![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/9e/96cdf272e1d850a424f40eb3ddf5e381.jpg)
11月下旬に甚目寺観音の界隈を訪れた。
ここも興味のある古のお寺で、甚目寺誌略には以下のように記されている。
仏教が伝来した宣化3年(西暦538年)よりわずか60年後の推古5年(西暦597年)のこと、伊勢甚目村(いせはだめむら)の漁夫、龍麿という人が、江上庄の入り江(現在の甚目寺の東南約200m.あたり)で魚をとっていました。その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て、像を納めました。これが甚目寺の始まりと言われています。法隆寺や四天王寺に次ぐ我国有数の古刹です。
聖観音像は、釈尊の授記を受けて作られたもので、百済を経て日本へ渡り、敏立14年(西暦585年)に海中に投じられた三尊仏の内の一尊と言われています。他の二尊もそれぞれ拾われ、阿弥陀仏は信州の善光寺に、勢至仏は九州大宰府の安楽寺にあります。
甚目寺の聖観音像は後に十一面観音の胎内仏となっています。
これによると物部氏によって難波の堀江に捨てられた仏像は三尊仏あることになりますがあくまでも縁起ですから。
またこの甚目寺観音には建造物の国重要文化財が三つある。
・甚目寺観音 三重塔(重要文化財)
・甚目寺観音 南大門(仁王門・重要文化財)
・甚目寺観音 東門(重要文化財)
※式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ)は甚目寺に隣接されている。
祭神は三見宿称命(みつみのすくねのみこと)で火明命から5代目とされている。漆部(漆器具の製作を行った人々)の祖神である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/5d/bdd46232ec59b60f71273a58b3a66b0a.jpg)
※萱津神社(かやづじんじゃ)
日本武尊が東征の途中この地に立ち寄った際、人々がこの漬物を献上したところ、武尊は「藪二神物」(やぶにこうのもの)と称えたと伝えられ、このことから漬物を「香の物」とも書くようにもなったという
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/0b/5af6b375a201714abc92e1787d4d1693.jpg)
ここも興味のある古のお寺で、甚目寺誌略には以下のように記されている。
仏教が伝来した宣化3年(西暦538年)よりわずか60年後の推古5年(西暦597年)のこと、伊勢甚目村(いせはだめむら)の漁夫、龍麿という人が、江上庄の入り江(現在の甚目寺の東南約200m.あたり)で魚をとっていました。その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て、像を納めました。これが甚目寺の始まりと言われています。法隆寺や四天王寺に次ぐ我国有数の古刹です。
聖観音像は、釈尊の授記を受けて作られたもので、百済を経て日本へ渡り、敏立14年(西暦585年)に海中に投じられた三尊仏の内の一尊と言われています。他の二尊もそれぞれ拾われ、阿弥陀仏は信州の善光寺に、勢至仏は九州大宰府の安楽寺にあります。
甚目寺の聖観音像は後に十一面観音の胎内仏となっています。
これによると物部氏によって難波の堀江に捨てられた仏像は三尊仏あることになりますがあくまでも縁起ですから。
またこの甚目寺観音には建造物の国重要文化財が三つある。
・甚目寺観音 三重塔(重要文化財)
・甚目寺観音 南大門(仁王門・重要文化財)
・甚目寺観音 東門(重要文化財)
※式内社の漆部神社(ぬりべじんじゃ)は甚目寺に隣接されている。
祭神は三見宿称命(みつみのすくねのみこと)で火明命から5代目とされている。漆部(漆器具の製作を行った人々)の祖神である。
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※萱津神社(かやづじんじゃ)
日本武尊が東征の途中この地に立ち寄った際、人々がこの漬物を献上したところ、武尊は「藪二神物」(やぶにこうのもの)と称えたと伝えられ、このことから漬物を「香の物」とも書くようにもなったという
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