減ったとはいえ年間4千人近くの事故死の半数以上に関わり、若者世代が将来の為払った半分以上の保険料を使い、不足している保育所の開設を反対、… と言えば我が国の少子高齢化問題だとピンとくる人が多いと思う。だが、事情を知らない人(例えば外国人)なら重犯罪者と決めつけるだろう。
高齢者という主語を取ったら何と酷いことをする人達と思う。或いはもっと分かり易いのは、主語を個人名から始めれば、その人は立派な犯罪人だ。だが、主語を高齢者から始めるとそれだけで話は違ってくる。高齢者は魔法の言葉、しょうがないと思う人が多いと思うはずだ。
このような高齢者の問題は実は様々なレベルで発生している。例えば、実家のある田舎では有線放送の半分は、行方不明の高齢者の消息を尋ねるものだ。もっと卑近な例として日常生活で当たり前だが、高齢者がその歩く速度に合わせ信号を長くし、道幅一杯にノロノロ歩き人の通行を妨げたりする。
これは言い換えると、社会全体が「思いやりのある、ゆとりある低速社会」に向かっている。更に団塊世代が後期高齢者になる5年後頃にはもっと低速社会になる予感がある。今のままでは高齢者世代が若者世代をもっと事故で殺し、若者世代のお金をもっと使っているだろう。
深刻なのは問題を起こしている本人が、自分達の問題と認識してないように感じることだ。交通事故を起こし若者を殺した高齢者の言訳をニュースで見るたびに怒りが湧く。高齢者にも言い分がある。昨日の朝日新聞の1面に「徘徊と呼ばないで」という高齢者の声を報じる記事があった(別に朝日の問題ではない)。実は私はこの記事を見て自分の考えを投稿しようと思った。
その気持ちはよく分かる。しかし、どれだけ次の世代に迷惑をかけているか分かってないと思うと、複雑で素直に同情できない。多分こう言い方は「血も涙もない、思いやりがない」と顰蹙を買うだろう。だが筆者も70過ぎの高齢者だと言えば少しは許して頂けるだろうか。
戦後直後の日本は現代とは異なり凶悪犯罪が続発した危険な時代だった。皮肉なことに70年後に今度は高齢者が‘意図せずとも’若い世代を殺しお金を盗んでいる時代になった。この私の暴言を受け止めて欲しい高齢者の多くは多分聞く耳を持って判断できない。私は全く自信はないが、我々が正気でいる間にこの「負け戦さ」を戦い正していくしかない。■
高齢者という主語を取ったら何と酷いことをする人達と思う。或いはもっと分かり易いのは、主語を個人名から始めれば、その人は立派な犯罪人だ。だが、主語を高齢者から始めるとそれだけで話は違ってくる。高齢者は魔法の言葉、しょうがないと思う人が多いと思うはずだ。
このような高齢者の問題は実は様々なレベルで発生している。例えば、実家のある田舎では有線放送の半分は、行方不明の高齢者の消息を尋ねるものだ。もっと卑近な例として日常生活で当たり前だが、高齢者がその歩く速度に合わせ信号を長くし、道幅一杯にノロノロ歩き人の通行を妨げたりする。
これは言い換えると、社会全体が「思いやりのある、ゆとりある低速社会」に向かっている。更に団塊世代が後期高齢者になる5年後頃にはもっと低速社会になる予感がある。今のままでは高齢者世代が若者世代をもっと事故で殺し、若者世代のお金をもっと使っているだろう。
深刻なのは問題を起こしている本人が、自分達の問題と認識してないように感じることだ。交通事故を起こし若者を殺した高齢者の言訳をニュースで見るたびに怒りが湧く。高齢者にも言い分がある。昨日の朝日新聞の1面に「徘徊と呼ばないで」という高齢者の声を報じる記事があった(別に朝日の問題ではない)。実は私はこの記事を見て自分の考えを投稿しようと思った。
その気持ちはよく分かる。しかし、どれだけ次の世代に迷惑をかけているか分かってないと思うと、複雑で素直に同情できない。多分こう言い方は「血も涙もない、思いやりがない」と顰蹙を買うだろう。だが筆者も70過ぎの高齢者だと言えば少しは許して頂けるだろうか。
戦後直後の日本は現代とは異なり凶悪犯罪が続発した危険な時代だった。皮肉なことに70年後に今度は高齢者が‘意図せずとも’若い世代を殺しお金を盗んでいる時代になった。この私の暴言を受け止めて欲しい高齢者の多くは多分聞く耳を持って判断できない。私は全く自信はないが、我々が正気でいる間にこの「負け戦さ」を戦い正していくしかない。■