりましたと・・・・

土日じゃないとダメなのかも。

13:25篠島から高速船に乗り13:35日間賀島(東港)着。

巨大なタコのモニュメントである。 日間賀島には、漁師の網に掛かって引き上げられた阿弥陀如来像を大ダコがからみついて守っていたという言い伝えがあり「タコの島」と呼ばれている。 島内にある安楽寺は、その由来となった蛸阿弥陀如来がご本尊。

■第37番 大光寺 (真言宗豊山派、大日如来)

陽光がかがやく日間賀島唯一の寺

南知多町大井の医王寺の一坊として建立。

東港の島唯一の交差点にある島カフェ「Barca(バルカ)」へ。

やっと巡り会えた「生しらす丼」いただきます。

美味しいですね。今日採れたての「しらす」です。

日間賀島は40年程前に単発のアルバイトをしたことがある。友人が夏休中アルバイトをしており秋の三連休もバイトに入ることになり一日遅れで私もバイトに入ることに。夜遅く高速船もなくバイト先が漁船を手配して師崎港まで迎えに来てくれた。荒れる海を漁船のエンジンルームにうずくまり日間賀島まで行ったことを思い出した。

14:40発の高速船で日間賀島西港を経由し師崎港まで。

お土産は「たこめし」の素。

天気もよく楽しめた一日でした。



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