かぶれの世界(新)

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衆院選の勝者と敗者(仮)

2012-12-17 23:16:47 | 国際・政治

衆院選は民主党の壊滅的敗北と自公が大勝し衆院議席の2/3を確保して終った。マスコミが報じた予測通りの展開になった。同時に話題になった第三極は同士討ちが目立った。維新が第3党に躍進した一方で、事実上小沢新党だった未来が惨敗、他の小党は消滅の危機に立たされた。

私がずっと気にしてきたのは、若者が自分の未来を決める為に意思表示をしてそれが国政レベルの選挙に反映されたかどうかだ。言い換えれば、我国の慢性病とも言うべき世代間格差に対する若者の意思表示若しくは反乱だ。まだ出口調査等の詳細なデータが明らかになってない段階だが、今回の衆院選を私の印象を披露したい。今回、若者はその権利を放棄したと感じる。

まずは、今回の選挙の正統性について疑いが残されているのを忘れてはならない。1票の格差が地方と都市で2倍以上ある、今回の選挙は初めから地方の結果が全体の結果を歪めるものであった。更に、歴史的に低い投票率は浮動票を減らし、特に都市部の浮動票が減ったはずだ。これらの価値の薄められた票のかなりの部分が若者達のものだったと推測する。この歪みが自民党の大勝に何がしかの貢献をしたと推測する。

今回の最大の特徴は、最低の投票率で固い支持基盤の大きさが自公の勝利に直結した。今回若者の比率が高い浮動票は相対的に減少した。従来からの傾向では浮動票は若者の比率が高いい。浮動票頼りの民主党が彼らに見捨てられたら大敗するしかなかった。都市をベースとする新党も同じ理由で苦戦したはずだ。そう考えると維新は地方まで食い込み善戦した、いつか国民政党になる可能性を示したと言える。

このような推測の下で、とりあえず勝者と敗者を整理してみた。具体的なデータが出てきたところで見直して行きたいと思う。

【勝者】           【敗者】
自民・公明         民主・国民
みんな            共産・社民
維新             未来・その他
安倍・石破         野田・藤村
橋下・石原         小沢
民主党じゃない人     民主党離党者
                民主党に残った人
右傾化            リベラル
旧既得権益層       新既得権益層 
国土省            財務省・日銀
公共事業          社会保障
自助・競争社会       弱者救済
原発再稼動         原発ゼロ
農協             連合
                TPP?
小選挙区          比例代表
参院ナウ          参院来夏?
現実             憲法
投票者(59%)       無投票者(31%)
地盤             浮動票
老人             若者
株式市場          円(つまり円安)

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NRAは米国のJAか

2012-12-15 18:28:49 | ニュース

今朝まだ暗い6時頃だった、目が覚めて何時ものように手元のラジオのスイッチを捻った。何時もはNHKを聞くのだが、チューニングが狂っていたようで雑音しか入らない。ダイヤルを回しているうちに最近は聞くことのなくなったFENにチューンインした。

だが何時もと違う緊迫した印象を受けたので耳を澄ました。最近は英語が良く聞き取れなくなったのだが、耳に入る単語を繋ぎ合わせ何事が起こったか理解しようと務めた。すると、それはNPR(米公共放送)のニュース番組‘All Things Considered’だった。

米国のニュータウンという聞いた事も無い町で銃乱射事件が起こり、28人が犠牲になったと伝えていた。珍しく現地と中継するライブの臨場感が伝わってきた。過去30年間に61件の銃乱射事件が起こったとの専門家の言を聞いて、私は又かと思った。同じ専門家によれば銃乱射の犯人像は20-30代の白人が典型だという。

過去の銃乱射事件後、安全のために銃の購入が急増したと言われている。この国の人達は懲りないなと思った。多くの米国民のメンタリティがどういうものか象徴的な出来事だ。彼等の多くは白人男性でブルーカラーとか大卒など広範にわたっている。根底には黒人の暴力に対する恐れがあるというが、実は黒人の銃保有支持者は少ないと言う。

こんな虐殺が年2回のペースで起こって直後に銃規制を求める声が高まるが、悪名高き全米ライフル協会(NRA)が政治力を発揮して銃規制の動きを潰してきた。彼等の政治力は極めて強い、日本でいうなら全国に組織を持つ農協(JA)のような影響力を持ち改革を阻む。特に共和党議員への影響力は絶大と言われている。

あの歴史に残るリーマンショックの後、直ちに前例の無い巨額の金融緩和で副作用を恐れず金をバラマキ市場崩壊から救う決断をした同じ国が、30年以上に亘りこの既得権益を守る為に銃規制できず人の命を軽んじてきた。バブル崩壊後思い切った規制改革などの手が打てず「失われた20年」と揶揄される我国だが、「人命軽視の失われた30年」を米国に贈りたい。

果たしてオバマは効果的な銃規制に向えるだろうか。銃規制に反対する共和党が多数のネジレ議会の障壁が立ちはだかっている。それは、日本政府がJAを宥めて規制緩和やTPP参加を推進するくらい難題だ。悲観的にならざるを得ない。

おまけに、米国には憲法修正2条の「武装の権利」が銃所持の根拠になっていると言われており違憲判断を乗り越えての規制は容易ではない。日本の憲法9条みたいに論議のある条文だ。私はNRAが影響力を行使し、何も進まないだろうと予測する。彼等の失われた30年はまだ続く。■

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消去法で維新を推す

2012-12-14 23:57:24 | 国際・政治

院選に必ず行くと答えた人が前回より7%減の63%、中でも2030代は40%台だと10日夜のNHKニュースは報じるのを聞いてがっかりした。どうも今回の衆院選は全体に盛り上がりにかける気がする。先月28日に「青年よ、政治を目指せ(Part2)」で憂慮したが、残念なことに若者が白けているように感じる。事態は良い方向に進んでいるとは思えない。

日本経済新聞の電子版読者を対象にした調査では必ず行くと答えた人は88%と高いが、3年前は93%だったからやはり低下している。そのうち2030代が11%であるのに対し、60代以上が41%だった。読者が対象なので分母に偏りがあるが、若者が投票しないという傾向なのは間違いないようだ。

主要メディアの調査は何れも電話なので、ネット世代の若者の声は調査に反映され難いかもしれない。一方、電子版日経の調査はネットユーザーだが読者の年齢が高いと推定される。しかも、1票の格差は是正されてないので、地方の老人の意思が反映され易い状況のままだ。前回より低い投票率で、無党派層の若者の投票率がかなり低くなると予想されている。

ネット情報を含む報道から推測した衆院選が低調な理由は以下の通りである。

1)選挙民は景気対策と社会保障をどうするのか詳しく聞きたいのに、原発や消費税ばかり熱心に論じる。各党は新聞テレビなどのマスコミ報道にミスリードされたのかもしれないと思う。
 (2)民主党のマニフェストの大失敗を見て各党は用心深くなり、数字の入った具体的な政策を提示しなくなったので争点がぼけた。各党の具体的な政策の違いがイマイチ分らない。
 (3)第三極が迷走して失速し、解散時の衆院選序盤に感じた熱気が徐々に冷めてきた。特に、維新が太陽と合流し既得権益やしがらみの無い若々しいイメージが失われたのが効いた。

挙民最大の関心事である景気対策は、自民党が最も積極的だ。他党が「原発ゼロ」だ「消費税の前にやることがある」と言い過ぎて国民の聞きたいことに答えないものだから、終盤にきて自民党の経済政策の支持率がじりじり上がり一人勝ちの様相を示していると感じる。このまま優勢を保ちなだれ込み政権奪回するのは間違いない。

政策を比べると自民党の景気対策は金融緩和と公共事業の二枚看板で、かつての既得権益層と高年齢層に手厚い内容になっている。又、中央銀行の独立を侵す勢いの安倍氏の考えは世界の潮流から外れ危険でさえある。

民主党は過去3年の失政で信を失い大幅に議席を減らし70議席を割るかも知れないという。一方、第三極の雄である維新は既得権益としがらみの無い景気対策を打ち出すはずが、既得権益層によりそう太陽と合流してTPPをはじめ構造改革路線が不透明になった。魅力的な候補者を出せていないことも苦戦の理由だ。

だが、それでも自己責任の競争社会を基本として社会保障を見直す方針はまだ残っている。私はこれこそが中長期に若者の為の政策であり、大阪市民が橋下市政に喝采し維新に期待した原点であったと思う。

米国のメディアが選挙前にどの候補や党を支持するか表明するのに習って、私は維新を支持する。高野孟氏の分類によると保守反動(極右)の安倍・石原・平沼がくっついて暴走するリスクはある。だが、当座の歯止めとしての公明党の役割は期待できるし、彼等は何年も長生きはしない。

中期的に保守中道の石破・橋下(場合によっては野田・前原)の組合せがバランスを取るものと期待したい。いわば消去法としてではあるが、維新は若者に最も近い位置にいる。私みたいな高齢者が言うのだから間違いない。若者よ、政治を目指せ。■

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並ぶ文化

2012-12-13 18:36:29 | うんちく・小ネタ

曜日のお昼に家族で出かけ久し振りにラーメンを食べた。駅に続く狭い裏通りにある辛いラーメンで評判のお店で、11時半開店直後に行ったのだが既に満席で店内の待ち席も一杯だった。チケットを買って寒空の下お店の外のベンチに座って待った。

直ぐ斜め前にある別のラーメン屋さんは待ち行列も無く待たずに食べられそうだったが、私達の後ろに新たに列が出来た。厳しい競争の現実を見せ付けられた。私は他に選択があるのに並んでまで食べることは滅多にない。気短の私は一人の時は、ラーメンやパンの為に絶対に並ばない。

銀行や市役所の窓口とか飛行機に乗るときは並ぶのは当然と思っている。だが、ラーメン・パン屋ごときで並ぶのはチャンチャラオカシイと思っている。レストランでも嫌だ。混んでいる所は美味しいと言うが、私は待つのが嫌だからそういう店は避ける。しかし、連れがいる時は待つ時間がそれ程気にならないので並んで待つ。

私は‘並ぶ’事を意識したのは東京五輪の前、海外から訪日するお客に日本人のマナーのいいところを見せようとするキャンペーンを報じるテレビを見た時だ。だが就職して田舎から東京に引っ越して満員電車に乗ると、折角並んでも一旦車両に乗ると押し合いへし合い大変だった。乗る前と後のギャップの大きさに皮肉を感じたものだ。

いまだに忘れられない恥かしい記憶がある。70年代後半に米国に出張した時のことだ。それまで国内線も含めて飛行機に乗ったことが無かった。LAかサンノゼの空港で搭乗手続きのため空いてる窓口に向うと、後ろからプロレスラーみたいなでかい中年男性に喚かれた。

そこは待ち行列が一つだけで、列の先頭が空いた窓口に順番に振り分けられる仕組だった。それまでそういう仕組があるのを知らなかった。列に割り込んだのを恥じるより、でかい男性に怒鳴られて怖かったのが忘れられない。何を言っているか英語はよく分らなかったが、ボディ・ランゲージで分った。重い荷物を引き摺ってすごすごと最後列につけた。

京オリンピックから約50年、日本人のマナーの良さは芸術的なレベルまで高められた。去年の大震災の時、配給食糧に黙々と並ぶ被災者の姿は世界の人達を驚かせた。後進国に限らず他国なら食糧を巡って争いや暴動、不正が起こってもおかしくない状況だった。

最早並ぶことは日本人には当たり前の常識であり、血となり肉となっているようだ。マナーの良さは評判だ。だが、今でも必ずしもそうではないと感じる時がある。田舎での出来事だが、スーパーのレジが沢山あって夫々に長い列が続いている時、新しいレジが開きアナウンスすると買い物客が我先に殺到する。

こすっ辛い人が得をする様でちょっと醜い。昔からこういう例を見てきた。そいう時上記の搭乗手続きの待ち行列のような仕組にすればいいのにといつも思う。最近、小さいお店で列を1つにする仕組があるのに気がつかず注意を受けた。もちろん謝ったが、何故か気分が良かった。

最後に米国で暮らした時のちょっと面白い‘並ぶ’経験を紹介する。ある時シアトルの有名なレストランに私にはまるで似合わない程の美人を連れて列に並んだ。暫らくして皺だらけのお婆さんが来て「ちょっと待ってくれ、直ぐに席を用意する」と言った。予約してないと言うと、問題ないという。お店に戻り誰かに指示している様子だった。

数分後、我々は海を挟んでシアトルの美しい夜景が見える海側の席に案内された。その後の扱いも何時もとは違った。その時私は思った。ここでは美人と同伴することイコール金持ちの上客扱いになると。出かける前にラフな格好を着替え、勝負服で来てくれと頼んだのが思わぬ結果を招いた。公平なシステムのようで金があると扱いを巧妙に変える、それが米国だと納得した。 

その土地で人気のあるレストランは予約を取らない。西でも東でも同じだ。並んで待つしかない。シアトル郊外のタイレストランも人気のあるお店で、日本人同僚とよく出かけた。辛いトムヤンクンや癖のあるパクチに嵌まり、間もなく超辛い「タイホット」を好んで食べるようになった。

ある冬の金曜の寒い夜に何時ものように店の外に列が出来た。列の中にシアトルが舞台だった映画「ディスクロージャー」で見かけたような格好良い服装のお客をチラホラ見かけた。何か上品で土地の人じゃない。シアトルのダウンタウンから1時間かけてわざわざ食べに来たんだろうと我々は噂した。だがお店は誰も特別扱いせず、我々は皆公平に寒さに耐えた。■

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薄っぺらい男(証明編)

2012-12-10 11:43:56 | 日記・エッセイ・コラム

胸が薄いと田舎の友人に言われたと半年前に投稿した。その時は自分の思いとは逆の指摘だったので、少し意外だったが大して気にもしなかった。むしろ、自分が人として薄っぺらい男だと後から軽く自虐的になった。人生は短い、それも良しかと。

先日、私の胸の厚さが平均より薄いといわれた。X線撮影をした時、看護婦がノギスの親分みたいなのを持ってきて私の胸を測った。何度もX線撮影をしたことがあるが初めての経験だった。彼女に聞くと、これが手順だと言う。胸の厚さに応じてX線の強度を変えるのだという。今までは私の体形を見て胸の厚さを推測して調整したのだろうか。

その看護婦は色んな人の胸を見てきたはずと思い、「僕の胸は普通の人より薄いですか」と聞いた。彼女は「そうですね、薄いと思います」ときっぱり答えた。躊躇わず返事が返ってきたのを聞いて、改めて私の胸は相当薄いと思った。そうか、やっぱり薄いと公式に証明された気分だ。ということは、田舎の友人は色んな人の胸を見てきたのだろうかと疑いが湧いてきた。

でも正直なところ物理的な体形より、軽佻浮薄な性格の方が私の特徴として自覚している。年を重ねるとともに益々その傾向が強くなり、もはや恥知らずの領域に達している感じがする。だが、暴走老人にはなるつもりはない。保証はないが。

先週買物の帰りに、まだ管理職に成り立ての頃の職場の部下に会った。50歳になったばかりという彼女は、若かった頃の面影残っていた。今の女性は幾つになっても若々しい人が多い。懐かしくなり少し立ち話をした。彼女は早期退職したと聞き、私も10年前にそうしたと言った。私みたいな「仕事大好きな人」がどうして、と彼女は大袈裟に驚いていた。昔はそうだった。でも、今の私しか知らない人がそのまま受け入れてくれる、そういう友人がいるのは救いだ。■

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