かぶれの世界(新)

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民主党代表選は機会損失か

2009-05-15 22:31:44 | 国際・政治

小沢民主党代表が辞任表明後、間髪を入れず今週土曜日に代表選を実施し、後任を決めるやり方は理解しがたい。次期首相を決めることになるかもしれない民主党代表選は、予備選から始めて候補者の資質や政策を過去の政治活動まで遡って明らかにし、政策論議を通じて党員の判断を仰ぐ代表選出プロセスにすべきだ。

代表選は民主党が政権政党として国民にアピールする場であり、特に今回は衆院選直前であり合法的に事前運動できる千載一遇の機会といえる。それを何故3日間で決着をつけようとするのだろうか。新首相が選ばれるたびに支持率を回復したではないか。国会開催中とはいえ、今ならテレビ・新聞などのメディアはトップで扱ってくれる。こんなチャンスはまたとない。

この短期決着戦は結果として、新聞はともかくテレビは、小沢氏が影響力を残して院政をしくかどうかの戦いという単純な構図に矮小化する方向に押しやった。このままでは民主党自体が小沢なるものの体質を持っているという、やればやるほど国民の支持を失う恐れがある。まるで自らネガティブ・キャンペーンでもやっているようなものではないだろうか。

西松政治献金事件が、政権交代の可能性が現実のものになってきたのを嫌った官の陰謀だという説がある。真偽の程は分からないが、仮に違法でないとしても小沢的手法が国民の支持を得ておらず、民主党として政権交代を果す為に克服しなければならないと理解すべきである。

与党にも同じ体質があり、今まで摘発を受けてないのに何故小沢だけやられたか。東北地方の公共工事が小沢氏への献金の額で決まっていく、という検察の一方的リークをメディアが疑いも無く報じたという批判はある。

しかし、その情報が誤りだと証明されない限り、裁判や選挙のたびに繰り返し議論され、国民の疑いは晴れず民主党の体質として認識されていくだろう。どちらが先か分からないが、今までのところ報道も世論も、政策より小沢氏との距離ばかりに焦点を当てるのは止むを得ない側面がある。

民主党が危機を好機に転換させる為、予備選を経て国民(実際は党員だが)に判断させ、党として小沢なるものを克服し政権政党に相応しいことを示すべきであった。いずれにしろ国会議員の選挙に結果は委ねられる。今回、政策に大きな差がないということもあるが、誰が勝つかよりどんなプロセスで代表を選んだかが国民の支持を受ける為に重要な場合もある。■

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経済回復への道(憶測)

2009-05-12 18:35:27 | 社会・経済

悪い知らせ、転じて良い知らせ?

居心地の悪い思いを、今最も感じている人達は、悲観論で(食べている)経済学者や評論家ではないだろうか。雇用悪化が続き、クライスラーが破綻、トヨタが巨額の損失を報告するなど悪いニュースが続く中、景気回復の兆しを示すと見て反応し株価が急上昇し始めたからだ。彼らにとって見ると、あってはいけないこと、飯のタネが危険に曝される事態が起こっている。

先週7日に発表された米国大手金融機関19社の健全性を調べたストレステスト(資産査定)は、バンカメなど10社に計7.4兆円の資本増強を求める内容だった。米当局と銀行間で資産査定を巡り激しいやり取りがあったらしいが、直後に銀行は自力での資金調達プランを発表し、査定が甘いなど専門家の見方は分かれるものの、市場はこれを好感し株高で応えた。

4月の米国非農業部門雇用者数は53.9万人減少し、失業率8.9%839月以来の水準に悪化した。しかし、3月の70万人弱に比べれば減少幅が少なく予想を下回ったと見て、市場は雇用悪化が減速し始めたと見て好感した。

注目された金融機関(ストレステスト)と自動車産業(救済処理)の扱いが予想よりうまく処理できる見込みがたってきた。オバマ政権の口先操縦がうまく行っているとの非難もあるが、明らかに人々は楽観的になりつつある。3月頃までは自動車産業の破綻は経済に大打撃を与えると見られていたが、クライスラーは既に破綻し、今やGMの破産も選択肢として視野に入り始めた。

底が見えてきた!?

市場の見方はまだ底は打ってないが、どこまで悪くなるか底は見えたというものだ。NY市場の株価は8千㌦半ばまで回復し、これを追って日経平均は9000円台を回復、世界の株式市場も上昇した。私の退職金投資は3月初め年初来-10%だったのが、昨日は年初来+14%になった。リーマンショック前とは比べ物にならないが、正直いうと助かった感がある。

勘違いしてはいけないのは、現在まだ経済は下落している、下落速度が緩やかになり、どこまで落ちるか底が見え始めたところだ。底を打つのが近いと希望が出てきたことだ。冒頭の悲観論者の話を聞いて株式投資すると手遅れになる。景気回復が誰の目にも明らかになった頃やっと認めるだろう。それでも多分、本当の回復ではないと指摘する材料を見つけるだろう。

株価は先行指数だから景気回復の半年前には(投資家が正しければ)上昇を開始する。それが3月だと見れば秋頃、今だとすれば年末頃に、景気は上昇を開始することになるだろう(私の投資を指標に使うと3月説になる)。一方、雇用は遅行指数である。今回の情緒的な「派遣切り非難」は、雇用を躊躇し最小限に絞る経営判断を仕向けることになったと思う。

景気回復は半年続けて(四半期X2期)景気上昇して正式に定義されている。とすれば、景気回復宣言は早くとも来春、GDPが昨年前半までに戻るのは更にその後になる。従って、雇用回復は早くとも来年後半、それもかなりの部分はアジアなど海外での雇用に向けられると予想される。日本だけを考えて完全な雇用回復など期待できないと思ったほうがいい。

最後まで残る「ツケ」

未曾有の世界経済危機に対応する為世界各国は景気対策を打ち、中でも我が日本は膨大な国債を増発することになった。昨年からの補正予算に加えて、今年度の本予算、更に第2次補正予算と続き、トータル予算規模102兆円を組む為、44兆円の赤字国債を発行する予定だ。

半端な数字ではない。EU加盟基準が対GDP3%以下の財政赤字だが、日本の予算は9%を上回る赤字予算となる。特に第2次補正予算には景気対策という名の下に、投資効果上極めて疑わしい支出があると指摘されており、キチンと議論されないまま若者世代に借金の付回しをさせない様監視していかなければならない。来る衆院選では若者の明確な意思表示が必要だ。

地球規模で財政赤字になった結果、後からどういうインパクトが出て来るのだろうか。ここでも我国は過剰流動性がもたらしたバブル時代の経験がある。そこで財政規律回復の機会が来る可能性がある。この時こそ冒頭の悲観論者の声を聞いてみるのがいいのかもしれない。■

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逃げ切った世代から一言

2009-05-07 22:54:07 | 社会・経済

変らない日本に苛立つ声:できる若者の閉塞感

シリコンバレーでコンサルティング会社を経営されている渡辺千賀さんの下記のブログが話題になっているらしい。大筋は「日本はもう駄目だから、海外で勉強して働け」と勧めたもので、その大胆な提案に多くの人達がコメントしている。例によって、周回遅れ天邪鬼コメントをさせて頂く。
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html
 

この記事が波紋を呼んでいるのは、社会の二極化で高齢者と最下層の若者の窮状が国家的課題として救済策が議論されている一方で、才能に恵まれた若者が目配りされることなく機会を十分与えられてない閉塞感が黙殺されており、これにピンポイントでヒットしているからではないかと思う。物言わぬ層から出てきた若干恨み節みたいに聞こえるところもある。

それ程筋道の通った意見とは思わないが、やむにやまれない気持ちを感じ取れる内容だ。昨今の政治経済の停滞を見たら、こういう声が出て来るのも当然だと思う。すぐ気付かれると思うが、これは若者世代の上澄み部分に向けたメッセージで、日本の若者世代全体に対する処方箋ではない。だが少なくとも、現代日本の若者を憂う真摯な姿勢は伝わってくる。

共感する一方で違和感もある。これは日本の将来に関る問題提起に繋がっている。記事の最後に触れられている「逃げ切れる世代」の一人として、議論を広げたい。私も90年代に海外で働いた経験がある。日本から派遣された幹部として、西海岸にある合弁会社で仕事をした。

自力で会社を起した渡辺さんの輝くばかりのキャリアの凄さはないが、「アメリカかぶれ」を自称する私にも同じ感覚がある。米国に生活し、トップ以下マネジメントの溢れるばかりの自信、若い人達の強い独立心、低賃金だけど楽観的な労働者、社会に貢献するコミュニティとの交流等を通じて米国の光と影を感じとった。彼等も同じ発想でそう言うだろうと感じる。

いざとなったら変われる:サムライの遺伝子

日本には高度成長時代の成功体験のある人が著しく減ったのは事実だが、今日の閉塞感は人口だけでなく政治経済から会社や個人生活まで、全てが高齢化しているからでもある。現実論として、高度成長時代に機能した枠組みが高齢化し最早機能しなくなった。しかし、もう一つの現実として、大勢はそれとは意識せずとも政治も言論も枠組みを守る方向に流れている。この国全体のイナーシャを変えられるだろうか。

国を変えるなんて何時になるか分からない、ややこしいことはやりたい奴に任せろ、能力のあるものはさっさと国を出て行った方が自分の為になる、彼女はそう勧めている。だから見捨てろ、といわれると心穏やかではなくなる。両親はどうするのか、お墓は誰が守るのか。私はそれが引っ掛かる。そうかもしれない、だが時間軸をもう少し長くすると、目先のことだけを考えた発想のように感じる。江戸時代の蘭学者に、成功したいならオランダに行って医者になれというように聞こえる。

日本はそんなに馬鹿な国じゃない。100年余り前の明治維新は、日々食うにも困るような極貧の下級武士が原動力になって国を変えた。貧乏とか格差とか、食える食えないとか、金銭的利得が動機では無かった。彼等の志は常に命がかかっていた。その命懸けの有無が事を起すかどうかの分かれ目ではなかったろうか。私は今でも日本人には同じ血が流れていると思う。遺伝子の底力は受け継がれているはずだ。

武士が刀という携帯暴力装置を身に付けていたことは、平時においても命を懸けて取り組み事を成すという覚悟のシンボリックな精神があったはずと思う。現代でも小泉元首相の郵政民営化が支持された要因の一つは、殺されてもやるといった言葉に国民の琴線がかき鳴らされたからだと今でも思う。時が来れば日本は変れる。

別のやり方もある:政治活動を始めた若者

現代の日本の若者には「刀」はないし、精神的に強くなれる武器はないかもしれない。日本的民主主義プロセスで、徐々に変革していくのはもう待ちきれない渡辺さんの思いは理解できる。長い歴史物語の延長線上で現代を見て、或いは90年代以降の迷走の中にも、追い込まれた時の日本人の凄さは垣間見られたと思う。最後に開化するのが10年先か30年先かは分からないが。

別の視点から見ると渡辺さんの発想には国境はない、地球市民としての発想だ。それが21世紀のパラダイムなのかもしれない。だがそれだけでは根拠不明の弱い存在になってしまう怖さを感じる。選択肢の一つとしては否定されるべきではないと思うが。

私は寧ろ先月NHKがクローズアップ現代で報じた、現状を変える為に政治活動を始めた若者に共感を覚える。この番組に関連して「青年よ、政治を目指せ」と題した記事をこのブログで紹介した: http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20090415 

この若者に上記の明治維新の我国存亡の危機に立ち上がった下級武士の姿がかぶる。今はそれ程の危機かどうか分からない。だが、私は変化の時期がそれ程遠い先の事とは思わない。上記の政治活動を始めた若者の例のように、現代の若者は刀の代わりに「投票権」を持っており、やっとその力を理解し始めたと半ば期待する。そして、国を出て行く者も留まるものも変化の推進力になって欲しいと思う。■

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そこの、シニア・若いの!

2009-05-04 21:50:06 | 日記・エッセイ・コラム

それは、暗闇祭りとして知られる地元の大国魂神社のお祭りの為、町内の準備をしていた先週の祝日の朝、年番頭に指図を受けた言葉だ。町内の班単位に数年おきに回ってくるお祭りの奉仕の役割のことを、「年番」という。その取りまとめ役を年番頭といって、前週の集会で指名された年長の方だ。

退職した時から地元の活動には嫌がらず参加する積りでいたが、それまでは仕事一本で連休といえば登山や旅行をしていた。急に顔を出しても馴染みの人達は数人で、何も知らないのかという顔をされても、指示されたことを黙ってやるしかない。

お祭り現役の高齢化

見回すと周りの人達の多くは引退された年長の方ばかりで、私は若手ということになる。「シニア・若いの」とはうまいこという。年番は10年に一度程度周ってくるのだが、近年人口がもっと減った2丁目は5年に一度になったという。殆どは古くからの家で人の出入りが無い上に、新しいアパートの住人は、地元の行事には殆ど参加されないので、年番の高齢化が進んでいるのだそうだ。

準備といえば、町内の倉庫から子供神輿や太鼓を引き出し、旧甲州街道沿いに会所を作り、提灯をぶら下げる仕掛けを作る。更に、その近くに神輿や太鼓を祭りの間収める小屋と、寄付を張り出すボードを作る程度の半日仕事だ。旧道の交通を一時止めないと作業が出来ないが、お祭りとなれば自然と威張って公道を歩いて作業をした。

昨日3日からいよいよお祭りの本番、タンスの奥に10年間しまってあったハッピを着て会所に出向いた。先ずは景気付けにビールを飲まされた。午後からの子供神輿と太鼓の町内巡行にお守り役として同行、必要に応じて提灯を上げ下げして交通整理役をやった。途中お囃子保存会の大きな山車と一緒に進み、笛や太鼓で祭りらしくなった。

お祭り子供人口の減少

途中の広場に来ると予め準備してあったお酒を飲み、それを3,4回繰り返して休みを入れながら町内巡りを続けた。10年前には神輿の後を何十人も子供が続いた。しかし、今は子供達が殆ど来ない。子供の絶対数が減ったのと、お祭りより他に楽しいことが沢山あるのではと長老は言う。結果として、神輿は台車に乗せて引き回し、所々で担ぎ上げ揺らすのは全員お年寄り。

小学校の横を進むと、サッカーのユニフォーム姿の大勢の子供達を見かけた。私の子供がこの年令だった頃、私もそうさせていた。というか、子供の好きなようにさせた。お囃子の山車に乗って太鼓や笛を吹き踊っている子達はまだ員数が揃っていたのだが、子供用の神輿や太鼓は余り興味が無いのかもしれない。

普段、ウォーキングやバドミントンをしている割には、3時間も町内を隅々歩くとすっかり疲労感が残った。それも束の間、4時半にはもう飯を食えといわれ、公会堂の台所で奥さん達が作った夕食を頂いた。そして、又、ビール。夜の行事の競馬式までには時間があるので、一旦自宅に戻りテレビを見ているうちにウトウトし、気がつくと7時近くになっていた。集合時間をとっくに過ぎていた。

競馬式(古式競馬)に沸く

慌てて神社に行くと、集合場所には誰もいなかった。既に駒(馬)を借りに東京競馬場に向かい、そこから市内を行列していた。遠目に烏帽子を被った古装束の騎手が沿道一杯の人の頭から突き出て進んでいく。近づくと、その前にシャンシャンと地面を敲く金棒役が二人、駒の後に烏帽子をつけ警固提灯を持った行事役の年番が従っていた。

遅れて行ったので烏帽子も提灯も無いが、行事の列に紛れ込んだ。今まで見物客の一人として外から見ていたが、行列の中に入って歩くのは思ったより気分がいい。神社に入り駒が御祓いを受けた後、行事が駒の先にたって市内目抜きのケヤキ並木を進み、当日最大のアトラクションである競馬式が始まった。

かつてはケヤキ並木の広い側道は舗装されておらず、4頭の競馬馬が疾走した。近くで見ると、物凄い迫力だった。聞くと最近は6頭の馬がケヤキ並木の本道を滑走するようになったという。それでも、いざ走り始めると中々勇壮だった。わが宮の駒の騎手は乗馬クラブの先生だそうで、古装束の良く似合う彼女が上体を全く揺らさず飛ぶ様に走る姿にうっとり見とれた。通り過ぎる度に拍手が舞い起こった。3往復して競馬式は終了、そのまま会所に戻り散会、今回の役目を終えた。

今日午前中のバドミントンの練習に顔を出し、メンバーに聞くとお祭りには殆ど関心なし、競馬式があったことも知らない。まあ、そんなものだ。私もそうだった。連休といえども渋滞を予想して遠出を避けた人が多く、お祭りも関係なし、体育館には何時もと同じ顔ぶれがいた。■

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他人の不幸は蜜の味

2009-05-01 23:00:05 | 社会・経済

境に落ちっていた米国自動車産業ビッグ3の一角クライスラーが、民事再生法(チャプター11)の適用を申請したニュースを、早朝まだ布団の中で聞いた。それを受けて株式市場は、ダウ平均は小幅に下げ(-17.6㌦)NASDAQは上昇(+5.4㌦)と冷静に反応した。

昨夜(米国では朝方)は直近の失業保険申請が予想より少なかった為100㌦以上も上昇していた。破綻処理のニュースの影響はダウ平均マイナス100㌦ということか。今年初め頃はGM、クライスラーの破産は部品メーカーや販売店等の裾野産業に大打撃を与え、米国から自動車産業が無くなるというような悲観的な見方があったのに、様変わりだ。

その理由は、当局が組合・債権者・部品メーカー等のステークホールダーに厳しい条件を飲ませ、破綻後の再生のフィージビリティを事前調整した、謂わば計画的な「護送船団的倒産」だったからと考えられる。商品力・開発力を見てはじめから単独再建はない、問題はどういう手順で落としどころに持っていくか、がオバマ政権の基本方針だったようだ。

破産させた後もフィアットの提携と政府の資金支援を続けるという、救済に批判的な世論を配慮した巧妙な落としどころだった。だが仕組を作っても生き残れるかどうかは又別の話である。最後はフィアットの小型車を含めたタマが売れるかどうかだ。オバマ政権はどうなろうと「軟着陸できれば良し」と考えている節がある。

この「計画倒産」で、誰が笑い、誰が泣いたか、市場の反応から推測してみた。

ォードは安堵感から高笑い、GMは明日は我が身と身構え、組合は世間の厳しい目に身をすくめ、小口債権者は徹底抗戦、大手金融機関はダメージ・ミニマム・モードといったところか。確かなのは、救済劇の主役は自動車産業と思っていたが、オバマ政権の演出で動かされていた。更に補足すると、クライスラーの破産はフォードの「生き残り感」が現実かもしれないと思わせるようになったことか。

「他人の不幸は蜜の味」というが、今高らかに笑っているのはフォードだろう。2ヶ月前にはたった1㌦まで下がった株価が、昨日ほぼ6㌦まで暴騰した。GMとクライスラーの危機が伝えられ救済の繋ぎ資金が注入された頃から、フォード・ディーラーの店頭を訪れる顧客が増え始めたと報じられていた。15%前後国内シェアが増えたと見られている。

一方、昨日のGMの株価は微増、1.92㌦に留まったのが、同社の微妙な立場を表していた。今月末までに債務交換や組合員の医療費を株式で返済する等のリストラ策をちゃんとやらないと破綻させる、という強烈なプレッシャーが経営・債権者の両方にかかることになる。

最後まで抵抗した一部の債権者はヘッジファンドや個人投資家、年金組合などの機関投資家で、大手金融機関はクライスラーに融資しておらず昨日の株価は殆ど動かなかった。だが、GMはそうはいかない。シティやJPモルガン等の大手金融機関やヘッジファンドが巨額の投資をしているおり、債務不履行となれば深刻な影響がでると予想する。オバマ政権は、クライスラーとは異なる落としどころを決めていると推測する。

り返ってみると、2006年のムラリー氏がボーイング社からフォード会長に就任して2ヶ月以内に、会社の資産を担保にして$23.6B2.4兆円)のローンを組んだのが、今日のGMとクライスラーの混迷とフォードを隔てる決定的な分岐点となった。

2006年といえばまだ住宅バブルが弾ける前で、氏の決断は当時評価されたとはいえなかった。ボーイング社での経験が危機に対する備えとして流動性を確保する決断をさせたという。この先フォードが生き残れば、酷評に動じず信じることを実行したリーダーとして人々の記憶に残るだろう。

現実に戻れば、フォードは昨年売り上げが20%減少、$14.6Bのキャッシュを使い果たし、今年の1-3月も昨年同期比43%減少した。フォードのキャッシュポジションは、このまま自動車販売の低迷が続くと後1年分しかないと見られている。

フォードが生き残る為には、今後の自動車販売市場回復と中型セダン・トーラス等の新車の売れ行きにかかっている。最近のAutoPacific社の調査では、72%が政府支援を受けて無いフォードの車を買うと答え、ショールームの来客数が増えているという。■

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