トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

知多四国巡礼 No3 もくれん寺など

2020年03月14日 | データ
■2020.03.13 南知多町にある大宝寺、通称「もくれん寺」が見頃だとインスタで発信。
近くの三寺を併せて知多四国巡礼へ出かける。
まず、目に入ったのは薄いピンクの辛夷(こぶし)。
木蓮を背景にして
ハナニラ
サンシュユ
■第44番 菅生山 大宝寺(曹洞宗、釈迦如来)
「もくれん寺」で知られる山間の尼寺。
弘法大師が知多布教の歳立寄り、湧き出る山清水の美味しさにしばらく休憩され、書を書く為に水を持ち帰った事から、硯石大師霊場として知られる様になりました。
江戸時代の創建当初より駆け込み寺として多くの女性を救済、東海地方では数少ない縁切り寺ともなっています。
■第47番 井際山 持宝院(真言宗豊山派、如意輪観音)
内海の町と海を見晴らす山寺観音。
724年行基の開創と伝えられる一山九院の巨刹、観福寺の一院として創建された。
戦国の乱世で観福寺は衰亡。江戸時代の地誌「尾張名所図会」には桜の景観地と書かれている。
駐車場の桜が咲いていた。
境内には行き場を無くした弘法道の道標が多く持ち込まれている。
境内にある銀杏の時期は綺麗に色づくが住職は忙しくなるとの事。見事な銀杏の紅葉の時期にも訪れてみたい。
 ■第46番 井際山 如意輪寺(真言宗豊山派、如意輪観音)
港町にとけこむ信者憩いの境内。
ここも一山九院の巨刹、観福寺の一院として創建されたが南北朝からの戦国乱世で荒廃。
1574年中興開山された。
お参り途中、猫が堂内に行き交う、住職に伺うと現在6匹の猫を飼っているとの事。
寺の裏にある式内社「入見神社」に捨てられた子猫も住職がお世話している。
住職頑張って!
■第45番 尾風山 泉蔵院(真言宗豊山派、薬師如来、阿弥陀如来)
開眼した諸願成就のダルマに迎えられて。
ここも観福寺の一坊として創建。
室町時代初期に内海城主一色氏により、鎮守堂として城内に移築された、その後一色氏は家老佐治氏に追われ、内海城は廃城となり跡地に1532-55に廃城跡に中興された。
・マンサク
・椿
・椿
境内には花が多い。椿、サンシュユ、バイモユリ、ウラシマソウ
お庫裡さんとしばし花で長話・・・・
境内にある石灯籠は江戸後期の儒学者、頼山陽の筆があったり、文化財の算額があったりする。
泉蔵院から丘に登り藪漕ぎをすると藪に埋まれた中に一色城跡地の標識。
一色城:応仁の乱頃まで知多半島南部を治めた一色氏の居城で後に家臣の佐治氏に追われ衰退した。
■梅原猛本家
この内海地区には著名な哲学者:梅原 猛が幼少期から青年期まで育った場所。
大胆な仮説の彼の書籍は歴史学会に一石を投じた。
私が読んだ本は
・『隠された十字架―法隆寺論』
・『神々の流竄』
・『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』
なかなか面白いです。
■唐人お吉の出生地(一説です。)
悲しすぎる話しは後年の小説・戯曲・映画によるもので何がホントかわからなくなっている。
この手の話はお多いですが・・・
お吉の仕えたハリスは日米修好通商条約を日本と締結。
この不平等条約を改正するために50年もの歳月を要した。
吉良の仁吉清めの井戸
清水次郎長の兄弟分で荒神山の決闘で鉄砲に打たれ亡くなる。
帰路につく際、ここで仁吉の体を洗ったとされる。
近くに伊勢湾台風時の高潮水位を記した物があった。
今日訪れた場所は南知多町内海地区で海岸線は内海海水浴場となっています。
ちょうど夕暮れ時です。
海辺に車を停めお茶タイムとします。


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