かぶれの世界(新)

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東京郊外の生活2023-24(6)

2024-02-09 21:36:08 | 日記・エッセイ・コラム
午前中いつもより早く市場チェックを終えて散歩に出かけた。出掛けると直ぐ自宅の近くの路地道に生ごみが散らばっていた。間違いなくカラスの仕業だと分かった。我が家もゴミ袋をカラスにつつかれて、生ごみが道中に散らばりご近所に迷惑をかけたことがある。

今はゴミ袋に裾に鎖をつけたネットをかけて対応をしている。最初はネットをかけて対応したが、カラスも利口で今では鎖をつけるか、ネットの籠にゴミ袋を入れている。だが、ご近所にはカラスの進歩に追いつかない家もある。最近では道路上の餌をついばんでいるカラスやハト・小鳥は、私が鳥のそばを通っても逃げもしなくなった。舐めたものだ。

多摩川堤防沿いの散歩道に出ると、是政橋(川崎街道)と関戸橋(野猿街道)の間の河川敷に10本ものクレーンが林立して驚いた。今迄は3本程度だったと思う。約300メーターもあると思われる川幅の3分の1に拡張された河川敷はクレーンを使って土砂とセメントで補強され、逆に川床は深く掘られていた。治水対策工事と国交省の看板があった。

工事後の広い河川敷が気になって途中で制服姿のパトロール員に聞いた。私の期待した河川敷強化後にスポーツ施設等を作る様な計画はないという。河川敷を補強して広げて逆に河道が狭くなると、大雨が降った時に西日本豪雨で郷里で起こった越流が起こるかもと不安になった。市役所等の関係部門はどう思っているか聞いてみようと思う。

自宅に戻る途中で取引のある証券会社の美人担当から電話が入り、12時過ぎにお勧めの投資物件に係る資料を持参して説明したいと申し出があった。今日は家内のアルバイト日で1時半頃に帰宅する予定だったので了解した。12時半頃の食事中に訪問があり、食事しながら担当に説明を受けた。

その最中に家内が帰宅し若い女性客を見て驚いたようで、彼女は再度家を出て行くというゴチャゴチャな事態になった。多分、お客を見て外食に出たのだと思ったが、少し心配になった。だが、夕方までかけて買い物をし、バレンタインのチョコレートの贈り物をくれたので安心した。

このところ少しずつ股関節の具合が回復してきた。急ぎ足で歩くと股関節の痛みが出て、前方を歩く老人にさえ追いつかなく悲しい思いをしてきた。孫達と山歩きは出来ない、雲取山登山など無理と半ば諦めていた。最近、走るのは無理だが急ぎ足で歩くのは何とかなりそうになってきた。

私は「年寄りの前屈み」姿勢で歩く様になっていたようだ。「真っ直ぐ立って歩く」、極端に言うとそっくり返って踵から足をつけて歩くと股関節の痛みが薄くなった。多分、昨春偽痛風になってから前屈みの姿勢で歩く癖がついたようだ。ただ、走ると直ぐに股関節が痛くなる、軽いジョギングでもダメ、まだ整形外科に診て貰うことも考えている。■
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テイラー・スイフトの高齢者ファンです

2024-02-06 20:34:18 | 芸能ネタ
90年代半ばに米国赴任した時からカントリー、特に女性カントリー歌手を聞くようになった。女性と言ってもドリー・パートンのような従来タイプのギンギンのカントリーではなく、当時若手世代の代表的美人歌手シャナイア・トウェインが歌うポップカントリーだった。

帰国して数年後に注目したのが、まだ少女で細い体だけど妙に女っぽいカントリー歌手のテイラー・スイフトだった。いかにも女好きの私らしい好みだ。その10年位前にデビューしたカントリー歌手シャナイア・トウェインが辿った道を、テイラー・スイフトも辿ったように感じる。

テイラー・スウィフトもナッシュビルを離れて、カントリーからファン層が一桁多い世界的なポピュラー・シンガーになった。そのから20年近く経った昨年頃から彼女の名前をよく見かけるようになったが、それは芸能紙でなく経済紙だった。

テイラー・スイフトは世界的な人気を得て興行ツアーが200億円を超える記録的な収入を得たと聞いた。しかし、最近見たニュースによると驚くなかれ、2023年の興行収入は10億ドルを超えたという。野球の大谷の契約額が10年で7億ドルと聞いて驚いたのがウソみたいだ。

それがテイラー・スイフトが経済紙で扱われる原因になったようだ。彼女は従来のエンターテインメント・ビジネスの在り方を根本的に変えてしまった。そして彼女は歌手が所属するレーベルから原盤権を手に入れ、更にはスポティファイ等の配信から正当な対価を確立させたという。

今やハーバードビジネススクールが今年「テイラー・スウィフトと彼女の世界」という講義を開き、スタンフォード大など全米の大学でも同様の講義が広がる見込みだ。彼女の取り組みは「スウィフトノミクス」と呼ばれ、世界中の経済学者や文化学者の研究対象になり始めているという。

だが、ここでもう一度シャナイア・トウェインに戻りたい。彼女はカントリーを現代風に合理化し、都会的に洗練された音楽へと変貌させた。シャナイア・トウェインは新世代の女性カントリー・シンガー達を先導し女性カントリー歌手の歴史を作ったのだ。そして美人だ。■
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麻生氏セクハラ発言非難に思う

2024-02-04 12:10:32 | 国際・政治
自民党の麻生氏の上川陽子外相を評価した発言が、本論とは別の容姿やオバサン等の不適切発言であらゆる方面から袋叩きにあい、麻生氏も非難の大きさに驚き発言を撤回する羽目になった。

麻生氏発言が最初にニュースになった時、正直私は自分と同じ考えだと思った。彼女は外相として予想以上に仕事をこなしている、前任の林氏と変わらず外相として立派な資質を有していると。先ず私が思ったのはそこが最も重要なポイントで、麻生氏もそれを言いたかったはずだ。

一方で彼女はそれ程美人とは言えない、それについても同感だった。家内もそうだと思うと答えたが、それは絶対に人前では言ってはいけない言葉だと強調した。私もその通りだと思う。

だが、それって本音と建て前の違いだろう。だって、マスコミが美人を選んで商売に使っているのが現実で、同時に所謂美人じゃない人も逆の意味で笑いものにして利用している。マスコミに対して「お前が言うな」と私は思う。何か不愉快だ。

世界中で本音と建て前を使い分ける、一方で麻生氏はおろかにも本音を吐いたと言うべきではないかと思う。同時に、だからこそ上川氏を高く評価した結果の発言と思う。マスコミの評価はどっちなのか、容姿だけ議論するのは却って失礼ではないか。これって天邪鬼?■
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孫スポーツ巡り

2024-02-04 11:31:13 | 日記・エッセイ・コラム
昨日家内と丸一日かけて孫のスポーツ活躍する姿を見学しに都内を行き来した。朝9時前に自宅を出て電車で烏山に行き、娘の夫君の車で孫が通う小学校に行った。サッカー会場の校庭に着くと二つのフィールドに仕切られ、暫くして小さい方のフィールドで小2の孫が出場するゲームが始まった。

小さいピッチは室内サッカー程度のサイズで、キーパーと5人のプレイヤーでチームを構成しゲームを戦った。ゲームは前後半ではなく10分刻みの3ゲームだった。昨日の天候は快晴だったが風が強く、時折強風で土ぼこりがモロに吹きつけ寒さに耐えられずグランドの周りを行き来して見た。

娘は交替性のサッカーチーム係員で何かメモをとりながらピッチの周りで見ていた。私達夫婦の様な高齢者は殆ど見かけなかったが、サッカー部員の親たち(母親が多かった)に出会うたびに挨拶され、私達も機械的に笑って挨拶を交換した。

孫は3月生まれでこの年齢では小さな体形で、狭いピッチで脚力を発揮できなかった。接触プレーは嫌がって避けているように感じたが、こぼれ球を拾ってチャンスでシュートを決めチームの得点源になって活躍した。野球やスキー等も楽しめる運動神経の良さを感じさせた。チームは女の子たちも含む混成チームで新鮮だった。

試合の後は娘の家まで歩いて行った。途中でみた世田谷の住宅街は羨ましいほど立派だった。娘宅で昼食にバターチキンカレーを頂いた。久し振りに食べるカレーでインスタントでも美味しかった。食後は直ぐに夫君に駅まで送って貰い、都営新宿線で市ヶ谷経由で有楽町線の辰巳に行き、10分程度歩いてオリンピックの舞台となった東京アクアティクスセンターに行った。

途中の広大な公園「辰巳の森海浜公園」は新木場に近く、ちょっと歩けば直ぐ東京湾だった。若い頃行った晴海は最早陸地側といってもよく、私には辰巳は初めて聞く名前の街だった。何もかも大規模な造りで圧倒された。アクアテイクスセンターの入口の広場で長男と待ち合わせた。

競技場の中の3階東側の飛び込み台寄りの無料席に座り息子の説明を聞いた。孫は都内のジュニア冬季短水路記録会の9-10歳の背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎと翌日自由形の4種目に参加するという。申し込み基準の記録をクリアした子が1種目100-150人参加して競う。記録会はほぼ毎月実施され、孫はほぼ全会に参加し毎回自己記録更新を狙っていたという。

だが孫は風邪気味で万全の体調ではなかったらしく、どの種目でも参加者の真ん中程度の記録で自己記録を上回れなかったらしい。よく頑張ったねと声をかけなかったが、こういう記録会に参加できるというだけで大したもんだと思った。息子は会場から自宅までウォーキングで帰り、孫達とは駅で別れて自宅に戻ったのは7時頃、忙しい1日だった。

これで、中一を含め3人の孫達の活動は一通り見学した。私は昨春の入院以来体力の衰えを感じ始めて、少なくとも一度だけも孫達のスポーツする姿を見ておきたいと思っていた。今の親とは大違いだが、私の父は55歳で亡くなる前に一度だけ中学野球をやる私を見に来てくれた。私も自分の子供のスポーツする姿をたった一度だけ見た。恥ずかしながら最低限のお返しをした積りだ。■
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