日 |
曜日のお昼に家族で出かけ久し振りにラーメンを食べた。駅に続く狭い裏通りにある辛いラーメンで評判のお店で、11時半開店直後に行ったのだが既に満席で店内の待ち席も一杯だった。チケットを買って寒空の下お店の外のベンチに座って待った。
直ぐ斜め前にある別のラーメン屋さんは待ち行列も無く待たずに食べられそうだったが、私達の後ろに新たに列が出来た。厳しい競争の現実を見せ付けられた。私は他に選択があるのに並んでまで食べることは滅多にない。気短の私は一人の時は、ラーメンやパンの為に絶対に並ばない。
銀行や市役所の窓口とか飛行機に乗るときは並ぶのは当然と思っている。だが、ラーメン・パン屋ごときで並ぶのはチャンチャラオカシイと思っている。レストランでも嫌だ。混んでいる所は美味しいと言うが、私は待つのが嫌だからそういう店は避ける。しかし、連れがいる時は待つ時間がそれ程気にならないので並んで待つ。
私は‘並ぶ’事を意識したのは東京五輪の前、海外から訪日するお客に日本人のマナーのいいところを見せようとするキャンペーンを報じるテレビを見た時だ。だが就職して田舎から東京に引っ越して満員電車に乗ると、折角並んでも一旦車両に乗ると押し合いへし合い大変だった。乗る前と後のギャップの大きさに皮肉を感じたものだ。
いまだに忘れられない恥かしい記憶がある。70年代後半に米国に出張した時のことだ。それまで国内線も含めて飛行機に乗ったことが無かった。LAかサンノゼの空港で搭乗手続きのため空いてる窓口に向うと、後ろからプロレスラーみたいなでかい中年男性に喚かれた。
そこは待ち行列が一つだけで、列の先頭が空いた窓口に順番に振り分けられる仕組だった。それまでそういう仕組があるのを知らなかった。列に割り込んだのを恥じるより、でかい男性に怒鳴られて怖かったのが忘れられない。何を言っているか英語はよく分らなかったが、ボディ・ランゲージで分った。重い荷物を引き摺ってすごすごと最後列につけた。
東 |
京オリンピックから約50年、日本人のマナーの良さは芸術的なレベルまで高められた。去年の大震災の時、配給食糧に黙々と並ぶ被災者の姿は世界の人達を驚かせた。後進国に限らず他国なら食糧を巡って争いや暴動、不正が起こってもおかしくない状況だった。
最早並ぶことは日本人には当たり前の常識であり、血となり肉となっているようだ。マナーの良さは評判だ。だが、今でも必ずしもそうではないと感じる時がある。田舎での出来事だが、スーパーのレジが沢山あって夫々に長い列が続いている時、新しいレジが開きアナウンスすると買い物客が我先に殺到する。
こすっ辛い人が得をする様でちょっと醜い。昔からこういう例を見てきた。そいう時上記の搭乗手続きの待ち行列のような仕組にすればいいのにといつも思う。最近、小さいお店で列を1つにする仕組があるのに気がつかず注意を受けた。もちろん謝ったが、何故か気分が良かった。
最後に米国で暮らした時のちょっと面白い‘並ぶ’経験を紹介する。ある時シアトルの有名なレストランに私にはまるで似合わない程の美人を連れて列に並んだ。暫らくして皺だらけのお婆さんが来て「ちょっと待ってくれ、直ぐに席を用意する」と言った。予約してないと言うと、問題ないという。お店に戻り誰かに指示している様子だった。
数分後、我々は海を挟んでシアトルの美しい夜景が見える海側の席に案内された。その後の扱いも何時もとは違った。その時私は思った。ここでは美人と同伴することイコール金持ちの上客扱いになると。出かける前にラフな格好を着替え、勝負服で来てくれと頼んだのが思わぬ結果を招いた。公平なシステムのようで金があると扱いを巧妙に変える、それが米国だと納得した。
その土地で人気のあるレストランは予約を取らない。西でも東でも同じだ。並んで待つしかない。シアトル郊外のタイレストランも人気のあるお店で、日本人同僚とよく出かけた。辛いトムヤンクンや癖のあるパクチに嵌まり、間もなく超辛い「タイホット」を好んで食べるようになった。
ある冬の金曜の寒い夜に何時ものように店の外に列が出来た。列の中にシアトルが舞台だった映画「ディスクロージャー」で見かけたような格好良い服装のお客をチラホラ見かけた。何か上品で土地の人じゃない。シアトルのダウンタウンから1時間かけてわざわざ食べに来たんだろうと我々は噂した。だがお店は誰も特別扱いせず、我々は皆公平に寒さに耐えた。■