かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感12夏(7)

2012-10-18 23:01:46 | 日記・エッセイ・コラム

母の回復

母の具合が期待以上に良くなってきた。数年前の元気な頃に交わした会話が復活したような気がする。彼女が気にしていた庭や畑の手入れだけではない。曾孫に来年も又会いたいと自ら意思表示した。娘が結婚10年になるが子供が出来ないというと、心配無用、まだ十分時間があると私を慰めてくれた。

先日は、100まで生きると機嫌よく言い、私は驚き耳を疑った。積算するとかなりになる入居料が頭を掠めたが、それはその時誰かが考えるだろう。私はその時まで生きているかどうか。先日、私と話をしている母を見て、入居以来こんな穏やかな表情を見たのは初めてと施設長が言った。彼が作ったケアプランには、母が穏やかに過ごして欲しいという私の希望が書いてある。

再び国土調査

今週から3週続けて国調(国土調査)の立会いがある。一昨日に第1回目があった。国道沿いの田んぼを地目変更して製材所の材木置き場として貸している。区画整理した後なので境界は明らかで、何の問題もなく終った。

立会いに来た人達は知った顔の近所のオバサンたちだけだ。挨拶をして長々と近況報告をし合った。国道沿いのお店などの地主は皆この人達だと思うと不思議な気がした。地主といえばハゲ頭のジーサンという古臭いイメージが私にはあった。

庭の見

国調から戻ると近所の別のオバサンが実家に来て庭を見せてくれという。先日栗を届けてくれた二人だ。折角庭師に手入れをして貰っても、見てくれる人が誰もいないのは寂しい、と思っていた。見て貰うだけで嬉しく思った。

喜んでどうぞと東屋に案内し、聞かれて母の近況を紹介した。お茶は入れませんよと言って笑わせ、庭師に出したせんべいの残り物を差し上げた。彼女達は7080歳代、話し相手はいつもこの年代の女性だ。たまには“50代の若い女性”と話をしたい。私は直ぐ書斎に引っ込んだ。

東京コール<personname></personname>

家族や友達に11月から東京に戻ると知らせると、早速反応があった。バドミントンクラブのまとめ役から、格安の靴の紹介があった。田舎ではずっと練習してない、もう出来ないかもしれないと返事した。だからこそ新しい靴を買って元を取るよう頑張れば良いじゃないかと、彼女は上手に私を元気付けてくれた。

それじゃもう一度頑張ってみようという気になった。それ以来、気合を入れて毎日素振りやフットワークをやり、週1-2回は10マイルのジョギングをやっている。そういえば彼女は50歳だ。一方、来月から山歩きの為の足慣らしをするよう娘にメールを打った。彼女が休職の間に山歩きの楽しさを教えてやろうと思う。それが私の楽しみでもある。

宇宙船「田舎号」

田舎に長くいると東京との連絡はメールか電話だけ、最近では積極的に外界と接触を広げようという気も失せた、近所のオバサンを除き。まるで宇宙船に乗っているようだ。宇宙船に長期滞在すると重力がないので筋力や骨塩が減り、無菌環境で抗体が無くなるという。「田舎号」に無いのは重力ではなく刺激だ。

やっぱり田舎暮らしはそろそろ打ち止め時期なのだろう。帰京までに身体を絞っておきたいのだが、食欲の秋で中々思う通りにならない。地元の市場の棚には梨・ブドウ・びわ・栗・柿と次々と並ぶ。好物の柿は刀根柿から富有柿が棚に並ぶようになった。バドミントンクラブのまとめ役が会った瞬間に「アラ、太ったわね」と鋭いチェックが容赦なく入りそうだ。東京に戻れば戻ったで、田舎には母がいるし気の置けない友人との会話を懐かしむのだが。■

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日本は右傾化しているか

2012-10-15 23:53:55 | 国際・政治

海外メディアは右傾化と見ている

竹島や尖閣列島を巡る近隣諸国との領土摩擦を見る海外の目は概してクールだと感じる。争っても損するのは両国、頭を冷やせと冷静な対応を求める声が多いようだ。だが、妥協のない対応が日本の右傾化と捉え懸念する欧米メディアの論評が目に付く。我々から見ると中国の官製デモと暴動は民主主義国の価値観に対する重大な挑戦のように見えるのだが、そういう声は聞かない。

これに対し、藤崎駐米大使は「日本の右傾化報道」は誇張されたもの、日本の領有権は譲れないが、緊張を高める積りはない、穏便な対応を続ける、右傾化を否定する論文をニュースサイトに寄稿した。米メディアの偏向報道と広告掲載には逐次反論していく方針と伝えられた。

一連の右傾化議論について私は、「何故欧米メディアはクールな反応をするのか」と訝った。だが、その疑問に答える前に「果たして我国は本当に右傾化しているのだろうか」、更には事の真偽は横において「何故右傾化していると見えるのだろうか」、摩擦の発端に遡って考えてみた。

きっかけは石原都知事、共演者はメディア

先に投稿した「不幸なボタンの掛け違え」で指摘したように、石原都知事が尖閣列島を東京都が購入すると表明してから日中対決の火がついた。これをきっかけに中国との関係悪化を恐れた政府が国有化を決意し、皮肉にもそれが中国の強烈な反発を招き今日に至っている。

私は「ボタンの掛け違え」はメディアが大きな役割を果たしたと考える。メディアの報道姿勢は当初から石原都知事の購入計画がもたらすリスクを予想して諌めることなく、寧ろ国が対応すべきところを都がやったと煽った。ニュース番組では強硬論者の威勢の良い発言ばかりが流れて世論を誘導し、野田内閣は「国有化と妥協を望まない外交姿勢」に追い詰められたと見られている。

主な海外メディアの見方は、領土問題に関してどの日本メディアも一致していた。有名な右翼政治家(石原氏)の中国に対する挑戦を持ち上げて、疑問をさしはさむ意見は声高なタカ派の評論家に圧殺させ、日本政府に一切の妥協をしない偏狭な外交姿勢をとらせたと報じている。更に、党首選では憲法改正と集団的自衛権を目指すタカ派政治家を選ぶ手助けをした。まあ、大体こんな風に見ている。私もニュース報道や政治バラエティ番組を見て概ねそんな風に感じている。

国民は本当に右傾化しているか

今世紀に入って日本のポピュリズム政治の度合いが強まっていると感じる。風が吹く度に政治は揺れ動き、ネジレ国会で構造的に政治が機能しなくなりポピュリズムが深刻化した。それを決められない政治とか、誰を選んでも同じとか揶揄するが、選んだ自分達選挙民の責任を忘れている。最近の政治背景(維新の会)のもとで、海外メディアはナショナリズムの高まりが一線を越える時期が近いと見ているかもしれない。

そういう視点で見ると、今回の領土紛争はマスコミの煽られた世論の風を政治が反応し読み違いが起こった結果である。だが、風向きは時間がたてば変わる。今のところ、国民は冷静だが中国嫌いは確実に増えている。従来の何事に対しても大人しく消極的でリーダーシップを取らない外交姿勢ではやっていけないと、国民が確信を持つようになれば事態は劇的に変わると思う。

政府の読み違いはあるにしても中国のやり方は余りにも理不尽だ。官製の反日デモは瞬く間に中国全土に広がり暴動に転化、日系の工場や百貨店などが甚大な被害を受けた。我々から見ればどう考えても中国のやり方は滅茶苦茶なルール違反であり、日本はその被害者だ。多くの国民は妥協して事態を沈静化を待つより、政府は毅然として対応すべきと反応した。

海外にも事情がある

日本右傾化報道で私が理解困難なのは、中国指導者達が官民一体となって暴力的な反日運動を進めるという、先進国では考えもつかない暴挙に出た事を非難する海外メディアの声が予想外に少ないことだ。欧米の建国の基本であるはずの民主主義的プロセスに反する行為といえども、相手が中国だと手加減する二重基準があると私は疑う。中国の経済力を恐れている。

彼等の国も生きるか死ぬかの深刻な財政危機にあり、欧州は中国の支援を期待している。ノーベル平和賞を巡りノルウェイが報復されたのは記憶に新しい。又、NYタイムズに掲載された中国政府の一方的な主張(日本にとって見れば)は、反論があったら日本も金を払って広告を出せという風に聞える。地獄の沙汰も金次第、金さえ出せば日本の主張も載せてやるというものだ。

日本にも事情がある

日本の右傾化の裏返して見ると、中国は失った大きなものがある。それは「信頼」だ。以前投稿したように、元々中国はそんな国なのだが今回の暴動の映像は衝撃的だ。世界のリーダーとしての品格に欠ける行為だった。だが、そんな中国のカントリーリスクは覚悟の上で企業は進出したはず、特に2005年のアジアカップの暴動後にカントリーリスクは承知の上で進出した企業は多い。

今後も更に中国ビジネスを進化させると宣言した大企業が少なからずある。中国はそれでもビジネスを展開する魅力があるということだ。何をされてもぺこぺこ頭を下げて商売をやらせてもらえれば、縮小していく日本市場に未来はない、中国の方がお金になるということだ。尖閣も右傾化も構っておられない、現地に貢献する企業になる、そういう人達も多い。戦国時代の世から日本は商人国家でもある。■

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歌詞が先か、曲が先か

2012-10-12 21:50:18 | 音楽

向きジャズ・カントリーのファンだという私の音楽の軽口です。「歌詞が先か、曲が先か」、といっても曲が出来るまでのプロセスの話ではない。私はそんな話題をする音楽のレベルにない。柄でも無いし。私がどんな風に音楽を楽しんでいるか、チョット書いてみただけのごく軽い駄文です。

義弟は筋金入りの音楽ファンだ。若い時から分不相応に高額なステレオセットで、優れた録音品質の名演奏を聴いてきたプロ級の耳を持った音楽の理解者と自称する。彼は一流の音楽のみ認める。一流を聞き分ける耳を持つかのように、時間をかけて名演奏を「聞き込む」と良く表現する。彼のレベルに達しないメカ・音源(録音)・楽曲を辛らつに評する。

彼の揃えてくれたステレオセットでCDを毎日聞いている。だが私の本音は、その時その時心地よいと感じる音楽をジャンルに関係なく理屈もなくただズルズルと聴く。音質は良いに越したことはないが絶対条件ではない。退職後、独りで過ごすことが多くなり色んな音楽を聴くようになった。その中でも、パソコンを操作しながらBGMとして音楽を聴くことが圧倒的に多い。

となると、クラシック以外はパソコンを経由して音楽を聴くことが多い。スピーカーもアンプも一級品とは程遠い。しかし、世界中で今どういう音楽が支持されているか分かり、一方で若い頃ヒットした曲が映像とともに懐かしく聞けるYoutubeを重宝している。そこで私が改めて心に沁みるのは音質より歌詞だ。歌詞が表示されるYoutubeはその点でも便利だ。

情的で懐古調の曲を近年好んで聞くようになった。Youtubeのお陰でかつてボーカルも楽器を含めて一つの“音”として聞いていた歌詞の意味が分かるようになり、その内容に触れて新鮮に感じ好きになった曲がある。元々詩が若い頃を思い出させる松田聖子の「蒼いフォトグラフ」とか森高千里「渡良瀬橋」みたいなのも好きだったが、義弟にそう言うにはいささか躊躇う。言うとすれば若干気取ってジャズやカントリーとかラフマニノフだ。それが冒頭の表向きの理由だ。

3.11後私の好みが更に感傷的な方向に向かったと自覚している。中でも嵌まったのが以前投稿したように70年代に吟遊詩人といわれ活躍したダン・フォーゲルバーグで、今でも時々思い出したように聞く。好きなのはLonger, Run for the roses, Leader of the band, Same old lang syneなど。メロディも良いが特に歌詞がいい。彼の曲はどれも聞く者を優しい気持ちにさせてくれる。特に傷ついた人の心には響くのではと思った。最後の曲など聞くたびにウルウルしてくる。

去年大阪の義弟のうちに泊まった時、彼のパソコンを開いてこの曲を紹介した。すると彼は「感傷的で甘っちょろい」と酷評し、私は全ての音楽性を否定されたようで二の句が継げなかった。勿論、彼に悪気は無いし深い音楽の知識があっての発言だと分かっている。その言葉は今も頭の隅に残っている。彼とは音楽性を議論する積もりはないしその知識もない。ただ教わるだけだ。それはそれとして、これからも歌詞のもつ意味を良く噛みしめた楽しみ方を止めるつもりはない。

歌詞の意味を考えるようになって、今まで敬遠していたJ-POPのかなりが人生の応援ソングだと気がついた。多くの人に受け入れられるのは歌詞の持つ力があるからと思う。私には先入観があって唯の騒々しい流行の歌みたいに思っていたところがある。そう思えば好みじゃないと思っていた演歌もそう悪くないかもしれない。最後に音楽性を云々する積もりは全くない、あくまでも自分の好みを言ったまで、この件で議論する気はありません。■

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田舎暮らし雑感12夏(6)

2012-10-11 22:48:57 | 日記・エッセイ・コラム

今月一杯で東京に戻ることにした。7月末に松山空港に降り立った時、夏の熱気にいささか腰が引けた。実家の周りの背の高い雑草を見て、手入れの大変さを予想してうんざりした。それから2ヵ月半経過し、家と庭の手入れを少しずつやり何とか気持ちよく住めるようになった。

実家の南側を流れる川沿いの畑に植えたコスモスの花が、7月末実家に戻った時は雑草の中にポツポツ咲いている程度だった。トラックターで耕し種まきをお願いした隣のオバサンが、「今年は上手いこといかんかったのー」と申し訳なさそうに言われた。

だが、2ヶ月以上経った10月半ばの今、丈が伸びたコスモスは畑一杯に赤、白、紫の美しい花をつけている。コスモスの開花期間は意外に長いということか。或いは昨年育ち開花した花の種と、昨年蒔いた種が1-2ヶ月の時間差で育ったのかもしれない。いずれにしても良かった。

東京に戻る前に是非やらねばと気になっていたことがある。それは庭の松や槙の木の手入れで、プロの庭師にやってもらわないと私には手が出せなかった。しかし、昼間に作業しても暑さで倒れない程度に気温が下がるのを待っているうちに10月半ばになってしまった。高齢者の私には熱中症は冗談と切り捨てる言葉ではない。

涼しくなった先週、電話で庭師のご機嫌伺いを兼ねて依頼し、今日来てもらい一緒に作業することにした。それまでに私でも出来る事は極力やっておいた。庭師が来るとなるとみっともないところは見せられない。時間を区切って仕事をすると効果があるのと同じで、今迄面倒臭がってやらなかった枝落としや芝の手入れを一気にやった。

今朝予定通りにやってきた庭師は庭の様子を見て、「結構ちゃんとやっとるの、残りは半日仕事で十分」と一言。彼が松や槙の木の形を整えている間に、私が残りの易しい木の枝を落とした。好みに応じて「島」を作るか「森」にするかどちらでも良い、但し「島」は同じ高さにしないで天・地・人と段差をつけたほうが良いという。助言を聞くと以前も同じことを言われたと思い出した。

午前中の4時間であらかた終った。その間、休みなく二人は喋り続けた。彼が若い頃中国や韓国を旅した時の思い出話は以前も聞いたが、何度聞いても面白かった。自慢するわけでは無いが、私は質問上手の聞き上手だと思う。助平な私だが女性に関らず誰とでも仲良くなる為に凄く役に立つ。ご近所付き合いにも役に立っている。

庭師は4000円で良いと言って、昼過ぎに軽トラックで戻っていった。随分安く上がった。「来年も元気でいて下さい、来年も宜しくお願いします」と言って笑顔で見送った。彼は後期高齢者、来年も元気な姿を見たいものだ。■

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国政の縮図

2012-10-10 23:24:09 | 社会・経済

こんな田舎にも混迷する国政の縮図みたいなことが起こっている。列挙してみよう。

領土紛争

昨日、松山市にある施設に母を見舞い友人と食事をした。いつものように1週間分の食料を買い込み実家に戻り、洗濯物を取り込んでテレビを見るとローカルニュースをやっていた。何気なく見ていると、上海-松山間フライトの搭乗率がそれまで65-70%だったが、9月になり51%に急減したと報じていた。考えてみれば当たり前のことだが、中国との関係悪化が田舎にも波及していた。

オスプレイ

そのうちニュースは切り替わった。今話題のオスプレイが実家の上空を通り過ぎたらしい。岩国基地から普天間に移動中に実家のある大洲市上空を通り過ぎ太平洋に出たということのようだ。3機が確認され、これまでに12機が愛媛県上空を通過したという。ニュース画面は地元の人らしき老人が県に問題提起する様子が映っていた。地元の人は誰も知らない。

原発

四国に唯一つの伊方原発から実家は30km圏内にある。近所の人達はまったく心配してない。だが、南海トラフ巨大地震が発生した場合の深刻な被害想定が発表されて以来、伊方原発事故災害の可能性と三崎半島の細長く避難が困難な地形で地元の不安が募っている。

再稼動候補の一番手だった伊方原発がどうなるか、楽観的な地元自治体と反対運動では考え方に乖離がみられる。中村県知事は考え方を明確にせず慎重な姿勢だ、まさに民主党のどっちにも舵を切れる原発ゼロ方針みたいだ。

維新の会

ここ愛媛県にも維新の会が発足した。大阪維新の会の傘下に入り、中村県知事の支持を得ているという。だが、県議会も松山市議会でも少数派だ。民主党の風が吹いた時、Jリーガーや地元テレビ局の女性アナが国会議員に当選し小沢チルドレンとなった。今回の報じられ方を見ていると、維新の会も同じような気がする。

天皇杯サッカー

NFLの更に下部の地域リーグに所属する今治NFLがJ1のサンフレッチェ広島に勝った時、ローカルテレビは大騒ぎだった。自称野球王国の愛媛県だが、いまやサッカーの方がニュースになる。今日は香川県のカマタマ―レ讃岐が浦和レッズに善戦した。全国ニュースは浦和の16強入りだが、ここでは讃岐が善戦して惜敗だ。■

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